シンコウラブリイ(Shinko Lovely)とは、1989年生まれの日本の競走馬。鹿毛の牝馬。
90年代初頭を代表する舶来の快速牝馬にして、名伯楽の思い入れ深い名牝である。
アイルランド生産馬、美浦・藤沢和雄厩舎所属
馬主は安田修(建材会社の創業者で、シンコウの冠号を使用していた。勝負服は上半身真っ黒)
主な勝ち鞍
1992年:ニュージーランドトロフィー4歳ステークス(GII)、ラジオたんぱ賞(GIII)、クイーンステークス(GIII)
1993年:マイルチャンピオンシップ(GI)、毎日王冠(GII)、スワンステークス(GII)
※年齢表記は競走名を除き現表記に統一
父Caerleon、母*ハッピートレイルズ、母父*ポッセという血統。アイルランド生まれである。
父のCaerleon(カーリアン)はフランスのダービーであるジョッケクルブ賞とベンソン&ヘッジス金杯(現在のインターナショナルS)を制したニジンスキー中期の活躍馬で、種牡馬としても活躍し、シンコウラブリイは5年目の産駒にあたる。
母の*ハッピートレイルズは5戦0勝。母父の*ポッセはマイルGIのサセックスS勝ち馬で、種牡馬入り後はこれもGI馬でセイウンスカイの父である*シェリフズスターを出している。
本馬の活躍を受けて母のハッピートレイルズは日本に輸入され、弟にエプソムCを勝ったタイキマーシャル、妹に京都牝馬Sを勝ったハッピーパスがおり、また4代母Azurineから遡って下ると重賞馬2頭を輩出した*ロイヤルブライドや、かのタイキシャトルの母*ウェルシュマフィンがいるなど、中々に優秀なファミリーである。
欧州と米国で活躍する馬産家のバートラム&ダイアナのファイアーストーン夫妻(奥さんの父方の祖父はジョンソン&ジョンソンの創業者らしい)によって生産された後、大樹ファームが購入し日本に輸入され、その後藤沢の仲介で安田オーナーが購入した。その後藤沢厩舎へと入厩。藤沢厩舎は1991年時点で36勝を挙げて全国リーディング6位に入っていた、新進気鋭の厩舎であった。
東京の芝マイル戦でデビュー戦を迎え、ここで橋本広喜が騎乗すると2着に4馬身差をつける快勝を収め、続く福島3歳S(OP)では坂本勝美が騎乗してレコードタイムを出して快勝。
そして12月の本番、阪神3歳牝馬ステークスでは岡部幸雄に乗り替わり、重賞連勝し無傷3連勝中のニシノフラワーに次ぐ2番人気に推された。大外枠から中団外目を追走し、直線で脚を伸ばすものの先に抜け出たニシノフラワーとサンエイサンキューには及ばず3着となった。
当時外国産馬はクラシック競走への出走が不可能であった為、長めの休養の後東京マイルのカーネーションCから始動。しかしレース参戦前に砂浴び(毛繕いをしない動物が行う砂の中で転げ回る行為)をした事で蹄に傷を負い、更に厩務員ストによって治療が万全に出来なかった事によりそのまま出走。
結果1番人気も直線で伸びを欠いて6着となった。
続いてニュージーランドトロフィー4歳ステークスに参戦。ここでは重賞3勝を挙げたヒシマサルの他重賞馬エーピージェット、サクラバクシンオーが出走し本馬は4番人気となる。レースではサクラバクシンオーが逃げる中3番手を追走し、最後の直線では残り200mで先頭に立つとヒシマサル他の追撃を振り切ってゴール。重賞初制覇は同時に藤沢和雄厩舎初の重賞タイトル獲得となった。
その後外国産馬が出走できるようになったラジオたんぱ賞(現ラジオNIKKEI賞)に出走。再び坂本勝美を鞍上に据えたここでも1番人気に推され、3番手から直線抜け出て2着に2馬身半差をつける快勝を収めた。
秋になりクイーンステークスから始動。鞍上は岡部幸雄に戻ってきた。初の2000m戦+中山競馬場であったが1番人気に支持され、逃げ馬を見る2番手から進めると、直線で逃げ馬を交わすとそのまま勢いは止まることなく伸び続け、結果2着に3馬身差をつけて重賞3連勝。
エリザベス女王杯の優先出走権を獲得したが、ジャパンカップを見据えて府中千八の富士S(当時OP)に出走。6頭立てと小頭数の中、番手から馬なりで抜け出て2着馬を半馬身抑え勝利。
鞍上の岡部はジャパンカップを行けると踏んでいたらしいが、藤沢は短中距離に適性があると見てジャパンカップを断念。連闘でマイルCSに挑戦。単勝4.1倍の1番人気に推され、道中4, 5番手を追走するものの最後の直線で馬群を捌くのに若干手間取り、京都4角ワープを決めたダイタクヘリオスに1馬身半及ばず2着となった。
年明け初戦は京王杯SCから始動。前年安田記念覇者のヤマニンゼファーを抑えて単勝1.5倍の1番人気に指示されたが、道中2番手追走も外からマークしてきたヤマニンゼファーと競り合い、残り100mを切ってヤマニンゼファーが抜け出て2着。
