ダイイチルビー 単語

15件

ダイイチルビー

5.0千文字の記事
  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • LINE

血の

デビュー時にはその良血ゆえに注を集めるものの、
ダイイチルビーの本当のが開するのには
5歳まで待たねばならなかった。
トウショウボーイハギノトップレディの血は、
ゆっくりを貯え、恐るべきを育てていた。
スプリンターとして、一気にその実をみせつけた'91年。
漆黒体を波打たせながら差す、その名の姿は、
血統が織り成す最上ドラマとなった。

JRAヒーロー列伝No.32 ダイイチルビーexit

ダイイチルビーとは、日本の元競走馬・元繁殖牝馬一流血統の「麗なる一族」としてでありながら安田記念スプリンターズSながら混合GIを2勝した名である。

伊藤雄二厩舎所属。騎手武豊騎手河内洋騎手

な勝ち
1991年安田記念(GI)、スプリンターズステークス(GI)、京王杯スプリングカップ(GII)、京都牝馬特別(GIII)

1991年JRA賞最優秀5歳以上、最優秀スプリンター

※当記事では、ダイイチルビーの活躍した時代の表記に合わせて、特に記載がい限り年齢旧表記(現表記+1歳)で表記します。

曖昧さ回避 この記事では実在競走馬について記述しています。
このを元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクターについては
ダイイチルビー(ウマ娘)を参照してください。

出生:夢のお嬢様

トウショウボーイ ハギノトップレディ サンシー
先述の通りは「麗なる一族」と称された優秀な系の一族に属しているが、その中でも特に優秀な成績を収めており、デビュー戦での芝1000mの日本レコード572(当時)、桜花賞エリザベス女王杯牝馬二冠制覇、古となっても重賞高松宮杯を制するなど11戦7勝の成績を上げた名である。

産駒が走ると分かるやいなや皆導入当初の不人気を返した大人種牡馬であり、種付けをするには抽選をくぐり抜けなければならなかったが、見事その抽選に当たったためトウショウボーイ×ハギノトップレディという当時のファンからすればの配合が現実のものとなったのである。

ところがの配合で生まれたダイイチルビーの脚には奇形があった。「奇形さえなければ確実に高値で売れる」とされるトウショウボーイ産駒、ましてや名ハギノトップレディとのでの脚の奇形には牧場スタッフ(´・ω・`)とならざるを得なかった。
しかし動きの良さが伊藤雄二調教師に見いだされて、事買い手もつき、名門厩舎の所属でデビューすることになった。

4歳 七光のお嬢様

脚の奇形もあって慎重に4歳デビューとなったダイイチルビー、しかし伊藤師のにらんだ通り才は確かなものがあった。デビュー戦で5身差の圧勝。しかし4歳のダイイチルビーは運が味方しなかった。桜花賞出走を桜花賞トライアルに登録したものの除外、条件戦圧勝後に登録した桜花賞も除外となった。
・・・後の活躍を考えれば、最も距離の合う1600mの桜花賞に出れなかったのはあまりにも痛手であった。忘れな草賞では2着、おなじく2000mのオークストライアルGII)でも2着とこれまでの快進撃に暗が漂い始める。それでも血統の良さからオークスでは2番人気に支持されるが出遅れた上に直線でも見せ場なく5着敗退。

オークスの敗因は出遅れのせいと見られたため、エリザベス女王杯トライアルローズステークスGII2000m)ではオークスエイシンサニーを抑えて1番人気に支持された。・・・がそこで見せた競馬は、何の見せ場のない5着惨敗。
さらにフレグモーネを発症したダイイチルビーは4歳を全休することとなってしまった。そんな間に武騎手もダイイチルビーから離れて行ってしまった。

