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ステイゴールド

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さずにいられない。

時代に新たな最強が生まれるたび、いつも果敢に挑んでいくあなたの姿がある。
鹿毛にく小さな身体をいっぱい弾ませて、最後の直線にすべての勝負を懸けて、
先頭でゴールを駆け抜ける一頭がどのだったとしても、あなたのその姿にたくさんの援が送られるだろう。
ステイゴールド、もうもがあなたのことを、さずにいられない。

ヒーロー列伝No.49

ステイゴールド(英:Stay gold、中:黄金旅程)とは、1994年まれの日本の元競走馬・種である。

名の由来はスティーヴィー・ワンダーの楽曲から。香港での名表記は『黄金旅程』。
競馬ファンからは名を略して『ステイ』『ステゴ』とあだ名されることが多い。

概要

サンデーサイレンスゴールデンサッシュ、ディクタス1994年3月24日北海道老町のファームに生まれる。

な勝ちは、阿寒湖特別900万下、1997年)、目黒記念GII2000年)、ドバイシーマクラシックGII2001年)、香港ヴァーズ(GI、2001年)。ことに阿寒湖特別900万下)で三勝を挙げた後、目黒記念勝利するまで約2年8カ28レースって連敗を重ねたが、その内重賞26競走中2着10回掲示板内22回、GI競走12回で2着4回掲示板内8回という成績を上げた。

以後、日経新春杯GII2001年)、ドバイシーマC(G2、2001年)で勝利し、50にして引退レースとなった香港ヴァーズG12001年)でついにG1勝利を飾った。生涯成績50戦7勝。特に、G1出走回数20、重賞連続出走回数36はナイスネイチャを抑えて第一位である。獲得賞推計10億3909万円(7億6299万3000円+120万USドル+800万香港ドル)。

入りした後、産駒からはドリームジャーニーナカヤマフェスタオルフェーヴルゴールドシップレッドリヴェールオジュウチョウサンなどを輩出した。

2015年2月5日、大動脈破裂により死亡

現役時代

現役時代①善戦マンと呼ばないで(1996~1998年)

96年、旧3歳(現2歳)12月デビュー。2戦膜炎を発症した影で出世が遅れ、6戦の4歳(現3歳)5月にようやく初勝利を挙げる。ちなみに3戦には右回り京都コースで左に旋回し落競走中止、調教再審という暴れっぷりを見せつけている。

を現したのは4歳のから。初勝利に続いてすいれん賞(4歳500万下)を勝利。さらに1戦を挟んだ阿寒湖特別(900万下←ここ重要)を勝つ。ただ恐らく、ここから2年以上も勝利がないとはだれも思っていなかっただろう。

にもにも、この勝利で弾みをつけ、上がりの一としてクラシック最後の一冠・菊花賞戦線に挑む。トライアルGⅡ京都新聞杯では4着と好走、優先出走権は逃すも営や好みのファンに期待を抱かせる。 が、格上挑戦で出走した本番では、マチカネフクキタルの8着といいところなく敗れた。その後は97から98にかけて自己条件と格上挑戦で4戦し、4戦連続2着。この4戦の中にGⅢダイヤモンドステークスでの2着があったため、本賞が加算され晴れオープンとなる。その後、GⅡ日経賞での4着を経て、ステイゴールドは本格的に古G1路線へと駒を進める。

天皇賞(春)では、クラシック冠で終えていた大器メジロブライトが遂に戴冠。メジロライアンが果たせなかった天皇賞制覇を成し遂げる。ステイゴールドはその陰で2着。

グランプリ・宝塚記念では本格化した稀代の快速サイレンススズカ優勝悪や急な乗り替わりに苦しみながらも、この年の緒戦から続く連勝街道G1勝利という大輪のを添えた。ステイゴールドはその陰で2着。何気に覚醒したススズの影を踏めた一のであったりする(ただしこの時はいつもの逃げスタイルではなく騎手が変わっており「引き付ける競馬」をしていたのだが)。また、この2着は前年度代表エアグルーヴに先着する2着であり、総合的には大善戦であった。

