シベリア鉄道 単語

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シベリアテツドウ

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シベリア鉄道とは、シベリア広大な原野をひたすら走る鉄道路線である。

概要

シベリア送りにされた亡者の上に成り立っている死の路線である(実際にこの鉄道の建設には犯罪を犯した囚人が多く関わっており、その多くが死亡している)。

世界でも最長クラスの路線であり、長距離列車世界最長クラスである。ロシア極東沿州のウラジオトクからモスクワまでがシベリア鉄道と言われてるが正確ではない。

軌間は1520mmの広軌が採用されている。これも標準軌にした場合、ナポレオンのような侵略者が現れた時に脅威だとする防上の問題と言われている。

途中中華人民共和国との付近を通ることもあり、防上の問題からバイカル湖の北を通って途中で合流する第2シベリア鉄道(バム鉄道バイカル・アムール鉄道とも言う)もある。

国際列車も多く、北京モンゴル、更に北朝鮮まで直通する列車まである。その他、東欧方面への国際列車も多く走っている。それらの列車の中には何日もかけて運行する列車も多く、シベリアの原野をひたすら走る。

モスクワからウラジオトクまで走るロシア号などをはじめ、世界上位の長距離列車の地位の多くをこのシベリア鉄道が占めている。

運行時間世界最長はモスクワとウラジオトクを結ぶ普通列車とされており、9泊10日のである(同区間を特急ロシア号が7泊8日である。)。

日本とも関係が深く、航空機が発達する前は欧州への最短ルートであった。

長大路線であり、極寒シベリアを走るとあって、施設の老朽化が大きな問題となっているがロシア経済にとって特に重要な路線とあって、2002年には全線電化、更に複線化工事もあらゆる場所で進んでいるようだ。

現在の経営状況

客輸送事業は赤字であるものの、貨物輸送がそれ以上に黒字であるため、シベリア鉄道全体としては黒字になっている。日本ではこういったことはしいが、諸外ではこういった経営形態が常で、シベリア鉄道も例外ではない。

歴史

建設

1888年(明治21年)にパリシンジケートロシア国債5億フランを引き受けた。これを原資として1891年(明治24年)3月に、シベリア鉄道敷設の勅命が下り、皇太子ニコライ(後のニコラ2世)は、東のターミナル予定地のウラジオトクでこれを表した。1902年末に工したが、単線で、バイカル湖上はフェリーで渡していた。[1]ニコライは途中で立ち寄った日本大津事件に遭っている)

全通後(帝政ロシア~ソ連時代)

バイカル湖を南側に回する現在の路線ができたのは日露戦争中である。日露戦争でもこのシベリア鉄道は大活躍し、日本軍を大いに苦しめ……たわけでもないようだ(クロパトキンが退却を重ねたため)。

日露戦争後は日露関係は一転して好転した(とある外交要件で日露の利が一致したためとされる)が、これもロシア革命ソビエト連邦となる。

しかし、シベリア鉄道はソビエト時代も重要な路線であり、先述のように航空機が発達する前はヨーロッパまで最短ルートであり、また戦前戦後においてもソ連時代は物流大動脈であると同時に、ソビエトに対する反逆者などをシベリア送りにするための死神路線としても大活躍していた(第二シベリア鉄道の建設などに従事していた)。

ソ連時代はやはり防上の理由から外国人の利用は大きく制限されていたようだが、それでも戦前航空機発達前はヨーロッパへのルートとしては最短であったため、例えば航路では40日かかっていたパリまでのも、下関から釜山へ渡り、朝鮮総督府鉄道から南満州鉄道を経てシベリア鉄道経由で行けば15日で到達できた。ただ、通過ビザの取得は外交官や軍人、高級官僚、政治家などでもない限り難しかったようで、実際にはアメリカ西海シアトルに出てアメリカ大陸鉄道で横断し、ニューヨークから大西洋航路を使うのがメインだったようである。この場合は20日程度とされた。

航空機の発達によって、シベリア鉄道の客路線としての重要度は低下、観光路線としてシフトしているが、貨物積載量そのものは増加しており、ソ連時代は策によって貨物料が低価格に抑えられていた事情もあり、日本からヨーロッパへ送る貨物輸送ルートとしては大車輪の活躍を見せていた。

この時代のシベリア鉄道の荷は実は日本企業が多かったのである。まだ中国現在より格段に貧しかったためである。

また路もこの時期はまだ非常にコストが高いとあってシベリア鉄道も一定の競争があったのである。

しかし、頭から常に血を流していることで有名なゴルバチョフソ連最高導者となる頃になると、設備更新の停滞やソ連混乱からシベリア鉄道の輸送は大きく低下、1991年ソ連が崩壊してしまった。

