テューダーミンストレル 単語

1件

テューダーミンストレル

3.7千文字の記事
  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • LINE

テューダーミンストレル(Tudor Minstrel)とは、1944年アイルランド産まれ、イギリス調教競走馬である。
ブリガディアジェラードと並ぶイギリスマイラーの名であり、天才ジョッキージンクスを決定的にしてしまった

概要

Owen Tudor(オーエンテューダー)、Sansonnet(サンソネット)、Sansovino(サンソヴァーノ)という血統。
オーエンテューダーはその祖ゲインズバラハイペリオンから子3世代続けてダービーを制した第二次世界大戦っ最中だった為、英国空軍が上を飛び交うニューマーケット競馬場で行われたダービー最低人気ながら勝利した逸話を持つ。種牡馬としてはスタミナ色の強いハイペリオン産駒らしくなく、スピード色の強い産駒を多く送り出した。
サンソネットは名ムムタズマハルレディジュラーで、サンソヴァーノも名種牡馬スウィンフォード(モンズーンの先祖)の産駒ダービーを勝つなど活躍。かなりの良血と言えよう。

名は「テューダー王の吟遊詩人」という意味。オーエンテューダー(16世イギリスの王テューダー」の祖)から連想したと思われる。

デビューからダービーまで

オーエンテューダーと同じくフレッドダーリン調教師の下でデビュー
ちなみに、このダーリン調教師ダービーを7度制し、現在ではフレッド・ダーリンステークスexit(別名ドバイデューティーフリーステークス今のドバイターフの前の名前と同じでややこしい)としてイギリス1000ギニーの前戦として行われているなど歴史に残る名調教師である。

閑話休題。2歳のシーズンデビューすると、もうモノが違いすぎて連戦連勝。且つ短距離にも関わらず最低4身差以上着けるなど手が付けられなかった。
4戦4勝の8月の時点で、ダーリン師の体調を考慮したこと、短距離ばかりで長距離への折り合いをくすことを恐れて休養に入る。それでもこの年の2歳フリーハンデで首位に立つ。

翌年の緒戦も当然のように勝。続くイギリス2000ギニーでは最後の1ハロンで手綱を抑える程の余裕っぷりだったにも関わらず2着に8身差を付けて圧勝。上は「抑えなければ20身差は付いた」と言い切った。これは今でもイギリス2000ギニーの最大着差でもあり、あのフランケルでも6身差である。

Vやねん! ダービー!

さて、ここまで圧勝続きのテューダーミンストレルであったが、次の標は当然ダービーである。これだけのスピードの違いで圧勝してるのにも関わらず2つの心配事があった。
 
1つはこれまで1マイルまでしか走ったことがなく、余りスピードに12ハロンが持つのか不安視されたことである。
しかしながらオーエンテューダーは自身はスピードの強さを産駒に伝えたがそのスタミナ色の強いハイペリオン。さらにサンソヴァーノもレディジュラーサンインロースタミナの塊とも言える血統。正直血統だけなら2400mは当然持つはずなのである。まぁそれは良いとしよう。

問題は2つである。騎手ゴードン・リチャーズ騎手は未だにダービーを勝ったことがかったのである。
このリチャーズ騎手解説すると、通算勝利数は今尚イギリス歴代最多の4870勝、1932年に当時世界最多のシーズン勝利記録となる259勝を挙げ、リーディンジョッキーになること26回、イギリスジョッキーで今でも一となるナイトの称号1952年に得るなどのイギリスを代表するスーパースターである。
日本で言う武豊と同じく大な勝ちスーパースターダービーを勝てないという共通点があるものの、武豊ですら12年スペシャルウィークで勝っている。それに対してリチャーズはテューダーミンストレルのダービーの時点で27年現役を続けて未だ勝ちいのである。その倍勝ててないのだからある種呪われていると言っても可笑しくないほどなのだ。

