シルキーサリヴァン(Silky Sullivan)とは、1955年生まれのアメリカの元競走馬・元種牡馬である。
1955年、シルキーサリヴァンはアメリカ・カリフォルニア州に生まれた。
父は英愛米の3ヶ国で12戦してアイルランドで1勝・アメリカで5勝しているSullivan、母は4戦未勝利で故障引退したLady N Silk、母父は43戦9勝のフランス産馬Ambrose Lightという血統である。
カリフォルニア州産馬は他州と比べて格が落ちるとされており、例えばアメリカ三冠レースのケンタッキーダービーを制したカルフォルニア州産馬は1世紀半の歴史の中でわずかに5頭のみ。4頭目のディサイデッドリー(1962年)から5頭目のカリフォルニアクローム(2014年)まで52年間出なかったほど一線級のカリフォルニア産馬は少なかったのだ。日本の感覚としては九州産馬に近いかもしれない。
シルキーサリヴァンも例に漏れず、「燃えるような赤い栗毛」は目を引くものの馬体は至って普通の見た目であり、期待も注目もされず2歳5月のデビュー戦を迎えた。
特に期待をしていなかったデビュー戦で、スタート直後に調教師であるレジー・コーネル師、そして騎乗していたジョージ・タニグチ騎手は愕然とした。
周りの馬が猛ダッシュを決めて全力でコースを駆ける中、タニグチ騎手が押しても引いてもムチを入れても走る気ゼロのやる気のないスピードでちんたら走りだしたのだ。日本の競馬においてわかりやすい例を挙げるなら、逆噴射装置が作動した後のツインターボを想像してもらえると早い。タニグチ騎手曰く減速を通り越して「逆走しているのかと思った」らしい。
しかもこのレース、5.5ハロンのスプリント戦である。シルキーサリヴァンの見た目に惚れて馬券を買ったファンもこれを見た瞬間に馬券を捨ててもおかしくないぐらいで、先頭と20馬身差がつく頃にはコーネル師も「なんだこの駄馬は。廃馬確定だな」と思ったらしい。
ところが、残り3ハロンを切ったあたりでコーネル師、そして観客席のファンたちは再び愕然、と言うより唖然とすることになる。ヤケクソ気味にタニグチ騎手がムチを入れた途端、シルキーサリヴァンはコーネル師曰く「まるで蜂に刺されたかのように」急加速したのである。
あまりの急加速に振り落とされそうになったタニグチ騎手を背に、シルキーサリヴァンは前の馬たちめがけて突貫開始。先頭争いから脱落していった馬たちを次々交わすと、ゴール直前で先頭も捉えてハナ差差し切ってしまう。いくら前半サボっていたとはいえ常識的にありえない末脚に、コーネル師は「こんな速い馬は見たことも聞いたこともない」と興奮気味に語った。
ちなみにコーネル師、このレースで「この形がシルキーサリヴァンにとってベストなレース運びである」と確信したらしい。名伯楽である彼が調教師だったのも、シルキーサリヴァンにとっては幸運だったのだろう。
さすがにレベルが上がった2戦目以降は届かず敗戦ということがあったものの、2歳最後のレースであるマイル戦、ゴールデンゲートフューチュリティSではデビュー戦以上となる最大27馬身差を逆転して差し切り勝ち。7戦4勝で2歳シーズンを終えることとなった。
1958年、カリフォルニアの競馬関係者、そしてファンたちは来たるべき三冠競走に向けて胸を踊らせていた。低レベルとされたカリフォルニアから、3年前のスワップスに続くケンタッキーダービー馬、そして史上初の二冠、あるいは三冠馬が生まれるかもしれないのだ。
それに応えるようにしてシルキーサリヴァンはまたも豪快なレースを見せつける。
3歳初戦のマイル戦ではザシューとサークルリーという馬がゴール前で競り合っていたのだが、シルキーサリヴァンは大外からそれをまとめてクビ差で差し切り勝ち。ちなみにこのレース、ゴール直後はサークルリー鞍上のレイ・ヨーク騎手が「ザシューとの競り合いを制してサークルリーが勝った」と思うほど常識外の場所からシルキーサリヴァンがかっ飛んできたのだった。
続いてシルキーサリヴァンはカリフォルニア・ブリーダーズ・チャンピオンSで、さらなる伝説を作る。
