タマモクロス 単語

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タマモクロス

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88年、天皇賞(秋)

芦毛は走らない』
この2頭が現れるまで、人はそう言っていた。

芦毛芦毛一騎打ち
宿敵が、強さをくれる。

か。
そのの名は、タマモクロス。

突せよ。

JRA2012年天皇賞(秋) CMより

タマモクロスとは、1984年生まれの競走馬種牡馬芦毛最強時代の一番手として登場した名である。実に浪節なであった。

な勝ち
1987年:鳴尾記念(GII)
1988年:天皇賞(春)(GI)、宝塚記念(GI)、天皇賞(秋)(GI)、阪神大賞典(GII)[1]金杯(西)(GIII)

1988年JRA賞最優秀5歳以上、最優秀父内国産馬年度代表馬
1988年東京競馬記者クラブ賞、関西競馬記者クラブ

曖昧さ回避 この記事では実在競走馬について記述しています。
このを元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクターについては
タマモクロス(ウマ娘)を参照してください。

デビュー前

シービークロスグリーンシャトー、*シャトーゲイという血統。シービークロスは「白い稲妻」とまで呼ばれた追い込みを得意とした人気。ただし、八大競走に限らず現代におけるGIクラスレースには勝てておらず、種牡馬としても本の世代が初年度であった。

生まれた錦野牧場中堅牧場だったが、錦野章代表は大きな野望の持ちで、シービークロス種牡馬入りに尽するなど強いを造るべく大変な努をしていた。しかしながらサラブレッド生産というのは簡単に結果が出る世界ではない。頑れば頑るほど借が転がるように増えて行く。タマモクロスが生まれたのはそんな頃だった。

錦野氏はタマモクロスを見て「これは走る!」と直感した。そして、このはきっと高く売れて、借返済の助けになるだろうと期待したのだった。

ところが、ついた値段は500万円。実績の種牡馬シービークロスと、名血とは言い難いでは仕方がいところではあったか。

錦野牧場には既に億単位の借があり、錦野氏は泣く泣くその値段でタマモクロスを売ったのだった。その後、錦野牧場はタマモクロスが活躍を始める前に倒産してしまう。タマモクロスの1歳下のミヤマポピーもタマモクロスの才が開したのと同じ年にエリザベス女王杯優勝しており、あと数年経営が持ちこたえられば違う未来もあったかもしれない。グリーンシャトーも他の牧場を転々とした末にマエコウファーム(現在ノースヒルズ)で死亡している。

デビュー後

デビューは3歳の3月で、かなり遅かった。これは、タマモクロスが非常に神経質で体質も弱く、十分な調教が積めなかったからである。だがここで惨敗し、3戦ダート戦で初勝利を挙げたものの、その後も落事故に巻き込まれての競走中止があったりツキも良くない。
北海道開催に向かうがここでも大きな変わり身はなく、シーズン関西に戻ってきて3・3着と好走を見せたが、所詮は400万下(現在1勝クラス)でのこと、要はイマイチから抜け出せない。

転機が訪れたのはも深まったころだった。勝ちきれない流れを断つために気分転換に芝を走らせてみようか、という話になって出走した京都2200mの400万下において、いきなりの変わり身を見せた本はほぼ追われることもなく7身差で圧勝。勝ちタイムは同日に同コースで行われた菊花賞トライアル京都新聞杯べても、斤量こそ2kg軽いとはいえ0.1速い。小原伊佐調教師につままれたような気がしたそうである。
この当時は同一開催中であれば斤量負担を増やすことで一度勝ち上がったクラスでも特別戦に限り出走できるルールがあった。「負かした相手が弱かった?」「たまたま何かの弾みで好走した?」という疑問を確かめるために中1週で京都2000mの400万下藤森特別を使ったら今度も8身差圧勝。周りの見るが違い始めたのはこの時からである。

こうなりゃ連闘で菊花賞だ!というもあったそうだが、小原師は先述のように決して心身が強くないこののことをよくわかっていた。「ここで理をさせたら絶対ダメになる」と生涯一度の出走チャンス然と見送り、タマモクロスを当時12月阪神2500mで施行されていた鳴尾記念に出走させる。ここだって格上挑戦だ。しかも古混合だし。ただハンデ戦なので斤量は53kg、トップハンデとなる前年の菊花賞メジロデュレンは59kg。この差は大きい。上手くすれば初重賞というもくろみである。

