ダリア(Dahlia)は、1970年アメリカ生まれの元競走馬・元繁殖牝馬。
同期のアレフランスとともに1970年代前半の欧州競馬を賑わせ、5年間の現役生活で48戦15勝・GI10勝という成績を残した頑丈な馬で、繁殖牝馬としても複数のGI馬を出して成功した名牝。
父Vaguely Noble、母Charming Alibi、母父Honeys Alibiという血統。父ヴェイグリーノーブルは9戦6勝の凱旋門賞馬だが、母チャーミングアリバイは71戦16勝、母父ハニーズアリバイは50戦8勝という成績を残した頑健な馬であった。なお、ハニーズアリバイは本馬が活躍した1973年に英愛リーディングブルードメアサイアーとなっている。
牝系は世界的名牝系の一つであるフリゼット系であり、ダリアの8歳下の半妹ゴールデンアリバイの曾孫には凱旋門賞でディープインパクトを破ったレイルリンクがいる。
生産所有者はネルソン・バンカー・ハントというアメリカの石油業者で、彼の専属調教師であったフランスのモーリス・ジルベール調教師の管理馬となった。ちなみにこのジルベール師は元々は大馬主ダニエル・ウィルデンシュタインの専属調教師で、後に宿敵となるアレフランスも元はウィルデンシュタインの代理人としてセリに赴いたジルベール師が落札してきたという因縁があった。
2歳時は8月のデビュー戦こそ勝利したものの、以降は5着・5着・3着と連敗し、4戦1勝でシーズンを終了した。
3歳時は始動戦のグロット賞(GIII)を勝利した後、仏1000ギニーに当たるプール・デッセ・デ・プーリッシュ(GI・1600m)に駒を進めたが、無敗で2歳GIのクリテリウム・デ・プーリッシュを勝っていたアレフランスの3着に敗戦。ここからアレフランスとの長い因縁が始まることとなり、次戦のサンタラリ賞(GI・2000m)こそ勝ったものの、仏オークスに当たるディアヌ賞(GI・2100m)では牡馬相手のリュパン賞に挑戦(7着)していたため前走で不在だったアレフランスに再び敗れ、3着以下は4馬身以上離したものの2馬身半差の2着という結果だった。
続けてアイルランドに遠征し、愛オークスに出走。ここでは5戦無敗で二冠牝馬となったミステリアスが強敵となったが、これを3馬身後方に置き去りにして完勝。更に翌週のキングジョージVI世&クイーンエリザベスS(以下「キングジョージ」)では前年の英ダービー馬ロベルトやサンクルー大賞2勝の*ラインゴールドなどの実力馬が相手になったが、後方3番手から直線で馬群をぶち抜き圧勝。2着*ラインゴールドに付けた6馬身の着差はかのミルリーフと並ぶ当時のレース史上最大タイであり、レース史上初の3歳牝馬の優勝ということもあって、ダリアは大いに評価を上げることとなった。
休養を挟んで秋はニエル賞(GIII)から復帰し、これを勝利。ヴェルメイユ賞(GI・2400m)でアレフランスとの3回目の対戦に臨んだものの同馬から6馬身半差の5着と振るわず、凱旋門賞ではキングジョージでボコボコにしたはずの*ラインゴールドの16着に沈没。2馬身半差2着に入ったアレフランスからも16馬身半差を付けられた完敗であった。
しかしこの敗戦で腐ることなく、アメリカに遠征して当時の芝トップクラスの競走であったワシントンDCインターナショナル(GI・12ハロン)に挑戦。「いい時の10%」「夏の状態には程遠い」と陣営内外から評されるほどの出来落ちではあったが、結局ノーステッキのまま上がり2F23.4秒という豪脚で全馬を差し切り、3馬身1/4差で完勝。ワシントンDCインターナショナルを牝馬が制したのはこれが初めてであった。3歳時はイギリス年度代表馬・最優秀3歳牝馬とアイルランド最優秀3歳牝馬を受賞した。
4歳時はアルクール賞(GII)をステップにガネー賞(GI・2100m)へ向かったが、4着・5着と連敗。勝ったのはどちらのレースもアレフランスであった。更に、イギリスに遠征して出走したコロネーションカップ(GI・12ハロン)でも前年のセントレジャー2着馬ブイの3着に終わった。
フランスに戻ってサンクルー大賞(GI・2500m)を勝利した後に出走したキングジョージでは、1000ギニーとディアヌ賞を勝ったハイクレアや英ダービー馬スノーナイトといった3歳の実力馬が主な対戦相手となった。しかしジルベール師が前年のクリテリウム・デ・プーリッシュを6馬身差で圧勝したヒポダミアという実力馬をペースメーカーとして投入し、このヒポダミアのハイペース逃げで先行勢が苦しくなったこともあって、中団から追走したダリアは楽に抜け出し勝利。キングジョージ連覇は牡馬を含めても史上初であった。