最大40馬身差あったところから強烈な末脚を見せ、勝てなかったものの当時カリフォルニアの総大将とされていたオールドプエブロをクビ差まで追い詰め、オールドプエブロに騎乗していたエディ・アーキャロ騎手に「走ることしか眼中にない馬」と評された。
実力馬をこんなハチャメチャなレースぶりで追い詰めたのもすごいが、このレースの真の恐ろしさはラスト1ハロンのラップタイムである。10秒0、あるいは10秒を切っていたとも言われているのだ。日本でもアイビスサマーダッシュでカルストンライトオが3ハロン29秒6、1ハロン9秒8-10秒2-9秒6の脅威のラップタイムを叩きだしたことはあるものの、これは芝1000mのスプリント戦で、しかもテン(スタートからの)の3ハロンの数字である。
ところがシルキーサリヴァンは「ダートの」「マイル戦の」「ラスト1ハロンで」この時計を記録したのだ。アメリカのダートは日本のそれと比べて高速馬場と言われるが、それでも芝に比べて時計がかかるのは確かで、不滅の大記録ということは間違いない(ダートの世界レコードはほとんどの場合、芝の同距離レコードと比べて2秒ほど遅い)。
さらに続く6.5ハロンの一般競走では最大41馬身差と前走よりも広がった差を逆転、それどころか最後には3馬身差をつけて圧勝した。
シルキーサリヴァンの壮絶なパフォーマンスに、この頃には遠く離れた東海岸の競馬ファンにもシルキーサリヴァンの名が知られるようになっており、ケンタッキーダービーの有力馬の1頭として全米の競馬ファンに注目される存在となっていた。
そんな中、シルキーサリヴァンがケンタッキーダービーへのステップレースとして選択したのは、サンタアニタダービー。3年前、同じカリフォルニア産のケンタッキーダービー馬であるスワップスが勝ったレースである。元々注目度が高いレースだったうえ、シルキーサリヴァンを応援したいカリフォルニアのファン、さらに噂のシルキーサリヴァンを見ようと他州のファンが大集合した結果、サンタアニタパーク競馬場最多記録となる入場者6万1123人を記録した。
超満員の観衆の前で始まったこのレース。先頭を行くのは、かつてシルキーサリヴァンのデビュー戦で手綱を握っていたタニグチ騎手が駆るジョージエックス。シルキーサリヴァン対策のために作り出されたハイペースの中で、しかしシルキーサリヴァンはいつもと変わらず大きく離れた最後方をのろのろ走る。
5ハロン通過地点に近づき、その差が30馬身近くまで広がった時、さすがに場内がざわつき始めた。
40馬身差を逆転した経験があるとはいえ、普段のシルキーサリヴァンの仕掛けは残り2.5ハロン前後から。サンタアニタダービーは現在は9ハロンだが当時は6.5ハロンのスプリント戦であり、この時点で残り2ハロンを切っていたのだ。
末脚不発か、あるいは仕掛けのミスか。観客たちが天を仰いだ瞬間、シルキーサリヴァンの末脚に火が点いた。
一気に馬群に取り付くと、サンタアニタパークの短い直線に入る頃には10頭中6番手まで浮上。一気に先頭を捉えると、2着ハーコールに3馬身差をつける圧勝。大いに観客たちを湧かせた。
さて、シルキーサリヴァンの極端なレースぶりを生んだ理由だが、これはシルキーサリヴァンが幼駒時代の風邪を原因とする呼吸器疾患を抱えていたからだとされている。
また、先天性の関節炎も抱えており、この2つが複合したことで全力を出せる距離が数百メートルだけだった。
また、シルキーサリヴァンは幼少の頃から非常に賢い馬で、牧場で広大な放牧地を横断する際に他の馬たちが半分ほど進んでから出発し、到着する頃には先頭に立っていたという逸話が残っている。
この頃、すでに自分の特徴を活かした競走の仕方を知っていたのだという。
ちなみにゴシップ的な説として、「シルキーサリヴァンは実はスタミナがサラブレッドに劣る代わりにスピードに優れた馬種・クォーターホースであり、前半の極端なまでにスタミナを温存する走り、そしてあの末脚はシルキーサリヴァンがクォーターホースであるなら不思議ではない」というものもあるのだが、当時のシルキーサリヴァンがそれだけ注目されていたという証だろう。あと、クォーターホースなら馬には変わりないからガソリンが血の代わりに流れてるとか言われた馬よりはまだ妥当な常識的な範囲のネタだと思う。
