ジャニー喜多川 単語

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ジャニーキタガワ

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ジャニー喜多川とは、実業アイドルプロデューサーである。米国軍人だったこともある。

ジャニー」(Johnny)とは米国人としての本名である「ジョンヒロム・キタガワ」(John Hiromu Kitagawa)のうち、「John」の称である。日本国籍としての本名は喜多川擴(きたがわ ひろむ)。

1931年10月23日生まれ、2019年7月9日死去。

概要

日本の最大手男性アイドル事務所だった「ジャニーズ事務所」の創設者にして社長であったことで、そして後述する問題から同社の終焉の原因となったことで著名。

かつては「Most no.1 singles produced by an individual」(個人として最も多数のチャート1位シングル曲をプロデュースした人物)として、様々な分野の「世界一」を載せる『Guinness World Records』(ギネス・ワールド・レコーズ)に掲載されていた。1974年から2010年までの間に、彼がプロデュースした40以上のアイドルグループによる232曲が、音楽チャートの1位を獲得していたことを受けての掲載だった。

また、「Most concerts produced by an individual」(個人として最も多数のコンサートプロデュースした人物)としても掲載されていた。2000年から2010年までの間に、彼がプロデュースした8,419回のコンサートを受けての掲載であった。

(ただしこれらのギネス記録は、後述する性加問題が大きく報じられた2023年に掲載が取り下げられた。)

手芸事務所の長でありながら、会見の場などに自らが登壇することは乏しかった。ジャニーズ事務所の大成功から権も絶大なものがあって、彼のイメージを著しく損ねるようなセンシティブな話題(後述)はテレビ局などで一切放映されなかった(ただし「彼自身が圧をかけていた」という明確な拠はく、ジャニーズ事務所内のその他の人物の方針であった可性もあるが)。2019年に亡くなったときに、日本国内のマスコミとは違ってしがらみがないイギリスBBCが伝えた記事には、こう記されている。[1]

ジャニーズ事務所は業界であまりに圧倒的な存在だったため、ジャニー喜多川氏を批判することはほとんど不可能だった。強大なジャニーズ事務所を脅かそうと挑む人は、日本メディアには皆無だった。

また、長い芸能業界歴から多数の芸能業界の大物との個人的友誼も深かった。これらの特徴から「の権者」的な、めいた大物としてのイメージを持たれることもあった。

一方でそれとは逆の、「所属アイドルやその補生たちに「Youユー)」という二人称で呼びかける」「~でやってるからさ、ユー、来ちゃいなよ」などの特徴的な言葉遣いを複数の所属アイドルネタにする、アイドルらから自分に敬語を使われることを嫌う、「社長」ではなく「ジャニーさん」と呼ばせる、などと、気さくさをうかがわせるエピソードも多かった。ただし自分以外への礼儀には厳しく、アイドル補生がスタッフらに挨拶を欠かすなどの礼を失した行為をすると厳しく叱ることもあったという。

また、「思い付き」のように唐突にアイドルらのグループ結成やデビューを決定することがあったなど、奇抜な人物であったとされる。

貌としては「ふつうのおじさん」(年を経てからは、おじいさん)といった感のある人物であり、あからさまな大物であるとか、著しく特徴的ということはなかったという。「椅子を並べているおじさんがいるな、と思ったらその人がジャニーさんだった」などの体験談も複数ある。前述のように登壇したりといった表舞台に立つ/素顔が映像に残ることを嫌ったためか、世に出ている写真は「帽子サングラス姿」であることが多いが、素顔の写真も少数ながら世に出ている。

2019年6月18日に体調不良病院に緊急搬送され、解離性動脈瘤破裂によるくも膜下出血と診断。その約3週間後の7月9日に亡くなった。9月4日には東京ドームにて「お別れの会」が開かれ、当時の内閣総理大臣安倍晋三氏からの弔電も読み上げられた。その弔電は「日本中に、たくさんの勇気感動を与えてくださり、本当にありがとうございました。」との言葉で結ばれている。

経歴

ジャニー喜多川の喜多川(たいどう)」は、高野真言宗僧侶だった人物。諦は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスにある「高野米国別院」に1924年に派遣され、後に同院の第三代監にもなった。

彼と妻がアメリカ滞在中に生まれたのが、長女泰子(メリー喜多川)、長男一、次男(ジャニー喜多川)の三きょうだいである。彼らは米国生まれであるために米国籍も持つことになる。しい人から呼ばれていたの幼いころのあだ名は「ヒー坊」で、「ひろむ」の頭文字であったと思われる。

がまだ幼児であった1930年代に、諦僧正高野米国別院監の職は後任に引き継がれ、喜多川一家日本に帰する。その後第二次世界大戦が勃発し、少年らは戦火を避けて疎開するなどの体験をしたという。

終戦後、18歳若者であった1949年11月とともに渡。同での生活には、以前暮らしていた高野米国別院の人脈を頼りにした。この高野米国別院には文化紹介・振的とした大きなホールを備えており、日本からアメリカ演に来た芸能人らはこのホール劇場代わりに使うこともあった。また、付近には著名な日本人写真「宮武東洋」の写真館があり、芸能人がそこで写真を撮することもあった。ヒー坊はこの写真館もよく訪れており、撮された芸能人写真を客に販売するなどの仕事もしていたともいう。このような経歴が、後に芸能関係の仕事に入る下地となったかと思われる。

だが、米国籍があったことから、1952年米軍に入り朝鮮戦争に参加(1960年代の雑誌には「ジャニー喜多川氏は、ハイスクールに在学中、十七歳で兵役志願、朝鮮戦争に従軍した。」と記すものもある[2])。1年半の兵役を経て、日本国内での米国関係の仕事に就いた。そうしているうち、二十代前半の青年だったジョンヒロム・キタガワは、近所の少年らを集めて野球チームを結成することになった。この野球チームチーム名が「ジャニーズ」である。少年らの一人(一説によるとあおい)が、「ジャニーさん(ジョン称)のチームだからジャニーズ」と単純な発想で提案したのが名の由来だともいう。

そしてある日、ジャニー野球チームジャニーズ」の中でもショービジネスの見込みありと踏んだ4人の少年らを選抜(一緒に観に行った映画ウエスト・サイド物語』に強く感化された、といった話もある)し、芸能事務所「名和プロダクション」が運営していた養成所「新芸能学院」でレッスンを受けさせた(院長の名和太郎の妻であるみどりは、大阪松竹歌劇団 (OSK) にメリーが在籍していたときからの友人であった)。

そして、アイドルグループジャニーズ」としてデビューさせたのである。この4名はひろみ、飯野さみ中谷良、あおい。いわば「ジャニーズアイドルの初代」という立場である。

その後、ジャニー1962年に「ジャニーズ」を率いて新芸能学院を退所、独立して「ジャニーズ事務所」を創業した。だが、この時に円満に退所したわけではなかったようで、「新芸能学院」側からの訴訟騒ぎに発展していたようだ。当時の週刊誌にその騒動についての記事が掲載された記録がある。

その後の経過は「ジャニーズ事務所」の記事を参照。プロデュースした多くのアイドル人気者に押し上げ、押しも押されぬ一流のアイドル事務所へと成長させていった。この成功には、社長であるジャニーだけではなく、長年副社長を務めたメリー喜多川の尽もあったという。

