スプーン(MotoGP)とは、MotoGPのバイクのスイングアームに取り付けられる部品のことである。
水よけ、リアタイヤの冷却、リアタイヤを上から下へ押しつける空力作用、など様々な効果がある。
2019年3月に、ドゥカティワークスがスプーンを取り付けて、大騒動に発展した。
2018年11月16~18日にバレンシアGPが行われた。3日間通じて雨が降って路面が水浸しになり、走行するマシンが水しぶきを上げていた。
MotoGPでは、雨が降ると溝の入ったレインタイヤを履いて上手に排水し、ハイドロプレーニング現象(水の膜がタイヤと路面の間に生じてタイヤが滑る現象)を防ぐのだが、あまりに水量が多くなると溝付きレインタイヤでも排水できなくなる。
そこでヤマハワークスは、スイングアーム(バイクのフレームに取り付ける板。スイングアームの後端にリアタイヤが付く。バイクのフレームの一部と考えておけばよい)に、スプーンと呼ばれる部品を付けて、リアタイヤへ流れ込む水の量を減らそうとした。画像1、画像2
ヤマハのスプーンが機能している動画はこちら。前からやってくる水を上手く左右に弾き、リアタイヤの水量を減らしている。
ちなみにその動画では、レプソルホンダやドゥカティワークスの工夫も写っている。その2メーカーはカウルの形状を変え、カウルで水よけしている。
2018年バレンシアGPにおけるヤマハワークスのスプーンを見たアプリリアワークスの技術者が、「あれと同じもので、リアタイヤを上から下へ押さえつけるダウンフォースが得られる」と考えた。ヤマハのスプーンと同じような、スイングアーム取付型の空力パーツとして、2019年2月に申請した。
ところが、ドルナのテクニカルディレクターであるダニー・アルドリッジに申請を却下されてしまう。
「スイングアームに部品を取り付けてよいのは、雨のレースの時だけだ」というのが、2月19日にダニー・アルドリッジから返ってきた答えだった。
ダニー・アルドリッジに申請を却下されたアプリリアワークスは、スイングアーム取付型空力パーツの開発を中止することにした。
※この項の情報源はこの記事。
2019年2月23~25日にロサイル・インターナショナルサーキットでカタールテストが行われた。そのとき雨など全く降っていなかったが、ドゥカティワークスはスプーンを付けていた。
当時の記事を見ると、スプーンの画像がある。1日目の記事と、2日目の記事にドゥカティのスプーンが写っている。3日目の記事にはドゥカティ・スプーンが写っていない。
サイモン・パターソンという英国の名物記者が、ドゥカティ・スプーンの写真を撮っている。
これを見たアプリリアワークスの人たちの心境はどうだっただろうか。自分たちがスプーンを申請したら却下したのに、ドゥカティワークスがスプーンを申請したら許可したことは明白であった。
このとき、ダニロ・ペトルッチがドゥカティ・スプーンについて尋ねられていた。ダニロは体重が重いのだが口は軽く、「あれは小さな部品だが圧倒的な効果がある。あれはリアタイヤの冷却装置とドゥカティの首脳がイタリアのテレビ局に向かって言っているが、実はそうじゃないんだ。おっと、これ以上いうとジジ・ダッリーニャに怒られるから、黙っておくよ」とペラペラ喋っていた。
このあと、ダニロはジジ・ダッリーニャに「余計なことを言うんじゃない!」と激怒された。ジジ・ダッリーニャ自身が、この記事でそう語っている。
2019年3月1日までの競技規則は「雨のレースで水よけとして使う場合に限り、スプーンを使用できる」という競技規則だった。この記事で、そう報じられている。
2019年カタールGPの8日前の3月2日、競技規則が書き換えられ、「リアタイヤを冷却する目的なら、雨が降っていないレースでもスイングアームにパーツを取り付けてよい」という内容の規則になった。「この部品は空力パーツじゃないんです、リアタイヤ冷却用のパーツなんです」と言い張れば、晴れの日のレースでも堂々とスプーンを付けることができる。
3月2日に競技規則が書き換えられ各チームに通達が出たことを報じる記事はこちらとこちら。
2019年3月10日にカタールGP決勝が行われ、スプーンを付けたアンドレア・ドヴィツィオーゾが優勝した。
このときは雨が降っていなかったので、水よけの意味で付けたのではない。気温18度、路面温度19度という寒いコンディションで行われ、各ライダーがリアタイヤの冷えすぎに苦しんでいたので、「リアタイヤの冷却用としてスプーンを付けた」というドゥカティワークスの主張は、極めて疑わしく感じられた。
