スヴァリイェ級海防戦艦 単語

スヴァリイェキュウカイボウセンカン

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スヴァリイェ級海防戦艦Sverige-klass pansarskepp)とは、スウェーデン海軍が保有した海防戦艦の艦級である。同艦3隻が建造された。

概要

スウェーデン海軍が建造した海防戦艦
スウェーデン史上、最後にして最大の海防戦艦級であり、世界海防戦艦の中でも最大級の排水量を誇る。1910年代の建造開始後、就役と度重なる装を経て1950年まで使用され、ときにはスウェーデン海軍の旗艦として、二次大戦期の各艦にも引けを取らない威容をもってスウェーデンの防衛と中立維持に貢献した。

建造経緯

広大内海であるバルトに長大な海岸線を持ち、対には18世紀以来の宿敵ロシア帝国を有するスウェーデンは、近代海軍の時代が到来してより、スヴェア級海防戦艦を手始めとしてバルトの防衛に適した海防戦艦を多数建造してきた。わずか30年ばかりの間に5艦12隻にもおよんだそれらスウェーデン海防戦艦の系譜を継ぎ、さらに大・高性化されたスウェーデン最後の海防戦艦がスヴァリイェ級海防戦艦である。

おおもとは1906年度の海軍計画であるが、折しも同年にはイギリスにおいて戦艦設計の歴史を変えた<ドレッドノート>が就役しており、その衝撃を反映した新鋭の海防戦艦として設計された。すなわち、より大化した艦形、戦艦レベルの速、前戦艦クラス、装甲巡洋艦の攻撃(径20.3cm~25.4cm)に対応した装甲を備えた高性艦であり、まさにスウェーデン海防戦艦の掉尾を飾るに相応しい艦といえる。

一番艦<スヴァリイェ>は1912年に起工、1917年に就役。砕氷付加、機関構成の変更などの良を行った二番艦<ドロットニング・ヴィクトリアは1915年に起工され、第一次世界大戦による資材不足で遅れつつも1921年に就役している。つづいて二番艦と同設計で同年に起工された三番艦グスタフ5世>が1922年に就役し、同艦3隻が出った。

兵装・性能

スヴェア級以来のスウェーデン海防戦艦は艦を重ねるごとに大化を続けてきたが、スヴァリイェ級に至っては前級<オスカル2世>を満載排水量にして3000トン近くも上回る大艦として設計され、その規模は全長120m(二番艦以降121.6m)、全幅18.6m、満載排水量で7516t(二番艦以降7633t)に及んだ。機関には蒸気タービンを採用し、最大速22.5~23.2ノットを発揮。各海防戦艦でも最速、同時代の超弩級戦艦にも匹敵駕する高い速を誇った。航続距離は速14ノットで2720里と海防戦艦相応の程度ではあるものの、バルトの広さでは必要充分といえる。

は前戦艦レベルの44口径28.3cm連装を前後にあわせて2基配置する。加えて就役時の兵装配置では、副として前部直後に50口径15.2cm連装1基を背負い、側面両舷に15.2cm単装速射が3基ずつ、備に7.5cm単装6基および5.7cm単装2基、そして45cm魚雷発射管2門を有していた。全体防御形式の装甲についても、海防戦艦ゆえ充分とまではいかないものの、線部では200mm厚の装甲を有するなど相当の堅固さであった。

就役後、1920年代半ばと30年代に3隻とも大規模な装を受けている。最終的には、単脚だったメインマストが三脚マストとなったのを始めとして、連装副魚雷の撤去や備の削減と引き換えに機関や機といった対兵装が増強され、水上機の搭載も可となった。装を受けたその姿の変貌ぶりはさながら初期の超弩級戦艦が同様に装によって変貌したごとくであり、、低い艦、それにマストと2本の煙突だけが立った初期のシンプル貌から、様々な構造物が甲上に立する、威厳と格のある艦を示していた。

艦歴

1917年にネームシップが就役したスヴァリイェ級海防戦艦だが、ベルナドッテスウェーデンの伝統的な武装中立政策の結果、終生にわたり直接の戦闘に駆り出されることはなかった。しかし、スウェーデン沿艦隊のであったスヴァリイェ級は、フィンランドロシアドイツといった々を周囲に持つスウェーデンがその武装中立を維持するために、時として重要な役割を担っていた。