少年らに対する性加害

(※本節では、閲覧する方の感情に配慮して直接的な表現を抑えています。ですが、リンク先のページに直接的な表現が含まれている場合があるため、リンク先を閲覧する際にはご注意ください)

上記のように大成功を収めた人物であるのだが、その経歴に長年付きまとっていたのが、「関係した少年らに対して不埒な行為を行っている」という説である。

その情報元は、にその不埒な行為の被害者する少年ら(糾弾した時には成人して「元少年」になっていた人物が多いが)などからの糾弾であった。

こういった多数の言については、2023年4月14日開されたウェブメディア『THE HEADLINE』による以下の記事が、出典も明らかにしつつ詳細にまとめており、大いに参考となる。

ただし、実際にこれらの行為が実行されていたとすれば明らか法律に触れているのであるが、刑事事件として立件されたことは一度もなかった。

逆に、これらの糾弾が虚偽であれば、「義上大変に問題のある行為を行っていたという謂れのない濡れ衣を何度も着せられてきた」ということになり、こちらも明らか告訴ものであろう。だがジャニーがこれらの糾弾者を訴えて、この行為に関する点で勝訴したという報道も、やはり一度もなかった。

一方、この「不埒な行為」を含む様々なジャニーズ事務所の問題点を報じた週刊誌週刊文春』とジャニーズ事務所間で民事裁判が争われたことはある。詳しくは「週刊文春報道と、訴訟」の節で後述するが、この「不埒な行為」以外の争点に関してはジャニーズ事務所側の言い分が一部認められて週刊文春側がある程度の賠償を命じられているが、同時に「不埒な行為」に関しては、週刊誌側の取材内容(取材相手である元ジャニーズに所属していた少年2名の言内容)が信頼できると裁判所に判断されてしまっている。

その後、2023年には後述するBBC報道番組や元ジャニーズ Jr.の「カウアン・オカモト」氏による記者会見などを契機として、ジャニー喜多川氏による性加の問題が各種報道機関などで広く報道されるようになりはじめた。

そして同年5月ジャニーズ事務所は「外部専門による再発防止特別チーム」を立ち上げ、調活動を依頼。同年8月にはこの再発防止特別チームからの調報告書が開され、その報告書においてはジャニー喜多川氏による性加について「紛れもない事実」であると明記された(後述)。

疑惑の浮上 ―1960年代の報道―

古くは、前述の1960年代の「新芸能学院」とのトラブルの際に既にこの話が浮上している。

週刊誌『週刊サンケイ』の1965年3月29日号に、「“ジャニーズ”売り出しのかげに」というタイトルの記事が掲載されている。この記事によれば「新芸能学院」との裁判の場において、同学校の代表は、生徒から「ジャニー氏が、変なことをしたんです」と、“みだらな行為”について聞いたと言していたのだという。

1968年に出版された一種の芸能スキャンダル暴露本『タレント帝国 : 芸能プロの内幕』(竹中労、現代書房)に、その騒動の中でられた「十四名の少年ジャニーから受けた被害」という話について記されている。[3]

このトラブルの際は、アイドルグループジャニーズ」のメンバー4名などが「記憶にない」といった趣旨の言をしたために大きな問題に発展しなかったと言われる。

暴露本

だが、彼ら4名のうちの「中谷良」は二十数年後の1989年に出版した暴露本『ジャニーズの逆襲』内で、本当はジャニーから不埒な行為を受けていたが、説得されて言をしてしまっていたと記している。

今だからこそ言える、いや、言わなくてはならない。私は、裁判で言をしてしまいました。私もジャニーズのみんなも全員ジャニーの犠牲者だったのです[4]

また、ジャニーズ事務所人気アイドルグループだった「フォーリーブス」のメンバーだった「北次」も1988年に暴露本『光GENJIへ』を出版している。この書籍の中にはかなり裸々な表現がある。

次はこの暴露本をシリーズ化して何冊も出しているが、その中の一冊で1989年に出版された『さらば!!光GENJIへ』では、「フォーリーブス」の後輩グループである「ジューク・ボックス」のメンバーだった「小谷純」と「やなせかおる」も寄稿しており、この2名もかなり衝撃的な体験をっている。

元「ジャニーズJr.」だった「平本淳也」が1996年に出版した『ジャニーズのすべて 少年の館』という暴露本では、「自分はうまく逃げた」と言った趣旨のことを記しつつも、他の人物がジャニーの行為の対となっていたことを明記している。

ジャニーズ事務所に所属していた歌手「豊誕」が1997年に出版した『ひとりぼっち立ち―元ジャニーズアイドル誕半生記』という自伝的書籍では、毎晩ジャニーに「自由にされ続けた」ことを記している。この書籍の特殊な点は、上記の件について「辛い仕事」と明かしつつも他の暴露本と異なり「彼を恨む気持ちはなかった」ともっていること。豊誕はジャニーが亡くなった後に東京ドームで取り行われた「お別れの会」にも参列している。逆に言えば、ジャニー悪意や恨みを持っていない人物でもそういった出来事があったことを自伝に記していた、ということでもある。

2005年には元「ジャニーズJr.」で光GENJIメンバー補だったともる「木山将」が暴露本『Smapへ』を出版。こちらも非常に直接的な表現が並ぶ。

週刊誌

週刊現代の報道と、メリーの激怒と、雑誌側の謝罪

1981年には、講談社週刊誌『週刊現代』が「アイドル育成で評判の喜多川姉弟の異」というタイトルの、メリー喜多川・ジャニー喜多川の姉弟に関する特集記事を掲載した。しかしその記事内に、この不埒な行為に関する話題が含まれていた。[5]

その結果どうなったかというと。

上記の『週刊現代』が発売されてしばらくして、別の週刊誌週刊文春』が「大講談社を震え上がらせたメリー喜多川の"たのきん"操縦術」と題した記事を載せ、週刊現代の記事内容にメリー喜多川激怒しており「少女雑誌の三分の一は、ウチのタレントグラビアと記事でもっているわけですからね。それがどういうことを意味するか、十二分におわかりだと思いますけど」などとっていた、と記している。[6]

さらにしばらくして、雑誌『現代の眼』に当時連載されていたノンフィクション作家評論家の「柳田邦夫」氏による「柳田邦夫の週刊誌ジャック」という記事の1981年7月号掲載回「取材記者諸君、ヘコタレルナ」において、このような記述がある。[7]

(前略)だという事実を、『週刊現代』が書いたことに怒り、講談社の出版物には以後、たのきんトリオを含む一切のタレント写真、取材を断わる」と言い出したから講談社は困ったわけだ。『少女フレンド』『刊ミミ』『ミスヒーロー』『ティーンアイドル』などの少女雑誌を抱える講談社としては、たのきんトリオ写真が載せられないとなると、ガックリくるのは当然で、だから「編集部もマッサオ」という結果になっているのだが、こうした事態ぐらいで<正社員>がマッサオになるようでは、名を出している取材者たちはどういうカオツキをすればいいの?――と言いたくもなる。

また数年後、雑誌『政界往来 = Political journal』の1985年8月号に掲載された「弾左門」による「芸能レポーター・記者のあきれた"狂態"をる」記事には、こう記載されている。[8]