しかし、伊藤師はこれまでの競馬からある結論を下していた。
「この1600mまでがベストだ」と。

5歳 ~安田記念 華麗なるお嬢様

騎手に振られたダイイチルビーの上は河内洋騎手に決まった。5歳での復帰戦はオープン戦陽S(もちろん1600m)である。
ところが、ここで伊藤師も思いもかけないダイイチルビーのもうひとつの才が発揮されたのである。このレース、ダイイチルビーはテン乗りのからか出遅れてしまったのである。落胆するダイイチルビーの馬券を買ってた人たち。ところが直線に入ったダイイチルビーの末脚は出色のもので勝ちにわずか半身というところまで追い詰めたのである。も先行ということで出遅れたオークス以外では先行させていたのだがそれは実は間違いで、ダイイチルビーの本当の適性脚質は後方からの末脚一気だったのである。

ともあれ、自らの適性距離と適性脚質を知ったお嬢様はまずは京都牝馬特別GIII1600m)で末脚の威を確かめるべく出。上がり3ハロン343で他を切って捨てての快勝である。中山特別(GIII1800m)ではやや距離が長かったか3着に敗れたが、ここで営はとの対決京王杯SCGII1400m)から安田記念への参戦を決めた。前年のマイルGI覇者が現役を退いており、新たなマイル王者をめている状態である。そんな中、前戦の京王杯SCでは見事に末脚一気を決め快勝。1000m578というハイペースの利もあったといえ、2着との差が1身3/4というのではぐうの音も出ない勝である。

そして本番の安田記念。まだGI看板のあるバンブーメモリーが1番人気。ダイイチルビーは2番人気である。ここでダイイチルビーは出遅れてしまうが、レース京王杯SC以上にハイペースになったためにさほど大きなにはならずレースは進んだ。
ハイペースで先行がバテて後退する中、バンブーメモリーは依然として群の中、10番人気ダイタクヘリオスが先頭に躍り出る。

しかしその時、大外から麗なる宝ダイタクヘリオスを、バンブーメモリーを、全てのを切って捨てていた。ダイイチルビーの末脚が、全てのを交わしてゴールに飛びこんでいたのである。2着ダイタクヘリオスから1身1/4差の快勝であった。

ダイタクヘリオスりも、バンブーメモリーの誇りも切って捨てた麗なる一族の末脚。それは一族の歴史に加えられた新たな1ページであった。

5歳 ~マイルCS 恋のお嬢様?

さて、こうしてGIとなったダイイチルビーであるが、ダイイチルビーにはもう一つ、大きな試練があった。それが「三代高松宮杯制覇」。もし今の世ならダイイチルビーのホームと言える1200mなのだが当時の高松宮杯は4歳時負け続けた2000m。しかし記録がかかっている以上逃げるわけにもいかない。

しかし、ここで立ちはだかったのは安田記念でダイイチルビーの2着に敗れたダイタクヘリオスだった。このは折り合えば2000mでもそれなりの実を発揮できるであり、直線一騎打ちとなったが最後はその辺の差が出たのか差及ばず敗戦となった。

このころからダイタクヘリオスとダイイチルビーでの周辺では、「ダイイチルビーはダイタクヘリオス相手だと実を発揮する」と噂されるようになった。柱で2頭が並ぶことも手伝い、実際、なり一ハロン物語ではそういう設定の漫画が登場してしまった。

高松宮杯敗戦の傷を拭うには、得意距離マイルCSダイタクヘリオス叩き潰し、マイル(女)王の座はかを明するのみである。

こうしてまずはステップレースのスワンSGII1400m)にすすんだダイイチルビー。しかし直線で伝家の宝刀が炸裂するかと思われた直前、それ以上の末脚でダイイチルビーごと切って捨てたがいた。ケイエスミラクルである。勝ちタイム1:20.6は当時のレコードタイムである。ケイエスミラクルは外ながら三流血統のとされ安であったが、血統的にはこれから大流行する血統のであり、また2度の競走生命の危機を乗り越えたという話題性からも、ダイイチルビーのライバルとしては十分な相手であろう。既に3度レコードタイム記録したこの若武者の登場で馬券師からもダイイチルビー営からも然本番に向けて燃えあがってきたのであった。