画期的な高性を誇るスヴァリイェ級とスウェーデン沿艦隊は、列強諸の外洋海軍から見れば小規模とはいえ、狭いバルトスウェーデン沿域においては大きな存在感を示した。二次大戦においてドイツデンマークノルウェーを押さえながらついにスウェーデンに侵攻することはなかったが、その理由には、スヴァリイェ級以下の海防戦艦群を擁するスウェーデン沿艦隊に対してドイツ海洋では優勢を確立し得ない、という要素が少なからずあったようである。戦うことがなくとも、スヴァリイェ級は見事に祖国を守っていたのだった。

スヴァリイェ Sverige

Sverigeは「スヴェリ人(スヴェア人/スウェード人)の」、すなわちスウェーデンを意味する。ちなみに、スウェーデン最初の海防戦艦<スヴェア>は初期のスウェーデンを築いたこのスヴェア人を由来としており、スウェーデン海防戦艦歴史スウェーデン人の始祖に始まりスウェーデンに終わったことになる。

1917年6月14日スウェーデン海軍に引き渡された<スヴァリイェ>は、1918年のフィンランド内戦に際してはオーランド諸[1]に出動し、軍と赤軍戦闘からスウェーデン系住民を守った。一時期はスウェーデン沿艦隊の旗艦を務め、1924-25年、1936年、1939-40年と大装を受けている。この時、前部煙突が後方に屈曲した形状となった。

二次大戦勃発後の1940年7月、沿艦隊旗艦<グスタフ5世>のボイラー爆発を受けて任を受け継いだ。1941年11月にはスウェーデン海軍潜水艦<スヴァルトフィスケン>と衝突事故を起こしたが、軽微な損で済んでいる。1945年欧州における二次大戦が終結した後には、来艦した国王グスタフ5世より直接二次大戦中の活動に感謝を受けている。1947年、<グスタフ5世>に沿艦隊旗艦の座を返し、1953年退役。

ドロットニング・ヴィクトリア Drottning Victoria

Drottning Victoriaは時のスウェーデン国王グスタフ5世の妃・ヴィクトリア王よりつけられたもの。「Drottning」はスウェーデン語女王/王妃を意味する。

<ドロットニング・ヴィクトリア>は、1921年3月12日スウェーデン海軍に引き渡された。1928年イタリアに隠棲していたヴィクトリア王妃が崩御した際は、ドイツのスヴィーネミュンデ(現・ポーランドシフィノウイシチェ)に列車で到着したヴィクトリア王妃の遺体首都ストックホルムまで輸送する任を受けている。1937年にはイギリスにてジョージ6世戴冠記念観艦式に参加。この時、外洋航できないフィンランド海軍海防戦艦ヴァイナモイネン>を参加させるため、イギリスまでの往復を航した。

装にあたっては、煙突は直立二本のままとされた。また、二次大戦ごろの一時期、艦内で”ニッケ”と名付けられたワイアー・フォックステリアが飼われていたという。二次戦後1957年に退役。15.2cmの一部は陸上に転用され、スウェーデン北部に建設されたヴィクトリア要塞に設置された。

グスタフ5世 Gustaf V

Gustaf Vは王妃に遅れてやってきた当の国王、ベルナドッテ第五代国王グスタフ5世に由来している。

三番艦<グスタフ5世>は1922年に就役。一次大戦後に複雑化した北欧情勢に対応してバルト沿を訪問し、1930年のヴィクトリア王妃崩御時にも<ドロットニング・ヴィクトリア>に随伴している。1933年には遠く足を伸ばし、西地中海各地の巡航も行った。1939年には防訓練中に航空機の衝突を受けた。

二次大戦の発生にあたっては、はじめ沿艦隊旗艦を務めたが、1941年7月にボイラー爆発事故が発生。<グスタフ5世>自体は一ヶほどで復帰したものの、事故後の旗艦は<スヴァリイェ>に移り、戦後1947年になって<グスタフ5世>に旗艦が戻された。

幾度かの装を経て、三隻のうちでもっとも対兵装が充実した艦となった。二本の煙突は中央に向け屈曲し、一本に合流させる形に改造されている。1957年に退役し、1970年に解体。搭載されていた15.2cmの一部は、スウェーデン北部のカーリクス要塞線で要塞として使用された。

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関連項目

脚注

  1. *フィンランド領。古くからスウェーデン系住民が多く、1921年には国際連盟の裁定によってフィンランド領と確定しながらも広範な自治権が認められている。
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