ジュリオ・チェザーレ(アズールレーン) 単語

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ジュリオチェザーレ

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venividi,vici(ウェーニー・ウィーディー・ウィーキー)」

ジュリオ・チェザーレ(アズールレーン)とは、コンテ・ディ・カブール戦艦2番艦『ジュリオ・チェザーレ』をモチーフとしたアズールレーンKAN-SENである。

概要作成?カブールのほうが得意だけど・・・ううん、やってあげる。今は私が秘書艦だから

KAN-SEN
ジュリオ・チェザーレ
RN Giulio Cesare
基本情報
所属 サディア
艦種 戦艦
レアリティ SR
CV 清水彩香
イラスト 股间少女
艦歴
イタリア
出身地 グーリア
ジェノヴァ
アンサルド社
ジェノヴァ
艦級 コンテ・ディ・カヴール級戦艦2番艦
1911年10月15日
就役 1914年-1948年イタリア軍
1948年-1955年ソ連軍)
最期 1955年10月29日沈没
備考

 

サディア帝国所属の戦艦レアリティSRCV:清水彩香 イラスト:股间少女

サディア所属の戦艦

優れた身体を持ち、事務作業より戦闘を得意としている。 カブールとは顔つきから思考回路まで色々と正反対であるが、お互い放っておけない。 趣味筋トレ

ーーーー公式Twitter・艦紹介より

イベント『悲せし焔の歌』の期間限定建造にて先行実装

体を動かすことを好み、戦闘を得意としている。鋭い付きや軍服をキッチリと着こなす姿からキツそうな性格に見えるが本人は脳筋思考でややポンコツ気味。特に立ち絵々しさとSDにおけるポンコツ具合の背反振りが顕著。意外にも艦歴の旧さを気にしている節がある。

公式紹介にある通り事務作業を好む頭であるコンテ・ディ・カブールとは色々と正反対。ことある毎に婉曲的表現で脳筋扱いされている。ただし、姉妹仲は険悪という訳でもない。ウォースパイトのことは一方的ライバル視している。

なお冒頭の台詞名前の由来であるユリウス・カエサル名言「来た、見た、勝った」のラテン語表記。

さすがに指揮官にお年寄りとは思われたくないわ

褐色の瞳とメッシュが入ったグレーポニーテールにしている。ミニマム丈のワンピース軍服をキッチリと着こなし、片手には懐中時計を手にしている。ニーハイソックスに御御脚がしい。また、軍服には勲章や飾緒が付けられており、サディア帝国においてそれなりの地位にいることかわかる。

期間限定着せ替えとして『フィットネスマスター』が実装されているにゃ

普段の軍服を脱ぎ捨てフィットネスウェアを身にった姿。

南半球が見えるほど丈の短いキャミソールタイプトップスとレギンスの上からハーフパンツをはいたボトムス半脱ぎウインブレーカーという動き易さ重視の格好。全体的に布地が薄いように見えるがアズールレーンにおいてはよくある薄さなので問題ないだろう。

ウォースパイト、対等な条件でようやく再戦できるのね。

自身の攻撃時最大50.0%で発動。特殊弾幕(威スキルレベル依存)を展開する『サディアの威圧

戦闘開始10後、魚雷弾幕最大Lv.10を展開する(威装とスキルレベル依存)。自身の1回攻撃5後、戦闘終了時まで自身の火力が最大15.0%軽巡に与えるダメージが最大20.0%アップし、ステータスが0になる『、流れる記憶

という2つのスキルを持つ戦艦。副駆逐までしか装備できず、対面も弱いため運用する際にはハムマンコロンビアのようなの守りを固められる前衛と組ませるのが望ましい。

サディアの威圧』は榴弾三発を正面に三回に加え少量の針弾を発射するという使い易い弾幕スキル

『栄、流れる記憶』はカブールとの共通スキル魚雷弾幕と自己バフの複合効果。バフがかかるタイミング発射後なのて価を発揮するのは2発以降となる。ちなみにバフがかかるタイミング装が0になるが、魚雷弾幕は1回攻撃後は発射されなくなる。

記憶に残った出来事・・・あの戦い以外にないわ

コンテ・ディ・カブール戦艦2番艦。

艦名は上述の通り古代ローマ世界英雄ユリウス・カエサルイタリア語読みに由来する。なお、カエサルイタリア語読みは発音も近い『ジュリオ・チェーザレ』が一般的だが、日本では何故か戦艦の方は『ジュリオ・チェザーレ』の表記と発音とするのが慣習となっている。

1910年6月24日起工、1911年10月15日、1914年5月14日就役。同期の艦はQEやウォースパイトで第一次大戦(1915年勃発)から戦い続けた歴戦の猛者の一隻である。

第一次大戦中は団護衛や峡封鎖任務に従事。1930年代後半にフランスダンケルク級への対抗手段の一つとしてコンテ・ディ・カブールと共に近代修を実施。

第二次大戦勃発後の1940年7月9日のプンタ・スティー戦ではコンテ・ディ・カブールと共にイギリス海軍と対峙。ウォースパイトマレーヤ(QE級戦艦5番艦)、ロイヤルサブリン(リヴェンジ級戦艦4番艦)らと戦闘になる。この戦闘において単艦で突撃したウォースパイト射撃距離26,000mからの撃を機関部に受ける(ウォースパイトの武勲として度々挙がる「移動標に対する長距離射撃の命中記録」とはこの撃のことである)。この被弾により下甲火災が発生。艦長は応急処置のためにボイラー8基のうち4基を停止、ジュリオ・チェザーレの速は26ノットから19ノットに減速。その後消火に成功、機関が6基まで復旧し速は24ノットに復帰したものの、イギリス軍側の戦艦2隻がウォースパイトに追い付いたため撤退を余儀なくされる。ちなみにこの戦いに参加した戦艦は全て第一次大戦以前あるいは大戦中に建造された戦艦である。

1940年11月11日タラン襲で戦艦であるリットリオカイオ・ドゥイリオが大破・座礁、姉妹コンテ・ディ・カブール沈没する中、傷でこれを乗り切る。

1941年1月ナポリで再度イギリス軍の襲を受けドック入り。1942年イタリア内で燃料不足が深刻となるとイタリア軍では燃費の悪い旧艦よりも、小艦や新戦艦に人員や燃料をまわすという方針になり出撃自体が少なくなる。

1941年12月解役。アドリア海沿の軍港ポーラで宿泊艦として使用され、そのまま終戦1947年ソ連への賠償艦に定。1949年2月6日ソ連側に引渡され、艦名は「ノヴォロシースク」とめられ、更に修を受け艦後方に前部マストが新設。

1955年10月29日、セヴァストーポリで触し転覆・沈没。転覆の原因は上述の修の結果重量増加し、重心が上昇したためとされる。また、投錨状態のまま艦尾から航しようとして損傷した艦首理ながかかり、浸が拡大したことも沈没の原因とされる。歴戦の戦艦がこんな扱いをされたイタリア流石に怒っていい。

1957年に浮揚解体。

「投稿してこそ動画つながる」・・・誰が言ったっけ?

関連動画いているわ。投稿したいなら適当に使ってなさい

私は自分の思ってることを伝えてこその静画だと思う

ストレスが溜まったら、あっちにある関連項目で発散してみるといいわ

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