ズラタン・イブラヒモビッチ単語

ズラタンイブラヒモビッチ

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ズラタン・イブラヒモビッチ(Zlatan Ibrahimović, 1981年10月3日 - )とは、スウェーデンの元サッカー選手である。称はイブラズラタン

195cm95kg。ポジションはFW。利き足は右足。

概要

テクニックパワースピードなどを兼ね備えた2000年代を代表するFW。名前からも分かる通り、旧ユーゴスラビアルーツを持っており、両が移住したスウェーデンのマルメで生まれ育っている。

4つのリーグ優勝した経験を持っており、2001年から2016年まで所属した6つのクラブ全てにリーグタイトルをもたらしている。また、ユヴェントスインテルミランセリエA3大クラブ全てでスクデット獲得を経験。また、セリエAで2度、リーグ・アンで3度得点王を獲得している。一方、UEFAチャンピオンズリーグには不思議と縁がいままだった。

スウェーデン代表の歴代最多記録保持者でもある。FIFA ワールドカップに2回、UEFA EUROに4回出場しているが、代表でのビッグタイトル獲得の経験はかった。

2022-23シーズンをもって現役を引退クラブキャリア通算496ゴールスウェーデン代表では122試合62ゴールという偉大な記録を残している。

地元であるスウェーデンでは彼の名前をもじった単が作られている。プレーだけでなく、言動までもが規格外であることを知られ、話題になることの多い人物である。

経歴

生い立ち

ボスニャク人の父親クロアチア人の母親の間に生まれ、マルメの移民コミュニティがあるローセンゴート地区で育ち、6歳でサッカーを始める。幼い頃から傑出した得点を発揮しており、6点ビハインドの試合で9得点を挙げた逸話を持つ。幼少期の頃はサッカーと共にテコンドーも習っており、帯を取得している。

子供の頃はやんちゃなガキ大将で、小学校の頃の校長は「手に負えなかった子のワースト5」とっており、自転車を盗むなどの悪さもしていた。当時は、スウェーデンの中心に行ったことがく、自らのアイデンティティに悩むこともあったが、「自分が一番になること」をアイデンティティとするようになる。

1995年14歳でマルメFFの下部組織に入団。試合中に相手選手をいたことがあるなど、問題児だったが、メキメキと頭を現し、18歳トップチームへの昇格を現す。

マルメ

1999年スウェーデンアルスヴェンスカン(1部)のマルメFFプロデビューを果たす。ビッグ4の一であるマルメFFだったが、デビューした1999-2000シーズンクラブ創設以来初のスーペルエッタン(2部)降格を経験する。

降格となった2000-2001シーズンは、マルメのが大量にチームを出るが、「レギュラー獲りのチャンス」と考えたイブラヒモビッチは残留。論み通りレギュラーを掴むと、26試合に出場し12得点マークし、1年での1部復帰をもたらす。この活躍により、外のクラブスカウトからをつけられる。

アヤックス

19歳となった2001年オランダエールディヴィジアヤックス・アムステルダムへ移籍。移籍は当時のチーム史上最高額となる780万ユーロという高評価を受けていた。背番号は、マルコファンバステンやパトリッククライファートが付けていた「9番」が与えられた。期待通り、加入1年から24試合に出場し6得点を挙げてリーグ優勝を経験。また、KNBKカップ決勝では、決勝ゴールを決め、内二冠に貢献する。

翌2002-03シーズンは、として定着し、2位リーグを終了したが25試合13得点という成績を残す。また、UEFAチャンピオンズリーグCL)本戦に初出場し、13試合5得点という好成績を残し、アヤックスベスト8進出の原動となる。

2003-04シーズンには、故障のために3カの離脱を経験するが、22試合に出場し、チームトップとなる13得点記録する活躍を見せ、エールディヴィジ王座奪還に貢献。また、アシスト数が7とこれまでもよりも飛躍的にアップしたシーズンでもあり、周りの味方を使う術を覚えたシーズンともなった。