ソ連が崩壊し、シベリア鉄道はロシア連邦の一部となった。電化工事や複線化工事も着々と進んでいるが、ソ連崩壊に伴い相次ぐ値上げが発生(それまでは共産主義として利用料は低く抑えられていた)、価格的優位性は全に路に譲ることとなった。

現在シベリア鉄道で貨物輸送を利用する場合、または客が飛行機恐怖症などの理由で鉄道を経由してヨーロッパへ渡る場合、日本海側の各港(客の場合、現在港から出ているのが一である(新潟からウラジオトク行きの航路は止された))からウラジオトク行きの船舶に乗り、ウラジオトクからシベリア鉄道(客の場合はモスクワ行きのロシア号を利用することになる)を経由し、モスクワからヨーロッパの各に入ることになる。客の場合ロシア号で7泊8日、からウラジオトクまでのフェリーも2泊3日(季は3泊4日)であるから、そこから西洋の各地までの移動時間も考えると2週間は見ないといけないことになる。

今後の予定と海路との競合

シベリア鉄道貨物輸送における最大の敵は何と言っても巨大船舶を使った路である。スエズ運河を経由しヨーロッパへ巨大な船舶を使えば、所要時間こそかかるもののコストは低く、輸送量は多くなる。

また、シベリア鉄道の問題点として、途中などで現地の鉄道職員が「護衛料」などと称し法外な料の支払を要することもある。これは、日本暴力団が行う「みかじめ料」と酷似している。

また、シベリア鉄道の内も治安が悪く、また国際列車が走っているが、直通先に英語圏がないためか英語がまるで通じず、ロシア語の会話集や鉄道ガイブックは必須であるようだ。

シベリア鉄道VSスエズ運河

シベリア鉄道 スエズ運河路)
値段 割高 割安
輸送量
治安
所要時間(サンクトペテルブルクまで) 25日 40日

このように、所要時間こそいものの、ロシアの度重なる不義(特に北方領土問題)などからあまり信用がなく、大勢としては路が好まれているのが現状である。

実際にシベリア鉄道からヨーロッパに輸送される20000個のコンテナ輸送のうち8000個強は日本のものであるが、船舶は36万個であるからシェアは45対1である。これは一般的には「競争になっていない」という状態である。

しかし、広大な土地により資恵まれているシベリアを活かさない手はなく、プーチン政権としてはなんとか経済成長の原動にしたいようである。実際にロシアの貿易その他あらゆる輸送においてシベリア鉄道は3割を占めている他、内の客輸送の重要な一部でもある。

特に、ロシアでは日本ブームが起こっており、部品輸送などの需要も期待されている。また、中国からの輸送も盛んである。ソ連時代はシベリア鉄道の際貨物輸送はほぼ日本が支配的だったが、現在ではシベリア鉄道の信用低下や値上げなどから路にシフトされ、荷中韓が多いようである。

しかし、依然として実質的な経済では世界2位中国の統計は当の中国自身が信用出来ないと認めているため)である日本の需要を取り込むことはプーチン政権にとって大きな課題となっている。

特に中ソ対立以降はロシアにとって中国仮想敵であるという点も大きい。

北海道延伸計画、宗谷トンネル

また、日本と関わりの深い将来計画として、シベリア鉄道の北海道延伸案を外すことは出来ない。

現在シベリア鉄道の将来計画として、樺太大陸を結ぶ間宮海峡トンネルの計画が進められている。元々スターリン時代にシベリア送りにした罪人と軍人を使い計画が進められていたが、当のスターリン自身が死んでしまったため、計画が頓挫、その後北樺太にある田などの円滑な輸送(が凍ってしまうため)の的から間宮海峡トンネルまたはをかける計画が進行中である。

これをサハリントンネルサハリン大橋間宮海峡トンネル間宮海峡大橋などの名前で呼ぶ。2016年に着工する予定とされている。

しかし、ロシア側としてはこの計画だけではまるで採算が合わないため、なんとかして日本を引き込みたい意図があるようである。

つまり樺太の南端から稚内までのトンネル計画である。これによりシベリア鉄道を日本の貨物でうめつくし路の需要を少しでもシベリア鉄道に振り向けさせ経済を活性化させたい意図である。

