タムロチェリー 単語

タムロチェリー

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タムロチェリーTamuro Cherry)とは、1999年生まれの日本競走馬栗毛

2023年現在グレード制導入以降でJRAGⅠを制した一の青森であり、子世代でも孫世代でも大穴を開けている青森ファミリーの祖。

な勝ち
2001年阪神ジュベナイルフィリーズGⅠ小倉2歳ステークスGⅢ

りんごの国のさくらんぼ

衰退馬産地の失敗種牡馬

*セクレト、ミスグローリーサクラユタカオーという血統。
……と、血統の説明をする前に、まずは彼女の生まれた場所についてから話していこう。

タムロチェリーは1999年4月2日青森県上北七戸町諏訪牧場で生まれた。
青森県は60年代ぐらいまでは数多の名を輩出する、北海道と並ぶ一大産地だった。しかし70年代以降、競走馬の生産は北海道に一極集中していき、青森産は見るもなく衰退。現在も細々と競走馬の生産は続いているものの、全体の1%程度の生産頭数で、規模的には九州産馬とどっこいぐらいである。
そんな状況なので、青森もが認める名といえば1979年年度代表馬グリーングラスが最後。そのグリーングラスを送り出したのが諏訪牧場であった。

もちろん、青森の生産牧場も手をこまねいてばかりいたわけではない。諏訪牧場牧場長が中心となり、青森復活の切り札となる種牡馬の輸入に動いた。そうして1993年から諏訪牧場に繋養されたのが、*セクレトである。
セクレトはアメリカ産のノーザンダンサー産駒アイルランド調教され、僅かキャリア4戦で1984年エプソムダービーを制した一の敗戦であるアイルランド2000ギニーではサドラーズウェルズと鎬を削り、エプソムダービーではエルグランセニョールを破った名である。そのまますぐ引退してアメリカ種牡馬入りしたが、種牡馬としては立った成績を残せず、繋養されていた牧場が解散してしまったため、1992年130ドル日本に輸入されることになった。

しかしセクレトの産駒それはもうさっぱり走らず、活躍したのはアメリカ時代の産駒だったマル外フィールドボンバーぐらい。青森の切り札は全に期待を裏切る大失敗に終わってしまい、タムロチェリーが生まれた1999年18歳死亡した。

そんなセクレトをつけられたミスグローリーも、岩手競馬で7戦2勝というどうということもない地方。3代Gailyまで遡れば同じ牝系からあのピルサドスキーファインモーション兄妹が出ていたりはするのだが、それより下の近には全く活躍はおらず、良血とは言い難い。そもそも良血なら青森なんぞにはいないという身も蓋もない話である。

しかしセクレト×ミスグローリーの配合からは、生産者が「ダービーを獲れる」と期待させるも生まれていた。そのは生後まもなく死んでしまったが、諏訪牧場は引き続きミスグローリーにセクレトを配合し、この配合の3頭として生まれたのがタムロチェリーであった。
なお、セクレトの導入をすすめた諏訪牧場の場長は、セクレトの死亡から間もなく、タムロチェリーが生まれた翌年に彼女の活躍を見ることなく亡くなっている。

余談だがミスグローリーLyphardなので、タムロチェリーはNorthern Dancer2×5(28.13%)というなかなか見かけないクロス持ちだったりする。

抽籤の景品はさくらんぼ

ともあれそんな配合で生まれた彼女は、2000年八戸市場でセリに出されたが、失敗種牡馬のセクレト産駒、しかも小柄なということでほとんど見向きもされなかった。そんな彼女スタート価格の400万円(税抜)で競り落としたのが日本中央競馬会だった。

JRA宮崎育成牧場で育成された彼女は、2歳となった2001年、いわゆる「抽籤」として配布されることになった。これはJRAが自前の施設で育成したを、プロ野球ドラフト会議みたいなウェーバー方式で希望する馬主に販売する制度で、2004年まで行われていた(現在は「JRAブリーズアップセール」という競りに出す方式に変わり「育成」と呼ばれる。活躍セイウンワンダーヨカヨカテリオスベル等)。

タムロ」冠名を用いる鹿児島の建設会社社長谷口オーナーの代理として、阪神競馬場での抽籤に参加した開業4年西園正都調教師名された彼女は、谷口オーナーによって「タムロチェリー」と命名され、そのまま東の西園厩舎に入厩することになった。

笑顔咲く君と幸せの空

2001年7月15日小倉・芝1000mの新馬戦にて幸英明上にデビュー。14.7倍の7番人気だったが、他を怖がって外に逃避し11着に惨敗。
中2週で折り返し新馬戦(芝1200m)に向かうと、67.5倍まで評価を下げたが、最後方から断然の上がり最速の末脚を見せ、それでも勝ちから7身以上離されたが一応の3着。
再び中2週で芝1800mに距離を伸ばして未勝利戦に進むと、中団からレースを進めて上がり最速の脚で1番人気オモシロイ(小田切有一の所有馬)をクビ差差しきって初勝利を挙げる。

この勝利で、なんと連闘で翌週の小倉2歳ステークスGⅢに挑戦。前走1800で勝ち上がった1200の重賞に連闘で出てくるのだから人気するわけもなく、幸英明も3番人気ブライアンイブに取られてしまい小池生がテン乗り。15頭立ての15番人気、単勝107.8倍であった。
しかし思いっきり前傾ハイペースの流れを最後方から進めたタムロチェリーは、3コーナーから4コーナーにかけての下り坂で勢いを付けると、小倉の短い直線を大外から猛然追い込んだ。最後は先行策から抜け出した2番人気オースミエルストをクビ差かわしたところがゴール
連闘の最低人気単勝万馬券大穴を開ける重賞初制覇を飾り、みんな然であった。

