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チェルシーFC英:Chelsea Football Club)とは、イギリス首都ロンドン西部チェルシー地区に本拠地を置く、イングランドプレミアリーグ所属のプロサッカークラブ

愛称は「ブルース」と呼ばれており、ユニフォームカラーから取られている。

概要

ヨーロッパサッカーリーグ
チェルシーFC
基本情報
創設 1905年
所属リーグ プレミアリーグ
ホームタウン ロンドン
ホームスタジアム スタンフォードブリッジ
(41,663人)
クラブカラー
代表者 トッド・ボーリー
プロサッカークラブテンプレート

クラブの創設は1905年。イングランドプレミアリーグにおいて5回の優勝UEFAチャンピオンズリーグでも2度優勝した経験のある欧州の強クラブ2003年ロシア人の大富豪ロマンアブラモビッチオーナーに就任して以降は豊富な資金力によって多くのスター選手を獲得することでビッグクラブに成長し、世界的にも注を浴びる存在となった。

同じロンドンに本拠地を置くアーセナル労働者階級の支持層が多かったのに対し、チェルシーは富裕層の支持層が多かった。暴なサポーターフーリガン)が多い事で知られたが、1992年プレミアリーグが誕生して以降は、スタジアム周辺の整備に力を入れた事もあり、今は問題がど起こる事はくなっている。富裕層が多いのは高級住宅地の中にスタジアムがあることと関係がある。

本拠地はスタンフォードブリッジマスコットはスタンフォードライオンフラムホームスタジアムが近所にある。

応援歌は「Blue is the Colour」である。コミカルでなじみやすく、易しめの英語が用いられている。日本ではモンテディオ山形応援に取り入れている。またほかにも幾つか応援歌が存在する。

日本掲示板では明治製菓キャンディーチェルシー」になぞらえて「」と呼ばれることがある。

同じ西ロンドンに本拠を置くフラムやQPRとはライバル関係にあり、両クラブの試合はウェストロンドンダービーと呼ばれる。また、2000年代以降は同じロンドンクラブであるアーセナルとのライバル関係が化しており、両チームの対戦は「ビッグロンドンダービー」と称しているが、このような呼び方をしているのは日本だけである。

歴史

1905年、スタンフォードブリッジを購入したガスミアーズとジョゼフミアーズの兄弟フラムにスタンフォードブリッジを本拠地として使用することを打診するも、これを拒絶されたことから新たにクラブを設立することとなり、「チェルシーFC」が誕生する。フットボールリーグ2部でスタートしたチームは、140kgをえていた巨GKウィリアムフォークの活躍もあって発足当初から人気を博していた。だが、その後は2部降格を経験するなど低迷し、初タイトルを獲得するにはクラブ立から半世紀の日を必要とした。

1952年テッドドレイク監督に就任しチーム改革に着手し始めると、1954-55シーズンに当時8シーズン連続でチーム得点王にいていたロイベンリーの活躍もあり、クラブ創設以来初タイトルとなるフットボールリーグ優勝という悲願を成就させる。この頃のチェルシーイングランドでもっとも魅力的なクラブの一つと評されていた。

その後は再び低迷期が訪れ、1961年にはクラブ英雄的な選手だったジミークリブスACミランに引き抜かれたことで弱体化が加速し、1961-62シーズンに2部降格の憂きに遭う。クラブ再建を託されて監督に就任した33歳のトミー・ドハーティが1シーズンで1部に復帰させると、これ以降は安定して上位を維持するようになり、1964-65シーズンフットボールリーグカップで初優勝を果たす。1970年にはデーブ・セクストン監督のもとでFAカップ優勝を果たす。1970-71シーズンにはFAカップ王者としてUEFAカップウィナーズカップに初出場し、決勝でレアル・マドリードを下して初の欧州タイトルを獲得。現在像が建てられているピーター・オズグッドなど、クラブ英雄となった選手たちが当時の力を担っていた。

1970年代半ばにオズグッドら力がチームを離れると、世代交代がうまくいかずに再び成績が低迷。2部降格を経験しただけでなくクラブは深刻な財政危機に直面する。1982年破産危機していたクラブビジネスマンケン・ベイツがわずか1ポンドで買い取るが、イングランドでも有数の暴なフーリガン集団を抱えると言う問題にも苦しみ、1980年代は昇格と降格を繰り返すエレベーターチームとなっていた。