東海岸に移っての初戦、7ハロンの一般競走では不良馬場に足を取られてしまって4着に敗れるものの、30馬身差がついた状態からの追い込みであり、東海岸でも西海岸と同じ競馬が通用するところを見せた。
しかし好事魔多し。ここでシルキーサリヴァンに不幸が振りかかる。ケンタッキーダービー直前、疲れが出て微熱が出ていたのだ。これはなんとか当日までに回復したものの、今度はレース前日に5月とは思えない寒波がレースの舞台であるチャーチルタウンズ競馬場を襲い、加えて当日には雨が降ったことで、気管支に問題を抱えるシルキーサリヴァンにとっては最悪のコンディションとなってしまった。
そして迎えたケンタッキーダービー当日。ここでシルキーサリヴァンは、前年の2歳チャンピオン・ジュエルズリワードに1番人気こそ譲ったものの、6連勝中のティムタムと並んでの2番人気に推された。
ただ、このダービーでもっとも注目されていたのは間違いなくシルキーサリヴァンだった。ファンも「どの馬が勝つか」よりも「シルキーサリヴァンがどんなレースをするか」に目を向けていたし、レースを放送するCBS放送は「先頭馬群とシルキーサリヴァンを別々のカメラで写して2分割放送をする」と表明。それゆえに最悪のコンディションでも走らなければいけなくなってしまったのだが、結果を見る前からこのダービーの主役は彼だったのだ。
レースが始まり、いつものように先頭の馬群から遥か後方を進むシルキーサリヴァン。アナウンサーはジュエルズリワードやティムタムよりもずっと多くシルキーサリヴァンの名を絶叫。
直線に向いてシルキーサリヴァンはスパートをかけ、スタンドやテレビの前のファンたちはあの規格外の末脚が繰り出される瞬間を固唾を呑んで見守る。
だが、結論から言えばシルキーサリヴァンは伸びなかった。勝ったティムタムから離されること20馬身差の12着。最大30馬身差あったところからは詰めたものの、完敗もいいところだった。
しかし、シルキーサリヴァンのダービーはまだ終わらない。コースから引き上げてくるシルキーサリヴァンに、ファンたちの勝ったティムタムに対するそれよりも遥かに大きな拍手が送られたのだ。
ただ、次走のプリークネスステークスでも、二冠を達成して今度こそ主役に踊り出たティムタムの8着といいところなしで終わり、ティムタムがレース中に故障を発症して惜しくも三冠を逃したベルモントステークスの出走馬の中にシルキーサリヴァンの名前はなかった。
結論から言えば、気管支に問題を抱えていたシルキーサリヴァンにとって10ハロンのケンタッキーダービーや9.5ハロンのプリークネスステークスは距離が長すぎたのだろう。
翌年も現役を続行したシルキーサリヴァンだが、3勝したものの重賞勝ちはなくそのまま引退した。2歳から3歳にかけての華やかな活躍を考えるとなんとも寂しい戦績に終わってしまった。
引退後、種牡馬入りしたシルキーサリヴァンは500ドルと当時としても安価な料金で種付けを行うことになった。
サラブレッドだけでなくクォーターホースの生産者からも種付け依頼が殺到し、クォーターホース界にも血脈を広げることになったのだが、期待とは裏腹に重賞勝ちをした産駒はほとんど出ずに成功とは言えない結果に終わる。ただ、500ドルの種付け料は生涯変わらなかったため、毎年そこそこの数の種付けはあったようだ。
しかし、種牡馬としてはぱっとしなくてもシルキーサリヴァンの人気は衰えなかった。毎年誕生日になるとケーキやクッキー、手紙が全米各地から送られてきて、クリスマスにはプレゼントもたくさん送られたという。
これに応えるべく、引退後のシルキーサリヴァンには「ファンレターに返事を書くための専用秘書」がつけられ、また、聖パトリックの祝日(3月17日)にはゴールデンゲートフィールズ競馬場で、サンタアニタダービーの開催日にはサンタアニタパーク競馬場でシルキーサリヴァンが主役のパレードが行われてファンをおおいに湧かせた。