天皇賞(秋)では絶対的な存在であったサイレンススズカレース中にまさかの故障発生、帰らぬとなる。
静まり返った会場に僅かな悲鳴と怒号が聞こえる中、伏兵の8歳(現7歳)オフサイドトラップが後味の悪い勝利を手にする。ステイゴールドはその陰で2着。

G1レースを3戦連続2着である。特に大本命事故で消えた天皇賞(秋)は、言い方は悪いがG1を勝つまたとないチャンスだった。これをみすみす逃したことで、競馬ファンのステイゴールドに対する評価はほぼ決まってしまう。惜しいところまで行くが詰めが甘い善戦マンナイスネイチャロイスアンドロイスの系譜に連なるネタである。「名前はゴールドなのにシルバーコレクター」、「ゴールドの前でステイ」などと揶揄されながらもネット住民から、並みの小柄な体が可らしいと女性ファンから、大レースでかなりの割合で馬券に絡んだ馬券師からと、幅広い層に人気を博し始めた。

その後ジャパンカップでは10着と掲示板を外すも暮れのグランプリ・有馬記念では3着に入りシーズンを締めくくる。GⅠでの好走が立つも自己条件戦も含め勝利かった。これに「勝ちいがこの結果。やはりは有る」と翌年の飛躍に期待する者もいる一方で有馬で3着・・・やはりナイスネイチャ!?と別の意味で今後の活躍に思いを馳せる者もいたとか何とか。なお、G1レースで他のたちが重賞を勝ちあがってくる中、ステイゴールドはひたすら「な勝ち阿寒湖特別(900万下)」だったことから、「アカン子」と掛けて「」「阿寒湖特別」とあだ名がついている。

現役時代②ねんがんの じゅうしょうタイトルを てにいれたぞ!(1999~2000年)

明けて99年。旧6歳となったステイゴールドは緒戦の京都記念こそ着外となるも、ステップレースの日経賞天皇賞(春)では掲示板に復帰。その後は金鯱賞、鳴尾記念(当時は初開催のG2)、宝塚記念3戦連続3着。ファンは惜しいレースにやきもきし、複勝馬券師は懐を温め、馬連馬券師は「どうして3着にこだわるんですか?2着では駄なんですか!?」と憤慨し(この年の宝塚で2着はキツいって)、ネット住民はネタ的な意味で予想をはるかえるポテンシャルに身震いした。

京都大賞典を経て挑んだ天皇賞(秋)ではレコード更新する勢いで末脚を発揮する強い競馬を見せるも、更に0.1速く駆けたスペシャルウィークを前にクビ差む。なおステゴはこの時12番人気で2着という走であり、スペ様は自身が勝ったレースで3度馬連万馬券を製造した。その後JC有馬記念掲示板外に敗戦。結局、99年シーズンも前年に続き惜しいところで勝ちを上げることはできずに終わった。

2000年にはステイゴールドも7歳(現6歳)。人間で言えばアラサーに当たる世代に突入していた。同期の多くはターフを去り、彼自身も残された時間は少なかった。この年もAJCC2着、京都記念3着、日経賞2着、天皇賞(春)4着と惜敗を繰り返し、「もうステイは勝てないままなの? 重賞は取れないの?」「でもそれはそれで美味しい気がする」・・・そんなも囁かれだした中、営は苦渋の選択を行う。騎手の交代である。宝塚記念へのステップ・GⅡ目黒記念に挑むにあたり、これまでの戦だった熊沢重文から、トップジョッキー武豊へ乗り替わりを決断した。

武はこれまでの戦であった熊沢を慮って複雑な心であったが、レースでは見事起用に応えてみせる。
の降りしきる重馬場の中を後方待機で進むと、最後の直線で良血マチカネキンノホシを捉えて、そのまま突き放す。そのまま引き離すこと1と1/4身。ファンはついに、ステイゴールドが重賞で先頭に立ってゴールする間を撃したのだった。

