ダミアーノ・クネゴとは、イタリア出身の師匠残念な自転車選手である。
2002年にサエコ所属の選手としてデビュー。2004年、22歳の若さでジロ・デ・イタリアで総合優勝を飾り、自転車界に衝撃を与えた。その年のジロ・ディ・ロンバルディアも勝利し、UCIランキング1位に輝いた。イタリア国民はマルコ・パンターニ以来のエースの登場に沸き、クネゴは、国民の期待を一身に背負い、マイヨジョーヌを目指すことになる。
翌年2005年はツール・ド・ロマンディ山岳賞を最後にコンディションが上がらず、ジロ・デ・イタリア中に伝染性単核球症に罹患。グランツールでの活躍は皆無であった。2006年はツール・ド・フランスで総合2位、新人賞を獲得した。この時もいまだ若手であり、ツール・ド・フランス総合優勝も時間の問題かと思われた・・・。
ツール・ド・フランスを総合優勝するために、タイムトライアルの強化を試みたところ、筋肉を付け過ぎてしまい、山岳ステージで勝てなくなってしまう。しかし、ワンデーレースには好都合な強化だったらしく、一時期ワンデーレースばかり勝利する事態になった。あ…ありのまま今起こった事を話すぜ!「おれはオールラウンダーになろうと思ったらいつのまにかクラシックスペシャリストになっていた」な…何を言っているのか(ry
しかしながら、グランツールのほうでは表彰台が遠く、ツール・ド・フランスのステージ優勝を狙っても、山岳で遅れたり小集団スプリントで負けたりと残念な結果に終わることが多かった。2009年にブエルタ・ア・エスパーニャでステージ優勝するまで、実に5年半もの間グランツールでのステージ優勝が無かった。
2010年の第9ステージでは途中から逃げ集団の先頭ローテーションをあの手この手で拒み続けながら、4人のスプリントで3位に終わるという大失態を犯す。2011年のツール・ド・スイスでは、最終ステージの個人タイムトライアルを前に1分59秒差があったにもかかわらず、4秒差の逆転負けに終わる。
2013年のティレーノ〜アドリアティコ山岳賞を最後に、UCIワールドツアーの表彰台から遠ざかり、ヨーロッパツアーでの成績も2015年のジロ・デッラッペンニーノの3位が最高の成績であった。
この低迷を衰えの兆候と見たかどうかは定かでないが、指導者になるため大学に通い始める。2015年の10月には、以前からアプローチを受けていたプロコンチネンタルチームになりたてのNIPPO・ヴィーニファンティーニに移籍。
ちなみに、ジャパンカップで2005年と2008年に優勝を飾っており、大の日本好きだったりする。
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1 ななしのよっしん
2011/07/03(日) 16:44:51 ID: M4W+6sfdAo
なぜ作ったしw
まぁネタキャラ扱いされることも多いけどまだまだやれる歳だし頑張ってほしいね
2 ななしのよっしん
2013/03/07(木) 18:33:45 ID: qWizD5J8mv
> 2011年のツール・ド・スイスでは、最終ステージの個人タイムトライアルを前に1分59秒差があったにもかかわらず、
> 4秒差の逆転負けに終わる。
そして1クネゴ=4秒という新たな単位が生まれたのであった…
まあ何ていうか、最初にすごいことしちゃったから期待値が高くなり過ぎたのもあるのかな
十分すごい選手ではあるよね
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最終更新:2025/12/08(月) 06:00
最終更新:2025/12/08(月) 06:00
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