いやいや、それどころではなかった。スタート出遅れたタマモクロスは4コーナー群に乗り込むと一気に突き抜け、レベルの違う脚色で他を引き離したのだった。6身差、コースレコード勝。「おい! あれ! スゲェよ!」ファンスタンドで騒然とした。

次は正月金杯(西)。「なんで有馬記念に行かんの?」と思えるようなローテだが、タマモクロスは飼葉喰いが細く、レース後の消耗がしいだったのだ。なので中2週で相手の強い有馬記念は、出走を直訴する競馬記者までいたがパス。しかし春の天皇賞を狙うなら内回り2000m(当時)の金杯ではなく外回り2200m(当時)の日経新春杯の方が良さそうなものだが、オーナーが「年のはじめの金杯杯」と縁起担ぎを希望したためこちらに回った。

その金杯スタートで後手を踏み、追走にも苦労する。直線入り口では他のごちゃごちゃ前にを造っていた。こりゃあかん上の南井克巳騎手もあきらめかけた。ところが、そこから群を縫うように、とんでもない内から猛然と突っ込んで突き抜けたのである。えええ~??? 見ていたファンには何が起こったのか分からなかった。直線だけで15頭をごぼう抜き。「白い稲妻」の再来である。これで重賞2連勝。

次の阪神大賞典スローペース、そして直線で前が詰まりながらも物凄い根性で首を伸ばし、なんと全に勝ちパターンだったダイナカーペンターとの同着優勝に持ち込んだ。中央競馬での重賞1着同着は9年ぶり。結果的に連勝街道で最も苦戦したレースとなった。

こうなればもう、天皇賞(春)ももらったようなものであった。レースでは、ここも内から一気の末脚を披露して「これはもう楽勝です」との実況を背に3身差でゴールシービークロスも成し得なかったGI勝利を勝ち取ったのだった。表式、生産者を称える表台の上に人の姿はかった。錦野牧場はこの時点で名前すら残っていなかったのである。なお、このレースでは上の南井騎手GI初制覇であった。南井騎手は直線でムチを28発も入れ、その勢いでゼッケン割れていたという。

追われる者たちからすれば
その疾走は恐怖
ひたひたと背後まで迫り
彼らの下を脅かす

革命を望む者たちにとって
その躍動は希望
果てまでも地をあたため
次なる時代を切り拓く

だからこそのグレイ
の交錯

JRA名馬の肖像タマモクロスexit

続くは宝塚記念。ここには当時の中距離ニッポーテイオーが出走しており、この距離ではニッポーか?ということでタマモクロスは二番人気だった。おいおい、タマモクロスが2500mでレコード勝ちしたのを忘れたのか? 実際、レースではニッポーテイオーを並ぶ間もなく交わして圧勝。ニッポーテイオー営は「全てが計算通りだったのに」「相手が強いとしか言いようがい」と旗を揚げるほかかった。

前年の今頃は条件戦をうろうろしていたとは思えない強さで、タマモクロスは敵しと言っても過言ではない最強の座に君臨したのであった。

・・・しかし、最大のライバルは思いもよらぬところから現れた。笠松競馬場というマイナー競馬場からやってきた芦毛は、クラシック登録がいせに、重賞荒らしまわっていたのだった。なんと重賞6連勝。古をも問題にせず、歴戦の猛者たちをことごとく粉砕していくそのの名は、オグリキャップ。タマモクロスと同じ芦毛を、ファンは脅威の見つめていた。そして必然的に思ったのである。

「タマモクロスとオグリキャップ、どっちが強いのだろう?

その疑問に答える舞台がやってきた。この年の秋の天皇賞である。

ライバルとの激闘

タマモクロスはこのGI3連戦を予定しており、体質的な問題もあって休み明けにステップレースを使わなかった。オグリ毎日王冠シリウスシンボリを問題にせず圧勝している。順調さはややオグリ有利か? と思われていた。そのためか一番人気オグリキャップだった。

このレース、驚いたことにタマモクロスはいきなり2番手に占位した。ええ? 追い込みの切れ味に定評があるタマモが? ファンは仰した。そのまま直線へ。オグリキャップは絶好の手ごたえで外から追い込みに掛った。タマモクロスはなんか逃げレジェンドテイオーを交わすのにも手間取っている?