レース数にして実に29戦、時間にして約2年と8カぶりの勝利であり、サンデーサイレンス産駒重賞100でもあった。このレースまではGⅠの複勝圏内に6回入っていたが、新聞に表記されていたのはずっとな勝ち:阿寒湖特別(900万下)」だった。この勝利に会場となった東京競馬場では土曜開催にも関わらずG1並みの拍手と歓が巻き起こり、レースを中継していた中京競馬場でも拍手を送る者が絶えなかったという。

この人気に押されてか、JRAでも冒頭の文章が入ったポスター製作された。だが、このポスターNo.49だったわけで、これが果たして翌年のNo.50として作られていたらどのような文書が書かれていたのだろうか。またこの年、JRAが開催した「Dream Horses 2000」において、GI競走未勝利ながらファン投票34位に入っている。[1]

しかし宝塚記念以降はこれまでと打って変わって上がコロコロ変更された影もあってか不振に陥り、この年はGⅠで馬券に絡むことが出来ずに終わる。

現役時代③~そして伝説へ~(2001年)

世紀は変わり2001年。前年の重賞制覇に気を良くしてか、ステイゴールドはこの年も現役を続けていた。

年齢表記は7歳で変わらず。JRAの制度革の一環として、齢を従来の数えから満表記に変更したため、2年の「7歳シーズン」になったのである。これで1歳若返った気にでもなったのか、ステイゴールドは初戦のGⅡ日経新春杯藤田伸二の手綱で勝利し重賞2勝を挙げる。

そして勢いに乗って海外に遠征。ドバイシーマクラシックへの参戦を決定した。一応、突拍子のない話ではなく、トゥザヴィクトリーのドバイ挑戦の現地での調教併せとしての話もあったので「それなら一緒に」と考えた結果である。

ドバイワールドカップサポートレースであるドバイSCは当時の格付けではGⅡながら、高い賞もあってか欧州の強も参戦。翌年にはGIに昇格している。この中で前年のドバイSCで英ダービー凱旋門賞を下しレコード勝利を上げたファンタスティックライトが連覇を狙ってこの年も出走したのは、特筆すべきことであろう。

当のファンタスティックライト調子が今一つだったものの、それ以上にステイゴールドは遠征による疲労のためただでさえ小柄な体が更に痩せ細ってしまっていたため「せめて事で帰ってきてくれ」とまで心配され、苦戦が予想されると同時に、もしかししてステゴなら2、3着に入って笑いをとるのではと期待されたが、掲示板や2着どころか、凄まじい猛追を見せてファンタスティックライトを捉え、ハナ差で下す大金星を挙げる。なお、ファンタスティックライトはこの年、欧州の年度代表アメリカの芝のチャンピオンにも選出されているくらいのである。

またこれは、日本調教に限ればサンデーサイレンス産駒、初の海外重賞制覇である。なお、日本調教の、と前置きをつけたのは、1999年日本産でフランス調教サンデーピクニックが当時のGⅢレオパトル賞を勝利していたからである。この快挙を、海外に輸出されたに先んじられるあたりもステゴらしいといえばらしい。SS産駒に限らず、日本産の日本調教に広げても、ハクチカラフジヤマケンザンに続く3頭の偉業であった。

これが現役最後の年。このままの勢いでGⅠも制覇を、と期待が高まったが、内復帰初戦の宝塚記念では4着。GⅡ京都大賞典では『あの』テイエムオペラオーから1位入線を奪うも、直線で例の左にヨレる癖を出して斜行し進路を妨していたため、審議の結果失格となる。この際に接触したナリタトップロード渡辺騎手は落トップロードもハ行を発症して天皇賞を回避するという後味の悪いレースとなった。
本番の天皇賞(秋)でも再び左に行きたがった影で惨敗。ジャパンカップでは左への斜行癖対策を重点的に行い、まっすぐ走らせることには成功したが4着に終わった。