あのスプーンは、リアタイヤに上から下へのダウンフォースを与える空力パーツとして使用したのだろう。だとしたら規則違反だ。断固として抗議する!と4メーカーが合同で抗議を行った。抗議に参加したのはアプリリア、KTM、ホンダ、スズキである。ヤマハは2018年バレンシアGPでスプーンを使ったので、この抗議に参加しなかった。
抗議した先はスチュワードパネル。スチュワードパネルはFIMが組織していて、MotoGPの懲戒を担当している。詳しくは国際モーターサイクリズム連盟の記事を参考のこと。
しかし、スチュワードパネルにはその抗議が却下された。そのため4メーカーはMotoGP控訴裁判所に控訴した。MotoGP控訴裁判所はFIMのなかに設けられる裁判組織である。裁判官の人数は3人。
ちなみに、カタールGPの直前に、KTMワークスのマイク・レイトナー(チーム監督)とピット・ベイラー(人事を司るボス)はドゥカティに対して「スプーンを使ったらレース後に抗議する」と警告していた。この記事でそう語っている。
また、アプリリアワークスのマッシモ・リヴォラも、「スプーンを使ったらレース後に抗議する」とドゥカティに警告した、とこの記事で語っている。
スズキワークスのダヴィデ・ブリヴィオ監督も、「スプーンを使ったら抗議する」と警告した、とこの記事で報じられている。
こうした抗議行動の中心となったのはアプリリアワークスのマッシモ・リヴォラだった。この人はF1の世界で長年活躍していた人で、F1では「あのチームは規則違反をした!断固抗議する!」という抗議がしょっちゅう華やかに行われている。F1のやりかたがMotoGPに持ち込まれたというわけである。
FIMの裁判所で判決が出るのは3月26日(火曜日)ごろ、3月29~31日のアルゼンチンGPの直前とされていた。判決が出るまでの間、MotoGP関連メディアでは論戦となった。
アプリリアワークスに近いマックス・ビアッジは「開発コストの増大を避けるため、空力パーツに対する明確な規制をするべきだ」と主張した。
アプリリアワークスのマッシモ・リヴォラは「F1でも経験したが、空力パーツの開発競争は地雷原のようなものだ。金がかかってしょうがない」と言った。
スズキワークスのダヴィデ・ブリヴィオ監督は「2018年に、空力パーツの開発競争で参戦コストが増大するのを防ごうと合意しました。今回の件は、その合意に反しています」と語った。
KTMワークスのマイク・レイトナー監督は「空力パーツの開発競争の狂気は、終わらさねばならない。空力パーツは乱気流を生じさせ、後続のライダーの危険を高める。しかも、金がかかってしょうがない。風洞施設を使うのに、1日2万ユーロ(250万円)払わねばならない」と述べている。
ドゥカティも黙っておらず、反撃をした。舌戦の先頭に立ったのはジジ・ダッリーニャで、こういう政治的な駆け引きをするのが大好きな人である。
「規則を変えたいんならMSMA(メーカー代表が会合する組織)で議論するべきだ、抗議で規則を変えることはできない」
「抗議で自分の気に入らない運営の判断を変えることをすると、自分の気に入らない保安官を殺害する開拓時代のアメリカ西部のようになってしまう危険性がある」
と激しい口調で猛反発していた。さらにはホンダの2019年版空力パーツのことを指し、こう言った。
「あれは風を受けると変形している。規則で禁止されている可変・空力パーツと扱われてもおかしくない。我々はホンダの空力パーツについて抗議を起こすかも知れない」
有力サイトのMotorsport.comはF1の空力専門家を招き、ドゥカティ・スプーンについての見解を尋ねた。
呼ばれたのはトニ・クケレラという人で、日本語版のこの記事で、ドゥカティ・スプーンは間違いなく空力パーツだと語っている。
その記事で注目すべきなのは「スイングアームに直接固定されているために、その空気の流れはマシンの他のどの部分にも影響しないのだ」という文章である。これについて少し解説してみよう。
今までのMotoGPの空力パーツは、カウルに取り付けられていた。カウルというのはサスペンション(衝撃を吸収するためにバネなどで作られている部品)の上にあるので、空力パーツでカウルを上から下に押しつけてもサスペンションがその力を吸収してしまう。空力パーツが作り出す上から下へのダウンフォースが、サスペンションによって打ち消されてしまうのである。
ところが、スプーンはスイングアームに直接取り付けられている。スイングアームは直接リアタイヤを支える部品である。スプーンで得られる上から下へのダウンフォースは、サスペンションに邪魔されず、とても効果的にリアタイヤを地面に押しつけるのである。
