ジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix, 1942年11月27日 - 1970年9月18日)とは、アメリカ合衆国の天才ギタリストである。
本名はジェイムス・マーシャル・ヘンドリックス(James Marshall Hendrix)。
15歳の頃にギターに興味を持ち、父のアルによると箒をギターに見立てて弾き真似をしていたという。まもなく中古のアコースティックギターを手に入れ、ギターを弾き始める。ハイスクール入学後はアマチュアバンドに参加するも、その荒々しいプレイや右利き用ギターを左利きで使用するスタイルは非常に目立つ物であった。その後地元のバンド「ロッキン・キングス」に参加してキャリアを積む。
1961年に自動車の窃盗を働き、2年間の服役の代わりに陸軍への入隊を志願、101空挺師団に配属される。この時にベーシストのビリー・コックスと出会い、すぐに軍施設内のクラブでジャムセッションを行うようになったという。その後パラシュート降下の訓練中に足首を骨折し除隊される。また2005年に発売された伝記"Room Full of Mirrors"によると当時ジミは早期に除隊になるためにホモの振りをし軍規を乱す行為を働いていたとされる。
陸軍除隊後、ビリーの除隊を待ってバンド「キング・カジュアルズ」を結成、ナッシュビルのクラブの専属バンドとして活動する。この時の活動がツアー・プロモーターの目に止まり、ニューヨークへ活動の場を移す。またこの時期にロニー・ヤングブラッドのレコーディングに参加する。
ニューヨークでは「アイズレー・ブラザーズ」に参加、ツアーやレコーディングを行い、脱退後も有名アーティストのバックバンドに参加する。これらの活動には現在でも音源が入手可能な物もあり、下積み時代のジミのプレイを聴くことができる。1966年中頃には自身のバンド「ジミー・ジェイムス&ブルー・フレイムス」を結成、活動を開始、この活動を目にした「アニマルズ」のベーシスト、チャス・チャンドラーの誘いを受けイギリスへ渡り「ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス」を結成する。
エクスペリエンスでのプレイはすぐに評判となり、ミック・ジャガー、ピート・タウンゼント、エリック・クラプトン、ジェフ・ベックといったスターがジミのギグを訪れるようになった。ジェフ・ベックは当時の事を「ギタリストを辞めようかと思った」と語っている(「他の奴もそう思ったはずさ」とも)。既にイギリスで大人気となったエクスペリエンスは1967年モンタレー・ポップ・フェスティバルでアメリカで凱旋デビューを果たす。この時に行ったギターに火をつけるパフォーマンスが有名であるが、これはエクスペリエンスの前に演奏したザ・フーが行った楽器を破壊するパフォーマンスを上回るにはどうすれば良いか考えた結果であったという。
1968年、エクスペリエンスの3枚目のアルバムにしてジミ最後のスタジオアルバムとなる「エレクトリック・レディランド」をリリース、全米チャートで1位を獲得するも、ベーシストのノエル・レディングとの不仲が囁かれはじめる。1969年のデンバー・ポップ・フェスティヴァルを最後にエクスペリエンスは解散、ウッドストックでビリー・コックスらと活動を開始する。この時に集まったメンバーと共に「ジプシー・サンズ&レインボウズ」として同年のウッドストック・フェスティバルに大トリとして参加、この時のパフォーマンスは伝説となっている。余談ではあるが故・成毛滋はこのフェスティバルを見ているがジミのステージの前に帰ってしまったと語っている。
この時期にスタジオに篭りレコーディングを繰り返したがこれらの音源はアルバムとして完成せず、バンドも解散してしまう。契約の関係でニューアルバムのリリースを迫られていたジミはビリー・コックス、バディ・マイルスらと共に「バンド・オブ・ジプシーズ」を結成、ライブアルバムの製作に乗り出す。このフィルモア・イーストでのライブで演奏した「マシンガン」を聞いたマイルス・デイビスは「俺はこういう音楽がやりたかったんだ」と語ったという。
マネージャは黒人トリオというバンド形態に難色を示し、1970年マディソン・スクエア・ガーデンでの講演を最後にバンド・オブ・ジプシーズも解散、ミッチ・ミッチェルを迎えて「クライ・オブ・ラブ・バンド」を結成してツアーやセッションを続け、同年8月のワイト島フェスティバルに参加する。
その後ヨーロッパツアーを行いイギリスに戻るが9月18日、ロンドンのホテルで昏睡状態となり病院への搬送中に死亡。死因嘔吐物による窒息死であるがその原因は不明であるとされている。
ブルース、R&B、ロックンロールを基礎としながらジャズや下積み時代の経験によるファンクの要素を取り入れたスタイルである。しかし何よりもその特徴はストラトキャスターを反対に担ぎ(右利き用ギターを左利き用ギターのように使っているため、1〜6弦が逆さまになっている)、大胆に使いこなすプレイと卓越したインプロヴィゼーション能力である。特に後期の音源では延々とソロが続く曲が多い上に、テイクごとに大きく構成が異なる。ジミはまさしく歌うようにギターを弾く事ができ、周りのミュージシャンの証言によるとジミはスキャットや他の楽器の演奏をすぐに弾く事ができたという。その天才ぶりから本国では「火星人」「ギターが愛した男」とも称される。
サウンド面では「パープル・ヘイズ」のオクタヴィアを用いたソロや「ファイヤー」での深く歪んだファズサウンド、ウッドストックでのユニヴァイブ等の強烈なエフェクトが印象的であるが「風の中のマリー("Wind Cries Mary")」や「リトル・ウィング」に代表されるクリーンなサウンドでの繊細な演奏も数多く存在する。
また、ジミは作詞作曲、編曲、プロデュースの能力も非常に高く(音楽理論は理解しておらず、譜面もほとんど読めなかったが感覚で補っていたと言われる)、機材に対する理解力も良く、レコーディングエンジニアの才もあった。現にアルバム曲にはテープの逆再生、フィードバック奏法など当時の先端技術を取り入れている。あまりにも独創的なため、現代の技術をもってしても未だどうやって演奏したのかわからない音源も存在すると言われる。
「歌は上手じゃない」と語っていたが歌声も独特で味のある、いわゆるヘタウマの部類である(ボブ・ディランの歌い方を参考にしたという話もある)。
掲示板
39 ななしのよっしん
2018/07/04(水) 00:04:20 ID: pirsTJeWBr
今も生きててギターを弾いてたなら人力トリップホップとかやってそう
40 ななしのよっしん
2019/01/28(月) 08:34:55 ID: f/+m2tf6+4
ジミヘンなら三味線奏者の高橋竹山と、ものすごいコラボを実現出来たのではないか?と思うことがある。
竹山師匠の演奏を聴いてジミヘンが興味を示さないはずがない。「三味線はジャパニーズ・ブルースだ」とか言いそう(両者のファンとしての感想)
41 ななしのよっしん
2019/07/10(水) 05:10:11 ID: XqxWz8bKPW
うむうむ、コルトレーンやジミヘンの様なミュージシャンには、邦楽(伝統音楽の方ね)的な要素も感じるよ。
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最終更新:2024/12/07(土) 21:00
最終更新:2024/12/07(土) 21:00
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