シンボリ牧場とは、千葉県成田市にある競走馬の生産牧場、及び馬主である。
史上初の有馬記念連覇、凱旋門賞の挑戦で有名なスピードシンボリ、「七冠馬」シンボリルドルフ、有馬記念においてGI最大着差タイの9馬身差で勝利した大種牡馬シンボリクリスエスなどを生産した。かつては吉田善哉率いる社台ファーム、北野豊吉率いるメジロ牧場と並び称された、日本屈指の大牧場である。
生産した競走馬を自ら所有し出走させるオーナーブリーダーであるが、他の馬主に対して生産馬を売却することも多く、その中からも多くの名馬が誕生している。現在の代表は和田吉弘。
シンボリ牧場有限会社 | |
生産者情報 | |
---|---|
所在地 | 千葉県成田市 |
設立年 | 1921年 |
設立者 | 和田孝一郎 |
事業形態 | オーナーブリーダ― |
重賞勝利 | 128勝 |
GI級勝利 | 25勝 |
通算成績 | 4,015戦584勝 (1977年以降) |
獲得賞金 | 85億5166万円 (1977年以降) |
馬主情報 | |
活動期間 | 1935年- |
活動形態 | オーナーブリーダー |
勝負服 | 緑、白襷、袖赤一本輪 |
冠名 | シンボリ、スイート |
重賞勝利 | 75勝 |
GI級勝利 | 23勝 |
通算成績 | 5,141戦464勝 (1979年以降) |
獲得賞金 | 102億8510万円 (1979年以降) |
表彰・記録 | |
競走馬の生産者・馬主テンプレート |
1921年に千葉県香取郡本大須賀村(現成田市)に島根県出身の名士和田孝一郎氏によって「新堀牧場」として創設された。名前の由来は創業地の近くにあった地名「新堀」からと言われている。当時は牛や鶏などが中心だったらしく、競走馬の生産はやっていなかった。
その後同じく現在の成田市に存在していた「宮内省下総御料牧場」から生産された良血の繁殖牝馬を導入し、1935年から競走馬(サラブレッド)の生産を開始。1940年にはタイレイが中山四歳牝馬特別(現桜花賞)を勝利。戦後にはハククラマが菊花賞を勝利するなど、主に尾形藤吉厩舎に所属した生産馬から活躍馬を多く輩出した。
二代目を継いだ和田共弘氏の時代からは、リーディングサイアーにもなったパーソロンや牧場の基礎繁殖牝馬となったスヰートなど、海外から独自に種牡馬、繁殖牝馬を輸入。北海道や岩手に分場を建設するなど牧場の規模も拡大した。また行動派の馬主として知られた共弘氏は積極的に欧米に視察に出かけていき、その経験を基にした血統の配合や先進的な育成方法で顕彰馬スピードシンボリ、クラシック三冠馬シンボリルドルフ、ダービー馬シリウスシンボリなどを生産し、1978から1979年と1984年から1985年の2度4年間にわたって中央競馬のリーディングブリーダーとなった。しかしシンボリ牧場が導入した育成手法は現代において多くの育成牧場が導入しているものであるが、当時は「先進的過ぎる」というべきもので、共弘氏が海外遠征を志向するワンマン気質のオーナーであったこともあり、職人気質の調教師や厩務員とは少なくない軋轢を起こし、厩舎を移籍する騒ぎになった事もあった。
1994年に共弘氏が死去した後、シンボリ牧場は三代目の和田孝弘氏に引き継がれた。孝弘氏は競走馬の生産拠点を海外まで広げ、また生産馬の牧場が所有する割合を徐々に引き下げるなど改革を進めていった。孝弘氏が外国で生産した競走馬からはNHKマイルカップを勝利したシンボリインディ、有馬記念を連覇して2年連続で年度代表馬を受賞したシンボリクリスエスが誕生。特にシンボリクリスエスは種牡馬としても大成功を収めた。
その後自ら所有する競走馬の中からは、2005年にCBC賞を勝ったシンボリグラン、2015年に福島牝馬ステークスを勝ったスイートサルサを最後に重賞馬は出ていないが、売却した馬の中からは90年代にダービーグランプリを勝利したミスタールドルフ、京都大賞典でスペシャルウィークを下したツルマルツヨシなど重賞馬6頭、2000年代は東海ステークスを勝ったハードクリスタルなど重賞馬4頭。2010年代は岩手競馬で重賞4勝を挙げ年度代表馬を受賞、現在も大井で活躍するフレッチャビアンカなど現役4頭を含む重賞馬5頭を輩出するなど、躍進を続けた。
2019年に孝弘氏が死去した後、現在の代表を引き継いだ和田吉弘氏の元でも早速2022年にファンタジーステークスを制したリバーラを生産。馬主としての成績は近年振るっていないものの、生産した競走馬からは重賞馬だけでも5頭が現役で活躍中であり、生産牧場としてまだまだ第一線に立っている。いずれ再び「シンボリ」の冠名を戴く活躍馬が現れることもあるかもしれない。
太字は記事のある馬
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掲示板
1 ななしのよっしん
2023/06/18(日) 18:28:49 ID: A6KvrrQFvn
1970年あたりからのシンボリ牧場の躍進、調べてみると元々千葉の成田にあった牧場が成田空港の用地にかかった関係で大量の補償金が入ってきたのが背景にあるらしいのが面白い。
ちなみに同じ要因でこれまた大量の補償金ゲットしたのが社台グループで、こっちはそれを資金源に現在の牧場やノーザンテーストを手に入れてさらなる躍進の原資になった。
2 ななしのよっしん
2023/06/18(日) 18:44:45 ID: xeVqVkTT4Y
ここ今息してんの?
3 ななしのよっしん
2024/01/10(水) 01:12:27 ID: 6HOmnQlwGH
2代目の共弘氏がやらかした話は要出典ものが多いとはいえ、
おそらく失敗だったと断言できる形になっても関係各所に頭は下げなかったことは想像に難くない
ワンマンも行き過ぎると失敗する典型
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最終更新:2024/04/23(火) 20:00
最終更新:2024/04/23(火) 20:00
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