1993年グレン・ホドルが選手兼任で監督に就任すると、チームスタイルイメージを一新させる。またこの頃、長年の懸案事項だった財政難の問題が解決したことで1995年ルート・フリットマーク・ヒューズ、ダン・ペトレスクといった大物を獲得。さらに、この年の12月ボスマン判決を受けて外から積極的に選手を獲得する経営方針にを切り、チームは多クラブへと変貌。1996年に選手兼監督に就任したフリットは、セリエAでのコネクションを利用してジャンフランコ・ゾラジャンルカ・ヴィアリロベルト・ディ・マッテオといったイタリアスター選手を加入させる。この際化方針によってクラブは活性化され、1997年FAカップ優勝1998年はEFLカップUEFAカップウィナーズカップカップ戦二冠を達成。特にファンタジスタゾラは、サポーターから絶大な人気を集めていた。

2000-01シーズンからはクラウディオ・ラニエリが監督に就任。ゾラジミーハッセバインクの2トップを中心にプレミアリーグでは優勝争いに顔を出し、UEFAチャンピオンズリーグでもベスト4に進出するなど、強クラブとしての地位を確立しつつあった。また、ラニエリはイングランド人の若手選手を積極的に起用し、ジョン・テリーフランク・ランパードが台頭したのもこの頃だった。一方、理な際化によってクラブの経営は面下でひっ迫し始めており、多額の負債を抱え込んでいた。

2003年7月ロシア人の大富豪ロマンアブラモビッチクラブを買収。オーナーに就任したアブラモビッチは、1億ポンド(約100億円)以上の補強費を投じた大補強をおこない、さらにサリー州のコバムに世界に誇れる最先端のトレーニング場を建設。さらに、シーズン終了後にはサポーターからは支持されていたラニエリを解任するという決断を下す。

アブラモビッチオーナーに就任した2年2004年FCポルト欧州制覇を成し遂げたポルトガル人の新進気鋭の青年監督ジョゼ・モウリーニョを招へい。ディディエ・ドログバEURO2004で活躍したアリエン・ロッベン、ペトル・チェフ、リカルド・カルヴァーリョ、チアゴ・メンデスという名より実の補強を敢行。すると、チームマンチェスター・ユナイテッドアーセナルという二強を抑え、勝ち点95、得失点差57という驚異的な成績による独走で50年ぶりのリーグ優勝という快挙を成し遂げる。2005-06シーズンクロード・マケレレと新戦力のマイケル・エッシェンコンビによって中盤の守備がさらに強化され、スタンフォードブリッジでは19戦18勝1分という類の強さを誇り、プレミアリーグ連覇を成し遂げる。しかし、2006-07シーズンになると、オーナー導によってアンドリーシェフチェンコとミヒャエルバラックというスター選手を補強。カップ二冠は成し遂げたものの、リーグ三連覇を逃してしまう。この頃からモウリーニョアブラモビッチの関係性が悪化し、2007-08シーズン序盤でモウリーニョは辞任する。

その後はアブラモビッチが現場に介入する傾向が強くなり、モウリーニョ退任後の2シーズンで4人の監督が入れ替わる不安定な時期を過ごすことになる。そうした中で、2009-10シーズンACミラン時代に二度のCL制覇を成し遂げたカルロ・アンチェロッティ監督に就任。CLモウリーニョ率いるインテルベスト16で敗れたが、プレミアリーグではドログバ、ランパードの2人で50得点以上を記録するなどプレミアリーグ記録となる103得点叩き出し、4シーズンぶりのリーグ制覇を果たす。さらに、この年のFAカップも制し、クラブ史上初となる内二冠を達成。しかし、翌シーズンは怪人の続出や大金をいて補強したフェルナンド・トーレスフィットしなかったこともあり、アンチェロッティは解任となる。

2011-12シーズンは、リーグ戦で低調だったこともあってシーズン途中にアンドレ・ビラス・ボアスが解任となり、クラブOBのロベルト・ディ・マッテオが暫定監督に就任する。すでに力が高齢化してピークを過ぎたうえに、監督経験のないディ・マッテオは多くを期待されていなかったが、UEFAチャンピオンズリーグ予想外の勝ち上がりを見せる。バイエルン・ミュンヘンとの決勝では、この試合を最後に退団することを表明していたドログバゴールで同点に追いつくと、PK戦ではチェフが2本を止める活躍を見せ、クラブ創設107にして初の欧州王者の座を手にする。オーナーの悲願は皮にも半ば諦めかけていたシーズンに達成されたのだった。2012-13シーズンは成績不振でディ・マッテオが解任となり、CLではグループステージで敗退となるが、UEFAヨーロッパリーグを制覇。結果的に2年連続で欧州タイトルを獲得することに。