ユヴェントス

2004年7月1日イタリアセリエAの名門ユヴェントスへ移籍。移籍は1900万ユーロ背番号は「9」。当初はFWの三番手と見られていたが、開幕戦のブレシア戦でデビュー戦でのゴールを決める。レギュラーであったアレッサンドロ・デル・ピエロダビド・トレゼゲが故障がちだったこともあり、出場機会を多く得ると、パワーとフィジカルに長けていたことからファビオ・カペッロ監督から重宝され、デル・ピエロを押しのけてレギュラーを掴む。35試合16得点という成績を残し、スクデット獲得に貢献。

2005-06シーズンもトレゼゲとの2トップで起用され続けるが、相手チームからのマークが厳しくなったことと、トレゼゲのほうにストライカーとしての優先度があったことからなかなかゴールを決められなくなる。クラブシンボルでもあったデル・ピエロを押しのけて起用されていたこともあって、メディアサポーターから批判を受けるが、カペッロ監督からの信頼は揺らがず、シーズンを通して出場し続け、リーグ連覇に貢献する。

2006年ユヴェントス八百長に関与したことによりセリエBへ降格したことで退団の噂が飛び回り、移籍市場を盛り上げる。

インテル

2006年8月10日ユヴェントスの最大のライバルであるイタリアセリエAインテルナツィオナーレ・ミラノへ移籍。移籍ユヴェントス加入時の倍額に近い2480万ユーロとなり、背番号は「8」になる。ロベルト・マンチーニ監督からはFWの柱として起用され、ユヴェントス時代よりも圧倒的な存在感を見せるようになる。セリエA初年度のゴール数にはわずかに及ばなかったものの、エースとしての役割を果たし、チームの15度のスクデット獲得に貢献する。一方、CLではノーゴールに終わり、ベスト16敗退の戦犯として玉に挙げられる。

2007-08シーズンは、右膝の負傷に悩まされながらも、17得点11アシストという記録を残す。最終節のパルマFC戦では、後半途中から投入されると、2ゴールを奪い、2年連続のスクデット獲得をもたらす。また、CLでは前年と違ってグループリーグだけで5ゴールを決める活躍を見せる。しかし、ラウンド16でのリヴァプールFC戦では2試合ともノーゴールに終わり、敗戦。またしてもベスト16敗退となる。

3年となった2008-09シーズンには、名将ジョゼ・モウリーニョ監督に就任するが、引き続き前線で絶対の存在として扱われ、これまでのセリエAでのシーズンかに上回るハイパフォーマンスを見せつける。屈強なセリエAの守備をもってしても手が付けられない存在となり、初めてシーズン20得点の大台に乗せる。CLでは、わずか1得点に終わり、3年連続ベスト16敗退という悔しい思いをするが、セリエAでの得点数は最終的に25まで伸び、自身初となる得点を獲得。インテルの4連覇に貢献。

イタリアで過ごした5年間全てでスクデットを経験したこともあり、シーズン終了後に「セリエAでやることはない。」と発言。外への移籍が取り沙汰されるが、その後クラブも自身も残留を名言。新シーズン背番号が「10」に変更となることが発表され、このまま残留すると見られていた・・・。

バルセロナ

2009年7月2日スペインリーガ・エスパニョーラFCバルセロナへ移籍。サミュエル・エトー+移籍4600万ユーロとのトレードでの移籍であった。背番号は「9」。シーズン序盤は得点を重ね、エル・クラシコではボレーシュート決めるなどの活躍を見せた。しかしシーズン終盤には怪や戦術への順応、リオネル・メッシを偽の9番に置いたシステムが採用されるようになったこと、また当時監督を務めていたジョゼップ・グアルディオラとの確執もあり、ベンチを温める日々が続くようになる。29試合16得点数字上は結果を残したが、満足のできる内容とも言えず、スペインでの挑戦はたった1年で終了する。

ミラン

2010年8月28日イタリアセリエAACミランへのレンタル移籍が決定し、わずか1年でセリエAに復帰。背番号は「11」。移籍1年である2010-11シーズンから選手として活躍し、インテル時代と同じように不動のエースとして君臨。29試合に出場し、12ゴール14アシストという記録を残し、長らくスクデットから遠ざかっていたチームに7シーズンぶりのリーグ優勝をもたらした。一方、CLではグループステージで4得点を決めるが、ラウンド16でトッテナム・ホットスパーに敗れ、ベスト16敗退。