講談社は「週刊現代」をはじめ、他の雑誌も、ジャニーズ事務所所属のたのきん他全員の取材拒否でおどかされて、謝罪したのだ。

当時『週刊現代』の該当記事を書いた「元木」は、ジャニー喜多川が亡くなって2週間後にネットメディア『PRESIDENT Onlineプレジデントオンライン)』に掲載された記事[9]にて、以下のような回想を記している。

記事が出て、講談社の社内は大騒ぎになった。ジャニーズ事務所が「今後、講談社には、一切うちのタレントを出さない」と通告してきたのである。

しばらくして、私に一言もなく、会社は私の『婦人楽部』への異動を発表した。講談社は、私を『週刊現代』から外すことで、ジャニーズ側と手打ちをしたのである。怒り、呆れ、辞めようと思ったが、私には勇気もカネもなかったから、思いとどまった。

ジャニーズ側は、私の件で、出版社を黙らせるにはこの手に限ると考えたのだと思う。講談社は社員を蔑ろにして、の前のけを優先したのである。

FOCUS

1989年には、新潮社写真週刊誌FOCUS』の同年8月11・18日号でもこの問題が扱われた。

記事の本題自体はジャニーズ事務所出身の有名タレント写真だが、ジャニーズ事務所を辞めた人物がる、14歳事務所に入ったばかりの頃にジャニー喜多川氏によって為されたという「行為」に関する言を含む文章も掲載されている。

週刊文春

1999年の週刊文春報道と、訴訟

1999年には、週刊誌週刊文春』がこれらの暴露本に記されているような「行為」も含めてジャニーズ事務所を糾弾する特集連載を、数週に渡って掲載した。[10]

これらの連載のうち、不埒な行為に関するものは1999年11月11日号、1999年11月25日号、1999年12月9日号に掲載された3つである。2023年には『週刊文春 電子版』や『文オンライン』にてアーカイブ開もされている。ただしこのアーカイブ版記事には「※記事の本文には今日的に不適切な表現が含まれておりますが、資料としての価値を鑑みて当時のまま掲載しています」「※プライバシー保護などの観点から本文やタイトルなど一部編集をしている場合があります」との注釈も付されているが。

この連載についてジャニーズ事務所側は大きく問題視し、訴訟を行った。この裁判では、東京高裁で行われた第2審において週刊文春が取材した少年ら2名が人として法廷に出廷し、自らがジャニー喜多川から受けたとする被害について言した。また、週刊文春が取材した少年ら10人以上の音言の書き起こしも提出された。そして、東京高裁は彼らの言が信頼できると判断し、この被害の部分は真実であると認められると判断を下した。ジャニーズ事務所側はこの判決を不として上告しようとしたが、上告は棄却されたため、この裁判所判断が確定している。

この裁判内容については、以下の法律事務所サイト内のコラページにて、判決文などを引用して詳述している。

この法律事務所は、以下のようにも記している。

仮にジャニー喜多川の言うとおり少年らがの供述をしているのだとすれば、どうして多くの少年らがわざわざウソの供述をするのか、その理由自体が理解しがたい。何しろこの訴訟は少年らが起こしたものではないし、また少年らは非開の法廷で自らの被害を訴えているのだから、的でなかったことも明らかである。

上記のとおり、一審原告[11]は、『だけど、先生が、今、うそうそとおっしゃいますけど、彼たち[12]うそ言をしたということを、は明確には言い難いです。』と供述しているのであって極めて不自然であり、かえって、この供述部分は、甲30の記載内容の真実性についても重大な疑問を抱かせるものというべきである。」(太字引用者)[13]

 

このようにジャニー喜多川は法廷での尋問において、少年らが虚偽言をしたものではないと事実上自分で認めてしまっていた。

だが、この週刊文春報道や、この裁判の結果を大きく扱った日本メジャーメディア皆無だった。

しかし、アメリカの『The New York Times』はこの報道に注し、2000年1月にはこの問題を扱った記事を掲載した。

この記事内では、『The New York Times』の記者週刊文春の協のもとに「1970年代ジャニーズ事務所マネージメントされていた、十代のアイドルグループの元メンバー」であるという当時40歳代の男性から、被害言を得ることに成功している。

''I didn't like what was going on,'' he said. ''But if I said no I would have been kicked out and there was nowhere else for me to go.''
(和訳例:「はあの時起こったことが好きじゃなかった」、そう彼はった。「でも、もしノーと言ったら、は追い出されていただろうし、には他に行くところなんてなかった」)

また2005年には、イギリスの『The Guardian』誌がこの週刊文春報道および訴訟の結果についてや、前述した北次や平本淳也による暴露本について記した記事をウェブサイトに掲載している。

ニュース解説ウェブメディア「The HEADLINE」が 2023年4月12日に掲載した以下の記事では、この訴訟の争点がよくまとめられている。この記事は、東京地方裁判所においてこの事件記録の閲覧申請をして得た情報に基づいているとしている。

また、法律関連ウェブメディア弁護士ドットコム」が2023年5月13日に掲載した以下の2つの記事でも、当時の訴訟について記されている。

2023年の週刊文春報道

2023年には、後述するイギリスBBCテレビドキュメンタリーPredator: The Secret Scandal of J-Pop』(日本語タイトルJ-POPの捕食者 秘められたスキャンダル』)の放映を受けて、週刊文春が「元ジュニア」であるとする人物の新たな言を報じた。

まず、同年3月15日配信の『文オンライン』の記事で新たな言を紹介しつつ、詳細は同日配信の『週刊文春 電子版』及び同年3月16日発売の『週刊文春2023年3月23日号に掲載している。

さらに、同年3月22日配信の『文オンライン』の記事でもまた別の言を紹介しつつ、詳細は同日配信の『週刊文春 電子版』及び同年3月23日発売の『週刊文春2023年3月30日号に掲載している。

さらに、同年同年3月29日配信の『文オンライン』の記事でもまた別の言を紹介しつつ、詳細は同日配信の『週刊文春 電子版』及び同年3月30日発売の『週刊文春2023年4月6日号に掲載している。

さらに、同年4月5日配信の『文オンライン』の記事では元ジャニーズJr.「岡本カウアン」氏による実名・顔出しでの言を紹介しつつ、詳細は同日配信の『週刊文春 電子版』及び同年4月6日発売の『週刊文春2023年4月13日号に掲載している。

さらに、2023年4月12日には同日行われた「岡本カウアン」氏の記者会見(後述)を報じる記事を『文オンライン』に掲載。

同日には、さらに新たな言者(8人)となる元ジャニーズJr.の言を報じる記事も『文オンライン』に掲載された。詳細は同日配信の『週刊文春 電子版』及び同年4月13日発売の『週刊文春2023年4月20日号に掲載している。

2023年4月19日には、さらに新たな言者(9人)となる元ジャニーズJr.の言を報じる記事も『文オンライン』に掲載された。さらにもう一名の言者(10人)のった内容も含めた詳細は同日配信の『週刊文春 電子版』及び同年4月20日発売の『週刊文春2023年4月27日号に掲載している。

2023年4月26日には、さらに新たな言者(11人)となる元ジャニーズJr.の言を報じる記事も『文オンライン』に掲載された。さらに追加の内容を同日配信の『週刊文春 電子版』及び同年4月27日発売の『週刊文春2023年5月4・11日合併号に掲載している。

