ジョン・レノン(John Lennon)は、イングランドのリヴァプール出身のミュージシャン。元ビートルズのギタリストである。
ポール・マッカートニーとともに、ビートルズの多くの曲を作詞・作曲したことで知られる。
本名ジョン・ウィンストン・レノン(John Winston Lennon)。オノ・ヨーコとの結婚後はジョン・オノ・ウィンストン・レノン(John Ono Winston Lennon)。
クオリー・バンク校に入学後、ロックンロールに夢中になったジョンは友人達と「ザ・クオリーメン」というバンドを結成する。
1957年7月6日、クオリーメンのライブに来ていたポール・マッカートニーと出会い、ポールをクオリーメンのメンバーとして迎え入れる。後にポールの友人であったジョージ・ハリスンもクオリーメンに加入。
1958年、母・ジュリアが交通事故で急死。この時受けた衝撃は後の作品に様々な影響を及ぼしている。
クオリーメンは「ジョニー&ザ・ムーン・ドッグス」、「ザ・シルバー・ビートルズ」と改名を繰り返した後、1960年、「ザ・ビートルズ」となる。
地元リヴァプールやドイツのハンブルクなどで活動を重ね、実力と固定ファンを獲得したビートルズは、後にマネージャーとなるレコード店主ブライアン・エプスタインに見いだされ、EMIと契約。
デビュー直前にピート・ベストに替わってリンゴ・スターがメンバーとなり、1962年、ビートルズはレコードデビュー。世界的な人気を獲得し、現代に至るまで大きな影響を及ぼし続ける史上最大のバンドとなる。(´・ω・)ピートカワイソス
1966年、前衛芸術家オノ・ヨーコ(小野洋子)と出会う。ビートルズのデビュー時、ジョンはすでにシンシア・パウエルと結婚しており、63年には長男ジュリアン・レノンが生まれていたが、夫婦仲は徐々に悪化。68年シンシアと離婚。翌年オノ・ヨーコと結婚。ヨーコと共作で前衛芸術的なアルバムを制作。このころから徐々に平和運動に傾倒していく。
ビートルズも解散寸前の状況にある中、ジョンはソロ活動を開始。プラスティック・オノ・バンド名義でライブを行う。
なお、ビートルズ時代の曲はLennon/McCartneyとクレジットされている。これはジョンとポールのどちらが書いた曲でもLennon/McCartneyとクレジットするという紳士協定によるものであり、ジョンが一人で書き上げた曲、ポールが一人で書き上げた曲、ジョンとポールで部分ごとに分担した曲など制作状況は様々である。作詞はジョン、作曲はポールと言われる事もたまにあるが、実際はそのような分業は行われていない。
1970年、アルバム「ジョンの魂」(原題: Plastic Ono Band)を発表。シンプルな演奏にのせ、母の死やビートルズに対する本音などジョンの感情が率直に表現されたアルバム。
1971年にはソロ代表作とされるアルバム「イマジン」を発表。
1972年、アルバム「サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ」を発表。政治的メッセージ性は頂点に達する。
このころからヨーコと別居状態に入り、「失われた週末」と呼ばれる酒浸りの日々を送る。
1974年、アルバム「心の壁、愛の橋」(原題: Walls And Bridges)を発表。政治的メッセージは非常に薄れる。
1975年、アルバム「ロックン・ロール」を発表。ジョンの音楽的ルーツであるロックンロールのスタンダードナンバーのカバーアルバム。
75年、ヨーコとの間に次男ショーン・レノンが誕生。以後、ショーンの子育てのため、専業主夫となり音楽活動を休業。
休業中、ジョンは家族連れで何度も来日しており、特に軽井沢はお気に入りだったようだ。
休業とはいえ、ジョンは暇を見て作曲を続けており、いくつかは活動再開後のアルバム「ダブル・ファンタジー」、ジョンの死後、1984年に発表された「ミルク・アンド・ハニー」に収録されている。ポール・ジョージ・リンゴが手を加え、1995年にビートルズの新曲として発表された「フリー・アズ・ア・バード」もこの時期の作品である。
アルバム「ダブル・ファンタジー」を発表。姉妹作「ミルク・アンド・ハニー」の制作も進んでおり、活動は順風満帆に見えたのだが…。
1980年12月8日深夜、ミックスダウン作業を終え、ヨーコとともに自宅のあったニューヨークのダコタ・ハウスに帰ってきたジョンは、一人の男に突然背後から銃撃を受ける。ジョンは4発の銃弾を受け、駆けつけた警察官によって直ちに病院に搬送されたが、まもなく死亡した。
ジョンを銃撃した男はジョンの大ファンであり、この日、ジョンがダコタ・ハウスから出かけた時には持参したダブル・ファンタジーにサインを求めている。ジョンは気軽にOKし、アルバムにサインを入れた。雑誌社のカメラマンがサインするジョンと男の様子を撮影しており、この写真がジョンの生前最後の写真となった。銃撃後、男は現場から逃走せず、逮捕されるまで「ライ麦畑でつかまえて」を読みふけっていたという。
ジョンの死はビートルズの元メンバーやミュージシャン仲間、そしてファンに大きな衝撃を与えた。
ポールは衝撃で数ヶ月活動を休止。アルバム「タッグ・オブ・ウォー」収録の「ヒア・トゥデイ」をジョンに捧げている。
ジョージはアルバム「想いは果てなく〜母なるイングランド」収録の「過ぎ去りし日々」をジョンに捧げた。この曲では、ジョージ、リンゴ、ポールがビートルズ解散後初めて顔を揃えている。
ニューヨーク市・セントラルパークのダコタ・ハウス近くには、ビートルズ時代の代表曲の一つ、「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」にちなんだ「ストロベリー・フィールズ」という一角が整備され、今も献花が絶えない。
掲示板
69 ななしのよっしん
2021/09/19(日) 21:18:30 ID: PYbswYo4RJ
ぶっちゃけこのあたりからだよね、ロックは反体制が云々だの言ってるその口で教祖様を信仰するロックファンとか言うバカが量産され始めたのは
曲は俺にとっては大して魅力的でないが好きな人は好きでいいんじゃない?
人格はまぁロクデナシの類だが…信者たちはそういわれると何が気に入らないのかねぇ?
ロック(笑)なんだから聖人君子よりむしろクズのほうが信者にとっては「クズを芸術(笑)のために擁護して知った風な顔をするごっこ」できて楽しいと思うけど
キリストより有名になったバンドでも、「中核を担う重要な人材をおざなりに扱ってキレられて崩壊」なんてダメな組織あるあるで解散というのはなかなか無常感があって俺は好きだけどね
平和活動家が隣人すら大事に出来ないとかロックじゃん
70 ななしのよっしん
2021/10/02(土) 08:12:26 ID: +1py82JZOr
71 ななしのよっしん
2021/11/10(水) 06:45:39 ID: 9YXNdoIFKK
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最終更新:2025/03/24(月) 19:00
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