セルゲイ・ボルトキエヴィチとは、19世紀から20世紀前半にかけて活動したロシア(ウクライナ)の作曲家であり、生まれた時代が時代だけに波乱の人生を送った人物である。
1877年ロシアのハリコフ(現ウクライナ)にポーランド人貴族の息子として生まれた。そのままサンクトペテルブルク音楽院でリャードフなどに学ぶが、1900年ライプツィヒに移る。そこでライゼナウアーやヤーダスゾーンといったリスト門派の人々を師とし、卒業後も結婚してドイツのベルリンに居を構えた。そのあと10年ほどはピアニストとしてヨーロッパの各地を回る生活を送っていた。
そう…察しのいい人なら気付くが約10年後なのだ…ドイツ在住のロシア人なのだ…。
ということで第1次世界大戦勃発によって自宅軟禁状態に置かれ、ロシアに強制退去させられてしまう。
そうロシアになのだ…貴族の一門がなのだ…。
ということでロシア革命によって土地を盛大に没収され、1919年トルコのイスタンブールへと脱出する。
イスタンブールでは支援者に恵まれ再び演奏活動が行えるようになり、そのつてを頼ってユーゴスラビアからオーストリアへと亡命することに成功した。そしてついには1928年にベルリンへと戻ることに成功した。
…ん?ここで待ってほしい。1920~30年代のドイツ…そう、盛大にナチスの台頭に巻き込まれ、またまたドイツから退去することになってしまった。結果再びオーストリアに戻ることになったが…うん、今度は第2次世界大戦なんだ。
終戦までウィーンで無事活動を続けることができたものの、作品の大半が空襲で失われ、経済的・精神的に苦しむことに。幸いなことにボルトキエヴィチ協会が設立されて援助活動が行われ、ようやくひと段落ついた1952年に亡くなった。
作風は19世紀的で、後期ロマン派を基調にしながらもロシア民謡から着想された旋律が目立つものである。ピアニストとしてはロシア人ピアニストのそうそうたる顔ぶれの中ではややパッとしないものの、多数のピアノ曲を残している。なお前述の経緯で失われた曲も結構あるのが残念である。
掲示板
1 ななしのよっしん
2016/06/11(土) 13:50:08 ID: x8Yjpe7mhw
ショパン・リストを下地として初期~中期のラフマニノフとスクリャービンの中間のような作風で、
その2人から複雑な和声と技法を取り去ったような曲を生涯作り続けていたような印象の作曲家だと思う。
クラシックの世界において斬新なものを作ったわけではないのでマイナーに陥りがちなポジションで、
悪く言ってしまえば2番煎じ・パクリな存在なんだけどその曲の出来は非常にクォリティが高いので、今の耳からするとマイナーな存在なのは非常にもったいない。
非常に指になじむ曲が多く、その分響きが清涼で構成もキチンとしてるので、そこらへんが複雑になりがちなラフマニノフ・スクリャービンのピアノ曲に比べて気に入る人は多いと思う。
練習曲op.15-8、前奏曲集op.33-7,8、エレジーop.46、ピアノソナタ2番op.60が好き
あとバラードop.42はさすがにスクリャービンすぎる気が
2 ななしのよっしん
2019/11/21(木) 14:31:23 ID: 8/jT2L4k2N
作品の質は大家と比べても全くひけをとらない
天才的なメロディメーカー
再評価が進んで欲しい
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最終更新:2024/04/20(土) 12:00
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