セーラー服単語

セーラーフク

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セーラー服(-ふく)は、襟の形状が特徴的な衣服であり、本来は兵(sailor)が着用するトップス(上半身に着用する外衣)である。現在はこのトップスの特徴を踏襲した女子学校制服の上着とスカートをまとめてしてセーラー服と呼ぶことが多い。

概要

基本的なセーラー服

独特の形状をした大きな襟はセーラーカラーと呼ばれ、大きな特徴である。襟を正面から見ると、首の両、両肩、胸元を結んだ2つの三角形の形であり、背後から見ると、肩幅に近い長方形がぶら下がっている形である。セーラー服の襟がこのような形状をしている理由は諸説あり、定かになっていない。

正面の胸元は大きく開けており、逆三角形の形となっている。これは、を破ることを考慮した形状である。(ここで言うを破る行為は、もちろんに落ちた兵がを脱ぎ泳ぎやすい格好になるためのそれであり、いかがわしい何かではない。)

装飾として、胸元にスカーフやタイを着用することが多い。

セーラー服の変遷

海軍の服
セーラー(兵)の

上記のようなセーラー服の様式は、1857年の英国海軍によって制定された制服(甲着)によって確立された。この制定によって各海軍でもセーラー服が制服として採用されるようになった。

それ以前の英国海軍兵の制服というものを特に規定しておらず、様々な甲着が見られたが、その頃から既に前述のスタイルに近いセーラー服が存在していた。海軍大好きの英国民の間では、1857年の制定のずっと前から既に、男の子用のとしてセーラ日常的に着られていたという。セーラー服を着た男の子かわいいのである。

その後、セーラー服を気に入ったヴィクトリア女王エドワード皇太子をはじめとした王子達に着せたことがきっかけとなり、セーラ子供として人気を高めた。この頃は、女の子もセーラー服を着るようになっており、男の子兵同様に下にズボン穿いていたのに対し、女の子は下にスカート穿いていた。この流れにのって、女性装としてセーラー服は欧州米国で流行した。19世紀後半から20世紀初頭にかけて、世界的セーラー服ブームが到来したのである。この頃は、女性の間で様々なスポーツが広まっていった時期であり、動きやすい衣服として、セーラー服はそのかわいいデザインと共に注を集めたのである。また、少年ブームの一環としてセーラー服が流行したという見方もある。

同時期に、海軍のある欧州学校では、女子生徒がセーラー服を制服(体操服)として着るようになった。このセーラー服は、トップスとスカートが分離していないワンピースタイプであったり、スカートの長さがくるぶしあたりまであるものであった。このセーラー服の制服は、第2次世界大戦頃まで着られていたようである。

セーラー服の学校制服日本で初めて採用したのは、1920年(大正9年)の安女学院である。この頃の日本女学生制服は、着物に提を組み合わせた和装スタイルであり、女子学校制服の洋装化の先駆けとなった。このセーラー服は、スカート丈の長いワンピースにセーラーカラーとリボンをつけたものであり、当時の生徒には好評だったようである。この制服写真は、平安女学院のサイトexit着の和装制服と並べて掲載されている。

その後1921年(大正10年)、福岡女学院が制服として上下セパレートのセーラー服を採用した。この制服は、エリザベス・リー校長(当時)が英国に留学していた時に着ていたセーラー服を基に、動きやすい体操服として太田豊吉という男が数年を費やして開発した渾身のであった。セーラー服とプリーツスカートの組み合わせは彼の発想であり、現在に至るまで日本女子学校制服としてのセーラー服のほとんどが、これと同じスタイルである。この"元祖セーラ学校制服"とも言える制服は、現在福岡女学院でもほとんど変わらぬ形で着られている。

女子学校制服としてセーラー服は次々と採用されるようになっていき、「女学生=セーラー服」という印が浸透していったが、日本戦争の時代を迎え、物資不足等によりセーラー服はに取って代わられた。そのようなセーラー服暗黒時代も束の間、終戦後は、学校教育法の布によって教育等で身近になったことや既製産業のも相まって、中等、高等教育学校が競ってセーラー服を採用し、ほとんどの女子中高生がセーラー服を着る時代になった。