続けてベンソン&ヘッジスゴールドカップ(GI・10f110y≒2112m)に出走。現在「インターナショナルS」に改名されたこのレースは、2年前の第1回でいきなり英雄ブリガディアジェラードが生涯唯一の黒星を喫し、第2回でも*ラインゴールドが圧倒的人気で敗れるという嫌な流れがあったのだが、ダリアはそれを断ち切るように単勝1.53倍の圧倒的支持に応えて勝利を収めた。
フランスに戻った後、プランス・ド・ランジュ賞(GIII)に出走したが、ここでは単勝1.3倍の支持を裏切る3着に敗戦。この結果を受けて凱旋門賞は回避となり、アメリカに遠征した。
ところがアメリカに到着した後に空港から検疫施設まで100km近くの移動を余儀なくされた上、検疫自体も「恐怖の体験」と酷評されるほど長ったらしく、ようやく検疫が終了したのは目標としていたマンノウォーS(GI・12ハロン)の僅か2日前であった。しかしレースではベンソン&ヘッジスゴールドカップの後にアメリカに移籍していたスノーナイトなどを相手に、直線入り口で先頭に立って押し切り勝利した。更に2週間後のカナディアンインターナショナルチャンピオンシップS(GII・13ハロン)でも、コースレコードで勝利した。
シーズン最終戦となったワシントンDCインターナショナルこそ超スローペースが災いして先に抜け出したアドメートスの3着に敗れたものの、それでもこの年は2年連続のイギリス年度代表馬とイギリス最優秀古馬牝馬・エクリプス賞最優秀芝馬を受賞した。
5歳始動戦はガネー賞となった。ここでは前年のこのレースを勝った後にイスパーン賞と凱旋門賞を制して更に名声を高めていたアレフランスとの対戦となったが、またまたアレフランスが勝ち、ダリアは6着という結果に終わった。更に、ジャン・ド・ショードネイ賞(GII)では9着、イタリアに遠征して出走したミラノ大賞(GI・2400m)では6着、連覇を狙ったサンクルー大賞では5着と連敗を喫してしまった。
それでも、3連覇を狙ってキングジョージに出走。この年の英愛ダービー馬*グランディと、コロネーションカップでその*グランディの英ダービーより2秒以上速い時計を叩き出してレコード勝ちした前年セントレジャー馬バスティノの決闘が大きな注目を浴びる一戦で、ダリアは両馬に次ぐ3番人気に支持された。レースでは普段通り後方から追い込んだものの、後続を大きく離して一騎討ちを展開する*グランディとバスティノに全く追いつくことが出来ず、*グランディの5馬身半差3着に終わった。
次走のベンソン&ヘッジスゴールドカップでは*グランディが前走の激闘で燃え尽きていたこともあり、早めに先頭に立って押し切り連覇を達成したが、フランスに戻って出走したドーヴィル大賞(GII)とプランス・ド・ランジュ賞(GIII)で連敗。2年ぶりに臨んだ凱旋門賞では直線一気を決めて完勝した最低人気馬スターアピールの15着に大敗。連覇を狙ったアレフランスは5着で、同馬とは8戦して遂に1回も先着することが出来なかった。
その後北米遠征に出走したが、GIに昇格したカナディアンインターナショナルチャンピオンシップSはスノーナイトの4着、ワシントンDCインターナショナルでは向こう正面でバテたツキサムホマレにしか先着できずに同厩のノビリアリーの8着と敗れ、11戦1勝でシーズンを終えた。それでも内容が評価されて、イギリス最優秀古馬牝馬を2年連続で受賞した。
6歳になると、本馬はアメリカのチャールズ・ウィッティンガム厩舎に移籍した。そして試しにダート戦に出走してみたが、サンタマリアハンデキャップ(GII)では4着、サンタアニタハンデキャップ(GI)では9着と大敗を繰り返したため、芝路線に戻ることになった。
しかし環境に不慣れな面もあったのか、芝に戻した初戦のサンルイレイS(GI・12ハロン)ではシンガリ負けを喫し、ゲイムリーハンデキャップ(格付けなし)では4着、センチュリーハンデキャップ(GI・11ハロン)では3着と足踏みが続いた。
5月に入り、ハリウッドパーク競馬場で出走した一般競走を勝って7ヶ月ぶりの勝利を挙げると、続けて出走したハリウッド招待ハンデキャップ(GI・12ハロン)を勝利し、GI10勝目を挙げた。なお、ハリウッド招待ハンデキャップを制した牝馬は1972年の*タイプキャスト(プリテイキャストの母)以来4年ぶり2頭目だったが、「チャールズ・ウィッティンガムS」というレース名のGIIとなった2020年現在に至るまで、同競走を勝利した牝馬はダリアが最後である。
しかし本馬の勝ち星はこれが最後となり、その後はハリウッドゴールドカップ4着、ヴァニティハンデキャップ5着、サンセットハンデキャップ7着、マンノウォーS8着、オークツリー招待S7着とGI競走で5連敗。ラストランとなったラスパルマスハンデキャップ(GIII)でも7着に敗れ、これを最後に引退した。