2011-12シーズンは、ミランが買取オプションを行使したことで全移籍となる。このシーズンは、立った故障もなく、前年を上回るパフォーマンスを発揮してチームを牽引。CLでは、門となっていたラウンド16でアーセナルを辛くも破り、準々決勝では因縁のバルセロナと対戦。確執のあるグアルディオラ監督との関係性もあり、注を集めるが、結果は2試合とも良いところを出せず、チームも敗れてしまう。一方、セリエAでは自身のキャリアハイとなる28ゴール記録し、2度となるセリエA得点王にく。しかし、チームユヴェントスに次ぐ2位で終了。アヤックス時代から続いていた自身のリーグ優勝記録は8年で途切れてしまった。

パリ・サンジェルマン

2012年7月18日フランスリーグアンパリ・サンジェルマンへ移籍が発表される。移籍は2300ユーロ。この移籍劇の背景には、急に悪化したミランの財政事情がしており、同じくチームの中心選手であったチアゴシルバと共にカタール企業による巨額の投資によって大補強を模索していたPSGに売却されることとなった。なお、背番号は当初「18」だったが、シーズン途中に「10」に変更される。

新たなPSGシンボルとして迎えられたなか、期待に答えるように2012-13シーズンには34試合に出場しキャリアハイ更新する30得点を挙げる大活躍を見せ、リーグ・アン得点王と最優秀選手賞を受賞。チームの19シーズンぶりとなるリーグ優勝に貢献する。一方、CLでは2年続けて準々決勝でバルセロナと対戦。1st legで同点ゴールを決めるが、アウェイゴールの僅差で敗れ、またもベスト8敗退となる。

2013-14シーズンは、PSGと同じく大補強でチームを高めたASモナコ優勝を争うことになるが、2位以下に10ゴール差をつける独走状態で2年連続の得点王を獲得。リーグ連覇とクープ・ドゥ・ラ・リーグの二冠獲得をもたらす。CLでは、グループステージ第3節のアンデルレヒト戦で1試合5ゴールと大爆発するなど、自己最高となる10ゴール記録するが、準々決勝でチェルシーに敗れる。

2014-15シーズンは、W杯もあって開幕からチーム調子が上がらず、自身はチームメイトエディソン・カバーニとの不仲が暴露されるなどピッチ外で話題を振りまいていた。2015年3月15日ボルドー戦の後、審の判定に不満を持ち、「このクソみたいなPSGにふさわしくない」と暴言を吐いたことが問題視され、3試合の出場停止処分を受ける。しかし、後半戦に入ってチームは復調し、自身も終盤にギアが上がるようになり、リーグ3連覇のみならず2つのカップ優勝ももたらし、三冠を達成する。

2015-16シーズンは前年と違って開幕から自身もチームも絶好調を維持し、シーズン折り返しの時点で2位との勝ち点差を20近く離してしまう類の独走を見せる。一方、初優勝を最大標としたCLではまたしても準々決勝でくことができず、4年続けてベスト8敗退。CLでは活躍できないというレッテルを剥がすことはできなかった。リーグ・アンでは相変わらずの無双状態が続き、最終的に34歳にしてキャリア最高記録となる38ゴール記録。3度となるリーグ得点王にき、リーグ・アン4連覇そして2年連続での三冠を達成。シーズン終了後、「オレは王としてやって来て、伝説として去る」という言葉を残し、退団を表明する。

マンチェスター・ユナイテッド

2016年6月30日、本人のTwitterイングランドプレミアリーグマンチェスター・ユナイテッド加入を発表した。背番号は「9番」。年齢面から不安視するもあったが、インテル時代の恩師であるモウリーニョ前線の軸として大きな期待を寄せ、2017年2月の時点でリーグ戦15ゴール記録。35歳での15得点プレミアリーグ史上初であった。また、2月26日のEFLカップ決勝サウサンプトン戦では2ゴールの活躍を見せ、イングランドでの初タイトルを獲得する。ところが、4月20日UEFAヨーロッパリーグ準々決勝アンデルレヒト戦で右膝十字靭帯損傷という大怪を負い、シーズンが終了。これにより、当初は確実視されていたチームとの契約延長の話が消滅してしまい、退団することとなる。

