ソフトベンダーTAKERUとは、かつてブラザー工業が製造・運営していた、コンピュータソフトウェアの自動販売機である。
1986年稼働開始。初期名称「ソフトベンダー武尊」(読みは同じ)。主にパソコンショップの店頭に置かれていた。
元々は、パッケージソフトウェアを販売する形式のショップにて、売れ筋のソフトはすぐに売り切れ、そうでないソフトはいつまでも在庫として残る、という問題を根本解決することがテーマであったという。
TAKERU本体内に格納されているのは汎用のブランクメディアとマニュアルの用紙であり、そこに格納されるべきデータが購入した時点で初めて書きこまれてソフトウェア商品となる。売り切れも不良在庫も発生する心配がないこのシステムは当時としては画期的であった。
初期は「手に入りにくくなった過去の人気作を品切れを気にすることなく安価に購入出来る」ことをセールスポイントとしていたが、次第にオリジナルソフトも増えていった。ちょうど8bitから16bitへの移行期と重なっていたこともあって、パソコンショップの棚の確保が難しくなりつつあった機種のゲームがTAKERU専売でリリースされた。
TAKERU専売ゲームで代表的なものの一つに、日本ファルコムの人気タイトルであったソーサリアンの追加シナリオがある。TAKERU版は日本ファルコムが開発に関わらないものであったが、一年以上にわたり全7本が発売された。
その他には、ログインソフト(アスキー)が多くのタイトルを揃えていた。雑誌『ログイン』誌上で開催されていたプログラムコンテストで入賞した作品を販売しており、現在でも新作が出続けているツクールシリーズもTAKERU専売ソフトから始まっている。「アドベンチャーツクール mkII」「RPGツクール まみりん」「ヨコスカウォーズ」「タテスカウォーズ」といったタイトルが発売され、特に「RPGツクール まみりん」は1万5000本を売るヒット作となった。
変わり種としては、満開製作所が発行していたディスクマガジンである「電脳倶楽部」がバックナンバーも込みで購入可能となった。
後期には、同人ソフトなどの、通常の店舗では陳列が期待できないようなソフトの販売も積極的に行われていた。特に同人ソフトは、当時は全国に向けて発信するチャネルが非常に限られていたこともあり、登竜門としての扱いを受けていたという。
変わった所では、TAKERUの操作画面をシミュレートした「おうちでTAKERU」というソフトも存在した。TAKERUの操作のチュートリアルと、販売されているソフトのカタログを兼ねたソフトであり、当時の付録ディスク付きPC誌・書籍に収録されているケースもあった。
対面販売を伴わず、メディアも汎用のものであるため、アダルトソフトの購入がしやすいという感想もあったという。ただし、展開元がブラザーであったため、アダルトソフトの提供についてはパーソナルコンピュータソフトウェア協会の認定を受けたものに限定していたとのこと。
また、TAKERU CLUBという会員制度も存在した。TAKERU CLUBに入会することで、会員価格での特別販売、会報誌「TAKERUわあるど」の購読(無償)、マニュアルの別送が必要なソフトにおけるマニュアルの自動発送(非会員の場合はマニュアル発送券を郵送する必要があった)などの特典を受けることができた。
最盛期には全国で300台が稼働していたとのことである。もっとも普及目標台数は2000台だったとのことだが、当時はコンピュータソフトウェアの市場自体があまり大きくなかったこともあり、残念ながら届かなかったとのことである。また、当時は現代のような固定費用での高速通信回線が存在しない時代であったため、データのダウンロードにかかる通信費用が莫大であり、また回線状況によってはダウンロードに非常に時間がかかることもあったという。
後にメディアがCD-ROM中心になった際、従来回線ではダウンロードに非常に時間がかかることになり、現実的に販売できない、しかし完成品のCD-ROMメディアを本体に格納する形ではソフトウェアの物理的な在庫に縛られることになり、TAKERUである必要がない、というジレンマが発生してしまった。これがTAKERUの限界であったという。
ファミリーコンピュータのソフトウェアを配信することも検討されたとのことであるが、具体化はしなかった。
1997年、稼動終了。現在では、名古屋にある「ブラザーコミュニケーションスペース」にて、展示されている実機を見ることができる。
ソフトはパッケージなし、マニュアルはドットインパクトプリンタの紙ペラ(物によっては後日郵送して貰える)、フロッピーディスクのラベルもTAKERUの文字が入っただけで何も書いていないもので、まるで不正コピーしたもののようで利用者の好感度は低かった。
末期には普通のパッケージソフトもTAKERUで扱うようになっていたが、前述のとおり在庫の問題を解決する手段というTAKERUの存在意義そのものを否定していた。
また、通信を使ってソフトをダウンロード→書き込みというのは非常に時間がかかるものであり、前の人が利用を始めたら次の人が利用できるようになるまで1時間待ちとか当時では普通にあった。そのため店によってはカウンターの中にTAKERUを入れてしまい客が使えないようにして、店員が客の注文を受けて操作し「明日にはできてるから取りにおいで」というところもあった。
そして当時は固定料金で大容量回線なんてない時代、というかISDNですら普及がやっと始まったという時代。通信料がTAKERU事業を圧迫していた。1000万円稼ぐためにコストが1400万円もかかったなんてこともあったという。
初期CM。「武尊」名義。
TAKERUに関するインタビュー記事が掲載されている。本項記事中のデータは本書を参考にした。
掲示板
6 ななしのよっしん
2016/10/14(金) 19:28:06 ID: TTCjhiUlNN
http://w
秋葉原UDXで二日限りの復活!
7 ななしのよっしん
2017/01/15(日) 21:14:16 ID: FNApd5zb4a
8 ななしのよっしん
2022/08/10(水) 18:36:59 ID: CXaWUUL5rI
昨日テレビで特集してたから知ったが、
今でいう負けハード。って感じだ。
ファミコンでゲームやる時代にパソコン持ってる人そんないないよ。
カラオケに舵を切って大逆転。
用途が間違ってただけで発想はあってた。
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最終更新:2024/04/20(土) 08:00
最終更新:2024/04/20(土) 08:00
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