それでも……それでもこのテューダーミンストレルでダービーを勝てない呪いを打破すると信じて、エプソム競馬場には大観衆が集まり、イギリス国王ジョージ6世エリザベス王妃も観戦するダービースタートが切られた。
……が、テューダーミンストレルはスタート直後から掛かり始め、リチャーズ騎手の制止も効かずレース前半で先頭に立ってしまい、そのまま直線に向かうものの直線入り口でフランスの*パールダイヴァーに差されるとそのまま失速、勝った*パールダイヴァーから10身離れた4着に敗れてしまう。
テューダーミンストレルが敗れた上に33年ぶりに本場のダービーフランスに勝たれるというダブルショックの前にエプソム競馬場は沈黙。イギリスマスコミは「屈辱」「国家的悲劇」と書き立てるなど大いに荒れる結果となってしまった。

その後

その後はマイルのセントジェームズパレスSに出走し5身差圧勝。
次走は10ハロンエクリプスSに出走したが、キーストンとなり後に凱旋門賞を勝つミゴリの前に敗れる。ダービーの負けは距離不適ということがこの敗戦を持って確定付けられることとなった。
結果的に引退となったレースでもフランスの強相手に1身半差、3着には8身半差を付けた。当時のイギリスは古の短距離路線が整備されておらず、10ハロンでも長い本にまともなレースかった事で引退となった。

通算10戦8勝。マイルならばブリガディアジェラードと同等にられるほどの強さを持つが、テューダーミンストレルはマイル以下でしか勝ったことがい。
それでもタイムフォーム社のレーティングではブリガディアジェラードと並ぶ歴代3位タイ144ポンの評価を与えられている。これより上は147ポンドのフランケル145ポンドのシーバードだけである。
リボー(142)やミルリーフ(141)、*ダンシングブレーヴ(140)よりも上に評価されているということが本の強さを物語っていると言えよう。余談だが日本の最高はエルコンドルパサー136ポンドである。

現役引退後、種牡馬として快速を何頭も出したものの、短距離路線が整備されていない当時では苦戦。そうこうしているうちにアメリカに輸出したトミーリーがケンタッキーダービーを勝ったことがきっかけとなってアメリカに移り、1971年に27歳で他界した。
直系子孫は今でも残っており、二冠馬メイズイ菊花賞で破ったグレートルカ・クヰーンスジェストが欧州に残したウィルサマーズに遡るカドゥージェネルー→バハミアバウティというラインがかろうじてテューダーミンストレルの血を受け継いでいる。

そしてテューダーミンストレルでもダービーを勝てなかったゴードン・リチャーズ騎手はナイトの称号を得た翌週に行われたダービーで、即位したばかりの現エリザベス女王や50万人とも70万人とも言える大観衆の前で、ダーリン調教師が生産したピンザという優勝した。
多くの人々に祝福されたリチャーズ騎手であったが、このダービーの数日後にダーリン氏はで亡くなり、リチャーズ騎手も翌年に盤の怪が元で引退することとなった。
古今東西ダービーを巡る逸話は数多くあるが、テューダーミンストレルとその取巻きを含む物語は最高のドラマで締め括られたのではないだろうか。

血統表

Owen Tudor
1938 黒鹿毛
Hyperion
1930 栗毛
Gainsborough Bayardo
Rosedrop
Selene Chaucer
Serenissima
Mary Tudor
1931 鹿毛
Pharos Phalaris
Scapa Flow
Anna Bolena Teddy
Queen Elizabeth
Sansonnet
1933 鹿毛
FNo.9-c
Sansovino
1921 鹿毛
Swynford John o' Gaunt
Canterbury Pilgrim
Gondolette Loved One
Dongola
Lady Juror
1919 鹿毛
Son-in-Law Dark Ronald
Mother-in-Law
Lady Josephine Sundridge
Americus Girl
競走馬の4代血統表

クロスGondolette 3×5(15.63%)、Chaucer 4×5(9.38%)、Canterbury Pilgrim 5×4(9.38%)、Bay Ronald 5×5(6.25%)、Pilgrimage 5×5(6.25%)

主な産駒

関連動画

関連商品

関連コミュニティ・チャンネル

関連項目

この記事を編集する

掲示板

おすすめトレンド

ニコニ広告で宣伝された記事

記事と一緒に動画もおすすめ!
[単語]

提供: げすと

もっと見る

急上昇ワード改

最終更新:2024/04/25(木) 12:00

ほめられた記事

最終更新:2024/04/25(木) 12:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP