ジャンヌが負傷した場所とは、ジャンヌ・ダルクが1429年にケガをした地点であり、かつてラーメン屋「ひぐま」のあった場所である。
※「負傷した場所」というのは負傷した体の部位(太もも)ではなく、負傷した地点を指す。
ジャンヌ・ダルクが腿に石弓の矢を受けてしまった場所。現在のパリのサントノーレ通り161~163番地周辺にあたる。
一時期この場所にラーメン店の「ひぐま」が存在しており、テレビ番組『THE 世界遺産』でその様子が「ジャンヌが負傷した場所」というテロップとともに映ってしまった。ジャンヌ・ダルクから感じられる歴史の重みや「負傷」という深刻なフレーズに対してあまりにも庶民的に見えるため、現在でも画像がネット上に投稿されることがある。
ちなみに、よく見るとひぐまの左上にジャンヌ・ダルクの肖像のレリーフがあり、この地点が「ジャンヌが負傷した場所」であることを示している。
百年戦争のさなかの1429年9月、イングランドに占領されていたパリを奪還するため、フランス王シャルル7世やジャンヌ・ダルクが率いるフランス軍がパリに侵攻した(パリ包囲戦)。しかし、パリ市民はイングランドの温情的な統治を受け入れており、攻め込んできたフランス軍に対して必死に抵抗していた。
ジャンヌはパリに入るため、城壁の周りにある水堀を渡り、サントノーレの門をくぐろうとしていたが、そこで石弓の矢が腿に当たってケガをしてしまう。これが原因となり、彼女はラ・シャペル村(現在のパリ18区)に運ばれ、戦意はあったものの、後に王の指示で撤退することになった。
ジャンヌ・ダルクの死から100年以上後、14世紀後半に、サントノーレ門の付近にあったルーブル要塞が王宮となった。この王宮は、後に王族・貴族の所蔵品を保管・展示する施設として使われるようになり、現在はルーブル美術館となっている。
17世紀には、国王ルイ13世が新しい城壁を外側に作り、新しいサントノーレ門もそこに作られた。その後、旧サントノーレ門は撤去され、その外側にも市街地が広がるようになった。
つまり、ジャンヌが負傷した場所は、過去のルーブル宮殿、現在のルーブル美術館のすぐそばにあるパリの中心部の一画になってしまったのである。
1980年代、ルーブル美術館の近くにラーメン店「ひぐま」がオープンする。当初の客層はフランス在住の日本人であり、偶然日本でラーメンブームが起こっていたこと等もあって店は繁盛した。やがて、パリ市民の間でも安価なラーメンが人気となり、次第にフランス人の客も増えていった。さらに1990年代に入ると周辺にも日本食店が増え、「リトル・トーキョー」と呼ばれるようにもなった。
繁盛したひぐまは、近隣に新しく2店舗を増やした。そのうちの1店舗の「パレ・ロワイヤル店」が、偶然ジャンヌが負傷した場所であった。さらに左上にジャンヌ・ダルクのレリーフも設置され、ジャンヌ・ダルクがラーメン屋で負傷したかのように見える風景ができてしまった。
2021年4月のGoogleストリートビュー
を確認すると、ジャンヌが負傷した場所にはひぐまは無く、空きテナントになっている。現在のひぐまの公式ホームページを見ても、営業しているのは1店舗のみであり、ジャンヌが負傷した場所にあたるパレ・ロワイヤル店は存在しない。
2020年8月のGoogleストリートビュー
まではひぐまの営業が確認できるので、おそらく2020年8月~2021年4月の間に閉業してしまったものと思われる。なお、本店は2024年現在も営業中である。
2024年内にはロッキー青木が創業した、世界中に展開する鉄板焼きレストランチェーン「BENIHANA」が同地にオープン予定である。つまりジャンヌが負傷した場所は2連続で日本食レストランになる見込み。
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最終更新:2025/12/07(日) 13:00
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