こういうことを自動車・バイク業界の用語でいうと「カウルに付けた空力パーツは、バネ上にあるから効果がイマイチだ。スイングアームに付けた空力パーツはバネ下だから効果が高い」となる。バネ上、バネ下というのはよく出てくる業界用語である。
この記事でも「ドゥカティ・スプーンはバネ下なので効果が高い」と、アリ・ローランドローズというF1で活躍した空力専門家が語っている。
3月26日(火曜日)、スイス・ミーにあるFIM本部で裁判が行われ、ドゥカティ勝訴となった。
控訴裁判所の裁判官はAnand Sashidharan(インド人)、Lars Nilsson(スウェーデン人)、Sakari Vuorensola(フィンランド人)の3人だった。
この判決に不服がある場合、5日以内に、スイス・ローザンヌのスポーツ仲裁裁判所(CAS)に上告できる。
控訴裁判が終わった後のジジ・ダッリーニャはこう述べている。
「ドゥカティ・スプーンはリアタイヤを7度冷却する、冷却のための装置だ。ダウンフォースは300gしか働いておらず、ごく僅かな効果しかない」
2019年3月29~31日のアルゼンチンGPに合わせ、ホンダはドゥカティ・スプーンに酷似した部品を製作した。
ドゥカティ・スプーンが初めて世に現れたのがカタールテスト初日の2月23日。ドゥカティ・スプーンが話題になったのがカタールGPの3月10日。そのあたりから製作を始めたとすると、僅か3週間で部品を作ったことになる。ホンダの開発速度の速さには驚かされる。
さっそく、ホンダはドルナのテクニカルディレクターであるダニー・アルドリッジに申請した。
どうやらホンダは、「これは空力パーツです」と言ってダニー・アルドリッジに申請したらしい。そうしたら、ダニー・アルドリッジに却下されてしまった。
ホンダはいったん部屋を退出し、今度は「これはリアタイヤを冷却するパーツです」と申請したらしい。そうしたら、ダニー・アルドリッジが許可してくれた。
ギャグマンガ家でもなかなか思いつかない、面白い現象となった。
ホンダはさらっとMotoGP関連メディアに情報を流している。「ドゥカティ・スプーンに酷似した部品を作って風洞実験をしてみたら、ダウンフォースが4~6kgも発生した」と、この記事やこの記事でアルベルト・プーチ監督が語っている。数日前にジジ・ダッリーニャが語った数値の13~20倍の数値である。
本記事において、スイングアームに取り付けて様々な効果を生む部品のことをスプーンと読んでいる。ところが、英語記事においては別の名称がしばしば使われている。
2018年バレンシアGPでヤマハワークスがスプーンを付けたとき、MotoGP公式放送の字幕で「spray deflector」と表示されていた。sprayは「水しぶき」、deflectとは「そらす」という意味。
spoilとはスポイルと読み、「駄目にする」という意味。スポイルは日本語化されており、「悪い習慣でその学生はスポイルされ、成績が落ちた」といった具合に使われる。
spoilerは「駄目にするもの」という意味。
F1の世界では、空力パーツをspoilerと呼ぶ。画像検索すると、空力パーツの画像が多くヒットする。マシンが浮き上がる揚力を駄目にして、きちっとマシンを地面に押しつける装置という意味である。このF1の表現をMotoGPに持ち込んでいる。
spoilerを辞書で引くと「(映画やマンガなどの)ネタバレ」と出てくる。ネタバレをされると興味が一気に失せて、その作品を見ようという気持ちが駄目になってしまう。MotoGPの英語記事をGoogle Chromeで翻訳すると「ネタバレでアンドレア・ドヴィツィオーゾは失格になるところだった」という珍妙な訳になることがある。spoilerを「スイングアームに取り付ける部品」と訳すべきだが、ネタバレと誤訳してしまっている。
スポイルもスポイラーも、ニコニコ大百科にちゃんと記事がある。
2019年3月のスプーン騒動で、いろいろなものが駄目になった。特に、ドルナの信用は駄目になったと言っていいだろう。そういう意味で、スポイラーという表現を使うのはなかなか上手いと言える。
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最終更新:2024/04/25(木) 16:00
最終更新:2024/04/25(木) 16:00
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