引退レース

50の節にしてラストランとなったのは、GⅠ香港ヴァーズ。ここで遂に悲願のGⅠ制覇へ到達する。
左のヨレ癖が直ったと思っていたら右にヨれ内ラチにぶつかったという。最後までネタに事欠かないである。
日本産の日本調教による初めての海外GⅠ制覇という快挙である。最、善戦マンどころか21世紀最初の名である。その上、その年(2001年)の香港際競争は4レース中3レース日本調教が制覇。当時実況に対応していなかった2ちゃんねる競馬鯖落ちする事態となった。なお、このレースでの中文表記が「黄金旅程」であったことが彼の第二の異名となったのは論、彼の産駒の命名にまで影することとなる。

その香港ヴァーズ動画競馬タグの最古投稿動画である。あえてそのレースの内容についてはらない。是非とも動画上でその雄姿に触れてほしい。

引退

海外重賞2勝の戦績が評価され、2001年JRA特別賞を受賞。これを手土産引退、繁殖入りする。生涯成績50戦7勝。

メジロブライト悲願の戴冠、最速の逃げサイレンススズカの栄と最期、世界飛翔するエルコンドルパサーの雄姿、怪物グラスワンダーの復活とスペシャルウィークとの死闘、世紀末を制したテイエムオペラオーの凱歌とメイショウドトウの逆襲、解放後初の外天皇賞アグネスデジタル、新世紀最初のダービージャングルポケットJC制覇――。ステイゴールドの現役生活は、多くの名たちが紡ぎだす伝説と共にあった。そして最後は自らも伝説を残して去っていく。その蹄跡の一つ一つが、名前の通り色褪せぬ色であった。

当初、引退式は予定されていなかったが、ファンの嘆願とJRAの要請により急遽開催が決定。名の由来となった名曲を背にターフを去った。エルコンドルパサーが何か言いたげだ。

この見事な大団円をもって、黄金旅程の第一幕は幕切れとなる。

引退後~それから~

海外重賞2勝とサンデーサイレンス産駒としての看を引っ提げ、種として彼のの第二幕は上がる。種としては最初こそ期待されていなかったものの、香港ヴァーズでの勝利を機に人気急上昇。産駒として、ソリッドプラチナムが重賞初勝利を上げ、ドリームジャーニー朝日杯フューチュリティステークスでGI初勝利を挙げると、彼の種としての評価は定着。以後、三冠馬オルフェーヴル、GⅠ6勝のゴールドシップなどGⅠ勝利、重賞勝利を数多く輩出。種付け料もディープインパクトに次いで、キングカメハメハと並ぶまでに至り、サンデーサイレンス系の後継種の一頭として地位を確立した。産駒もやっぱり癖ばかりだなぁ…。

こうしてきに満ちた程を歩んでいた彼であったが、その終焉は突如訪れる。2015年2月5日午後に種付けをした後様子が一変。苫小牧市の社台ホースクリニックで診察を受け一度は房に戻ったものの、その後容態が急変し、ついに永遠の眠りに就いた。21歳。死因は大動脈破裂であった。一般的な競走馬寿命25歳前後)よりも数年く、半ばにして第二幕は閉じることとなった。

しかし、死後も天才オジュウチョウサンが障獲得賞記録とJRA重賞連勝記録を塗り替えたり、中長距離産駒が多い中インディチャンプマイラーとして活躍し、マイルGI連覇を達成したりするなど、まだまだ産駒は話題に事欠かない活躍をする。

また、彼の系統はオルフェーヴルドリームジャーニー兄弟ナカヤマフェスタゴールドシップフェノーメノなどすでに多くの後継者に恵まれており、さらには孫世代もラッキーライラックエポカドーロなどの活躍が輩出されつつある。これからは彼らが、さらなる路を拓いていく。すでに上がった路の第三幕も暫く色褪せることはなさそうである。

その他

血統の特徴

言わずと知れた大種サンデーサイレンスマイルCSなどを制した「弾丸シュートサッカーボーイの全ゴールデンサッシュ、は日でGⅠを輩出したディクタスという良血からスピードを、からスタミナとパワーを、両者から旺盛な闘争心を受け継ぐことを期待できる血統であった。結果としてそれらは現役生活で明されることになる。

