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ジミーコナーズ

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ジミー・コナーズはアメリカの元テニス選手である。ATP歴史は彼から始まったと言っても過言ではない大選手。

概要

1970年代における男子テニス最強選手。74年にATPランキング成立後3代のNo1選手となっている。長期にわたって1位を維持しており、ATP歴史における最初の最強選手といってよいだろう。当時歴代最長の160週連続1位在位を含め、70年代終わりごろまでビヨン・ボルグを抑えてトップに君臨していた。同時期に女子最強選手として知られたクリス・エバートと婚約して話題になったが、この婚約は後に破棄されている。1979年から81年まで四大大会決勝進出がく、ややが薄まっていたが、1982年ウィンブルドン、全オープンでまさかの復活優勝。翌83年にかけてジョン・マッケンローイワン・レンドルらとしくランキング1位を争っている。ランキング1位は83年6月最終週付、四大大会決勝は84年のウィンブルドンが最後となった。

最後のツアータイトル1989年だったが、その後も現役を続行。1991年にはランキング3桁台の39歳ながら全オープンで準決勝に進出して周囲を驚かせている。ツアーを回るのは1992年が最後となったが、その後も1996年まで年に数回の出場記録が残っている。ATPツアーから離れたあとも自身が発足させたシニアツアーに参戦していた。

近年では2006年アンディ・ロディックコーチにつき同年の全オープンでは見事決勝に導いたが、ロジャー・フェデラーに敗れて準優勝に終わっている。2013年にはマリア・シャラポワコーチに就任と報道があったが、テスト期間だったらしくすぐに解消された。

攻撃的バックハンドの元祖

彼のプレイスタイルの特徴は何と言っても攻撃的な両手打ちバックハンドにある。それまでの両手打ちバックハンド非力女子選手が力負けしないために使うものという認識だったらしい。非力でない選手が使えば当然強いショットを打てることを体現したのがコナーズである。現代では両手打ちバックハンド流になっているが、その流れを最初に作った選手と言える。彼の両手打ちバックハンドフラット系のショットをライジング気味にくことで、速いタイミング度を付けることができ、非常に攻撃力が高かった。

ネットプレイを得意とする選手は片手打ちバックハンドが多いが、彼は両手打ちながらネットにも積極的な選手だった。当時のプレイ映像を見るとスライスも器用にこなしていたようである。プレイスタイル的には意外なほどオールラウンドな選手だが、サーブだけは当時のラケットを考慮しても貧弱だったようだ。

主な実績

オープン1974年まで芝、1975~78年がクレー(グリーンクレー)、それ以降がハードコートで開かれている。コナーズは3種類全ての全オープン優勝した一の選手である。また1974年の四大大会3勝はATP発足後最初に年間グランドスラムに近づいたものとなった。この当時、全オープントラブルで大会側から出場拒否されていたため、この年は四大大会で1度も負けていない。70年代末に出場したときには準決勝まで進んでいるので、くから出場できていれば優勝もあったのかもしれない。

現代では考えられないような年齢まで現役を続けたATP史上に残る鉄人選手であり、マッチ勝利数や優勝回数など積算系の記録を多く持つ選手である。

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