ディッキー・ゴンザレス(Dicky González)とは、プエルトリコ出身のプロ野球選手(投手)である。
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プエルトリコ出身。ニューヨーク・メッツ在籍時には新庄剛志と同僚で、その影響を受けて来日。
2004年のシーズン中にヤクルトスワローズに入団。2005年までは先発と中継ぎを兼任していた。
2006年、第1回WBCにプエルトリコ代表で出場。シーズンではリック・ガトームソンとの併用による不規則ローテ(外国人枠の関係でそうなった)で先発を任され、9勝7敗の好成績を挙げる。ガトームソンはその起用法に不満を訴え移籍したが、ゴンザレスは2年契約で残留。
しかし2007年は開幕前に肘を痛め手術しシーズンを棒に振る。2年契約だったため残留したものの、復帰は結局2008年の後半戦になった。故障の影響で球速・球威が落ちて結果を残せず、2008年オフに解雇。ちなみに、ヤクルト球団史上最も長く在籍した(5年間)外国人投手であることはあんまり知られていない。
その後、読売ジャイアンツが獲得を発表し2009年から巨人に移籍。5年間で目立った活躍が1年のみ、しかも肘の故障明けの外国人ということで、「またゴンザレスか(2007年から2008年にかけてジェレミー・ゴンザレス、ルイス・ゴンザレスが在籍していたため)」「こんなの獲ってどうすんだ?」「そんなにヤクルトのお古が好きか」「バーンサイドも飼い殺したのにどこで使うんだよ」という反応が専らだった。
巨人ではチェンジアップを習得し、それまでの力押しから制球力を武器にした投球スタイルに転換したことで覚醒。5月に一軍昇格すると、先発で6連勝して5月の月間MVPを獲得し一気にローテーションの軸となった。34イニング連続無四球を記録するなど抜群の安定感で、援護にも恵まれてハイペースで白星を積み重ね、最多勝こそ逃したものの最終的に15勝2敗、防御率2.11という誰も予想だにしなかった神成績を残して、日本一に大きく貢献した。
2010年もローテーションの軸となることが期待されていたが、前年90kgだった体重が110kgまで増えたことでフォームを崩し、別人のように不安定なピッチングが続いた。シーズン中にダイエットを強いられるなどしたが復調せず、優勝の可能性が消滅した試合でも敗戦投手に。最終的に5勝13敗、防御率5.29と散々な成績に終わったが、2年契約のため残留。
2011年は身体を絞ってから来日し、開幕ローテ入りしたものの速攻で二軍落ち。7月に復帰した後は先発で好投していたが、8月に肉離れで離脱してしまった。10月に復帰しCSの1stステージ第3戦でも先発したが敗れた。援護が少なく13試合で3勝3敗だったもの、防御率1.80と好成績を残した。
2012年は復活が期待されたが、先発ローテに杉内俊哉とD.J.ホールトンが加入した上、故障が重なって11試合の登板に留まった(4勝1敗、防御率3.20)。日本シリーズではリリーフとして登板したものの陽岱鋼にホームランを打たれたりし、結局オフに解雇された。
2013年、千葉ロッテマリーンズへ移籍。背番号40。しかし4試合に登板し0勝2敗、防御率8.10と全く活躍できず、10月3日に球団から戦力外通告を受けた。
ヤクルト時代から打撃には定評があり、バントも上手い。2009年には打率.260を記録している。
球団 | レス | No | プレイヤー |
---|---|---|---|
巨人 | 応援歌のピコカキコ一覧#822 | 11312 | ![]() |
(2013年終了時点)
通算:10年 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
MLB(2年) | 20 | 7 | 0 | 0 | 3 | 2 | 0 | 0 | .600 | 66.1 | 19 | 38 | 38 | 37 | 5.02 |
NPB(9年) | 143 | 113 | 5 | 0 | 45 | 41 | 0 | 6 | .523 | 714.2 | 150 | 508 | 306 | 282 | 3.55 |
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最終更新:2025/03/27(木) 09:00
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