ロシアにとっては中国は信用ができない仮想敵であり、実際には日本北方領土の問題があるからやはり同様なのだが、日中及び露中は日露以上に敵対関係であるため、ロシア側から見れば北方領土に譲歩してでも日本と組んで共に中国に圧をかけるメリットが強まれば問題を解決させようとすることが考えられる(あくまで損得の問題である)。

しかし、そうはいっても無条件北方領土を返還してしまうのは内世論に対して示しがつきにくい(よほど中国との関係が悪化してがどう見ても日本と組むのが得策だというのが明らかなら話は別だが可性は低い)。

よって、この宗谷トンネル計画を持ち出し日本の負担額を強めた上で北方領土と交換という意図である。これに関しては異説・反論もあるが、日本意識の強いである事情もあり、やはり北方領土問題を放置した上で一方的にこの計画を持ちだしても100%拒否されてしまうことは容易に想像できる。

そのため、このような計画を無条件で持ち出すほどウラジミール・プーチン馬鹿ではないということであり(明らかな条件で提案した所で時間の無駄にしかならず、単なる国家予算の浪費である)、やはり北方領土問題との外交カードの一つと考えるのが妥当と考えられる。

地質学的には樺太北海道の差は小さく、また深の差からも技術的には青函トンネルよりも楽であるとされる。

しかし、仮に北方領土返還などなされ(ロシアは信用がないため、現在自民党政権との交渉では領土返還→トンネル建設の順番になるだろう)諸問題が全に日本の納得の行く形で解決し、トンネルを作りヨーロッパまで繋がったとしても以下のような問題から、現実的だと日本鉄ヲタ摘している。

このような問題があるためか、日本政府JRはこの計画に対して無視を決め込んでおり、ロシア側(特にサハリン州)はこの計画に対してかなり積極的で既に国交省政府と交渉しているとしているのだが、日本側は政府JR共に賛成反対以前の問題として、意見表明さえしていないのが現状である(ちなみに、初版編集者JR北海道JR貨物に問い合わせのメールを送ったが回答は帰ってきてない。つまりは、そういうことである。)。

また、ロシア側から見た問題もある。特に日本からシベリア鉄道貨物輸送において中間利益を得ていた沿州は経済的な打撃を受けるため、この計画に反対するのでは?とも言われているが正確なところはわからない。

日本メディアとのかかわり

ソ連時代、この鉄道は重要な軍事施設とみなされ、外国人が自己手配で切符を取得し自由に乗降することも、気軽に写真することも許されなかった。そのため日本人にとっても「近くて遠い鉄道」であったが、1982年NHKドキュメンタリー作品『シベリア鉄道』を制作。これはロシア号に乗し、沿線の物、人々の暮らしや内の様子を紹介する、今でいえば『世界の車窓から』のような映像作品であった。このような映像作品の制作世界的にも稀なことで、作中にも取材許可を得るための苦労が記録されている。例えばトンネルの撮はただ1箇所しか許されなかったし、許可を受けていてもなお列車の撮中に市民から通報されるようなことさえあった。この作品は1990年ビデオ化され販されている。

これに多くの日本人が触発され、シベリア鉄道への興味と憧れを強く抱いた。かの宮脇俊三氏も取材旅行に出かけ 『シベリア鉄道9400キロ を執筆。ただしこの際、当局に「シベリア鉄道、ひいてはソ連のすばらしさを伝えたい」という手紙まで書いたものの、全線乗を果たすことは認められなかった。

ソ連崩壊後はこのような苦労から開放され、ニコニコ動画にも個人撮による動画アップロードされている。NHK2008年に再びシベリア鉄道を題材にしたドキュメンタリー『シベリア鉄道 広大大地を駆け抜ける 動のロシア』を制作している。

車両

シベリア鉄道の車両は様々な塗装であり、北朝鮮中国と言った東洋から東欧の客を見ることもできるなど多岐にわたる。

しかし、近代化は不十分な部分もあり、第二シベリア鉄道はまだまだ単線非電化の区間も多く、またトイレが垂れ流し式であるようだ。

また暖房装置はエアコンなどではなくストーブが用いられている。これはエアコンなどの故障時に立ち往生などした場合文字通りシベリア死神の犠牲となり、シベリア送りの亡者と成りはててしまうからである。

関連動画

車窓動画

ヨーロッパ方面行き動画

日本方面行き動画

関連生放送

ラジオトクからモスクワまでの9288キロ日中車窓ノーカット

初日

最終日

関連商品

 

関連項目

脚注

  1. *「「地政学」は殺傷のある武器である。」兵頭二十八 徳間書店 2016 p.137
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