2013年チーム黄金期を築いたジョゼ・モウリーニョ監督に復帰。就任2年となった2014-15シーズンには、レアル・マドリード監督を務めた経験を活かしてセスク・ファブレガスゲームメイクの中心に置いた以前とは違うスタイルを披露。新たに10番を背負いエースとなったエデン・アザールリーグ役として君臨するなど、5シーズンぶりのプレミアリーグ優勝を成し遂げる。しかし、課題と言われたモウリーニョ三年2015-16シーズンは、アザールジエゴ・コスタの両エースって不調に陥ったことに加え、選手とモウリーニョの関係が次第に悪化したことで低迷。結局、モウリーニョ12月に解任となり、フース・ヒディングが暫定監督となるが、シーズン冠に終わる。

2016-17シーズンは、ユヴェントス黄金時代を作り上げたアントニオ・コンテが監督に就任。コンテはユーヴェ時代に成功した3-4-3システムを採用するとこれが嵌り、第7節ハル・シティ戦から第20節のトッテナム戦に敗れるまでクラブ記録の13連勝を達成するなど好調を維持。追いすがるトッテナムを振り切り、2シーズンぶりのリーグ優勝を成し遂げる。だが、2017-18シーズンは規を重んじるコンテと力選手との確執が表面化。チームパフォーマンスは徐々に低下し、CL出場権を逃してしまう。責任を取る形でコンテは解任となるが、その後2018年に守護神ティボ・クルトワ2019年にはエースアザールがいずれもレアル・マドリードへ移籍してしまう。

2019-20シーズンクラブレジェンドであるフランク・ランパードが監督に就任。この頃、クラブは補強禁止の処分を受けていたこともあり、ランパードはメイソン・マウントタミー・アブラハムリースジェームズら若手を積極的に起用。彼らが予想以上にブレイクしたことで期待が寄せられるようになったランパードだったが、徐々に監督しての経験不足を露呈するようになり、就任2年となった2021年1月に解任となる。後任となったドイツ監督トーマス・トゥヘルは、ランパードに冷遇されていた一部力を重用し、就任間もないうちに近代的で高度なチーム戦術をチームに根付かせる高い手腕を発揮。抜群の安定感を得たチームは、UEFAチャンピオンズリーグで9年ぶりに決勝へ駒を進めると、決勝ではプレミアリーグ王者のマンチェスター・シティを相手に完封勝利を飾り、9シーズンぶり2度ビッグイヤーを獲得。

2022年2月ロシアによるウクライナ侵攻が勃発すると、ロシアのウラジミール・プーチン大統領と近い関係にあったアブラモビッチ資産イギリス政府によって凍結アブラモビッチオーナーを辞任したが、クラブチーム解体の危機に直面。2022年5月30日ロサンゼルス・ドジャースの共同オーナーであるトッド・ボーリーらの共同事業体によるクラブの買収を了したことが発表される。2022-23シーズンに総額2億5000万ポンドと言われる大補強を敢行したものの、開幕からチームは低迷。CLでディナモ・ザグレブに敗した直後にトゥヘルが解任となり、後任としてブライトンからグレアム・ポッターを引き抜く。しかし、ポッター就任後のチームCLこそベスト8に進出したものの、リーグ戦では7勝7分け8敗と成績不振に陥り、優勝はおろかCL出場権すら危うい状況となる。ボーリー会長に総額3億6360ユーロ(約510億円)もの大金を投下した大補強を敢行するが、これもマイナスに作用していた。4月3日にポッターは解任となり、残り試合をフランク・ランパードが暫定監督として揮を執ることに。しかし、ランパードはチームを立て直すには力不足だったことは明らかで、CLベスト8で敗退、公式戦1勝2分け8敗、最終的に12位シーズンを終え、2022-23シーズンの勝ち点はプレミアリーグではクラブ史上最低となる「44」と散々なものとなった。

2023-24シーズンに元トッテナム監督であるマウリシオポチェッティーノを監督に招聘。この年もオーナー導で大補強を敢行するが、チームの熟成に時間がかかり々と上位争いから脱落してしまう。それでもコール・パーマー覚醒もあって終盤戦は5連勝を記録。6位まで浮上してシーズンを終える。しかし、フロントポチェッティーノの解任を決断。後任にはエンツォ・マレスカが就任。

