テリー・ウィットフィールド 単語

テリーウィットフィールド

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テリー・ウィットフィールド(Terry Bertland Whitfield)とは、元プロ野球選手である。

概要

1951年10月26日生まれ。アメリカ合衆国カリフォルニア州ブライス出身。

パロベルディ高等学校卒業後、1971年MLBドラフトにて、1巡(全体の19番)でニューヨーク・ヤンキースから名され契約

1974年メジャーデビューを果たし、2試合に出場。翌年1975年に28試合に出場。1977年サンフランシスコ・ジャイアンツへ移籍。同年、メジャー定着を果たし、114試合に出場すると、1978年にはレギュラーに定着しして、149試合に出場、打率.289、10本塁打、32打点記録1980年には、打率.296記録している。

1981年西武ライオンズに入団。前年シーズン途中に加入し、チームの躍進の原動力となったスティーブ・オンティベロスの活躍を見た義明オーナーが「スティーブ一人で優勝争いできたのなら、もうひとりリーガーを加えればもっと良くなるのではないか」と考え、フロントに補強を命じての獲得であった。

1981年スティーブ田淵幸一らとともに打線の中核を担うと、打率.316、22本塁打100打点と好成績を残し、ベストナインにも選ばれた。

1982年打率.257、25本塁打、71打点記録プレーオフでは、第4戦満塁本塁打を含む2本塁打を放ち、西武球団としては初めてとなるパ・リーグ制覇に貢献。パ・リーグプレーオフ優秀選手賞に選ばれ、日本シリーズでも本塁打を放つなど活躍し、日本一にも貢献している。

1983年、開幕から本塁打を量産すると、場にはオールスターゲームにも初出場。最終的には、打率.278、38本塁打109打点記録し、パ・リーグ連覇に貢献、ベストナインにも選ばれた。日本シリーズでも本塁打に加えて、第7戦には試合を決定づける走者一掃のタイムリーを放ち、日本シリーズ優秀選手賞に選ばれている。ただ、広岡達朗監督の管理野球を窮屈に感じていたテリーは、契約更新せず退団。

1984年ロサンゼルス・ドジャース契約。控えの外野手としてプレーし、1986年に現役を引退

人物・エピソード

パンチ力抜群の打撃と大舞台でも活躍できる勝負強さを持ち合わせた左の大砲。非常に長いバットを使用していたことも特徴である。

打席に立つ際や本塁打を放ったあとに一礼したり、合気道を学び、寿司を好んで食べたり、パチンコ店に通うなど、日本文化に溶け込もうと努力していた。また、雨天中止となった試合では、来場した観客に少しでも楽しんでもらおうと、ベース付近に敷かれたたまりのできているシートヘッドスライディングをして盛り上げるなど、ファンサービスにも熱心であった。

恵まれない子どもたちのために年間シートを買い取り、「テリーズボックス」と名付け、子どもたちを招待したり、地方遠征中に援を送ってくれた子供たちを西武球場に招待するなど、慈善活動にも積極的に取り組み、息子定期的プラモデルを贈っていたなど、良き父親でもあったことから、第1回ベスト・ファーザー イエローリボン賞を受賞している。

通算成績

打撃成績

通算:13年 試合 打席 打数 得点 安打 本塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺打 打率 出塁率
MLB:10年 730 2106 1913 233 537 33 179 18 32 13 138 10 288 44 .281 .330
NPB:3年 374 1527 1407 198 406 85 280 13 2 16 96 6 143 47 .289 .333

獲得タイトル・表彰・記録

関連項目

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