2017年8月24日ユナテッドと1年契約を結んだことが発表され、背番号は「10」に変更される。前のシーズンに負った負傷ので開幕から欠場が続くも、11月18日ニューカッスル戦で復帰を果たす。また、11月28日CLバーゼル戦に途中出場し、史上最多となる7つクラブでのCL出場を果たす。しかし、ロメル・ルカク前線の柱となっていたこと、復帰後コンディションが回復しなかったことで出場機会がなかなか与えられず、シーズン途中の2018年3月22日ユナテッドとの契約を解除する。

LAギャラクシー

2018年3月23日地としてアメリカを選び、MLSロサンゼルスギャラクシーへの移籍が発表される。背番号は「9」。3月31日ロサンゼルスFC戦でデビューを果たすと、ゴールから役35m離れた位置からのロングシュートを決めるというド手なデビューを飾る。アメリカの地で再びきを取り戻し、最終的には27試合22得点という結果を残して健在ぶりをアピール。この年のMSLベストイレブンに選出される。

年俸額がMSL史上最高額の720ドルであることが明らかになった2019年シーズンも、圧倒的な存在感を発揮。9月15日のスポルディング・カンスシティ戦でハットトリックを達成し、クラブシーズン最多得点数を更新。29試合に出場し、30ゴール7アシストという前年を上回る結果を残し、2年連続でMSLベストイレブンに選ばれる。

ミラン(第2次)

2019年12月27日古巣であるセリエAACミランに8年ぶりに復帰することが発表される。背番号息子が選んだ「21」。37歳となってもかつて見せた凄み存在感は相変わらずで、2月9日インテルとのミラノ・ダービーチームは敗れたものの1ゴール1アシストの活躍を見せる。低迷するチーム救世主となるかと思われたが、3月に自身の復帰に尽したズボニミール・ボバンCEOが解任されたことで、経営への不信感を表明する。しかし、ピッチでは抜群の存在感を見せ、新型コロナウィルスによる中断期間後絶好調だったチームの大柱に君臨。途中加入ながらも10ゴールをあげる活躍を見せ、38歳302日でのセリエA最年長二桁得点記録更新。さらに、チームステファノ・ピオリ監督残留に方針を転換したことで1年間の新契約を締結する。

2020-2021シーズンからは背番号をかつて在籍時に付けていたのと同じ「11」に変更。セリエA開幕戦のボローニャ戦では2ゴールの活躍によってチーム勝利に導く。しかし、その直後に新型コロナウィルスの検で陽性だったことが判明する。2020年10月17日復帰戦となったインテルとのミラノ・ダービーでは前半に2ゴールを決める大活躍によってチームを開幕4連勝に導き、自身が持っていたミラノ・ダービーでの最年長ゴール記録更新することとなる。11月22日の第8節ナポリ戦でも2ゴールの活躍でチーム勝利に導き、リーグ1番乗りでシーズン二桁ゴールに到達する。しかし、この試合でハムストリングを負傷し1カ以上の戦線離脱を余儀なくされる。それでもミランは首位をキープし続け、2021年1月9日フィオレンティーナ戦で復帰。1月18日の第18節カリアリ戦ではドッピエッタの活躍を見せ、見事復活。だが、後半戦に入ると相次ぐ負傷によって戦線離脱を繰り返し、失速。それでも、圧倒的な存在感カリスマ性でチームを引っり、ミランの8年ぶりのCL出場権獲得の立役者となる。