一休みを入れたタムロチェリーは、11月ファンタジーステークスGⅢ小池騎手と向かった。体重は+16kg。成長分よりも太め残りと見られたか、あるいは前走は前潰れの展開が利したとでも見られたのか、重賞イナーにもかかわらず8番人気。そしてレースでも進出しようとしたところで群に進路を失って下がってしまい見せ場なく10着に撃沈してしまう。

この敗戦で西園師は小池騎手から乗り替わりを決め、名手オリビエ・ペリエに騎乗を依頼した。迎えた大一番・阪神ジュベナイルフィリーズGⅠは18.0倍の7番人気。この年の戦線はここまで抜けた存在がおらず混戦ムードだったが、その中でもタムロチェリーは決して立った存在ではなかった。前走の大敗のわりにオッズがそれほど高くないのは、このときペリエがゼンノエルシドマイルCSジャングルポケットジャパンカップと2週連続GⅠ制覇中という上評価が上乗せされたものだっただろう。

そして、3週連続で名手オリビエ・ペリエマジックが炸裂する。

営出身のアローキャリーマイペースに引っぱる展開の中、中団の外につけたタムロチェリーとオリビエ・ペリエ群に揉まれるのを避けて外を回していくと、直線でもアローキャリー逃げる中を大外から追い込む。後続勢がアローキャリーを捕らえきれずにもがく混戦の中、外からじわりと伸びてきたタムロチェリーが最後はまとめて集団をかわし、アローキャリーを差し切ってゴールに飛び込んだ。

オリビエ・ペリエJRA史上初となる3週連続GⅠ勝利谷口オーナー西園師も嬉しいGⅠ初制覇。そして青森GⅠ制覇はグレード制導入以降では初。それ以前まで遡っても、実に1979年有馬記念グリーングラス以来22年ぶりの快挙だった。また、デビュー戦で2桁着順だったが2歳GⅠを勝ったのは、グレード制導入以降、2023年現在彼女一である。
青森産の失敗種牡馬産駒、新厩舎所属で小規模個人馬主の所有馬が2歳女王き、もちろんこの年のJRA賞最優秀2歳を受賞した。

その後

青森となったタムロチェリーは、2歳女王として堂々と3歳クラシック戦線へと向かったが、残念ながら3歳以降の彼女は急速にきを失ってしまった。[1]最終的に4歳北九州記念を最後に現役を引退した。通算16戦3勝。

引退後は故郷の諏訪牧場で繁殖入りしたが、2007年に第3タムロスカイを産んだ後、6月頃から原因不明の身体のむくみなどを発症。8月15日に8歳の若さ死亡した。死因競走馬にはしいと見られている。ちなみに前年には阪神JFワンツーを飾った桜花賞アローキャリーも7歳の若さで亡くなっている。

残された産駒は僅か3頭のみだったが、3頭は全て同じ谷口オーナーに引き取られ、忘れ形見のタムロスカイフジキセキ)はオープンまで勝ち上がり、2013年メイステークス(OP)を単勝192.8倍の最低人気勝利子2代でオープン以上を最低人気勝利という記録を残す。

さらには未勝利で繁殖入りした産駒一のである第2タムブライト*シルバーチャーム)のから2016年皐月賞菊花賞にも出走したミライヘノツバサドリームジャーニー)が誕生。彼はなんと2020年ダイヤモンドステークスGⅢ)を単勝325.5倍の最低人気勝利し、青森として12年ぶりのJRA重賞制覇を達成。
かくしてタムロチェリーの牝系3世代で最低人気オープン勝利という一族となった。

タムブライトはまだ繁殖牝馬として現役で、産駒からも第4ミライヘノノゾミ諏訪牧場で繁殖入りしており、タムロチェリーのファミリーの血は繋がっている。いずれまた人気薄であっと言わせるが登場し、青森の勲章を新たに積み上げてくれることを期待したい。

血統表

*セクレト
1981 鹿毛
Northern Dancer
1961 鹿毛
Nearctic Nearco
Lady Angela
Natalma Native Dancer
Almahmoud
Betty's Secret
1977 栗毛
Secretariat Bold Ruler
Somethingroyal
Betty Loraine Prince John
Gay Hostess
ミスグローリー
1990 栃栗毛
FNo.11
サクラユタカオー
1982 栗毛
*テスコボーイ Princely Gift
Suncourt
アンジェリカ *ネヴァービート
スターハイネス
*グラツドタイディングス
1979 黒鹿毛
Pharly Lyphard
Comely
Gaily Sir Gaylord
Spearfish

クロスNorthern Dancer 2×5(28.13%)、Somethingroyal 4×5(9.38%)、Princequillo 5×5(6.25%)Hyperion 5×5(6.25%)Nasrullah 5×5(6.25%)

関連動画

ニコニコには……2001年阪神ジュベナイルフィリーズ動画が……ない!

仕方ないのでYouTubeのJRA公式の動画exitを見てください。

関連リンク

関連項目

脚注

  1. *4歳まで10戦したが、3歳時はチューリップ賞12着、桜花賞12着、優駿牝馬12着、ローズS14着、秋華賞13着、エリザベス女王杯12着、阪神牝馬S16着。4歳時はオーストラリアトロフィー11着、テレビ愛知オープン16着、北九州記念9着。一二桁着順じゃなかった北九州記念は10頭立てのブービーである。
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