2023年5月9日には、さらに新たな言者(12人)となる元ジャニーズJr.の言を報じる記事も『文オンライン』に掲載された。この人物は顔出し&実名で、13歳時にジャニー喜多川氏から受けたという被害について言している。さらに追加の内容が同日配信の『週刊文春 電子版』及び同年5月10日発売の『週刊文春2023年5月18日号に掲載されている。

2023年5月13日には、過去匿名週刊文春の取材に応じた元ジャニーズJr.の男性が、めて顔と実名を開して言した記事が『文オンライン』に掲載された。13歳の頃にジャニー喜多川氏から受けたという被害についてや、当時のジャニーズJr.たちの中での性被害に関する認識についてっている。こちらは本来は『週刊文春』ではなく『文藝春秋』に掲載されている連載記事「ルポ男児の性被害」の第3回である前後編記事での前編で、前後編は同日配信の『文藝春秋 電子版』に掲載されている。

この人物はこの告発記事より12年前の2011年に、帰国子女や留学生に関するウェブサイトインタビューを受けている[14]。その際にも既にこの告発記事内でったことと一致するような内容(「某有名アイドルグループ」に入ったこと。世界観が変わるような、「大人世界って汚いな」と思うようなことを見聞きしたこと。エンターテインメント世界普通の人だったら経験しないようなことを経験してしまい精的に落ち込み聖書に救いを見出したたこと、など)を詳細はぼかしながらも話しており、信憑性が増す。

2023年5月17日には、これまでのような元ジャニーズJr.ではなく、ジャニーズ事務所の元スタッフからの被害言を報じる記事も『文オンライン』に掲載された。この人物は16、17歳の時に高校中退して芸能界への憧れでを飛び出し、付き人になるためジャニー喜多川氏のもとを訪れ、ジャニーズのあるアイドルグループの付き人になったという。そして合宿所にて、ジャニー喜多川氏から行われた行為について言している。

2023年5月24日には、かつてジャニーズアイドルグループ忍者」のメンバーであった「志賀泰伸」氏による言を報じる記事も『文オンライン』に掲載された。志賀氏は顔出し&実名で、ジャニー喜多川氏から受けたという被害について言している。文

BBCが番組でジャニー喜多川氏の性加を取り上げて以降、小誌はこれまで12人の元ジャニーズJr.の男性たちの言を伝えてきた。だが、実際にデビューまで果たしたジャニーズアイドルから性被害言を得るのは、初めてのことだ。これまでの元ジュニアたちの告白には、「売れなかったいせで言っている」などと、心ない意見もあった。だがデビュー組である志賀氏の登場は、そういったをかき消すことになる。

とこの記事内で記した。また、さらに追加の内容が同日配信の『週刊文春 電子版』及び同年5月25日発売の『週刊文春2023年6月1日号に掲載されている。

2023年5月31日には、元ジャニーズJr.の男性が顔と実名を開して言した記事が『文オンライン』に掲載された。中学生だった頃にジャニー喜多川氏から受けたという被害についてっている。さらに追加の内容が同日配信の『週刊文春 電子版』及び同年6月1日発売の『週刊文春2023年6月8日号に掲載されている。

2023年6月21日には、元ジャニーズ事務所ロックバンド「男闘呼組」に短期であるがメンバーとして在籍していた男性言した記事が『文オンライン』に掲載された。18歳だった頃にジャニー喜多川氏から被害を受けそうになり、思わずジャニー喜多川氏に膝蹴りを入れてしまったというエピソードについてっている。さらに他の元ジュニアなどがる内容も合わせて、同日配信の『週刊文春 電子版』及び同年6月22日発売の『週刊文春2023年6月29日号に掲載されている。

2023年6月28日には、元ジャニーズJr.で音楽番組やドラマへのレギュラー出演歴もある男性が実名や顔を出して言した記事が『文オンライン』に掲載された。中学生だったころにジャニー喜多川氏から受けたという性被害についてっている。さらに他の元ジュニアなどがる内容も合わせて、同日配信の『週刊文春 電子版』及び同年6月29日発売の『週刊文春2023年7月6日号に掲載されている。

2023年7月1日には、元ジャニーズ所属のアイドルレコードデビューも果たしていた男性が顔を出して言した記事が『文オンライン』に掲載された。入所してから数日たったころに、合宿所でジャニー喜多川氏から受けたという性被害についてっている。

2023年7月5日には、匿名「K」氏による言の記事が『文オンライン』に掲載された。1974年に当時14歳少年だったK氏はジャニー喜多川氏の元に履歴書を送ったところ会うことになり、その後ジャニー氏の部屋に泊まることになった。そのときにジャニー氏から性被害を受けたのだという。他にもホテル被害を受けたという元ジュニアL氏・M氏の事例とともに、同日配信の『週刊文春 電子版』及び同年7月6日発売の『週刊文春2023年7月13日号に掲載されている。

2023年8月22日には、元ジャニーズJr.の男性が実名や顔を出して言した記事が『文オンライン』に掲載された。1998年に当時13歳の中学2年生だった男性はジャニー喜多川氏の元に履歴書を送ったところ会うことになり、その後ジャニー氏の自宅マンションに泊まることになった。そのときにジャニー氏から性被害を受けたのだという。さらに、2000年に退所するまでの約2年間で、計200回の性被害にあったという。後にCDデビューしたジュニアからかけられた言葉、そしてハワイにおける性加の実態とともに、さらに詳しくは同日配信の『週刊文春 電子版』及び同年8月23日発売の『週刊文春2023年8月31日号に掲載されている。

2023年10月8日には、1975年から1976年にかけてジャニーズJr.として活動したという男性が実名や顔を出して言した記事が『文オンライン』に掲載された。豊誕やJOHNNY'S ジュニアスペシャルなどのバックダンサーを務めていた当時のこの男性ジャニー氏の自宅兼合宿所のマンション「ドミ麻布」で被害に遭っており、周囲の人間も同様に被害に遭っていたという。さらに詳しくは同日配信の『週刊文春 電子版』に掲載されている。

2023年10月13日には、1974年に半年ほどフォーリーブスの付き人を務めたという男性が活動名や顔を出して言した記事が『文オンライン』に掲載された。深夜に他の付き人たちと雑魚寝しているところを知らない男性に呼ばれて、移動した先で裸にされて被害を受け、後にその人物がジャニー喜多川氏だったと知ったのだという。さらに詳しくは同日配信の『週刊文春 電子版』に掲載されている。

2023年10月18日と23日には、田原俊彦やシブがき隊のチーフマネジャーを務め、1975年に3人組グループジャニーズジュニアスペシャルJJS)」のリーダーとしてレコードデビューした元所属タレントでもあった男性名前や顔を出して言した記事が『文オンライン』に掲載された。1972年16歳ジャニーズ事務所で働き始めたころ、ジャニー喜多川氏から数十回の性加を受けていたのだという。さらに詳しくは同日配信の『週刊文春 電子版』及び同年10月19日発売の『週刊文春2023年10月26日号に掲載されている。

2023年10月18日と23日には、滝沢秀明氏や今井らと同期ジャニーズ事務所に入所した元ジャニーズJr.の男性名前や顔を出して言した記事が『文オンライン』に掲載された。1995年、入所から約1ヶあまりが経ったころ、合宿所で寝ていた時にジャニー喜多川氏から性加を受けたのだという。さらに詳しくは同日配信の『週刊文春 電子版』に掲載されている。