2021-2022シーズン開幕直後は前のシーズンに負った負傷ので欠場となるが、2021年9月12日セリエA第3節ラツィオ戦で途中出場し、およそ4カぶりにピッチに立つと復帰戦でゴールを決めてみせる。セリエA第9節のボローニャ戦では40歳になっての初ゴールを決めると、第11節ローマ戦でのゴールによってリーグ戦通算400ゴールを達成する。年明け以降は負傷によってほとんど稼働することができなかったが、若いチームを強カリスマ性で牽引し、ミランの11シーズンぶりのスクデット獲得に貢献。加入時の約を見事有言実行することとなった。優勝セレモニーでは、葉巻をくわえ、シャンパンを抱えて登場しファンと歓喜を分かち合う。その後、左膝の手術のため8かピッチを離れることが発表される。

2022-2023シーズンの前半戦は欠場が続き、2023年2月26日セリエA第24節アタランタ戦で途中出場し、およそ9かぶりにピッチに立つ。3月18日の第27節ウディネーゼ戦でシーズン初スタメンを飾り、41歳5か15日でのセリエA最年長ゴール記録更新する。しかし、4月に再び負傷で離脱するとそのまま復帰することなくシーズンが終了。
2023年6月4日リーグ最終節後のセレモニーにおいて現役引退を発表。ピッチ上でながらにサポーターに「フットボールに別れを告げる日が来た」と挨拶をした。

スウェーデン代表

前述した通り、自身のルーツであるボスニア・ヘルツェゴビナと生まれ育ったスウェーデン籍を持っているが、代表チームスウェーデンを選択している。

2001年1月31日フォロー戦においてフル代表デビューを果たすと、デビューから9が後の10月おこなわれた日韓W杯ヨーロッパ予選アゼルバイジャン戦で代表初ゴールを決めている。2002年日本韓国の共同開催となった2002 FIFAワールドカップメンバーに20歳で選出される。しかし、当時はまだエースのヘンリクラーションの控えという立ち位置だったこともあり、アルゼンチン戦とセネガル戦の2試合30分だけの出場にとどまっている。

2004年6月に開催されたUEFA EURO 2004では、背番号10を付けて出場。この大会から本格的にレギュラーとして起用されるようになると、初戦となったブルガリア戦でPKを決めると、第2戦のイタリア戦ではゴールを背にしたままジャンプし、踵でボールに触るアクロバティックなループシュートを決め、首位でのグループリーグ突破に貢献。このイタリア戦でのスーパーゴールEURO歴史に残るゴールとしてられている。しかし、準々決勝のオランダ戦では0-0のままPK戦にもつれ込み、3人キッカーとして登場するも外してしまい、ベスト8で姿を消すこととなる。

ドイツW杯ヨーロッパ予選では、8試合に出場し8ゴールを決め、スウェーデンの2大会連続での本大会出場権に貢献。しかし、2006年6月に開催された2006 FIFAワールドカップでは本大会に入ってから調子が上がらず、グループリーグ第2戦のパラグアイ戦で股関節を痛めて前半で交代になり、レギュラーの座をベテランマルクスアルベックを譲ることになる。ラウンド16のドイツ戦でスタメンに返り咲くが、ドイツの守備に抑え込まれて後半26分に交代となり、ノーゴールのまま大会を終える。

2006年9月4日EURO2008予選のリヒテンシュタイン戦に向けた代表合宿中に決められた時間に宿泊先のホテルに戻らないという規違反を犯してしまい、オロフ・メルベリ、クリスティアンヴィルヘルムションと共に代表を追放されてしまう。それからおよそ半年近く代表に招集されなくなるが、2007年3月に復帰を果たし、チームEURO2008本大会へと導いている。

2008年6月に開催されたUEFA EURO 2008では、大会前に負った怪を抱えながらも初戦のギリシャ戦、第2戦のスペイン戦と2試合連続でゴールを決めるが、第3戦のロシア戦で0-2で敗れ、グループリーグ敗退に終わる。2010年南アフリカW杯予選では、デンマークポルトガルといった強と同じ組に入ったこともあって3位に終わり予選敗退。2009年12月に「二度と代表ではプレーしない」とり、代表引退を表明するが、2010年8月スコットランドとの善試合で復帰し、その試合で決勝ゴールを決めている。

