ジェンソン・バトン(Jenson Alexander Lyons Button, 1980年1月19日-)とは、イギリス出身のトライアスロン選手である。また、元F1ドライバーとしても著名である。
甘いマスクとファッションセンスで、多くの女性ファンを惹きつけるイケメンアスリート。かつてはプレイボーイとして浮き名を流したが、近年ではウィンザー・トライアスロンで好成績を残すなど、徐々に実績を上げている。
特筆すべきエピソードとしては、トライアスロンと平行して活動していたF1の2009年モナコGPにおいて、決勝終了後に自らの足でパルクフェルメから表彰台までを走るウイニングランを行った。レースで体力を消耗した後にもかかわらず快走する姿は軽やかで、まさにトライアスロン選手の面目躍如である。
名門チーム・ウィリアムズより20歳の若さでF1デビューを果たす。その年に最年少入賞記録を塗り替えるなどの活躍を見せ、英国レーシング界の秘蔵っ子として期待されたものの、翌年からはマシンの戦闘力に恵まれないシーズンが続いた。
2004年から毎年PPと表彰台を得るなど徐々にトップ争いに絡み始め、2006年ハンガリーGPで初優勝。これはホンダF1にとって39年ぶりの3勝目、そしてオールホンダとしては最後の勝利となった。
同じ英国のルイス・ハミルトンがデビュー2年目にしてワールドチャンピオンに輝いたのとは対照的に、長らく不遇な時期を過ごしていたが、2009年に苦悩、そして転機が訪れる。2008年末にホンダF1が撤退を発表し、来年もF1で走れる場所を探していたバトンだったが、このホンダF1チームをロス・ブラウンが買収し、結果ブラウンGPで走ることに。さらにBGP001は素晴らしい速さを見せ、タイヤマネジメントの上手さと相まって、これまでとは一転して破竹の快進撃を続けた。だが余りにもバトン一人が勝ちすぎるのでつまらないとの指摘も。終盤は優勝こそ出来なかったものの、安定してポイントを獲得し、2009年のF1ワールドチャンピオンとなった。
2010年からはマクラーレンに移籍、ルイス・ハミルトンとコンビを組むことに。タイヤをいたわりながら安定した走りを見せ、雨のレースでは優勝を果たした(シーズン5位)。2011年にはハミルトンに大差をつけてランキング2位(ハミルトンは5位)を得るなど、移籍前はハミルトンに対して劣勢と思われていたものの、それらの予想を覆す活躍を見せた。
2015年からマクラーレンがホンダエンジンを搭載したため、2度に渡ってホンダのF1活動のドライバーを務めることとなった。しかし、ホンダが遅れを挽回することは出来ず、再び表彰台に上がることはなかった。2017年は控え選手のストフェル・バンドーンにシートを譲り、自身は休養することとなった。
その後、2016年最終戦前のインタビューで「これがF1での最後のレース」と言い、F1を引退する意向を示した。
2018年からは日本のSUPER GTへの参戦を発表、ホンダNSXを持つチーム国光(RAYBRIG NSX)に所属、山本尚貴とタッグを組んだ。
ライバルとの熾烈なタイトル争いの中、シーズン1勝、表彰台3回、安定したポイント獲得の末、デビューイヤーでチャンピオンに輝いた。
バトン本人は長年ホンダとパートナーを組んでいたことや、日本人の道端ジェシカと交際するなど、親日家として知られている。東日本大震災の後は、ヘルメットに「頑張れ日本」のロゴを入れたり、マクラーレン時代のヘルメットにはカタカナで「ジェイビー」と書いていた。また、最も好きな言葉は「イチバン(一番)」で、トライアスロンチームの名前、刺青、ユニフォームなどに文字を刻んでいる。
2018年にSUPER GTに参戦した当初、箱車でのレース経験が少ないために苦戦するのでは、といわれていたが、上記の通り勝利、チャンピオンを手にしたことから、改めてその才能、実力が再評価されている。
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最終更新:2025/05/16(金) 18:00
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