続く安田記念をニシノフラワー、ヤマニンゼファーに次ぐ3番人気で迎え、ここで道中3番手を追走し、最後の直線では最内を突いたものの馬場の二分どころから抜け出たヤマニンゼファーには及ばず、また最後の最後でイクノディクタスに交わされて3着となった。
その後北海道への輸送もかねて札幌日経OP(当時1800m)に出走。単勝元返し人気の中番手から抜け出て、最後ゴールデンアイをクビ差封じて久方ぶりの勝利となった。
休養後毎日王冠から始動。ここでも1番人気に支持され、レースでは逃げるマイスタージンガーを見る3番手を追走し、最後の直線で追い込んだセキテイリュウオーを1と3/4馬身封じてレコード勝ちを収める。
当時外国産馬は天皇賞(秋)に出走できなかった為、スワンステークスへ出走。重馬場は初体験であったがステイジヒーローやニシノフラワーを封じて重賞連勝を飾った。
そして大一番マイルチャンピオンシップへと出走。同じ日の第7レースでは良馬場の中ナリタブライアンが京都3歳Sをレコード勝ちしていたが、それからマイルCSまでの間に激しい雨に見舞われ、マイルCS本番は不良馬場で行われることとなった。重賞連勝中のシンコウラブリイが1番人気に支持され、次いでニシノフラワー、マイスタージンガーなどが続いた。
レース本番。角田鞍上のイイデザオウが逃げ、シンコウラブリイは内目の3番手を追走。最後の直線で逃げるイイデザオウが後ろを放しにかかるが、マイスタージンガーを競り落としたシンコウラブリイの脚色が優れ、残り150mでイイデザオウを交わすとそのまま1と1/4馬身差をつけて入線。
GI初タイトルは藤沢和雄厩舎にとっても初のGIタイトルであった。またこの勝利により賞金は5億3787万5000円に達し、イクノディクタスが持っていた賞金女王の座を600万以上上回って奪取した。
マイルCS後、その場で引退が発表され、年末のJRA賞最優秀5歳以上牝馬にも選出された。
引退後は一度大樹ファームに預託され、2頭を出産した後に安田オーナーが新たに設立したシンコーファームに移され繋養された。
繁殖牝馬としても優秀な成績を残し、初仔のロードクロノス(父トニービン)が中京記念を勝ち、その後レディミューズ、トレジャーと重賞入着馬を2頭輩出した。
繁殖入りした娘達も優秀で、孫世代には関東オークスと新潟2歳Sを勝ったシンメイフジやアルゼンチン共和国杯を勝ったムイトオブリガード、曾孫世代にはチャレンジCを勝ったロードマイウェイや門別競馬で活躍するクインズサターンなどがいる。
また親戚筋も活躍しており、シンコウラブリイの妹であるサンタフェトレイルからはキングストレイルが、ハッピーパスからはコディーノ、チェッキーノ兄妹が輩出されており、今後競走馬の血統を紹介するにつれ、シンコウラブリイが親戚にいると紹介する機会も増えていくだろう。
2011年に出産を終えた後繁殖を引退。同年12月に蹄葉炎により22歳で死亡した。
Caerleon 1980 鹿毛 |
Nijinsky II 1967 鹿毛 |
Northern Dancer | Nearctic |
Natalma | |||
Flaming Page | Bull Page | ||
Flaring Top | |||
Foreseer 1969 黒鹿毛 |
Round Table | Princequillo | |
Knights Daughter | |||
Regal Gleam | Hail to Reason | ||
Miz Carol | |||
*ハッピートレイルズ Happy Trails 1984 鹿毛 FNo.4-d |
*ポッセ 1977 栗毛 |
Forli | Aristophanes |
Trevisa | |||
In Hot Pursuit | Bold Ruler | ||
Lady Be Good | |||
*ロイコン 1975 鹿毛 |
High Top | Derring-Do | |
Camenae | |||
Madelon | *セントクレスピン | ||
Azurine | |||
競走馬の4代血統表 |
半弟:タイキマーシャル(エプソムC)、半妹:ハッピーパス(京都牝馬S)
タイキシャトルの母ウェルシュマフィンとは父と4代母が共通で、母父がForli×Nasrullah系という事を見ると割と似通った血統をしている。
ニコニコ動画においてシンコウラブリイ単体の動画は少ない為、ダイタクヘリオス、ヤマニンゼファー、ニシノフラワー等の動画も参照されたし。
掲示板
急上昇ワード改
最終更新:2024/03/30(土) 00:00
最終更新:2024/03/30(土) 00:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。