スリーロールス(Three Rolls)とは、2006年生まれの日本の競走馬・種牡馬。鹿毛の牡馬。
2009年の菊花賞馬。馬主・厩舎・生産牧場・騎手など、多くの関係者に初の3歳クラシックタイトルをもたらした。
12戦4勝[4-1-0-7]
主な勝ち鞍
2009年:菊花賞(GI)
父ダンスインザダーク、母スリーローマン、母父*ブライアンズタイム。
父は1996年の菊花賞優勝・日本ダービー2着馬。種牡馬としては安田記念馬ツルマルボーイをはじめ幅広い距離に重賞産駒を生む柔軟性を発揮したが、やはり本領は長距離で、菊花賞父子制覇のザッツザプレンティ・同じく菊花賞父子制覇に豪メルボルンカップを制したデルタブルース・「家を建てやま」の個性派ファストタテヤマなど、多くのステイヤーを輩出した。本馬は父にとって3頭目の菊花賞父子制覇を達成する産駒である。
ブライアンズタイム産駒の母スリーローマンは現役時35戦4勝、祖母アコニットローマンは東京プリンセス賞勝ち馬。また母の半兄にオペラハット(東京王冠賞、1999年JDD2着)がいる。
生産は新ひだか町の武牧場。生産馬にはブルーショットガン、後年にはマイネルラクリマなどがいる。この牧場の創業者・武勇は、武邦彦騎手・調教師(武豊・武幸四郎兄弟の父)の従弟にあたる[1]。また、勇の兄の武宏平は調教師、弟の武永祥も騎手・調教師(その長男が騎手のち調教師としてメイケイエールなどを管理する武英智)という兄弟だった。
ところが、2003年に勇は自宅で何者かに殺害される(未解決事件)。武牧場の経営は勇の未亡人が引き継ぎ、その後に産まれたスリーロールスは勇の兄である武宏平調教師に託されることとなった。
その栗東・武宏平厩舎でスリーロールスを調教助手として担当したのは、後に調教師として独立しデアリングタクトなどを管理する杉山晴紀。杉山はスリーロールスの父ダンスインザダークの菊花賞優勝を観戦して感動し、馬に無縁な家のサッカー少年から競馬の世界に飛び込んだ、という不思議な縁があった。
馬主は「永井商事(株)」名義だが、その代表である永井啓弐氏はトヨタカローラ三重の経営者。地元の鈴鹿山脈から「スズカ」(スズカマンボ・スズカフェニックス等)、「三重県鈴鹿市⇒三鈴」から「ミスズ」(ミスズシャルダン等)「サンレイ」(サンレイポケット等)などの冠名を用い、特に悲劇の快速逃げ馬サイレンススズカの馬主として知られる。共同所有などで永井商事名義を用いる場合は「三重」から「スリー」の冠名を用い、母スリーローマンに続いて馬主となった。スリーロールスは、母の名に似せた上で自動車販売店社長という職業から、高級外車ロールス・ロイスに因んで名付けたものである。
デビュー以来多くの騎手が騎乗したが、毎日杯以降は浜中俊が主戦に定まった。彼にとっても初GI勝利のパートナーとなる。
2008年10月26日、京都競馬場の新馬戦(芝1800m)でデビュー。この日は菊花賞当日で(勝ち馬オウケンブルースリ)、京都競馬場には多くの有力騎手が集まっており、5Rの新馬戦にも有力騎手にデビュー戦を託された良血馬が集まった。1番人気は名牝ビワハイジの娘ブエナビスタ(安藤勝己)、2番人気に無敗の米三冠馬Seattle Slewと米GI2勝の*クラシッククラウンとの娘を母に持つリーチザクラウン(小牧太)、3番人気はダービー馬フサイチコンコルドの半弟で甥にもリンカーンやヴィクトリーがいるアンライバルド(岩田康誠)。
好位3番手から直線抜け出したアンライバルドが、差しを狙ったリーチザクラウンと後方から猛烈に追い込んだブエナビスタを抑えて勝利。……その後ろで、横山典弘騎乗のスリーロールスは8番人気からブエナビスタに1馬身半差の4着。
その後、アンライバルドは若駒S・スプリングSを勝ってクラシック一冠目皐月賞を制覇。リーチザクラウンはきさらぎ賞に勝って挑んだ皐月賞は13着大敗も、日本ダービーは2着連対。ブエナビスタに至っては2戦目以降は連戦連勝で、阪神JF・桜花賞・オークスとみるみる世代の代表に上り詰める。
これはすごい!いわゆる「伝説の新馬戦」のひとつに数えられるだろう……とは早くから言われていたのだが、まさかその伝説の中にスリーロールスも含まれてくるとは当初思われていなかったのである。結果的にブエナビスタが桜花賞・オークス二冠、アンライバルドが皐月賞、そしてスリーロールスが菊花賞と、1つの新馬戦から3頭の3歳クラシックホースが誕生という、日本競馬史上初の記録が生まれることになる。
また、5着のエーシンビートロンもダート戦線に転じて勝ち上がり佐賀・サマーチャンピオン(JpnIII)を制覇、新馬戦の掲示板内5頭全てが重賞馬に成長という、これも快挙が達成されている。
新馬戦で先着された3頭がそれぞれ順調にオープンクラスに戦場を移していく中、スリーロールスは3戦目の11月30日未勝利戦(京都芝1800m)で勝ち上がり。続いては2歳オープン・報知杯中京2歳Sに出走、3年前の勝ち馬はメイショウサムソン・2年前の勝ち馬はダイワスカーレットという注目の一戦だったが、中団から直線伸び切れず5着止まり。明けて3歳の2009年も、皐月賞・日本ダービーへの逆転出走を狙って出走した毎日杯(ここで以降の主戦浜中俊が初騎乗)で8着とはね返された。
まあ仕方ないさ、地道に自己条件からオープン入り目指して頑張ろうや、そういう立場のよくいる普通の条件馬だった。
天皇賞(春)の行われた5月3日、500万下戦を突破し(京都芝1800m)、夏場は休養に入った。
その間、主戦の浜中は8月の小倉開催にて落馬事故を起こしてしまう。馬混みにねじ込もうとした結果の自爆かつメイクデビューを任された新馬を競走中止にしてしまい、幸い人馬とも大した負傷はなかったものの、浜中は以降積極的な騎乗ができなくなっていた。この時、岩田康誠に心情を見透かされ「怖くてもじっと我慢すれば自然と前は開く、消極的に外に行くな!」とアドバイスを受けたという。
秋に復帰したスリーロールスは、9月26日の1000万下野分特別(阪神芝1800m)で道中2番手追走から直線抜け出し4馬身差の快勝。浜中はレース後に岩田から「それや!」と声を掛けられ、先輩からの助言に納得した。
1500万下(現在の3勝クラス)に昇級したスリーロールスは、中3週となる10月25日の菊花賞に登録。7分の6の抽選を突破して出走枠を得た。
……ここから菊花賞を勝つのだから立派な「夏の上がり馬」なのだが、予想の時点ではさして注目もされず、せいぜい父ダンスインザダークという血統と前走の勝ちっぷりから穴狙いされる程度の立場だった。その点、賞金ギリッギリで出走が危うかったが出られさえすれば勝つとの呼び声も高かったメジロマックイーンの例などとは状況が異なり、どちらかと言うと自己条件でスリーロールス以上に苦労し、同じく「主な勝ち鞍:野分特別」から菊花賞を10番人気で勝ったヒシミラクルの例の方が近いだろう。
この年の菊花賞だが、ダービー馬ロジユニヴァースは調整遅れで休み中。1番人気はダービー2着から最後の一冠奪取に燃えるリーチザクラウン(武豊)、皐月賞馬アンライバルド(岩田康誠)は3番人気と、新馬戦で敗れた2頭とGIの舞台で再び戦う機会が巡ってきた。その他神戸新聞杯勝ち馬イコピコ、セントライト記念を制したナカヤマフェスタらが上位人気に挙がり、スリーロールスもボーダー下限の立場ながら当日は8番人気(19.2倍)に評価された。
さてスリーロールスに騎乗する浜中俊だが、菊花賞当日は朝に栗東で師匠の坂口正大調教師の厩舎馬に稽古をつけ、それから京都競馬場に移動する段取りとなっていた。……が、寝坊して朝の調教に遅れるという失態をやらかす。坂口師から「君は騎手に向いていない。他の職業を探しなさい」と厳しい叱りを受け、何としても結果を残さねばと目を覚まして京都に赴いた。
最内1枠1番から好スタートを決めたスリーロールスは内目の4番手を確保して折り合い、経済コースで道中を進んだ。逃げを打ったのはリーチザクラウン、向正面では一時2番手と大差がついたが、3角の登り坂にかけて武豊は築いたリードを消費してひと息を入れ、4角の下り坂から再加速して逃げ切りを狙う。一方スリーロールスの浜中は、4角で後続が外から殺到する中で自分も外に馬を出そうと一瞬考えたが、岩田康誠の「(消極的に)外に行くな!」のアドバイスを思い出して内目で我慢し、直線でのイン突き勝負に出た。
直線残り200m、逃げるリーチザクラウンと追うヤマニンウイスカー、その間を割ってスリーロールスはヤマニンウイスカーをかわし2番手に浮上したが、直後に大きく外に膨れ、一瞬脚が鈍ってしまった。浜中の右ムチに過剰反応したとも、メインスタンド前のターフビジョンの映像に驚いたためとも言われる。浜中は懸命に左ムチで立て直し、あと100mがもたず失速を始めたリーチザクラウンを捉え先頭に立ちかける。
だがここで内から突っ込んできたのが、同じダンスインザダーク産駒にして女帝エアグルーヴの仔・フォゲッタブル(吉田隼人)。2頭ほぼ並んでゴール板を通過したが、ハナ差スリーロールスが凌ぎきった。直線スリーロールスがフラついたことで審議のランプが点灯したが、影響なくそのまま確定。
スリーロールスはGI初出走でクラシック制覇の大金星、新馬戦で敗れたアンライバルドとリーチザクラウンにもリベンジを果たした。鞍上の浜中俊は3年目・20歳10ヶ月の若さでGI初制覇をクラシックで挙げた。師匠の坂口正大師に電話で報告すると、朝には浜中を厳しく叱った師匠も「自分も初めては菊花賞だった[2]。不思議な縁だな」と我がことのように喜んでくれたという。
生産の武牧場にとってもGI級競走初勝利。また武宏平厩舎はこれまでメルシータカオー・メルシーエイタイム[3]で中山大障害制覇はあったものの、開業32年目にして平地GI初勝利。永井啓弐オーナーにとっても2007年高松宮記念のスズカフェニックス以来のGI勝利、そしてサイレンススズカ・ラスカルスズカ・スズカマンボらで届かずにいた3歳クラシック競走の初勝利と、初記録づくしの勝利となった。
次走は有馬記念。リーチザクラウン・アンライバルドも同じく出走し、そして何といっても1960年スターロツチ以来49年ぶりの3歳牝馬による有馬記念制覇を狙うブエナビスタも駒を進めていた。1つの新馬戦から4頭が翌年に3歳にして有馬記念で集結というだけでも快挙だが、もうスリーロールスは「期待の良血馬3頭の後塵を拝したモブ」ではなかった。クラシックホースにのし上がり、堂々とファン投票枠で選出(18位・25,407票で登録馬中の第10位)され、3頭と並んでグランプリに出走できるまでになっていたのである。
スタートからここでも逃げを打ったのはリーチザクラウン。アンライバルドとブエナビスタは並ぶように5・6番手、スリーロールスはその背後をマークした。ところが、残り1000m付近でスリーロールスは突如脚元に異変を生じて失速、競走中止。浜中は涙を流して引き上げた。
診断は左前浅屈腱不全断裂。年が明けてすぐ精密検査が行われたが、症状は重く引退の決断が下され、2010年1月6日に競走馬登録を抹消された。通算成績12戦4勝[4-1-0-7]。
調教助手の杉山はこの出来事を悔い、自らのメールアドレスにスリーロールスの名と有馬記念の日付を入れて後々まで忘れないようにしたという。
引退後はレックススタッドで種牡馬入りしたが、同じ父ダンスインザダークのツルマルボーイ(産駒48頭)やザッツザプレンティ(産駒61頭)と同様にほとんど牝馬は集まらず、僅か5年で種牡馬引退。産駒は29頭、中央では障害で1勝を挙げたのみに留まった。
その後、主戦の浜中俊は2012年に24歳の若さでJRA全国リーディングを獲得[4]。調教助手の杉山晴紀は5度挑戦して調教師試験に合格、2016年に栗東で独立開業して後にケイティブレイブ・デアリングタクト・ジャスティンパレス等を管理するに至る。
ロールス・ロイスのような高級車の輝きを放ったのは一瞬だったかもしれないが、スリーロールスの走りは多くのホースマンの人生を動かしたのである。
現在は功労馬繋養展示事業の助成を受け、故郷の武牧場で余生を過ごしている。
ダンスインザダーク 1993 鹿毛 |
*サンデーサイレンス 1986 青鹿毛 |
Halo | Hail to Reason |
Cosmah | |||
Wishing Well | Understanding | ||
Mountain Flower | |||
*ダンシングキイ 1983 鹿毛 |
Nijinsky II | Northern Dancer | |
Flaming Page | |||
Key Partner | Key to the Mint | ||
Native Partner | |||
スリーローマン 1997 青毛 FNo.7-d |
*ブライアンズタイム 1985 黒鹿毛 |
Roberto | Hail to Reason |
Bramalea | |||
Kelley's Day | Graustark | ||
Golden Trail | |||
アコニットローマン 1990 黒鹿毛 |
*ブレイヴェストローマン | Never Bend | |
Roman Song | |||
カミモリレディー | *ネプテューヌス | ||
カミモリダイテン | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Hail to Reason 4×4(12.50%)、Graustark 5×4(9.38%)
掲示板
急上昇ワード改
最終更新:2024/04/24(水) 09:00
最終更新:2024/04/24(水) 09:00
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