肉体面

ステイゴールドはサラブレッド均体重からするとかなり小さく、4歳日経杯の時点ですら408kg、最も重い時でも436kgだった。身体が出来上がったのが6歳後半ではないかとか、体つきがのようだと言われたこともある。一方、両親から受け継いだ身体には中々のものがあり、後ろ足二本のみで立ち上がってもフラつかない、小柄な体格にもかかわらず、調教時に体重60kg(レース時の騎手は大体50kg台、場合によっては40kg台)の人間が乗っても走ってのけたなど、の高さを示す逸話もある。

こと、に関しては凄まじいものがあり、勝ったドバイ香港ヴァーズでは強追い込みを見せてハナ差でしきっている。

ただ、このに関してはそれ以上に頑健さが特筆される。他のSS産駒の中には、フジキセキサイレンススズカアグネスタキオンといった、高速の足を持ちつつも、遂に走れなくなってしまったも散見される。一方、ステイゴールドは特段の休養もないまま6年50戦という長きにわたる戦いでも大きな怪もなく、しかもその上で掲示板に入って賞を獲得し続けてきた。これは、SS産駒は論のこと、競馬界全体を見ても極めてまれなことである。

更に、この点に関しては、自身の産駒にも引き継がれており、頑健な身体は強なバネと合わせて彼らの強武器となっていった。

精神面

彼は両親から素晴らしい体を受け継いだ。但し、ステイゴールドはそれ以外のものも受け継いでしまった。

サンデーサイレンスは凄まじく荒い気性の持ちであり、その産駒もまた、優れたを発揮すると同時に、気性のしさが大きな特徴である。ディクタス産駒もこの点においては人後に落ちず、サッカーボーイはその代表格である。そんなわけで、この配合から生まれたステイゴールドは、SS産駒の中でも、気性難が予想されていた。

その予想にたがうことなく、幼いころは大人しかったステイゴールドも、人を乗せて調教し始めると気性の粗さを現していく。他に乗りかかろうとするは、あまつさえ噛みつきにも行く。人にも噛みつき、厩舎の中でも油断すると蹴りが飛んでくる。房の前を通っただけで突進して威嚇する。走行中はやたらと左にヨレるは、今度は右に行くは、終には上の熊沢重文を振り落とすetc…とにかく気性面では問題点が目白押しだった。

ことに、ヨレ癖は生涯決して直らなかった。京都大賞典では左ヨレの癖があったので、営が必死調教と左を隠すと言う合わせ技で、ついにしたと思ったら、引退レースでは右にヨレながら入線すると言う何とも言えないことになっている。

ステイゴールドを管理する池江泰郎調教師の下で調教助手をしていた池江泰寿(後に調教師となりステゴの代表産駒ドリームジャーニーオルフェーヴルを管理する)にコイツやったら食うんじゃね?」と言わしめ、そのいとこでステイゴールドの担当厩務員だった山元重治氏を「とにかく自分が一番エラいと思ってる。自分の中のマイルールを絶対曲げようとしない(笑)とあきれさせた。下級条件時代、後にコンビを組む武豊の初騎乗時には、武豊競馬に集中できていない」とまで言われてしまった。とにかく独尊を地で行く俺様っぷりだったそうな。

厩務員の山元氏は一方で、「(面倒は面倒だけど)猛ではない」といい、熊沢も「何がOK、何がNGということをはっきり表現しているだから、それがわかってしまえばかえって扱いやすい」ともる。要するに、ステイゴールド自身の中ではしっかりとしたルールがあって、ただ意味もなく暴れるということはなかった。その意味では「賢い」であったとも言える。

因みに、この「賢さ」と「気性難」は程度や種類の違いはあれど、かなりの確率で産駒に受け継がれている。

余談~善戦マン達のちょっとした言い訳~

――は確かにある。レースでも好走はする。だが、なぜか勝てない。人はそんな詰めの甘いたちが勝ちきれない訳を、勝負根性の四文字だけで説明しがちである。後一歩で勝ちきれないのは、根性が足りないから。闘争心が不足しているからだ、と。 ステイゴールドにもそんな評価が下されたこともある。

