テクラ・バダジェフスカ(1829/1834~1861)とは、女性作曲家である。「乙女の祈り」の1曲以外ほとんど忘れ去られたため、一般向けの解説本では一発屋などとも書かれてしまっているやや不憫な存在である。
1829年にポーランドのムワヴァで、または1834年にワルシャワで生まれたと伝わっている(wikipediaでは各国語ごとに生年にかなり混乱が見られる)。姓は正確には夫との合成姓でボンダジェフスカ=バラノフスカというのだが、日本では鼻母音と夫の姓である後ろの部分が無視されてバダジェフスカと呼ばれている。
バダジェフスカが作曲活動を行っていた19世紀前半というのは、ブルジョワ家庭で娘にピアノを習わせるのが流行していた時期であった。ショパンやリストが家庭教師になってそういった少女たちにピアノを教えて生計を立てていた、というのはよく知られた話だが、一方で練習曲とは別にそういった人々のために簡単に最後まで弾ききれる演奏会向けの小品が多く作られたのである(今でも発表会でちびっこが弾いているあれとかそれである)。その一つこそバダジェフスカの「乙女の祈り」なのである。
この「乙女の祈り」は1856年に発表され、1859年にパリの雑誌で取り上げられるやいなや、大流行、一躍ピアノを学ぶ少女たちにとってのヒットチャートとなり、バダジェフスカの名前も広く知られることとなった。バダジェフスカはその後も作曲活動を続けるも、上の生没年を見ればわかる通りわずか20代で早死、後には三十数曲のピアノ用小品が残されたのみであった。さらに第二次世界大戦で彼女に関する記録や作品も散逸し、本国ポーランドでもあまり存在が知られていない作曲家となってしまったのである。
近年では再評価というまでにはいかないものの、現代のクラシック音楽を取り巻く環境も相まって「乙女の祈り」以外が取り上げられることも見られるようになってきている。
掲示板
2 ななしのよっしん
2017/04/16(日) 22:47:00 ID: OHGy6Np6SK
まさか百数十年後に東洋の島国日本のアニメで
チャイコフスキーと美少女ユニットを組まされて
挙げ句乙女の祈りの演歌アレンジを唄わされる羽目になるとは
天国で唖然としていることだろう…w
3 ななしのよっしん
2018/01/10(水) 20:11:39 ID: ngwTml0knB
ああ、早逝の上に資料が歴史の影に消えて正式な評価が受けられなかったのか
某アニメからだけどただの一発屋じゃなかったんだな……
4 ななしのよっしん
2018/03/10(土) 20:58:54 ID: 8xkPD7zN7S
境遇を考えながら聴くと泣けてくる
確かに展開のない曲だが俺は好きだ。
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最終更新:2025/12/10(水) 01:00
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