2024-25シーズンプレミアリーグでは課題も見えたものの、マレス監督のもと戦術面の成長、選手の見極めがうまくいき、最終的にシーズンを4位で終え、最低限のノルマであるCL出場権を確保。また、UEFAカンファレンスリーグではローテーションを採用しながらも他チームとの戦力の差を見せつけて勝ち上がると、決勝でもベティス相手に4-1で勝利し、4シーズンぶりとなるタイトルを獲得。

タイトル

国内タイトル

国際タイトル

現所属選手

背番号 Pos. 選手名 生年 加入年 前所属
- 監督 エンツォ・マレス 1980.2.10 2024 レスター・シティ 監督
1 GK ロベルトサンチェス 1997.11.18 2023 ブライトン&ホーヴ・アルビオン
3 DF マルクククレジャ 1998.7.22 2022 ブライトン&ホーヴ・アルビオン
4 MF トシン・アダラビヨオ 1997.9.24 2024 フラムFC
5 DF ブノワ・バディアシ 2001.3.26 2023 ASモナコ
6 DF レヴィ・コルウィル 2003.2.26 2023 ブライトン&ホーヴ・アルビオン
7 FW ペドロ・ネト 2000.3.9 2024 ウルヴァーハントン
8 MF エンソ・フェルナンデス 2001.1.17 2023 ベンフィカ
9 FW リアム・デラップ 2003.2.8 2025 イプスウィッチ
10 MF コール・パーマー 2002.5.6 2023 マンチェスター・シティ
11 FW ノニ・マドゥエ 2002.3.10 2023 PSVアイントホーフェン
12 GK フィリップ・ヨルゲンセン 2002.4.16 2024 ビジャレアルCF
14 MF ダリオエスーゴ 2005.3.14 2025 ラスパルマ
15 FW ニコラス・ジャクソン 2001.6.20 2023 ビジャレアルCF
17 MF アンドレイ・サントス 2004.3.3 2023 トラスブール
18 FW クリストファー・エンクンク 1997.11.14 2023 RBライプツィヒ
19 DF ママドゥ・サール 2005.8.29 2025 トラスブール
20 FW ジョアンペド 2001.9.26 2025 ブライトン&ホーヴ・アルビオン
22 MF キアナン・デューズバリーホール 1998.9.6 2024 レスター・シティ
23 DF トレヴォ・チャロバ 1999.7.5 2018 クリスタル・パレスFC
24 DF リースジェームズ(C) 1999.12.8 2017 チェルシーFCユー
25 MF モイセスカイセド 2001.11.2 2023 ブライトン&ホーヴ・アルビオン
27 DF マロ・ギュスト 2003.5.19 2023 オリンピック・リヨン
29 DF ウェズレイ・フォファナ 2000.12.7 2022 レスター・シティ
30 DF アーロンアンセルミーノ 2005.4.29 2024 ボカ・ジュニアーズ
32 MF タイリークジョージ 2006.2.4 2024 チェルシーFCユー
33 MF キアノ・ダイアー 2006.11.21 2024 チェルシーFCユー
34 DF ジョシュアチャポン 2006.5.5 2024 チェルシーFCユー
37 MF オマリー・ケリーマン 2005.9.18 2024 アストン・ヴィラ
38 FW マルク・ギウ 2006.1.8 2024 FCバルセロナ
39 GK マイクペンダース 2005.7.31 2024 KRCヘンク
42 MF ジムタウイネ 2004.3.8 2024 チェルシーFCユー
44 GK ガブリエル・スロニナ 2004.5.15 2022 KASオイペン
45 MF ロメオラヴィ 2004.1.6 2023 サウサンプトン
51 MF サミュエル・ラクサキ  2005.3.27 2024 チェルシーFCユー
55 FW アト・アンプス  2006.4.22 2024 チェルシーFCユー
59 DF ハリソン・マレー=キャンベル  2006.8.4 2024 チェルシーFCユー
64 DF エネシス・アントウィ  2007.5.11 2025 チェルシーFCユー
76 FW シュマイラムウカ  2007.10.20 2024 チェルシーFCユー
81 MF レジー・ウォルシュ  2008.10.20 2025 チェルシーFCユー
- FW ロト・フォファナ 2002.12.22 2025 バーンリーFC
- FW ミハイロ・ムドリク 2001.1.5 2023 シャフタール・ドネツク
- MF ティス・アグムー 2006.1.18 2025 レスター・シティ

※かつてジャンフランコ・ゾラの付けていた25番は、公式永久欠番とされてはいないものの、彼の退団後に付けた選手は存在しない。

過去所属していた主な選手

歴代監督

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