ジミー・コナーズはアメリカの元テニス選手である。ATPの歴史は彼から始まったと言っても過言ではない大選手。
Jimmy Connors | |
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | アメリカ合衆国: イリノイ州ベルビル |
生年月日 | 1952年9月2日 |
身長 体重 |
178cm 70kg |
選手情報 | |
利き手 | 左 |
バックハンド | 両手打ち |
デビュー年 | 1970年 |
引退年 | 1996年 |
テニス選手テンプレート |
1970年代における男子テニス界最強選手。74年にATPランキング成立後3代目のNo1選手となっている。長期にわたって1位を維持しており、ATPの歴史における最初の最強選手といってよいだろう。当時歴代最長の160週連続1位在位を含め、70年代終わりごろまでビヨン・ボルグを抑えてトップに君臨していた。同時期に女子最強選手として知られたクリス・エバートと婚約して話題になったが、この婚約は後に破棄されている。1979年から81年まで四大大会決勝進出が無く、やや影が薄まっていたが、1982年にウィンブルドン、全米オープンでまさかの復活優勝。翌83年にかけてジョン・マッケンロー、イワン・レンドルらと激しくランキング1位を争っている。ランキング1位は83年6月最終週付、四大大会決勝は84年のウィンブルドンが最後となった。
最後のツアータイトルは1989年だったが、その後も現役を続行。1991年にはランキング3桁台の39歳ながら全米オープンで準決勝に進出して周囲を驚かせている。ツアーを回るのは1992年が最後となったが、その後も1996年まで年に数回の出場記録が残っている。ATPツアーから離れたあとも自身が発足させたシニアツアーに参戦していた。
近年では2006年にアンディ・ロディックのコーチにつき同年の全米オープンでは見事決勝に導いたが、ロジャー・フェデラーに敗れて準優勝に終わっている。2013年にはマリア・シャラポワのコーチに就任と報道があったが、テスト期間だったらしくすぐに解消された。
彼のプレイスタイルの特徴は何と言っても攻撃的な両手打ちバックハンドにある。それまでの両手打ちバックハンドは非力な女子選手が力負けしないために使うものという認識だったらしい。非力でない選手が使えば当然強いショットを打てることを体現したのがコナーズである。現代では両手打ちバックハンドが主流になっているが、その流れを最初に作った選手と言える。彼の両手打ちバックハンドはフラット系のショットをライジング気味に叩くことで、速いタイミングで角度を付けることができ、非常に攻撃力が高かった。
ネットプレイを得意とする選手は片手打ちバックハンドが多いが、彼は両手打ちながらネットにも積極的な選手だった。当時のプレイ映像を見るとスライスも器用にこなしていたようである。プレイスタイル的には意外なほどオールラウンドな選手だが、唯一サーブだけは当時のラケット性能を考慮しても貧弱だったようだ。
全米オープンは1974年まで芝、1975~78年がクレー(グリーンクレー)、それ以降がハードコートで開かれている。コナーズは3種類全ての全米オープンで優勝した唯一の選手である。また1974年の四大大会3勝はATP発足後最初に年間グランドスラムに近づいたものとなった。この当時、全仏オープンはトラブルで大会側から出場拒否されていたため、この年は四大大会で1度も負けていない。70年代末に出場したときには準決勝まで進んでいるので、早くから出場できていれば優勝の目もあったのかもしれない。
現代では考えられないような年齢まで現役を続けたATP史上に残る鉄人選手であり、マッチ勝利数や優勝回数など積算系の記録を多く持つ選手である。
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最終更新:2025/05/18(日) 20:00
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