テスコガビー 単語

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テスコガビー

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75年、桜花賞

「後ろからは何にも来ない」と、アナウンサーは3度叫んだ。
10身でも収まらない、歴史的大差のゴール

テスコガビー。“スピードの美学”。

美しさは、いつも他を置き去りにする。

――2013年桜花賞CMより

 

テスコガビーとは、1972年生まれ競走馬。「後ろからは何にも来ない」であまりにも有名な名である。

通算成績10戦7勝[7-1-1-1]

な勝ち
1974年:京成杯3歳ステークス
1975年:桜花賞(八大競走)、優駿牝馬(八大競走)、京成杯報知杯阪神四歳牝馬特別

1974年優駿賞最優秀3歳1975年優駿賞最優秀4歳

概要

*テスコボーイキタノリュウ、*モンタヴァルという血統。は当時のリーディングサイアーで、の方にも歴代の日本有名種牡馬が並んでいる。なかなかの良血だと言えよう。

の気性がしかったためにに育てられたという後のテスコガビーは、くから大人びたところを見せたという。体も良く、評判を聞きつけてやってきた仲買人が「ついてない」事に気がついてびっくりしたらしい。

育成を経て入厩したテスコガビー。その時点でぐ大柄で筋肉質な体とダイナミックな走り方を見せていた。デビュー戦は府中1200m。ここを7身差で圧勝する。その強さは「クラシックはこの!」ともが思うほどだった。

をも蹴散らして圧勝続きで4連勝を飾ったテスコガビーは東京4歳ステークスに出走。ここでクラシック戦線の役になるだろうと噂されていた快速逃げカブラヤオーと対戦する。どちらもスタートから圧倒的なスピード逃げ切りを決めてきたであり、どちらが速いのかが大いに注された。

この2頭、実は両方とも上が菅原泰夫騎手だった。悩んだ末に菅原騎手はテスコガビーに騎乗した。テスコガビーは菅原騎手の所属していた厩舎のではなく、手放したら次に乗れなくなるかもしれなかったからである。同時に、菅原騎手カブラヤオーの弱点「他のを怖がる」という事を他の騎手に気付かれるのも避けたかった。そのため、カブラヤオーには子の菅野澄男騎手を乗せ、レースでは好スタートを切ったテスコガビーをあえて2番手に控えさせた。直線ではカブラヤオーが大きくよれてテスコガビーが不利を受ける場面もあったが、カブラヤオー逃げ切り、テスコガビーは2着。ちなみにこの年、菅原騎手はこの二頭でクラシックを独占することになる。

4歳牝馬特別を楽勝して迎えた桜花賞の単勝支持率は72.4%に達し、実況杉本清アナウンサー本馬場入場で「舞台でもワンマンショーを演じるか」と言った。しかしながら阪神競馬場で繰り広げられたのはワンマンショーどころではない圧倒的なパフォーマンスだった。

スタートから押して先頭に立ったテスコガビーは、ハイペースを刻みながら他を引き離す。後続は押し捲り叩き捲りで付いて行くのがやっとなのに、菅原騎手は持ったまま。

そして直線、菅原騎手が左一発入れるとテスコガビーは尻尾グルンと回して加速。唸りを上げて伸びに伸びた。杉本アナウンサーは「テスコガビー独走か!」と言っていたものの、あまりに独走なために間が持たなくなり「後ろからはなん~にも来ない!後ろからはなん~にも来ない!!後ろからはなん~にも来ない!!!」と叫んで時間を稼いだのだった。それもそのはず。二着のジョーケントンがテスコガビーに続いてゴールを駆け抜けたのは、ガビーが通過してから1.6も後だったのである。桜花賞において着差「大差」が記録されたのはこれが史上一である。[1]

続くオークストライアルは、仲澄師が取材にやってきた記者

どうしても馬主さんが使ってくれと言うんだ。今の状態ではまず勝てない。しかし、トライアルけば万全で本番に臨めることも確かだし…。今回のガビーはいらないが、その代わりトウホーパールは連を外さない。あとはうまく書いておいてくれ

(出典: 日刊競馬で振り返るGI 1975年優駿牝馬(テスコガビー)exit)

と語ったほどの調整不足で出走し、同厩トウホーパールの3着に敗れる。

しかしオークスでは、菅原騎手が「テスコガビーについていったら潰されてしまう」という他の警心を逆手に取り、前半をスローペースに落とすとそのまま8身差をつけて逃げ切った。史上5頭めのクラシック二冠馬誕生だった。

圧倒的な女王誕生に、当然この後の活躍も期待されたのであったが、オークス直後に外傷を負い、続けて右後脚を捻挫。走の疲労が溜まっていたのか、テスコガビーの状態は思うように快復せず、次のレースオークスから11ヵ後のオープン戦だった。ここでは体重がオークスよりも16kg多いという明らかな太残りで6着に惨敗。しかもまた故障してしまう。

これだけの名、当然繁殖牝馬としても期待されるところであるので、関係者はここで引退させるつもりであった。海外の一流種牡馬との交配も計画されていたという。

ところが、馬主が「どうしてももう一度レースに使いたい」と言ったがために、計画は白紙撤回。テスコガビーは育成時に滞在した青森牧場に送られた。馬主はこの時点で不動産事業の状態が悪化しており、テスコガビーの優勝賞金を当てにしていたのではないかと言われている。

そして1977年1月青森育成牧場調教中に心臓発作を起こして急死。まだ5歳であった。このテスコガビーの末路が問題となり、JRAはその後「中央競馬競走馬登録を抹消されたは、中央競馬競走馬として再登録できない」というルールを制定している。
なお、この直後にオーナーが経営していた会社が倒産したとする言説もしばしば取り沙汰されているが、後に明確に否定されている。

「テンよし中よし終いよし」とは菅原騎手がテスコガビーを評した言葉であったそうである。スタートはそれほど上手くはないが、騎手示にすばやく反応して先頭を奪い、最後には二の脚を繰り出して差を広げてしまう。気性も良く、競り合いにも強い。およそ欠点がであった。格も良く「色気を感じた」と言われるほど女性的にグラマーであったので、産駒も期待出来たことであろう。その死は日本競馬界における大きな損失であった。

実績では上回っているの並み居る名を押しのけて「史上最強」と呼ばれることも多い。それはその圧倒的なレース振りもさることながら、そのい死が、人々に強い印を与えて止まないからかもしれない。

血統表

*テスコボーイ
Tesco Boy
1963 黒鹿毛
Princely Gift
1951 鹿毛
Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Blue Gem Blue Peter
Sparkle
Suncourt
1952 黒鹿毛
Hyperion Gainsborough
Selene
Inquisition Dastur
Jury
キタノリュウ
1965 栗毛
FNo.1-o
*モンタヴァル
Montaval
1953 鹿毛
Norseman Umidwar
Tara
Ballynash Nasrullah
Ballywellbroke
オツクスフオード
1955 黒鹿毛
*ライジングフレーム
Rising Flame
The Phoenix
Admirable
ヨシヒロ 月友
万楽

クロスNasrullah 3×4(18.75%)Nearco 4×5×5(12.50%)、Blandford 5×5(6.25%)
PharosFairway 5×5(6.25%)

関連動画

関連項目

脚注

  1. *これはJRAグレード制導入以前のレースであり、JRAGI競走で大差勝ちを収めたは未だ現れていない。似たケース1976年朝日杯3歳ステークス(マルゼンスキー、13身差)、2023年マイルチャンピオンシップ南部杯(中央・地方交流競走(JpnI)、レモンポップ、2.0差)がある。
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