しかしながら1980年代に入り、いじめや校内暴力社会問題化するようになると、大人の事情により、ブレザー制服を採用する学校が増えてくる。盛するブレザーブームに押されてセーラー服の学校は減っていったがそれでも現在、そのような学校が少ない訳ではない。

学校制服としてのセーラー服

前述したような歴史を経て、今日の多くの、日本の中等・高等学校においてセーラー服の女子制服が採用されている。

季節服

  exit_nicoichiba

上:の一例
下:冬服の一例

このセーラー服の学校制服は、(中間)と冬服で基本のデザインが共通しているが、それぞれ全く異なった趣きをみせる。

のセーラー服で最もを惹かれるのは、上着とスカートの間の隙間である。これは、セーラー服が上下セパレートの形態をとっているがゆえに見られるものである。この隙間によって部の肌色部と共に見え隠れするのは、的なチラリズムのひとつである。

このようなかしい魅を持つに対して、冬服は静かで落ち着いた印を与える。思春期少女の繊細さや清楚さをより際立たせる冬服のほうが好ましいとする意見も多く見受けられる。

装飾

胸元の装飾にはバリエーションがあり、これもまたセーラー服の印を大きく左右するものである。

最も多く見られるのは三角スカーフとされる。これには上画像のようにネクタイ止めがあるものとそれがいものがある。ネクタイ止めがある場合は胸の大小、これがい場合は体の細さがより強調されるとされている。

他の装飾としては、ネクタイリボンタイ(紐タイプタイプがある)が見られる。

襟の形状

襟の形状は、その学校がある地域のを強く受けるとされている。以下のように大まかな分類をすることができるが、必ずしもある地域に属する学校の襟がほとんど同じ形状であるという訳ではなく、分類の定義も曖昧である。

  • 右画像は襟の特徴を極端に表したものであるので参考としてご覧いただきたい。

関東襟

日本に多いとされている、最も一般的な襟の形である。

襟は直線的ないしは曲線的で、幅は肩幅よりも小さく、下端は胸の上にある。

胸当て(胸元にある逆三角形の覆い)はある場合とい場合がある。

二次元サブカル界で見られるセーラー服の制服のほとんどがこの関東襟である。

関東襟のセーラー服

札幌襟

札幌(北海道)に多いとされている襟の形であり、関東襟の亜種ともされる。

襟は曲線的で、幅は肩幅であり、下端は関東襟よりも上である。

首くりが小さく、胸当てはない。

"文学少女"シリーズにおける条学園の制服はこの襟の形状をしている。

札幌襟のセーラー服

関西襟

西日本に多いとされている襟の形である。

襟は直線的で、幅は肩幅ほどであり、襟は胸の下である。

九州では襟が曲線的なものが多く見られ、福岡と呼ばれている。

胸あては必ずある(いとまずいことになる)。

涼宮ハルヒシリーズにおける北高校制服はこの襟の形状をしている。

関西襟のセーラー服

名古屋襟

名古屋近辺に多いとされている襟の形であり、関西襟の亜種ともされる。

襟は直線的で、幅は肩幅ほどであり、下端は関西襟よりも下で襟全体が大きい。

胸当ては必ずある。

NHKドラマ番組『中学生日記』に登場する制服が有名であったが、2009年度から札幌襟に、その後関東襟のものにめられている。

関東襟のセーラー服

サブカルチャーにおいて

サブカルチャーにおけるセーラー服の学校制服の例

サブカルチャーにおける学校制服でのセーラー服の支持率は高い。

他のタイプ制服と同じように、実在するセーラー服に準拠したものは少なく、独自の配色や形状のものが多い。採用している学校実在しない襟のセーラー服(右図)はこの例である。

また、学校制服としてではなくても、セーラー服を着ているキャラクターは多く存在する(VOCALOID鏡音リン・レンなど)。旧帝国海軍の艦モチーフとする艦娘制服も、大半がセーラー服である。

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最終更新:2024/03/19(火) 11:00

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最終更新:2024/03/19(火) 11:00

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