その人気はシービスケットやマンノウォー、セクレタリアトに匹敵すると言われ、特に地元カリフォルニアでは今なおスーパースターのままである。
また、アメリカでは追い込み馬が馬群から大きく離された状態から差し切って勝つことを「シルキーサリヴァンフィニッシュ」と呼び、さらに競馬のみならずスポーツ全体における大逆転のことを「シルキーサリヴァン」と呼ぶらしい。
ファンたちに愛されて余生を過ごしたシルキーサリヴァンは1977年、睡眠中に22歳の生涯を終えた。
現在、「レース序盤はのんびりと最後方を歩き、ファンが応援しても聞こえないかのようにだらだらと進み、そして突如高速化してゴールまで駆け抜けた赤い弾丸」と刻まれたシルキーサリヴァンの墓碑は、ゴールデンゲートフィールズ競馬場にある。
同競馬場には長らくシルキーサリヴァンのみが埋葬されていたが、現在ではその横に後にカリフォルニアのスターとなり、病魔と戦って散ったスピードスター・ロストインザフォグの墓碑が並んでいる。
Sullivan 1944 栗毛 |
Panorama 1936 栗毛 |
Sir Cosmo | The Boss |
Ayn Hali | |||
Happy Climax | Happy Warrior | ||
Clio | |||
My Aid 1933 栗毛 |
Knight of the Garter | Son-in-Law | |
Castelline | |||
Flying Aid | Flying Orb | ||
Aideen | |||
Lady N Silk 1948 栗毛 FNo.4-m |
Ambrose Light 1933 栗毛 |
Pharos | Phalaris |
Scapa Flow | |||
La Roseraie | Niceas | ||
Eblouissante | |||
Foxhole 1941 鹿毛 |
Chance Play | Fair Play | |
Quelle Chance | |||
Coffee Cup | Whichone | ||
Afternoon | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Orby 5×5(6.25%)、Sundridge 5×5(6.25%)、Dark Ronald 5×5(6.25%)
1:30から
掲示板
1 ななしのよっしん
2016/05/12(木) 18:10:41 ID: GEpvlL4scI
記事書いてくれるのは有難いけど、一級線とかカルフォルニアとか誤字が多い。
カルフォルニアっていう人もいるけど書きは完全にカリフォルニアだし、記事書くならもう少し推敲してほしいなあ、と。書きもしない奴が何だと思うかもしれないけど
2 ななしのよっしん
2016/10/10(月) 22:10:21 ID: vzTdlTWiwx
おおっ!シルキーサリバンの記事が出来ていたとは!ありがと~!
英語版のWiki見たら、いの一番に「ホワールウェイ、ギャラントマン、ゼニヤター、追込み馬は数あれど、これほど後ろからぶっ飛んで来て、しかも勝つ馬はいない。人呼んで“カリフォルニアの彗星”」云々って書かれてて、今でも愛されてるんだなって感じしたわ。
タラレバですまんが、今日本に居たら「赤い彗星」なんて呼ばれたのか?
後、この年の二冠馬ティムタムも、ケンタッキーダービーで、イン強襲のごぼう抜きで勝ってる。この馬居るからあんまり語られないけど。
3 ななしのよっしん
2024/01/03(水) 23:46:00 ID: dTF80VBU02
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最終更新:2024/04/19(金) 18:00
最終更新:2024/04/19(金) 18:00
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