ジャック・ブルームフィールド(Gordon Leigh Bloomfield)とは、元プロ野球選手である。
OB | |
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ブルーム Bloom |
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基本情報 | |
国籍 | ![]() |
出身地 | テキサス州 |
生年月日 | 1930年8月7日 |
身長 体重 |
184cm 78kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投左打 |
守備位置 | 内野手 |
プロ入り | 1955年 |
引退 | 1966年 |
経歴 | |
選手歴 監督・コーチ歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
テキサス大学パンアメリカン校卒業後、1955年からマイナーリーグでプレー。AAAまで昇格し、打率3割台を記録したシーズンもあったが、メジャーリーグに昇格することはなかった。
1960年、知人であり近鉄バファローでプレーしていたロン・ボトラの紹介で、シーズン途中に近鉄に入団。
途中加入ながら後半戦にはセカンドやファーストのスタメンとして定着。58試合で打率.279、5本塁打、17打点をマークした。
1961年、開幕からセカンドのレギュラーとして活躍し、オールスターゲームにも出場。途中7日間の出場停止処分(後述)を下されたが、打率.297、7本塁打、32打点をマークした。
1962年、開幕から安打を量産し、近鉄球団史上最高のシーズン打率.374をマークし、12本塁打、74打点を記録。首位打者のタイトルを獲得し、ベストナインにも初選出された他、オールスターゲームでは第1戦目のMVPにも選ばれた。
1963年、打率.335、9本塁打、62打点で2年連続で首位打者とベストナインのタイトルを獲得し、出塁率.396で最高出塁率のタイトルも獲得。ただ、シーズン終盤に怠慢プレーを怒った別当薫監督との間で確執が生まれてしまう。
1964年、近鉄に残留し13本塁打を放ったものの、打率.294と3割を割り込み、加えて守備面での衰えが見られたことから、球団はロベルト・バルボンを獲得。ブルームは自由契約となってしまった。
1965年、セカンドを固定できていなかった南海ホークスへ移籍。
南海初年度はシーズン途中に故障離脱してしまったものの打率.302をマーク。また、野村克也に内角の捌き方をアドバイスし、野村の三冠王獲得に一役買う形となった。
翌1966年は打撃三部門いずれも前年を下回ってしまう。同年オフ、球団はメジャーでも経験豊富なドン・ブレイザーを獲得。ブルームは自由契約となり、そのまま現役を引退。
引退後はサンディエゴ・パドレスやシカゴ・カブスでコーチを務めた他、メジャー複数球団でスカウトを歴任したという。
シュアな打撃で安打を量産したヒットメーカー。特に外角打ちの上手さには定評があり、ドラッグバントで意表を突くことも得意としていた。
その高い打撃技術に張本勲や野村克也ら名選手も一目を起き、張本は外角打ちの、野村は内角の捌き方の極意を聞き、自身の打撃技術に取り入れたという。
1961年の出場停止処分は、観客から「ヤンキー・ゴー・ホーム!」と野次られ、これに激昂したブルームがスタンドへ駆け上がり、蹴っ飛ばしたため下された処分である。現在でも日本で唯一となるプロ野球選手の観客への暴行事件となっている。なお、蹴られた観客は悪質な野次の常習犯であり、事件後に訴訟もしなかったため、制裁金7万円と7日間の出場停止処分という軽めの処分で済んだ。
南海退団時、年齢を詐称していることが発覚している(1932年生まれと申告していた)。
通算:7年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
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NPB:7年 | 710 | 2693 | 2404 | 328 | 757 | 61 | 323 | 27 | 16 | 21 | 219 | 33 | 267 | 41 | .315 | .377 |
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最終更新:2025/03/30(日) 01:00
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