FRIDAY

講談社から出ている写真週刊誌FRIDAY』は、後述するようにこの問題が大きく話題となった後に誌上で取り上げるようになった。

2023年9月14日発売の2023年9月29日号では、「自分はジャニーズ事務所所属ではなかったが、子役をしていた16歳の頃に他の小さな芸能事務所人間の仲介でジャニー喜多川氏と引き合わされ、その晩にジャニー喜多川氏に口腔性交された」という59歳男性顔出しでの言記事を掲載している。

この言が事実であれば、ジャニー喜多川氏の性加の対ジャニーズ事務所内に留まっていなかったことになり、さらにはジャニー氏と仕事上の関係がある人々が彼に「被害者旋していた」可性も浮かび上がる。

この記事は2023年9月21日に『FRIDAYデジタル』でネット開もされた。

国会質問

2000年:阪上善秀 衆議院議員

上記の1999年週刊文春の特集記事を受けてか、平成12年西暦2000年)には国会議員「阪上善秀」が国会においてこの問題について質問に出したことがある。

センシティブな箇所はなるべく避けて引用する(リンク先には発言全体が掲載されている)。

なぜ少年たちがこんな行為に耐えんでいるかといえば、ジャニー喜多川社長に逆らうと、テレビコンサート立たない場所に立たされたり、デビューに差し支えるからというのであります
 私は独自の調で、ジャニーズ事務所に所属していたことのある少年母親手紙を手に入れました。少し長くなりますが、御紹介させていただきます

 うちの現在高校二年生の息子も、中三のオーディションに合格し、約一年間ジャニーズジュニアをしていましたが、事務所からのコンタクトがなくなり、自然にやめたような形になりました。ずっと後になって息子から聞いたのは、オーディションに受かってから初めてレッスンに行ったとき、先輩ジュニアから、もしジャニー喜多川さんから、ユー、今ホテルに泊まりなさいと言われたとき、

(中略)

テレビにこにこして踊っているジュニアたちは、陰ではそんなつらい思いをしておるかと思うとかわいそうです。

 こういう内容であります。こういうことが事務所でまかり通っているわけであります
 ジャニー喜多川氏は、権者にかわって児童を預かる立場であります。児童から信頼を受け、児童に対して一定の権を持っている人物が、

(中略)

もしこれが事実とすれば、これは児童虐待に当たるのではありませんか。

 そんな折、私は、知り合いの芸能プロダクションの元社長からこんな話を聞いたのでありますジャニーズ事務所日本芸能界をっているため、ジャニーズ事務所に逆らうとタレントを引き揚げられて番組ができなくなってしまうというのであります。それで、テレビ局は遠慮して、ジャニーズ事務所に関する不祥事を放送できないそうでありますマスコミ新聞においても、ニューヨークタイムズがこの問題を報じておるのにもかかわらず、日本マスコミはへっぴりだという批判を受けておるのもその辺に根拠があるのではないかとおっしゃったのであります

2023年:浜田聡 参議院議員

2023年3月9日には、後述するイギリスBBCテレビドキュメンタリー番組『Predator: The Secret Scandal of J-Pop』の内容を受けて、参議院議員の「浜田聡」氏が参院総務委員会にてNHK理恵専務理事に対して質問を投げかけた。

本番組の内容や過去週刊文春報道内容を踏まえて、NHKに対してこういった問題を報じてこなかったこと、およびNHKの番組にジャニーズ事務所タレントを起用してきたことについて問う内容であった。

以下の国会生中継のニコニコ生放送ページにて、タイムシフト視聴できる。該当箇所は再生時間6:25:44から6:29:35。

ウェブサイト

ARAMA! JAPAN

2021年1月1日に、海外向けの日本情報発信サイトARAMA! JAPAN」が掲載した、元ジャニーズJr.でグループ「7 MEN 」のメンバーだった「前田航気」に対するインタビュー記事。

記事掲載後、割とすぐに何らかの原因で記事中から特定の部分が削除されたのだという。

この件については、同サイトの「open post」(開投書)のセクションにて以下のようなやり取りがなされている。

gus(※サイト利用者)
I know this is open post, and that interview article is just right below open post thread but I REALLY want to keep this in light for the foreseeable future.
(和訳例:ここが開投書だってことも、このインタビュー記事が開投書スレッドのすぐ下にあるのも知ってるけど、当面の間はこの文章を立つ場所に留めておきたいです。)
"(該当部分の引用 やや刺的な文章のため本記事では自粛。以下のリンク先を参照"」

light(※別のサイト利用者)
「I noticed this part of the interview got deleted from the post.」
(和訳例:「インタビューの中のこの部分が記事から削除されてるのに気づいたんだけど」)

Ronald [Contributor]
It was requested.」
(和訳例:要があったためです)

これを受けて、日本語ウェブメディアなども記事を掲載した。

ライブ配信動画

ジャニーズJr.のミュージシャンKAUAN OKAMOTO岡本カウアン)は、2022年11月13日YouTubeライブ配信した動画GaaSyy ✕ KAUAN OKAMOTO 緊急生配信」にて、かつてジャニーズJr.に所属していた少年の頃にジャニー喜多川から受けた被害について裸々にった。

この件は反を呼び、様々なウェブメディアなどがこの件を取り上げた。ジャニーズ事務所に質問状を出したメディアもあったようだ。

BBCのテレビドキュメンタリー

イギリス公共放送/営放送テレビ局であるBBCチャンネルBBC Two」は、2023年3月7日火曜日21:00(現地時間。日本時間では3月8日水曜日6:00)に59分のテレビドキュメンタリーPredator: The Secret Scandal of J-Pop』(日本語タイトルJ-POPの捕食者 秘められたスキャンダル』)を放送した。

また、「BBCワールドニュース」において日本語版が2023年3月18日(およびリピート放送が3月19日)にも放映。

BBCワールドニュース公式サイト内の番組情報ページによれば、番組の概要は以下の通り。

ジャニー喜多川氏が創設した男性のみのタレント事務所ジャニーズ事務所」は、日本芸能界を圧倒的なで支配してきた。事務所日本スーパースターになるための登竜門であり、若い少年たちを訓練する「工場」として、日本ポップアイドル文化の中心に君臨している。

一方で、喜多川氏には、所属する少年たちに対する性的搾取の疑惑がつきまとってきた。しかも、密室でささやかれていただけではない。全的な報道機関が取り上げ、その一部は民事裁判で認定された。それでも、喜多川氏は晩年までの宝とされ、2019年に87歳で亡くなった後も、今なお崇拝されている。

この番組では、ジャーナリストのモビーン・アザーが日本を訪れ、喜多川氏から性的虐待を受けたという人たちに話を聞く。そして、疑惑は長きに渡り噂されてきたにもかかわらず、ファンメディア業界、そして日本社会が彼を英雄視し続け、その遺産が今も繁栄している驚愕現実を知る。