通算成績は48戦15勝2着3回3着7回、うちGI10勝。獲得賞金はドル換算で148万9105ドルに達し、アレフランスに次いで史上2頭目の100万ドル牝馬となっている。特筆すべきはやはり母に似た頑健さで、3回もアメリカ遠征した上、最後はアメリカに移籍しており、競走馬生活で移動した距離は地球1周を上回る約4万1800kmとも言われる。
どうもロンシャン競馬場だけは致命的に苦手だったらしく、フランス調教時代の35戦のうち、ロンシャン競馬場での成績は14戦して[3-1-3-7]、それ以外の競馬場では21戦で[10-2-3-6]と、特に勝率に雲泥の差がある。アレフランスと8回対戦して全敗だったのは、そのうち7回がロンシャン競馬場でのものだったことも影響しているのかもしれない。
1981年にアメリカ、2016年にカナダで競馬殿堂入りしている。ブラッド・ホース誌選定「20世紀のアメリカ名馬100選」では第50位となっている。
ここまで競走馬としてのダリアの活躍を書いてきたが、本馬は繁殖牝馬としても素晴らしい成績を残した。「名牝の仔は走らない」という俗説は海外でも存在していたようだが、ダリアの仔が残した成績はそんな俗説を微塵も思わせないものであった。
最初に出た活躍馬は4番仔の*ダハールである。母同様にフランスでデビューし、リュパン賞(GI)を勝った後にアメリカへ移籍して、センチュリーハンデキャップ、サンルイレイS、サン・フアン・カピストラーノ招待ハンデキャップとGIを3勝した。後に日本にも種牡馬として輸入されたが、それ以上に本馬が勝ったサンルイレイSでシンボリルドルフが負傷し大敗(そのまま引退)したことの方が日本では有名かもしれない。
続けて産まれた5番仔の*リヴリアは*ダハールと違ってフランスではGIII1勝に留まったものの、移籍したアメリカでGIを3勝。日本で種牡馬入りした後、初年度産駒からいきなり1993年の皐月賞馬ナリタタイシンを出したが、惜しくも同年9月に11歳で夭折し、産駒は僅か5世代しか残すことが出来なかった。
他に、7番仔のデレガントはサン・フアン・カピストラーノ招待ハンデキャップを勝ち、10番仔のダリアズドリーマーはフラワーボウル招待ハンデキャップを勝って、産駒からは4頭のGI馬が出た。ダリアズドリーマーが産まれる前年に生産所有者のハントが破産したため、ダリアを含む彼の所有馬は全て競売にかけられたのだが、既に9頭の仔を産んでいたダリアが110万ドルで落札されたのも評価の高さを物語っていると言えよう。
ダリアの仔はGI未勝利の産駒も含めて牡馬7頭・牝馬6頭の13頭全てが繁殖入りし、*ダハールや*リヴリア以外にも種牡馬として日本に輸入された*ディカードレムがセンゴクシルバー(ダイヤモンドS)を出している。また牝系を見ると、日本に輸入された*ベゴニアの牝系からフサイチシンイチやアイスフォーリスといった重賞入着馬が登場し、海外でも重賞を2勝したワジドがセントレジャー馬ネダウィの母となるなど、着実に血統の広がりを見せている。
こうして繁殖牝馬としても大成功を収めたダリアは、26歳時に13番仔のタニを産んだのを最後に繁殖を引退し、2001年に死亡した。31歳という長寿であった。
Vaguely Noble 1965 鹿毛 |
*ヴィエナ Vienna 1957 栗毛 |
Aureole | Hyperion |
Angelola | |||
Turkish Blood | Turkhan | ||
Rusk | |||
Noble Lassie 1956 鹿毛 |
Nearco | Pharos | |
Nogara | |||
Belle Sauvage | Big Game | ||
Tropical Sun | |||
Charming Alibi 1963 栗毛 FNo.13-c |
Honeys Alibi 1952 鹿毛 |
Alibhai | Hyperion |
Teresina | |||
Honeymoon | Beau Pere | ||
Panoramic | |||
Adorada 1947 栗毛 |
Hierocles | Abjer | |
Loika | |||
Gilded Wave | Gallant Fox | ||
Ondulation | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Hyperion 4×4×5(15.63%)、Bahram 5×5(6.25%)
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最終更新:2024/04/24(水) 19:00
最終更新:2024/04/24(水) 19:00
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