ジョン・レノン 単語

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ジョンレノン

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ジョン・レノン(John Lennon)は、イングランドリヴァプール出身のミュージシャン。元ビートルズギタリストである。

ポール・マッカートニーとともに、ビートルズの多くの曲を作詞作曲したことで知られる。

略歴

本名ジョンウィントンレノン(John Winston Lennon)。オノ・ヨーコとの結婚後はジョン・オノ・ウィントンレノン(John Ono Winston Lennon)。

誕生~ビートルズ時代

1940年10月9日生まれ。

幼くして両離婚し、伯母のもとで育てられる。

オリーバンク校に入学後、ロックンロール中になったジョン友人達と「ザ・クオリーメン」というバンドを結成する。

1957年7月6日、クオリーメンのライブに来ていたポール・マッカートニーと出会い、ポールをクオリーメンのメンバーとして迎え入れる。後にポール友人であったジョージ・ハリスンもクオリーメンに加入。

1958年ジュリア交通事故で急死。この時受けた衝撃は後の作品に様々なを及ぼしている。

オリーメンは「ジョニー&ザ・ムーン・ドッグス」、「ザ・シルバービートルズ」と名を繰り返した後、1960年、「ザ・ビートルズ」となる。

地元リヴァプールドイツハンブルクなどで活動を重ね、実と固定ファンを獲得したビートルズは、後にマネージャーとなるレコードブライアンエプスタインに見いだされ、EMI契約

デビュー直前にピートベストに替わってリンゴ・スターメンバーとなり、1962年ビートルズレコードデビュー世界的な人気を獲得し、現代に至るまで大きなを及ぼし続ける史上最大のバンドとなる。(´・ω・)ピートカワイソス

1966年、前衛芸術家オノ・ヨーコ(小野洋子)と出会う。ビートルズデビュー時、ジョンはすでにシンシアパウエル結婚しており、63年には長男ジュリアン・レノンが生まれていたが、夫婦仲は徐々に悪化。68年シンシア離婚。翌年オノ・ヨーコ結婚ヨーコと共作で前衛芸術的アルバム制作。このころから徐々に平和運動に傾倒していく。

ビートルズも解散寸前の状況にある中、ジョンソロ活動を開始。プラスティック・オノ・バンド名義でライブを行う。

なお、ビートルズ時代の曲はLennon/McCartneyとクレジットされている。これはジョンポールのどちらが書いた曲でもLennon/McCartneyとクレジットするという紳士協定によるものであり、ジョンが一人で書き上げた曲、ポールが一人で書き上げた曲、ジョンポールで部分ごとに分担した曲など制作状況は様々である。作詞ジョン作曲ポールと言われる事もたまにあるが、実際はそのような分業は行われていない。

ビートルズ解散後~休業

1970年アルバムジョン」(原題: Plastic Ono Band)を発表。シンプル演奏にのせ、の死やビートルズに対する本音などジョンの感情が率直に表現されたアルバム

1971年にはソロ代表作とされるアルバムイマジン」を発表。

1972年アルバムサムタイム・インニューヨーク・シティ」を発表。政治メッセージ性は頂点に達する。

1973年アルバムマインド・ゲームス」を発表。

このころからヨーコと別居状態に入り、「失われた週末」と呼ばれる浸りの日々を送る。

1974年アルバム「心の壁」(原題: Walls And Bridges)を発表。政治メッセージは非常に薄れる。

ヨーコと復縁。ジョン々の別居は失敗した!」

1975年アルバムロックン・ロール」を発表。ジョン音楽ルーツであるロックンロールスタンダードナンバーカバーアルバム

75年、ヨーコとの間に次男ショーンレノンが誕生。以後、ショーンの子育てのため、専業夫となり音楽活動を休業。

休業中、ジョン家族連れで何度も来日しており、特に軽井沢はお気に入りだったようだ。

休業とはいえ、ジョンは暇を見て作曲を続けており、いくつかは活動再開後のアルバムダブルファンタジー」、ジョンの死後、1984年に発表された「ミルクアンド・ハニー」に収録されている。ポールジョージリンゴが手を加え、1995年ビートルズの新曲として発表された「フリー・アズ・ア・バード」もこの時期の作品である。

活動再開~突然の死

1980年音楽活動を再開。

アルバムダブルファンタジー」を発表。姉妹作「ミルクアンド・ハニー」の制作も進んでおり、活動は順満帆に見えたのだが…。

1980年12月8日深夜ミックスダウン作業を終え、ヨーコとともに自宅のあったニューヨークのダコタ・ハウスに帰ってきたジョンは、一人の男に突然背後から撃を受ける。ジョンは4発の弾を受け、駆けつけた警察官によって直ちに病院に搬送されたが、まもなく死亡した。

ジョン撃した男はジョンの大ファンであり、この日、ジョンがダコタ・ハウスから出かけた時には持参したダブルファンタジーサインめている。ジョンは気軽にOKし、アルバムサインを入れた。雑誌社のカメラマンサインするジョンと男の様子を撮しており、この写真ジョンの生前最後の写真となった。撃後、男は現場から逃走せず、逮捕されるまで「ライ麦でつかまえて」を読みふけっていたという。

その後

ジョンの死はビートルズの元メンバーミュージシャン仲間、そしてファンに大きな衝撃を与えた。

ポール衝撃で数ヶ活動を休止。アルバムタッグオブ・ウォー」収録の「ヒア・トゥデイ」をジョンげている。

ジョージアルバム「想いは果てなく〜なるイングランド」収録の「過ぎ去りし日々」をジョンげた。この曲では、ジョージリンゴポールビートルズ解散後初めて顔をえている。

ニューヨークセントラルパークのダコタ・ハウス近くには、ビートルズ時代の代表曲の一つ、「ストロベリーフィールズ・フォーエバー」にちなんだ「ストロベリーフィールズ」という一が整備され、今も献が絶えない。

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