番組は、日本ポップカルチャーの大物、ジャニー喜多川氏の性的虐待事実と、メディアに与えた強いを調し、社会が見て見ぬふりをすることの残酷な結果を明らかにする。

さらに、2023年6月17日には、日本語字幕版がYouTubeにて無料開された。

この番組のさらなる詳細については、「J-POPの捕食者 秘められたスキャンダル」の記事を参照されたい。

日本外国特派員協会での記者会見

岡本カウアン氏の記者会見

上記のBBCによるドキュメンタリー番組が日本でも反を呼んでいた2023年4月12日には、前述の「KAUAN OKAMOTO岡本カウアン)」氏が「日本員協会」(略称FCCJ)において記者会見を開催し、自らが過去にジャニー喜多川から受けた被害についてった。

一時間以上にわたったこの記者会見の様子は、上掲の「ニコニコ生放送」のタイムシフト視聴、および以下の共同通信公式YouTubeチャンネル投稿されているノーカット映像記録から確認できる。

この記者会見に対しては、「共同通信」「時事通信」「AP通信」「AFP通信」「毎日新聞」「朝日新聞」「読売新聞」「産経新聞」「日本経済新聞」「BBC」「CNN」などの内外の大手報道機関なども報じ、多数のウェブメディアも記事を掲載した。

以下はこの件について報じた各種ウェブメディア。多数のサイトが報じ、複数の記事を投稿しているサイトもあることから記事の数が非常に多いため、スクロールボックス化している。確認したい方はスクロールを。

さらに、翌日2023年4月13日にはNHK16時ニュース番組でこの記者会見について地上波テレビで報じ、またウェブメディアNHKニュース」にも16時11分付で記事を掲載した。当日ではなく一日経った「翌日」という点で、NHKがこの問題を報じることに慎重となっていることが伺える。

ジャニー喜多川氏に関するスキャンダル地上波テレビで放送されるのは異例な事であり、「NHKテレビで報じた」こと自体をニュースとして伝えるウェブメディアもあった。

会見翌々日の2023年4月14日には、テレビ東京および日本テレビが自社サイトにて報道映像開した。

この記者会見に触発されての証言

2023年4月20日には、ものまね芸人/インパーソネーター/カポエイラ導者の「マイコーりょう」氏が自らのYouTubeチャンネルにて、この岡本カウアン氏による記者会見に触発されたとして、1980年代に自分がジャニーズJr.であったことを初めて明かし、
「自分は合宿所に泊まることがなかったのでジャニー喜多川氏から性的行為を受けるようなタイミングはなかったが、周囲のジャニーズJr.からはそういったことがあると聞いていた」
ことなどを動画開した。

カウアン氏の記者会見に触発されたと思われる、元ジャニーズJr.の顔出し・実名での言はその後続くことになるが、この「マイコーりょう」氏の言はその中でも最初期のものであった。

この動画投稿した理由としてマイコーりょう氏は、動画内で

とても若い岡本カウアン君が あんなに勇気を出して この事を告発したのに
民放のテレビ局と一緒で 自身もその事を知っているのに ずっとダンマリでいるのか? ということに自問自答しまして
いや、発言すべきだ という気持ちになりました

っている。

だが、この動画開することで自らのタレントとしてのキャリアが絶たれる可性についてもやはり考慮はしていたようであり、

正直 これを 動画アップして マイコーりょうというタレントテレビでは見れなくなるのかな という 予想もしてます
わざわざ 損する方のを選んでるのかなとも思いますが
逆に この心の中ずっと抱えていた闇の部分を 放つことで はこの呪縛から解放されるのかな という 部分ね メリットもあります
まぁ わかってくれる人はわかってくれると思って

などともっている。

この動画に対しては、岡本カウアン氏本人のアカウントにより

マイコーりょうさん、話して頂いて有難うございます。
「心の中にずっと抱えてた闇の部分を話せて呪縛から解放された」
その言葉の意味がよくわかります

皆さんも沢山のコメントありがとうございます
一人一人が考える機会になることがまず大切なことだと思ってます。
引き続きよろしくお願いします。

と、お礼のコメントが寄せられている。

橋田康氏の記者会見

2023年5月26日には、元ジャニーズJr.の「田康」氏も「日本員協会」(略称FCCJ)において記者会見が開催された。田氏は2023年5月9日の『文春オンライン』の記事exitで、実名&顔出しでジャニー喜多川氏から行われたという性被害について言していた人物。

この記者会見にて田氏は自らが体験したという喜多川氏からの性被害告白した上で、類似事件の再発棒に向けた児童虐待防止法正をめた。田氏やカウアン氏を含めた、実名で性被害告白している元ジャニーズJr.4名が発起人となった署名活動を始めることも明かした

また、同様に喜多川氏から被害を受けた人々のを集めてジャニーズ事務所に届ける窓口になりたいともった。ジャニーズ事務所自体も窓口を設けると発表しているが、「ジャニーズ事務所側に直接被害を申し出ることに抵抗がある」といったも聞こえてくるためであるという。

ジャニーズ事務所からの声明

以上のように、2023年3月BBCテレビドキュメンタリーJ-POPの捕食者 秘められたスキャンダル』および2023年4月12日岡本カウアン氏による記者会見によりジャニーズ事務所への批判が高まる中の2023年4月21日、同事務所は取引先の音楽関連会社などに以下の文書を送付したという。

同日、東京新聞が全文を掲載して報じたほか、ジャーナリスト尾形」氏が自らのTwitterにその文書の画像も投稿した。

この文書については、下記のように他の新聞テレビなどの報道機関も報じている。

これらの報道によれば、この文書はあくまで「取引先」に対しての通達文書であって、所属タレントファンらや報道各社に対する的な明文というわけではないようだ。

ジャニーズファンらによる署名活動

2023年4月には、上記のカウアン・オカモト(岡本カウアン)氏による日本員協会での記者会見と、その会見について多くの大手メディアが小さくしか扱わなかったことなどにショックを受けたというジャニーズファンら4名が団体「PENLIGHT ジャニーズ事務所の性加明らかにする会」を立ち上げた。

この団体は、2023年4月19日オンライン署名サイトChange.org」にて、ジャニー喜多川氏による性加検証と謝罪をジャニーズ事務所めるための署名活動を開始。

2023年5月11日には「1万6125筆の署名を事務所に提出した」と発表する記者会見東京都内で開催し、「被害者実にを傾け、この問題がなぜ見過ごされてきたのか説明をしてほしい」と訴えた。この記者会見については同日、朝日新聞デジタルや、TBSテレビ番組Nスタ』や『news23』でも報道された。

news23』では、10分以上にわたった報道の締めくくりとしてメインキャスター小川彩佳アナウンサーがこうった。

「取材に応じてくださったカウアンさんは、『疑惑について、当時からメディアが報じていたら、ジャニーズ事務所に行くことはなかった』とも、話されていました。はたして、報道機関がどれだけこうした被害報道してきたのか。少なくとも私たちの番組ではお伝えしてこなかったという現状があります。その中でこのカウアンさんの発言は非常に重く、この言葉には向き合わなければならない、と感じています。今後番組では、こうした訴えをしっかりと受け止め、報道していきたいと考えています。」

また、翌日2023年5月12日には日本テレビの夕方の報道番組「news every.」でもこの会見について放映された。

ジャニーズ事務所の謝罪と、見解・対応についての説明

そんな中、2023年5月14日に、ジャニーズ事務所はその時点の社長藤島ジュリーK.」が説明・謝罪する70動画と、謝罪及び見解と対応を説明する文章を、公式サイトにて開した。