いや、そうではかった。南井騎手オグリが来るのを待っていたのだった。オグリが来るのを確認すると、タマモクロスにゴーサインが出される。するとく間に加速してレジェンドテイオーを交わし、追い込んでくるオグリキャップを引き離す。懸命に追い込むオグリだが、1身1/4が永遠に詰まらない差に思えた。

そのままタマモクロスが優勝天皇賞は長い間勝ち抜き制で一度勝ったは出走権を失うというルールがあったとはいえ、そのルール後にあのシンボリルドルフでもなし得なかった史上初の秋天皇賞連覇を果たしたのであった。ちなみにオグリキャップゴール後、タマモクロスを物凄い形相で睨み付けて悔しがったそうである。

続くジャパンカップ。堂々の日本代表はタマモクロスだった。オグリキャップも出ていたが、ここはやっぱり外が相手であった。レースでは直線入り口でペイザバトラーと並んで抜け出す形になったのだが、「タマモクロスは並ぶと強い」ということを事前リサーチしていたペイザバトラークリス・マッキャロン騎手が、を思い切って内に切れ込ませてタマモと体を合わさせないという戦法に出た。タマモクロスはジリジリ追い込んだがペイザバトラーの2着。オグリキャップは3着。タマモクロスの連勝は8でストップしたのだった。

タマモクロスは有馬記念引退が決まった。高齢の馬主が「タマモクロスの子供が見たい」と言ったかららしいのだが、結局、この願いはわなかった。

ここには最後の辱の機会に燃えるオグリキャップも出走してきていた。この時、昭和天皇の病状の悪化が伝えられており、このレースがおそらく昭和最後の有馬記念になると思われていた。そこで行われる芦毛対決ファンの期待も最高潮だった。

しかし、ただでさえ体質が弱いタマモクロスは戦続きの、もうボロボロだった。ステップレースを使わずにGIのみの出走とし、さらに関西関東の往復を減らすために天皇賞の前からずっと東京競馬場に滞在し続けるなど、やれる限りの手は打っていた。ジャパンカップの後も東に戻らず、オグリキャップと一緒に美浦トレーニングセンターに滞在したのだが、なんとこれが裏に出てしまい、慣れない環境で精が参ってしまってカイ食いが進まない。正直、回避も考えられたというが、王者は挑戦者を迎え撃つのが義務。理を押して有馬記念に向かったのだった。

レースではタマモクロスは出遅れ、それでも3コーナーから捲って外から先頭に並びかけた。しかし、そこで満を持して待っていたのが岡部幸雄騎手上のオグリキャップ秋の天皇賞とは逆の展開となり、懸命に追い込んだもののオグリキャップに半身届かない。

最後の最後でオグリキャップに名を為さしめたタマモクロス。しかし、負けて強し。タマモクロスに辱して、芦毛最強の後継に名乗りを上げたオグリキャップは、このあと、希代のアイドルホースとしてのを歩みだすことになるのである。

引退後

か 
タマモクロス

JRA「ヒーロー列伝」No.25 タマモクロスexit

通算18戦9勝。しかしながら、本格化してからは一気に連勝街道を駆け上がったその姿は、正にい昇りと言うにふさわしい戦績である。

灰色でなんか斑があり、身体は細くてみたい。およそ強そうに見えないであったが、追い出してからの加速と根性が凄いだった。首をグイーッと伸ばしながら必死に伸びてくるその姿は、どこか同情を誘うようであり、頑って走っている感が物凄く漂っていた。

時はバブルバブルは楽な時代と言われる事もあるが、同時に「24時間働けますか?」なんて言われて、サラリーマンは遊ぶ暇もなく必死にがむしゃらに働いた時代でもあったのだ。潰れた牧場からやってきて、下積みの苦労も悲哀も存分に味わい、レースではがむしゃら必死に走る。そんな浪節溢れる姿に、に中年以上の競馬ファンは深い共感を覚え、援を送ったのだった。