そして迎えた本番のマイルCS叩き2走での上昇を見込まれた点と、ケイエスミラクルには1600mはやや長いかとされた点から、1番人気はダイイチルビーの手に。
しかし、マイルCSでも安田記念と同様ダイイチルビーは出遅れてしまった。しかも安田記念の時と違い、前があまり競り合わずハイペースにならない。さらにケイエスミラクルマークにも合うという多重苦が襲いかかる。1番人気の宿命とはいえ、何とも厳しい立場である。
しかし、それらの多重苦を麗なる一族の伝家の宝刀で断ち切り、執拗に絡むケイエスミラクルもかわしようやく「群」の先頭に立った。

しかし、あの「群」の先に「あの」がいた。4コーナーであっという間に「群」を置き去りにしていき、ダイイチルビーの麗なる一族の伝家の宝刀を持ってしても届かないほどの差をつけたダイタクヘリオスである。

結局、ダイイチルビーは2身半差の2着に敗れた。

5歳~ 哀愁のお嬢様

マイルCS後、ダイイチルビーはスプリンターズS(当時は12月開催)の参戦が発表された。ダイタクヘリオス有馬記念参戦となった以上、相手はケイエスミラクルただ一頭である。ただ、1200mは実はダイイチルビーには未知の距離であり、ケイエスミラクルには得意距離である。さらに出遅れもあったダイイチルビーは1番人気ケイエスミラクルに譲った。

心配された出遅れもなく難なスタートを切ったダイイチルビーだが、レースハイペースで進んだため、後方待機のダイイチルビーとしてはもってこいの展開である。
そして4コーナーでいよいよ進出を開始したとき、事件は起こった。
ケイエスミラクルが脚に異常を発生して下がっていくのである。
ダイイチルビーはそれに巻き込まれかけるも上手く交わして進出、あっという間に他のを交わしてスプリンターズSを制覇、当時としては混合GIを2勝したのは初の出来事である。

ケイエスミラクルは診断の結果、粉砕骨折予後不良安楽死となった。

この結果、6歳以降も現役生活を続けることになったダイイチルビーであるが、その後の成績は奮わず引退公式にはフケ(発情)がでてしまったのことであるのだが、ファンの間では「ケイエスミラクルの故障がショックだったのでは」と考える者もいたのだとか。

ダイイチルビー、ダイタクヘリオスケイエスミラクル。この3頭の数奇な運命物語は後の競馬ファンにもり継がれていくのである。

その後

ダイイチルビーはもちろん「麗なる一族」の後継として繁殖牝馬としても期待されたが、初としてダイイチシガーを出したもののその後は不振。周辺ではダイタクヘリオスとのも期待されたがゲーム内での再現ファーストサフィー)のみにとどまった。

そして2007年4月26日に蹄葉炎にて死去した。20歳

血統表

トウショウボーイ
1973 鹿毛
*テスコボーイ
Tesco Boy
1963 黒鹿毛
Princely Gift Nasrullah
Blue Gem
Suncourt Hyperion
Inquisition
*ソシアバターフライ
Social Butterfly
1957 鹿毛
Your Host Alibhai
Boudoir
Wisteria Easton
Blue Cyprus
ハギノトップレディ
1977 黒鹿毛
FNo.7-e
*サンシー
Sancy
1969 鹿毛
Sanctus Fine Top
Sanelta
Wordys Worden
Princess d'Ys
イツトー
1971 黒鹿毛
*ヴェンチア Relic
Rose o'Lynn
ミスルミ *ネヴァービート
キユーピツト
競走馬の4代血統表

クロスHyperion 4×5(9.38%)

関連動画

関連コミュニティ

関連項目

外部リンク

この記事を編集する

掲示板

おすすめトレンド

ニコニ広告で宣伝された記事

記事と一緒に動画もおすすめ!
もっと見る

急上昇ワード改

最終更新:2024/04/25(木) 23:00

ほめられた記事

最終更新:2024/04/25(木) 23:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP