ダイナアクトレス 単語


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ダイナアクトレス

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ダイナアクトレスとは、1983年生まれの日本の元競走馬繁殖牝馬である。
エアグルーヴ以前の女傑の代名詞であり、混合重賞5勝と大活躍した名
名の由来は社台レースホースが当時使用していた冠名ダイナから連想して女優(Actress)から。
この一口馬主女優の南田洋子がいた事からも来ている。

な勝ち
1985年:函館3歳ステークス(GIII)
1987年:毎日王冠(GII)、京王杯オータムハンデキャップ(GIII)
1988年:スプリンターズステークス(GII)、京王杯スプリングカップ(GII)

(以下、馬齢表記は断りがない場合旧馬齢表記)

概要

言わずと知れた種牡馬ノーザンテーストクラシック未出走ながら古相手に活躍し、1978年の最優秀四歳を受賞したモデルスポート、
トムフール系の種牡馬モデルフールで、は遡るとアメリカの名繁殖牝馬ラトロワンヌがいる良血である。
牧場時代からすばらしいバネと荒い気性を見せており、走る話題になっていた。

1985年北海道デビューすると卓越したスピードで3連勝。つけた着差が合計16馬身重賞函館三歳ステークスも軽くぶっこ抜きダービー挑戦すら視野に入れられる程であった。
しかしその後脚に不安が出てまで長期の休養を強いられる。その間にメジロラモーヌというい女傑が出現。彼女の打倒を第一標に据えることとなった。

というわけで、桜花賞へ向けてのギリギリのタイミングである3月22日すみれステークスで復帰。しかしここでゲート入りを嫌って大暴れ。
ゲートを壊さんばかりに暴れてパニック状態となってしまいレースどころではなくなったが体に異常がなかったため出走。
もちろん最下位大敗。勝ったら逆になんなんだというryこのご乱行で出走停止一ヶ調教再審の罰則が適用され、桜花賞へのは絶たれた。
なんとかオークスへ出走するべく四歳牝馬特別(東)へ向かったが、嫌いなゲート調教続きでストレスがかかっていたとも言われ、
メジロラモーヌの前にいいところなく2着、オークスでも出遅れたラモーヌはおろかユウミロクにも差され3着とクラシックはいいところなく終了。
ローズステークスから始動し三度ラモーヌとの対決、そしてエリザベス女王杯での三冠阻止標にしていたがローズステークス前に股関節を痛め、4歳シーズンはここで終了となってしまう。
こうして、4歳一杯で引退したメジロラモーヌとの対決は2戦2敗で終わってしまった。万全の状態での対決が見たかったものである。 

5歳京王杯スプリングカップから始動、人気薄ながらニッポーテイオーの2着と奮闘。安田記念でも得意ではない重馬場ながら5着。
しかし当時開催だった重賞阪急杯では折り合いを欠き大敗。休養に入る。
京王杯オータムハンデから復帰。このレースから名手岡部幸雄に乗り替わると、56キロを背負いながら当時の世界レコードタイの1:32:2で駆け抜け圧勝。
その後、毎日王冠ニッポーテイオーも一蹴。天皇賞(秋)でも二番人気に推されるが、重馬場が応えたか8着に敗。
しかし次走のジャパンカップでは前走富士ステークス脅威の末脚を見せ、断然の人気に推されたトリプティクに先着してみせ、日本最先着の3着に善戦する。
この結果に当時の社台総帥吉田善哉は大いに喜び、「あの!世界トリプティクに先着した!ダイナアクトレス!」とアクトレス紹介するのが常になったという。ウザい。 
そして有馬記念に向かったが荒れ馬場メリーナイスサクラスターオーなど荒れた展開になったのが応えたか7着に終わる。
しかし年間通じてと戦い、互以上に戦った実績が認められ最優秀5歳以上に選出された。

6歳になっても現役続行。当時府中開催だったスプリンターズステークスを勝ち、京王杯スプリングカップでは、ニッポーテイオーを下し連覇達成。意気揚々と安田記念に向かったがニッポーテイオーにやり返され2着に敗れる。
毎日王冠連覇をしたがシリウスシンボリ蹴り飛ばされてしまったか5着、秋の天皇賞ではタマモオグリの前に敗し4着に終わる。
このあと、ジャパンカップ出走を予定していたが疲労が上手く取れなかったことからこのまま引退。繁殖入りとなった。通算成績19戦7勝。結局GIは取れずじまいであった。

繁殖牝馬としても優秀さを発揮し、初からステージチャンプを輩出。第二子のプライムステージも活躍。末っ子のベストロケーションもそこそこ活躍した。
孫からもトレアンサンブルからマルカラスカル(中山大障害など)、ランニングヒロインからスクリーンヒーロー(ジャパンカップなど)、プライムステージからアブソリュート(東京新聞杯など)が出ており
現役時代全敗だったメジロラモーヌや、GI制覇を阻んだニッポーテイオーかにえる実績を残した。

競走馬としての評価は才気溢れるスピードと旺盛な闘争心を備えていたが、何かが一歩足りなかったと言えるであろう。 
吉田善哉ノーザンテースト最大の大物になる」と言っていたが、その期待に十全に応えたとは言いがたい
岡部幸雄世界クラスなのは間違いない」と前置きしつつ、「何か細なきっかけで明暗が別れてしまう難しいとも述べており
「3歳の頃に力を見せつけて勝つだけじゃなく、折り合いだとか色々教え込んでおけば、良かったと思う。アクトレス教育に応える頭の良さを持っていた」と、その才を惜しんでいた。
もし最初から先を見据えた騎乗が出来る騎手を乗せていたら、どうなっていたか…今となっては永遠のであるが。
しかし、当時としては卓越したであることは間違いない。間違いないのだが…
70年代トウメイ90年代エアグルーヴ00年代ウオッカダイワスカーレットブエナビスタらを見ると物足りない感が出てしまうのは仕方のない事だとは思う。
80年代ダイナカールメジロラモーヌマックスビューティなどといった名混合戦でなかなか結果が出せなかった時代とはいえ、今となっては評価の難しいである。

血統表

*ノーザンテースト
Northern Taste
1971 栗毛
Northern Dancer
1961 鹿毛
Nearctic Nearco
Lady Angela
Natalma Native Dancer
Almahmoud
Lady Victoria
1962 黒鹿毛
Victoria Park Chop Chop
Victoriana
Lady Angela Hyperion
Sister Sarah
モデルスポート
1975 黒鹿毛
FNo.1-s(x)
*モデルフール
1963 黒鹿毛
Tom Fool Menow
Gaga
Model Joy War Jeep
Model Beauty
*マジックゴディス
1968 栗毛
Red God Nasrullah
Spring Run
Like Magic Sun Again
Grand League
競走馬の4代血統表

クロスLady Angela 3×4(18.75%)、Nearco 4×5(9.38%)、Menow 9.38%(9.38%)

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