引退後、種牡馬となったタマモクロスは、カネツクロス以下の重賞勝利を多く出して頑った。こういうさも、なんというか古き良き日本の美徳を感じる。

GIこそ輩出出来ず、直系も既に絶えてしまったが、2022年に彼をにもつナランフレグ高松宮記念を制している。今後も系に入った彼の血が日本競馬を縁の下から支え続けることだろう。

2003年死亡。後継が残らなかったのは残念である。ちなみに競馬漫画の「みどりのマキバオー」の主人公ミドリマキバオーはこのモデルであるとされている[2]。また、シービークロス、タマモクロス子の称でもあった「白い稲妻」も競馬漫画風のシルフィード」「神話マルス」に使われており、競馬漫画に縁のあるだった。

オグリキャップは第二次競馬ブームの火付け役と言われているが、その人気は迎え撃つタマモクロスが厚いとなって立ちふさがり、名勝負を重ねたからこそ高まったのだ。その意味で、タマモクロスは競馬新時代のきっかけになった名だったと思うのである。

血統表

シービークロス
1975 芦毛
*フォルティノ
Fortino
1959 芦毛
Grey Sovereign Nasrullah
Kong
Ranavalo Relic
Navarra
ズイショウ
1968 芦毛
*パーソロン Milesian
Paleo
ムラ *タークスリライアン
*ローヤルデイール
グリーンシャトー
1974 栗毛
FNo.21-a
*シャトーゲイ
Chateaugay
1960 栗毛
Swaps Khaled
Iron Reward
Banquet Bell Polynesian
Dinner Horn
インビー
1966 鹿毛
*テューダーペリオッド Owen Tudor
Cornice
コーサ *ヒンドスタン
*ミスチヤネル
競走馬の4代血統表

クロスHyperion 5×5(6.25%)

シービークロス金杯(東)毎日王冠目黒記念(秋)など26戦7勝。
グリーンシャトーは19戦6勝。タマモクロス以外の産駒にはエリザベス女王杯優勝のミヤマポピー(カブラヤオー)がいる。
*シャトーゲイケンタッキーダービーベルモントS優勝プリークネスS2着など24戦11勝の名アメリカでの種牡馬成績が振るわなかったため日本に輸入された。

主な産駒

関連動画

関連コミュニティ

関連項目

外部リンク

JRA賞最優秀父内国産馬
優駿賞時代 1982 メジロティターン | 1983 ミスターシービー | 1984 ミスターシービー |
1985 ミホシンザン | 1986 ミホシンザン
JRA賞時代 1980年代 1987 ミホシンザン | 1988 タマモクロス | 1989 バンブービギン
1990年代 1990 ヤエノムテキ | 1991 トウカイテイオー | 1992 メジロパーマー |
1993 ヤマニンゼファー |1994 ネーハイシーザー | 1995 フジヤマケンザン |
1996 フラワーパーク | 1997 メジロドーベル |1998 メジロブライト | 1999 エアジハード
2000年代 2000 ダイタクヤマト | 2001 該当※1 | 2002 トウカイポイント | 2003 ヒシミラクル |
2004 デルタブルース | 2005 シーザリオ | 2006 カワカミプリンセス |
2007 ダイワスカーレット
※1.該当しを除く最多得票ナリタトップロード
競馬テンプレート

脚注

  1. *ダイナカーペンターと同着
  2. *つの丸がカスケードのモデルであると明言したフジキセキケースと違い、タマモクロスの場合はマキバオー遇が似ているとして対決の相手として名はしたがモデルであると明言はしていない。なお、血統のモデルはおそらくウイニングチケットであると思われる。ただしつの丸はタマモクロスのファンであることを言しており、続編「たいようのマキバオー」の主人公ヒノデマキバオーは本モデルにした「タマクロス」である。また、漫画作品『ウマ娘シンデレラグレイ』が掲載誌ヤングジャンプにおいて集英社競馬漫画コラボと言えるマキバオーとのコラボイラストを掲載した際には主人公であるオグリキャップを差し置いてタマモクロスが採用されている。
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