だがその通説には疑問が残る。

々は『勝負根性』という便利な言葉で、不可解な敗因を分かった気になっているだけではないだろうか。走の個性は千差万別で、その勝因も敗因も、十人(十?)十色であることを忘れていないだろうか。果たして、たった四文字の言葉で惜敗を重ねるたちの敗因を説明していいのだろうか。

例として、一頭のを挙げさせてもらいたい。ビワハヤヒデ三冠馬ナリタブライアンの半で、自身もG1レース3勝を誇る名である。だが、彼を評する言葉の中に、ある不名誉な言葉がある。

顔がデカイ勝負根性不足である。

なるほど朝日杯、皐月賞ダービーG1レースで2着惜敗を繰り返したビワハヤヒデは、確かに一見して
勝負根性が欠けて見える。だが、彼を預かった浜田調教師は後年、競馬雑誌『サラブレ』の取材にこう答えている。

『ビワには勝負根性は十分にあった。だから何度も2着に食い下がれた。
あいつに本当に欠けていたのはだった――』

ビワハヤヒデは先行抜けだしの、いわゆる横綱相撲と呼ばれる競馬を得意とする。抜かれまいとする逃げをねじ伏せ、抜こうとする差しを封じ込めるための勝負根性がければ決して務まらない戦法である。そんなスタイルを貫くビワハヤヒデが根性しな訳はい。

逆にビワハヤヒデを負かしたたちはトニービン産駒のウイニングチケットに追込ナリタタイシン、そして全身是バネ也ともいうべきトウカイテイオーと、恵まれタイプが多い。ビワハヤヒデ営が敗因を不足と捉えるのも、自然な発想だろう。事実日本ダービーの敗戦後は放牧を拒み猛特訓を積んでこの弱点を補強し、菊花賞を勝ち取っている。

話をステイゴールドを戻す。彼の場合はビワハヤヒデとは逆に、に秀でたタイプ競走馬だ。それだけに勝負根性の不足という論は、あるいはより説得を持ってしまうかもしれない。しかし、彼の血統を見れば、ノーザンテーストディクタスサンデーサイレンス・・・・・・。いずれも大舞台でこそよりけるを送り出してきた時代のトップサイアー達である。彼らの血の結晶であるステイゴールドが、果たして本当に勝負根性に欠けるなのだろうか。

前稿での解説した通り、ステイゴールドの最大の弱点は気性からくる斜行癖だった。このために最大の武器であるはその発揮が遅れ、本領がに見えるころには先頭ゴールしている。それこそが彼を苦しめていたの欠点ではないだろうか。考えれば、果たして闘争心に欠ける末脚だけのがあのエアグルーヴを抜きサイレンススズカをクビ差まで追い詰める、スペシャルウィークに0.1差の勝負を強いることが出来るだろうか。失格になったとはいえ、接触事故の起こったレーステイエムオペラオーに先んじることが出来るだろうか。

ステイゴールドの代表産駒オルフェーヴルは、不良馬場日本ダービーで他のに挟まれる不利を受けながらも、怯まず果敢に走り2冠を手にした。その快な末脚のみならず、旺盛な闘争心もまたステイゴールドから受け継いだものであると、私は信じたい。

まあ、勝負根性を競馬へのやる気と言い替えたら、明らかに足りてなかったかもしれないけど。
左に行きたがる癖は、騎手が追えなくなって楽できるようになると思ってたからって言うし。
というか、産駒の活躍を考えたら、現役時代本気を出さず楽しようとし続けていたのでは?

賞金について

ステイゴールドが獲得した賞海外でのレース含めて10億3909万円と推定されており、歴代17位となっている(為替レートの関係でおおよその計算である)。ちなみにナリタブライアンは18位の10億2691万円(ボーナス含む)、スペシャルウィークは13位の10億9262万円、オグリキャップは9億1251万円である。物価の変動ということを加味しても名に並ぶ稼ぎ頭であったことは間違いない。

ここで競馬にあまり詳しくない人から見たら1着が少ないのにここまで稼げるのはおかしいと思うかもしれない。しかし、日本競馬においては入着すれば(5着まで入っていれば)賞が貰えるシステムであり、貰える賞を1着を100としたら2着40、3着25、4着15、5着10となる。50戦という他のGI勝利較するとかに長い戦いの中でひたすらに善戦を続け、掲示板から外れることの方が少なかったステイゴールドは他の名べたら遅いものの着実に賞を積み上げ続けた、「も積もれば山となる」を体現した存在であると言える。

加えて、実動期間6年で大きな休養もケガもないという、まさに「『事是名』を地に行くような、素晴らしい(池江泰寿氏評)」であった。

競走成績

日付 レース 格付 開催競馬場
・地域名)
距離 m 馬場 頭数 騎手 着順
50 2001/12/16 香港ヴァーズ GI 沙田
香港
2000 14 武豊 1
49 2001/11/25 ジャパンカップ GI 東京 2400 15 武豊 4
48 2001/10/18 天皇賞(秋) GI 東京 2000 13 武豊 7
47 2001/10/07 京都大賞典 GII 京都 2400 7 後藤浩輝 失格
46 2001/06/24 宝塚記念 GI 阪神 2200 12 後藤浩輝 4
45 2001/03/24 バイシーマC GII ナド・アルシバ
アラブ首)
2400 16 武豊 1
44 2001/01/14 日経新春杯 GII 京都 2400 11 藤田伸二 1
43 2000/12/24 有馬記念 GI 中山 2500 16 後藤浩輝 7
42 2000/11/26 ジャパンカップ GI 東京 2400 16 後藤浩紀 8
41 2000/10/29 天皇賞(秋) GI 東京 2000 16 武豊 7
40 2000/09/24 産経オールカマー GII 中山 2200 9 後藤浩輝 5
39 2000/06/25 宝塚記念 GI 阪神 2200 11 安藤勝己 4
38 2000/05/20 目黒記念 GII 東京 2500 15 武豊 1
37 2000/04/30 天皇賞(春) GI 東京 3200 12 熊沢重文 4
36 2000/03/26 日経賞 GII 中山 2500 10 熊沢重文 2
35 2000/02/20 京都記念 GII 京都 2200 11 熊沢重文 4
34 2000/01/23 アメリカジョッキーC GII 中山 2200 14 熊沢重文 2
33 1999/12/26 有馬記念 GI 中山 2500 14 熊沢重文 10
32 1999/11/28 ジャパンカップ GI 東京 2400 14 熊沢重文 6
31 1999/10/31 天皇賞(秋) GI 東京 2000 17 熊沢重文 2
30 1999/10/10 京都大賞典 GII 京都 2400 10 熊沢重文 6
29 1999/07/11 宝塚記念 GI 阪神 2200 12 熊沢重文 3
28 1999/06/20 成尾記念 GII 阪神 2000 10 熊沢重文 6
27 1999/05/29 金鯱賞 GII 2000 15 熊沢重文 3
26 1999/05/02 天皇賞(春) GI 京都 3200 10 熊沢重文 5
25 1999/03/28 日経賞 GII 中山 2500 13 熊沢重文 3
24 1999/02/14 京都記念 GII 京都 2200 16 熊沢重文 7
23 1998/12/27 有馬記念 GI 中山 2500 16 熊沢重文 3
22 1998/11/29 ジャパンカップ GI 東京 2400 15 熊沢重文 10
21 1998/11/01 天皇賞(秋) GI 東京 2000 12 蛯名正義 2
20 1998/10/11 京都大賞典 GII 京都 2400 7 熊沢重文 4
19 1998/07/12 宝塚記念 GI 阪神 2200 13 熊沢重文 2
18 1998/06/13 目黒記念 GII 東京 2500 13 熊沢重文 3
17 1998/05/03 天皇賞(春) GI 京都 2000 14 熊沢重文 2
16 1998/03/29 日経賞 GII 中山 2500 12 熊沢重文 4
15 1998/02/21 ダイヤモンドS GIII 東京 3200 16 熊沢重文 2
14 1998/02/28 籟S 1600万下 京都 2400 16 熊沢重文 2
13 1998/01/17 万葉S OP 京都 3000 14 熊沢重文 2
12 1997/11/30 ゴールデンホイップT 1600万下 阪神 2000 13 武豊 2
11 1997/11/02 菊花賞 GI 京都 3000 18 熊沢重文 8
10 1997/10/12 京都新聞杯 GII 京都 2200 12 熊沢重文 4
9 1997/09/06 阿寒湖特別 900万下 札幌 2000 14 熊沢重文 1
8 1997/06/29 やまゆりS 900万下 阪神 2000 13 熊沢重文 4
7 1997/06/07 すいれん賞 500万下 2500 10 熊沢重文 1
6 1997/05/11 4歳未勝利 東京 2400 18 熊沢重文 1
5 1997/04/19 4歳未勝利 京都 2400 18 熊沢重文 2
4 1997/03/22 4歳未勝利 阪神 2000 13 熊沢重文 2
3 1997/02/15 4歳未勝利 京都 1800 12 熊沢重文
2 1996/12/21 3歳新 阪神 2000 16 ペリエ 16
1 1996/12/01 3歳新 阪神 2000 14 ペリエ 3

合計

1着 2着 3着 4着 5着 6着以下 失格 中止 合計
G1 1 4 2 4 1 7 1 20
重賞 4 7 7 7 2 10 1 38
総計 7 12 8 8 2 11 1 1 50

その他

血統表

*サンデーサイレンス
1986 鹿
Halo
1969 鹿
Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Cosmah Cosmic Bomb
Almahmoud
Wishing Well
1975 鹿
Understanding Promised Land
Pretty Ways
Mountain Flower Montparnasse
Edelweiss
ゴールデンサッシュ
1988 
FNo.1-t
*ディクタス
1967 
Sanctus Fine Top
Sanelta
Dronic Worden
Dulzetta
ダイナサッシュ
1979 鹿
*ノーザンテースト Northern Dancer
Lady Victoria
*ロイヤルサッシュ Princely Gift
Sash of Honour

主な産駒

ステイゴールド産駒の記事を参照

ステイゴールドの受胎率は高く、そのため、他の種で受胎しなかったがやってくる場合もあった。産駒は、ステイゴールドの特徴であった、体のバネによる、頑健な体、競走馬としての賢さ、そして気性難を概ね引き継いでいる。

なお、サンデーサイレンスの「親友」と評されたメジロマックイーン産駒のとの配合が「配合」として注された。→ステマ配合

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関連項目・リンク

脚注

  1. *他に投票時点でG1勝利ナイスネイチャ(第71位)とツインターボ(第91位)及び1984年G1昇格した朝日杯3歳ステークスをそれ以前はG2と見做せば、マルゼンスキー(第32位)だけである。
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掲示板

  • 251ななしのよっしん

    2021/05/13(木) 12:58:48 ID: R3/oYZo5L3

    競馬興味持ち始めたばっかでほぼ無知に等しいんだけど
    というか、競走馬が子孫残すのってそんなにハードル高いのか

  • 252ななしのよっしん

    2021/05/13(木) 18:09:28 ID: evuDSpk6KX

    ・まず現役時代にG1制覇とか実績を積まないと売れない
    ・種入りして最初に立ちはだかるライバルは、大抵の場合未だ健在の親父
    ・同じ種から生まれた近親とは数世代けないと交配できない(血統の飽和)
    ・需要があっても生殖の保はない。床下手や受胎率の低さから見放されることも多い
    ・初年度の産駒がデビューするのにまず3年、そいつらが実績出すまではみんな様子見する。牧場が経営難だと詰む
    狭き門よ

  • 253ななしのよっしん

    2021/05/14(金) 02:59:17 ID: F1tM9SrDPn

    子孫残したところでそいつらが走らなかったら詰みだけどな
    ゴルシオルフェ子供たちには頑って欲しいけどなかなか苦戦してるわ

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最終更新:2021/05/14(金) 03:00

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