ダミアーノ・クネゴ 単語


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ダミアーノクネゴ

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ダミアーノ・クネゴとは、イタリア出身の師匠残念自転車選手である。

概要

1981年9月19日生まれ

2002年にサエコ所属の選手としてデビュー2004年、22歳の若さジロ・デ・イタリアで総合優勝を飾り、自転車界に衝撃を与えた。その年のジロ・ディ・ロンバルディアも勝利し、UCIランキング1位いた。イタリア民はマルコパンターニ以来のエースの登場に沸き、クネゴは、民の期待を一身に背負い、マイヨジョーヌをすことになる。

翌年2005年ツール・ド・ロマンディ山岳賞を最後にコンディションが上がらず、ジロ・デ・イタリア中に伝染性単核球症患。グランツールでの活躍は皆無であった。2006年ツール・ド・フランスで総合2位、新人賞を獲得した。この時もいまだ若手であり、ツール・ド・フランス総合優勝も時間の問題かと思われた・・・。

ツール・ド・フランスを総合優勝するために、タイムトライアルの強化を試みたところ、筋肉を付け過ぎてしまい、山岳ステージで勝てなくなってしまう。しかし、ワンデーレースには好都合な強化だったらしく、一時期ワンデーレースばかり勝利する事態になった。あ…ありのまま今起こった事を話すぜ!「おれはオールラウンダーになろうと思ったらいつのまにかクラシックスペシャリストになっていた」な…何を言っているのか(ry

しかしながらグランツールのほうでは表台が遠く、ツール・ド・フランスステージ優勝を狙っても、山岳で遅れたり小集団スプリントで負けたりと残念な結果に終わることが多かった。2009年ブエルタ・ア・エスパーニャステージ優勝するまで、実に5年半もの間グランツールでのステージ優勝かった。

2010年の第9ステージでは途中から逃げ集団の先頭ローテーションをあの手この手で拒み続けながら、4人のスプリントで3位に終わるという大失態を犯す。2011年ツールド・スイスでは、最終ステージの個人タイムトライアルを前に1分59差があったにもかかわらず、4差の逆転負けに終わる。

2013年ティレーノ〜アドリアティコ山岳賞を最後に、UCIワールドツアーの表台から遠ざかり、ヨーロッパツアーでの成績も2015年のジロ・デッラッペンニーノの3位が最高の成績であった。

この低迷を衰えの兆と見たかどうかは定かでないが、導者になるため大学に通い始める。2015年10月には、以前からアプローチを受けていたプロコンチネンタルチームになりたてのNIPPO・ヴィーニファンティーニに移籍。

ちなみに、ジャパンカップ2005年2008年優勝を飾っており、大の日本好きだったりする。

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