ただし、この謝罪は「当社創業者である故ジャニー喜多川による性加問題につき、大きな失望とご不安を与えてしま」ったことについてのものであり、性加事実あったかについては「事実」と認める、認めないと一言で言い切ることは容易ではなく、」として、この時点では明言を避けるものであった。

この動画および文章は大手のテレビ放送局各局や新聞社、通信社などでも報道された。

社長顔出しで謝罪した点について、これまでとべれば善していると一定の評価をするもあったが、「なぜ記者会見ではなく動画開なのか」「知らなかったとのことだが、知らなかったはずがない」といった趣旨の批判も挙がった。

その中には、これまで性被害について顔を、または顔と名前を出して言していた元ジャニーズJr.の男性たち複数も含まれていた。

また「第三者委員会を設けると、本件でのヒアリングを望まない人物もヒアリングとなってしまう可性が大きいため、別の方法を選ぶことにした(要約)」という説明がなされたが、専門ジャーナリストの中からはこの点に関する批判も複数挙がっていた。

その後、同26日にはその第三者委員会に代わる調チームとして、「外部専門による再発防止特別チーム」が立ち上げられた。チームの中心メンバーはかつて第49代検事総長も務めた経歴のある弁護士琴」を座長に、精科医の飛鳥井望、臨床心理士の齋藤の3名。さらに「アンダーソン毛利・友常法律事務所法共同事業」の弁護士6名が調補助者として特別チーム事務局を務めた。この調チームの調結果については「外部専門による再発防止特別チームの調結果報告」の節で後述する。

『クローズアップ現代』での特集

2023年5月17日には、NHK報道ドキュメンタリー番組『クローズアップ現代』が、急遽予定を変更してこの問題を特集した回「“誰も助けてくれなかった” 告白・ジャニーズと性加害問題」を放映した。

この番組は、この問題を番組自体の題として扱った特番としてはNHKで初めて、そして民放を含めた地上波テレビ番組全体でも初めてのものであり、ある意味では「時代の変化」をはっきりと示す歴史的なものであった。

この番組のさらなる詳細については、「“誰も助けてくれなかった” 告白・ジャニーズと性加害問題」の記事を参照されたい。

TBSの報道

NHKからはわずかに出遅れたが、民放のテレビ局TBS」も2023年5月からは積極的な報道を開始。

2023年5月25日には、衛星放送チャンネルBS-TBS」で平日ゴールデンタイム19時30分から放映している大報道番組『報道1930』にて、この話題を特集。YouTubeでもこの番組内容を開した。

さらに、2023年6月17日には地上波ゴールデンタイムに放映している大報道番組『報道特集』の前半においてこの問題を特集。YouTubeでも番組内容を開した。

また同日、ウェブサイトTBS NEWS DIG」において番組内容をテキスト化したものも開している。

なお、これらYouTube動画や「TBS NEWS DIG」ではなぜか省かれているが、この特集の最終版ではキャスターらによる、これまでなぜ自社が報道してこなかったのか、について顧みて自己批判する内容のコメントが入っていた。

この『報道特集』での特集については『J-CASTニュース』や『文オンライン』においても報じられており、それらの記事内では各キャスターコメントが確認できる。

さらに、2023年8月5日にはやはり『報道特集』にて約70年前の性被害言について特集した。こちらについては本記事「1950年代の被害に関する言」の節を参照されたい。

また、2023年9月3日にはやはり『報道特集』にてさらにこの問題を特集。前述の1960年代の「新芸能学院」のトラブルの件を知る人物やジャニーズJr.として所属していた頃に性被害を受けたとる人物へのインタビュー映像、また前述のようにかつて暴露本を出した「北次」氏による告発ビデオの内容も紹介した。YouTubeでも番組内容を開した。

また同日、ウェブサイトTBS NEWS DIG」において番組内容をテキスト化したものも開している。

1950年代の被害に関する証言

タブロイド日刊日刊ゲンダイ』は2023年7月4日面にて、俳優音楽家の「服部吉次」氏がかつて自身が幼少期にジャニー喜多川氏から受けたという被害についてった内容を報じた。

その内容によれば、服部吉次氏の父親である服部良一氏は有名な作曲であり、仕事の関係で訪したときに喜多川家族ぐるみの知人となった。そして喜多川擴(ジャニー喜多川)青年は後日、米国軍人となって朝鮮戦争に従軍したのちに日本に戻り、それから服部に出入りするようになった。そして、服部吉次氏が8歳だったころに、自宅の部屋で喜多川擴から凌辱されたのだという。

服部吉次氏は、前述の「マイコーりょう」氏と同様に、「カウアン・オカモト氏ら実名で告発した方たちに対する敬意」に触発されてこの性被害告発を行ったと述べている。

この内容は翌日2023年7月5日には、日刊ゲンダイウェブメディア日刊ゲンダイDIGITAL』にも掲載された。

またこの記事は前後編記事の前編であり、後編は2023年7月5日日刊ゲンダイに掲載された。

この後編記事も、翌2023年7月6日には『日刊ゲンダイDIGITAL』にも掲載された。

その後編記事によれば、最初の凌辱の後にもジャニー喜多川氏は二年くらい続き、服部にきて吉次氏と一緒に寝たときに同じ行為を繰り返していたのだという。また、ジャニー喜多川氏の野球チーム少年3人と吉次氏、そして吉次氏の友人1名をジャニー喜多川氏が引率して、服部良一氏の軽井沢の別荘に泊りがけで遊びに行ったことがあり、そのにはジャニー喜多川氏は寝ている5名の少年らを順繰りに渡り歩いたともっている。

これらの告発内容が正しければ、これまで知られていた最初の被害報道である1960年代の「新芸能学院」での出来事からさらにさかのぼり1950年代からジャニー喜多川氏は幼い少年に対して性加を行っていたということになる。

2023年7月15日には、服部吉次氏および友人男性の二名が東京都内で上記の内容について記者会見を行った。

同日以後、報道各社もこれを報じた。

さらに、2023年8月5日には前述のTBSの有名テレビ番組報道特集』でも、服部良一氏と友人言について特集された。YouTubeでも番組内容が開されている。

また同日、ウェブサイトTBS NEWS DIG」において番組内容をテキスト化したものも開している。

国連人権理事会による調査

2023年7月から8月にかけては、国連国際連合人権理事会の「ビジネス人権」作業部会が日本政府日本企業人権をめぐる義務や責任にどう取り組んでいるか調するために来日した。

その調の一環として、同作業部会はこのジャニー喜多川氏による性加疑惑の問題について、被害を訴えている当事者らやジャニーズ事務所ヒアリングを実施。

2023年8月4日にはその結果について記者会見が行われ、「数人が性的搾取と虐待に巻き込まれるという、深く憂慮すべき疑惑」「政府体として透明な捜を確保し、謝罪であれ銭的な補償であれ、被害者の実効的救済を確保する必要性」「日本メディア企業は数十年にわたり、この不祥事のもみ消しに加担したと伝えられている」といった、具体的な言葉がられた。

また、ジャニーズ事務所が設置した「再発防止特別チーム」による調について「透明性と正当性に疑念が残る」と批判するコメントも行った。

外部専門家による再発防止特別チームの調査結果報告

ジャニーズ事務所からこの問題に関する調・再発防止策を委託された「再発防止特別チーム」は2023年8月29日に、71ページある「表版」と2ページに要約された「概要版」の2つの「調報告書」をジャニーズ事務所公式ウェブサイトにて開した。

同日、同チーム記者会見も行っており、一部のテレビ局ではこれを生中継で放送した。

調報告書の「表版」においては、以下のような文面が含まれており、「ジャニー喜多川氏が多数の未成年者に対して性加を行ってきたこと」を「紛れもない事実」と認定している内容であった。

 上記のとおり各被害者ヒアリングを実施した結果、ジャニー氏が、自宅や合宿所や演先の宿泊ホテル等において、ジャニーズ Jr.のメンバーを含む多数の未成年者に対し、一緒に入浴したり、同衾した上、キスをしたり、身体を撫したり、性器を弄び、口腔性交を行ったり、肛門性交を強要したりする、などの性加を行っていたことが明らかとなった。

 元ジャニーズ Jr.がジャニー氏による性加に遭った時期は、1970年代前半から2010年代半ばまでの間に万遍なく続いており、しかも同時期に多数のジャニーズ Jr.が被害を受けていたことも言からあきらかとなった。したがってジャニー氏によるジャニーズ Jr.の思春期少年に対する性加は、長年にわたり広範に行われていたことは紛れもない事実である。

このように20歳頃から80歳代半ばまでの間、性加が間断なく頻繁かつ常習的に繰り返された事実は、ジャニー氏に顕著な性嗜好異常(パラフリア)が存在していたことを強く裏付けるものである。性嗜好異常とは、性の表現異常な、強かつ持続的な性的関心を特徴とするものであるが、もっぱら未熟な思春期少年を性としたジャニー氏の性的関心と同意なき性行為の強要が長年続いたことは、被害者年齢層(中心は13~15歳)がいわゆる小児性愛(13歳以下)に定義上は若干高くなるものの、まさに性嗜好異常の一とみなすことができるものである。
 したがって、ジャニーズ Jr.の思春期少年に対して、長年にわたり広範に行われた性加根本原因は、ジャニー氏の個人的性癖としての性嗜好異常にほかならない。

同報告書にはこういった性加が長年継続された原因として「メリー氏による放置と隠蔽」「ジャニーズ事務所の不作為」「被害の潜在化を招いた関係性における権構造」などの点も詳細に摘されている。

また、背景として「同族経営の弊」「ジャニーズ Jr.に対するずさんな管理体制」」といったジャニーズ事務所側の問題点に加えて、「マスメディアの沈黙」「業界の問題」など、マスメディア側が報道を控えたことが被害の拡大を招いた可性や、エンターテインメント業界自体の持つ問題点なども明記されていた。

事務所による記者会見と、事務所の終焉

2023年9月7日の記者会見

2023年9月7日に、上記の報告書を踏まえてのジャニーズ事務所による記者会見が行われた。藤島ジュリー子、東山紀之、井ノ原快の3名の事務所幹部と、顧問弁護士の木田裕が登壇。

藤島ジュリー子はこの記者会見の冒頭にて

故・ジャニー喜多川による性加問題につきまして、2023年8月29日、特別チームによる調結果と提言が表されましたが、ジャニーズ事務所といたしましても、私、藤島ジュリー子個人といたしましても、ジャニー喜多川に、性加はあったと認識しております。被害者の皆様に、心よりお詫び申し上げます。

り、低頭して謝罪した。

その後、「9月5日をもって藤島ジュリー子は社長を辞任し、東山紀之が新社長となったこと」「それに伴い、東山紀之は年内にも表舞台から降りて社長業に専念すること」「被害者救済の方策を検討していくこと」「ジャニーズ事務所代表取締役社長波瀬傑も辞任したこと」などを発表した。

その後の質疑応答では、記者らの質問に答える形で東山紀之や井ノ原快もジャニー喜多川氏の性加について「噂としてはにしていた」ことを認める場面があったり、上記の週刊誌との裁判で言台にも立った(つまりジャニー喜多川氏の性加疑惑について詳しく知るはずの立場にあった)波瀬傑氏が記者会見の場に姿を現さないことについて疑問のが上がったり、また現在のところ「ジャニーズ事務所」という社名を変更する予定がないとの回答に対して記者側から「性加害者の名を冠した社名を残すのは不適当ではないか」という趣旨の意見が挙がり井ノ原氏が「犯罪者名前ということについてはこれからも考えていかなければならないと思っている」と答え東山新社長も今後社名変更について「変更の余地はある」とるなど、非常に多くのやりとりがなされ、合計4時間をえる長い記者会見となった。

記者会見中に東山新社長はジャニー喜多川氏による性加問題について「人類史上最も愚かな事件だと思います」「やってることは鬼畜の所業だと思っています」とり、井ノ原氏も「なんてことしてくれたんだと思っています。いい加減にしてほしいですね」とった。つまり、藤島社長だけではなくこの2名も、記者会見冒頭でられたジャニー喜多川氏の性加に関する認識を共有していることを示したことになる。

(以下は、記者会見全体をノーカットで全体視聴できるリンク

2023年10月2日の記者会見

その後、2023年10月2日に再度開かれた記者会見では、東山紀之社長らにより、株式会社ジャニーズ事務所」は2023年10月17日に「SMILE-UP.」に社名変更し、同社は被害者への補償を業務とすること、そして保を終えたら業することが発表された。

タレントらは新たに設立されるエージェント会社に移籍することになること、また「関ジャニ∞」や「ジャニーズWEST」など「ジャニー喜多川」の名前に由来するグループ名も名されることなどもこのとき発表された。

関連動画

関連生放送


関連静画

参考・関連リンク

関連項目

脚注

  1. *ジャニー喜多川氏、87歳で死去 男性アイドル市場で長年圧倒 - BBCニュースexit より
  2. *週刊サンケイ 14(13)(719);1965・3・29 国立国会図書館デジタルコレクション検索結果より
  3. *学院の小学生から高校生をふくめて十四人もが、ジャニー被害にあったことが」で国立国会図書館デジタルコレクション検索した結果画面より
  4. *以下のリンク先記事(後編)内に引用されている書籍内容から孫引き
  5. *週刊現代 23(20);1981・4・30。「疲れきってうたた寝していると、ジャニーさんが寄ってきて」で国立国会図書館デジタルコレクション検索した結果画面より
  6. *週刊文春 23(21)(1137);1981・5・28。上記記事名や、「ウチのタレントグラビアと記事でもっているわけですからね」で国立国会図書館デジタルコレクション検索した結果画面より
  7. *下記文章内の各フレーズ国立国会図書館デジタルコレクション検索した結果画面より
  8. *代」でも起きている。「ジャニー喜多川は」で国立国会図書館デジタルコレクション検索した結果画面より
  9. *当該記事の5ページ目exitにこの文章がある。
  10. *国立国会図書館デジタルコレクションで「芸能界のモンスター ジャニー」を検索した結果画面から確認できる
  11. *ジャニー喜多川のこと
  12. *言した少年らのこと
  13. *引用者」はこの法律事務所コラムの執筆者であり、このニコニコ大百科記事の編集者ではない
  14. *海外生活体験者・社会人インタビューvol.107 - RTNプロジェクトexit
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