ヘンリクラーションが代表を引退したことで、2010年9月スタートしたEURO2012予選から代表のキャプテンに任命される。2011年6月7日フィンランド戦でハットトリックを決めるなど、チーム最多となる5ゴールを決め、オランダに次ぐ2位での本大会出場を勝ち取る。2012年6月に開催されたUEFA EURO2012では、強いのグループDに入る。第1戦のウクライナ戦で先制ゴールを決めるが、その後アンドリューシェフチェンコの2ゴールによって逆転負けを喫する。第2戦のイングランド戦にも敗れたことで2試合でグループリーグ敗退が決定。それでも、第3戦のフランス戦では、後半9分に快なボレーシュート叩き込み、チームの初勝利をもたらし、意地を見せている。

2012年11月14日ストックホルムのフレンズアレーナのこけら落としとなったイングランドとの善試合に出場。この試合で1試合4ゴールを決める大暴れを見せているが、4得ゴールから30m離れた位置から放ったアクロバティックなダイレクトバイシクルシュートは自身がキャリアベストゴールと認めるものであり、相手であるイングランド代表の選手からも称賛されるほどであった。このゴール2013年1月FIFAスカシュ賞を受賞している。

2014年W杯ヨーロッパ予選では、チーム最多の6ゴールを決めるが、ドイツに次ぐ2位となったためプレーオフに回ることに。プレーオフでは強ポルトガルと当たることなり、クリスティアーノ・ロナウドかイブラヒモビッチのサッカー界を代表するスターのうち1人が本大会に出場できなくなるというシチュエーションとなる。2013年11月19日、後がない状態でのホームでの第2戦で2ゴールを決めるが、クリスティアーノ・ロナウドハットトリックを許し、2大会連続でワールドカップ出場を逃すことになる。

2014年9月4日エストニアとの善試合で2ゴールを決め、スウェーデン代表の通算得点記録を82年ぶりに更新し、歴代単独トップに立つ。また、9月8日EURO2016予選オーストリア戦で代表通算100試合出場を達成。予選ではチームトップの7ゴール記録するが、グループ3位となりまたもプレーオフに回ることに。迎えたデンマークとのプレーオフでは、2試合で3ゴールを決め、チームを本大会出場に導いている。

2016年6月に開催されたUEFA EURO 2016に出場。大会期間中に、同大会を最後にサッカースウェーデン代表から引退することを表明する。しかし、グループE初戦のアイルランド戦、第2戦のイタリア戦ともノーゴールに終わり、1分1敗と崖っぷちに立たされる。2016年6月22日ベルギー代表と対戦し、0-1で敗れ、グループステージ敗退が決まるとともにイブラの代表キャリアにも終止符が打たれたかと思われた。

2018年ロシアW杯スウェーデンが3大会ぶりの出場を決めたことで一部から代表復帰待望論が流れ、自身も復帰を希望するコメントを発するが、メンバーに選出されることはなかった。しかし、2020年ミランでの好調ぶりを受けて再び代表への復帰を待望するが強まり、本人も復帰をほのめかす発言をする。11月26日にはヤンネ・アンデション監督ミラノで会談をおこない、復帰の可性について話し合いおこなっている。

2021年3月16日、39歳にして5年ぶりに代表に復帰。3月27日おこなわれたカタールW杯予選ジョージア戦で5年ぶりに代表のユニフォームを着てピッチに立つと、前半35分にヴィクトル・クラエセンゴールアシストする。しかし、5月9日ユヴェントス戦で負った膝の負傷によってEURO2020を欠場することになる。

2023年3月EURO2024予選において1年ぶりに代表に復帰。しかし、この年の6月に現役引退を表明。

スウェーデン代表通算122試合62ゴール

個人成績

シーズン クラブ リーグ 試合 得点
1999 マルメ アルスヴェンスカ 6 1
2000 マルメ スーペルエッタン 26 12
2001 マルメ アルスヴェンスカ 8 3
2001-02 アヤックス エールディヴィジ 24 6
2002-03 アヤックス エールディヴィジ 25 13
2003-04 アヤックス エールディヴィジ 22 13

2004-05
アヤックス エールディヴィジ 3 3
ユヴェントス セリエA 35 16
2005-06 ユヴェントス セリエA 35 7
2006-07 インテル セリエA 27 15
2007-08 インテル セリエA 26 17
2008-09 インテル セリエA 35 25
2009-10 バルセロナ ラ・リーガ 29 16
2010-11 ACミランloan) セリエA 29 14
2011-12 ACミラン セリエA 32 28
2012-13 パリ・サンジェルマン リーグ・アン 34 30
2013-14 パリ・サンジェルマン リーグ・アン 33 26
2014-15 パリ・サンジェルマン リーグ・アン 24 19
2015-16 パリ・サンジェルマン リーグ・アン 31 38
2016-17 マンチェスター・ユナイテッド プレミアリーグ 28 17
2017-18 マンチェスター・ユナイテッド プレミアリーグ 5 0
2018 LAギャラクシー MLS 27 22
2019 LAギャラクシー MLS 29 30
2019-20 ACミラン セリエA 18 10
2020-21 ACミラン セリエA 19 15
2021-22 ACミラン セリエA 23 8
2022-23 ACミラン セリエA 4 1

プレースタイル

恵まれた体格を活かした驚異的なフィジカルと高いボールテクニックが大きな特徴。DFを背負った状態でもしっかりとボールキープすることができるポストプレーレベル世界でも最高レベルにあり、競り合いにおいても抜群の強さを持っている。最前線タワーになるだけではなく、中盤に下がって縦パスを引き出したり、ゲームメイクに加わることもあり、まさに万ストライカーである。

左右両足から正確なシュートを放つことができ、パワー系のシュートだけではなく、足元のテクニックを活かしたコントロール系のシュートも得意としている。大ストライカーではあるが、俊敏に動くことができ、テコンドーの経験を活かしたアクロバティックなシュートをたびたび決める器用さも持ち合わせている。身体テクニック、体の柔軟性がいずれも規格外なため、対峙したDFはどうしようもない状況に陥ってしまう。

弱点はその万さがゆえに何でも自分でやろうとしすぎることにあり、中盤に下がり過ぎてチームバランスを崩してしまうことがたびたびある。また、守備の貢献度は低く、そこまで運動量があるほうではない。

エピソード

どんなに周りから非難されても自己流を貫くだけのメンタルの強さの持ちであり、例えるのなら本田圭佑の強化版といったところか。自分の思ったことをズバっというタイプなので、に着せぬ言動が話題になることが多く、賛否両論を巻き起こす選手である。

PSGでのラストマッチでは、後半44分に試合中にも関わらず、自分の2人の子供ピッチに入れ、勝手にセレモニーを始めてしまう。PSGユニフォームを来た2人の子供背中には「KING」「LEGEND」と書かれていた。チームはこのときすでに交代を使い切っていたが、子供を連れてそのままピッチを去っていくという前代未聞の行動を見せた。

19歳でアヤックスに移籍し、練習に参加した初日にチームメイトへ発した言葉は、「ズラタンだ。おまえらは誰だ?」。また、当時キャプテンだったラファエルファン・デルファールトが説教しようとしたとき、「お前の両足のを本当に折ってやる」と脅迫めいた発言を返している。

キャリアでいくつものクラブを渡り合っていたが、その性格が故にチームメイトとも何度もトラブルを起こしている。特にミランに所属していた時代には、同じく格闘技の経験がある198cm100kgのオグチ・オニェウと練習中にバトルをおっぱじめて、周りが固まってしはうほど空手テコンドーの技が飛び交うレベルの高いファイトが繰り広げられた。また、ロッカールームでちょっかいを出してきた闘ジェンナーロ・ガットゥーゾをゴミ箱に投げ入れたことがある。

2020年9月には新型コロナウィルスで陽性反応が出るが、「コロナやる気らしい。あらぬ考えだ。」と強気な発言を残す。その後、「ウィルスとの戦いに勝った。だが、おまえたちはズラタンではない。ウィルスに戦いを挑むな。」といつものイブラ節でイタリア民に感染予防を啓発する映像に出演している。

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