ジョン・フィールド(1787~1837)とは、クラシック音楽の作曲家兼ピアニストである。
世界で初めてノクターンを作曲した作曲家としておなじみであり、彼が滞在したロシアの音楽界を活性化させる要因にもなった人物。
1782年にアイルランドのダブリンで生まれた。父親からピアノの指導を受け、モーツァルトやベートーヴェンよろしく神童として各地を周る日々を過ごした。1793年にロンドンに移り住むと、彼の才能を見込んだムツィオ・クレメンティから高額の指導料と引き換えではあったものの弟子として見いだされることになる。フリードリヒ・カルクブレンナー、ヨハン・バプティスト・クラマー、イグナーツ・モシェレスなど前期ロマン派を代表し現在も教則本などに用いられている作曲家たちが兄弟弟子であった。
クレメンティ自身は自社のピアノや楽譜を売るためのデモンストレーションピアニスト程度に考えていたかは知らないが、フィールドはクレメンティとの二人三脚で各地を周り、自身の才能を開花させていったのである。
ロシアのペテルブルクに行った際に、クレメンティはモスクワに移った代わりにフィールドはクレメンティのパトロンのマルクロフスキー将軍のもとに残り、ついにソロ活動を開始する。そこでフィールドは瞬く間に名声を勝ち得、彼の最初の交響曲の評判はあっという間に広がったのである。
1807年にはモスクワに移り、以降はモスクワとペテルブルクを行き来しながら作曲活動と後進育成に専念していく。弟子の中にはロシアの第1世代の作曲家ともいうべきミハイル・グリンカなどがいたほか、チャイコフスキーやムソルグスキーの師となったアントン・ゲルケなどがいる。
特筆すべきはアレクサンドル・デュビュックで彼の弟子にはロシア5人組のバラキレフがいたほか、幼児教育に努めアレクサンドル・ジロティ、ニコライ・メトネル、セルゲイ・ラフマニノフ、アレクサンドル・スクリャービンらを育てたニコライ・ズヴェーレフ、アントン・ルビンシテイン、ニコライ・ルビンシテインの兄弟やワシーリー・サフォノフらを育てたアレクサンドル・ヴィロインクの二人がおり、どちらもロシアのピアノ界に多大なる影響を与えたのである。
つまりこれらの弟子、孫弟子、ひ孫弟子たちの源流にあたりロシア・ピアニズムの開祖にあたるのがジョン・フィールドという人物なのである。
しかし気候が合わなかったのかやがて彼は病魔に侵され、一度アイルランドに戻りヨーロッパで演奏旅行に周った後ついに限界を迎え、モスクワに帰り着いてそのまま亡くなった。
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最終更新:2024/04/20(土) 06:00
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