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デイモンヒル

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デイモン・ヒル(Damon Graham Devereux Hill, 1960-9-17-  )とは、イギリス人の元F1ドライバー

1996年F1ワールドチャンピオンであり、初の親子でのワールドチャンピオン獲得者である。
(二人2016年ニコ・ロズベルグである)

概要

初代モナコマイスターであり、世界3大レースを制覇した一のドライバーであるグラハム・ヒルに持ち、と同様に苦難の日々を乗り越えてF1世界に登り詰める。

1975年、グラハムは飛行機墜落事故で亡くなってしまう。この時グラハムが立ち上げたチームドライバークルーも共に亡くなっている。グラハムは保険に加入していなかったためヒル大な補償を背負ってしまい、窮乏生活を強いられてしまう。いわゆる「親の七り」を受けられる身ではなかったのである。

レースキャリアスタートは2輪であったが、後に4輪へ転向した。

1992年ウィリアムズテストドライバーを勤めつつ、ハンガリーGPにてブラバムからF1デビューを果たす。当時32歳の遅咲きであった。
だが、チームの台所事情は最悪でスタッフへの給与もロクに払えないような有様だった。もちろんそんな状態では走る事すらままならず、予選落ちも多かった。結局ブラバムシーズン途中で撤退してしまう。

かしこの年、ナイジェル・マンセルが圧倒的な強さでタイトルを獲った名ウイリアムズ・FW14Bの開発に大きく貢献したことで、その功績が認められ1993年レギュラードライバーに抜された。開幕戦こそ自らのミスリタイアしたが、その後は確実に上位を争うようになり、ハンガリーGPでの初優勝に3連勝するなど活躍を見せた。

1994年サンマリノGPで事故死したアイルトン・セナに代わりウィリアムズエースドライバーに昇格。
日本GP終了時点でベネトンミハエル・シューマッハに1ポイント差まで迫ったが、最終戦オーストラリアGPにてシューマッハによる“露ブロック”により共にリタイア、タイトルを逃す(この時の因縁がキャリア終盤まで続くこととなる)。1995年シューマッハマシンに苦しむ中、ヒルが駆るウィリアムズ・FW17はこの年の最強マシンと言われた。しかし、マシン自体は速かったものの、FW16を踏襲したトリッキーリアサスペンション、チームの戦略ミスピットストップの遅さとヒル自身のミス等で何度も勝利を逃し、2年連続でシューマッハに敗れた。

1996年シューマッハは当時低迷中だったフェラーリに移籍。さすがのシューマッハ優勝争いには絡むがタイトル争いには程遠く、ベネトンも前年までの勢いを失いウィリアムズに敵しの状態に。さらにチームメイトは新人のジャックヴィルヌーヴでヒルの楽勝なシーズンになるかと思われたが、開幕戦オーストラリアGPにてヴィルヌーヴがいきなり予選でポールポジションを獲得。決勝ではヴィルヌーヴのマシントラブルもあり辛うじてヒル勝利するが、驚異の新人と呼ばれたヴィルヌーブは侮れない存在だった。だが、ヒルは開幕3連勝を含め前半9戦で6勝を挙げるなど格の違いを見せつける。

が、イタリアGP直前にウィリアムズヒル解雇すると発表した。当時ウィリアムズ1997年末にルノーエンジンを失う事が決まっていた(同年フランスGP直前に撤退表明)ため代わりにF1復帰を示唆していたBMWエンジン獲得を論んでいた。これに伴いドイツドライバーが必要となったが、ヴィルヌーヴは2年契約だったため外せなかった。一方で1996年末に契約満了となるヒルは年齢が30代後半に差し掛かっていたことや、タイトルを獲得すれば年棒アップは避けられない(1992年ナイジェル・マンセルも同様の理由でチームと揉めた末に引退表明)等の事情も絡み、チームヒル解雇を決めた。
ヒル突然の発表にショックを受けたのか、直後のイタリアGPではトップ快走中に第一シケインの縁石に設置されたタイヤに接触しリタイア。更に終盤はヴィルヌーヴの猛追によりポイント差を縮められ、タイトル争いは最終戦までもつれ込んだ。

そして最終戦日本GP、ヒルヴィルヌーヴを9ポイント差でリードしており、圧倒的にヒル有利であった。しかし、ヴィルヌーヴもジル・ヴィルヌーヴが果たせなかったタイトルして予選で意地のポールポジション獲得、ヒル2位となった。
迎えた決勝、ヒルは最高のスタートを決めトップを奪取、一方のヴィルヌーヴは大きく出遅れた上フェラーリ勢に蓋をされ中々順位を上げられない。ヒルは序盤にゲルハルト・ベルガーと接触した影が心配されたが快調な走りを続けて後続を引き離す。ヴィルヌーヴも僅かな可性に賭けて必死の追い上げを続けたが、2度ピットストップを終えた後に2コーナー手前で右リアタイヤ突然脱落しコースアウト、そのままリタイアとなる。その後もヒルは落ち着いた走りでチェッカーフラッグを受け、三度の正直で悲願のタイトルを獲得した。

F1ファンの間ではあまりにも評価の低い彼だが、に優しい走り、マシンの開発などF1ドライバーとしての才は十二分にあった。
1996年チャンピオンを獲りながら解雇された際、当時ウィリアムズチーフデザイナーであったの奇才エイドリアンニューウェイ(現:レッドブルルノー)はデイモンの解雇激怒し、シーズン途中にも関わらずチームを離脱し、翌年マクラーレンに移籍。1997年楽勝ムードであったウイリアムズは、開発のあるヒル離脱によりセッティングの方向性を見失い、結果的にWタイトルは獲得したもののドライバータイトルは最終戦までもつれるなど予想外の苦戦を強いられた。そこからウイリアムズルノーワークス活動撤退も相まって低迷の一途を辿っていくことになる。後にウィリアムズボスフランクウイリアムズ「デイモン解雇は間違っていた。」と発言する程である。

実際、ウィリアムズを抜けた後の1997年シーズン、開幕時は予選落ち寸前だったアロウズマシンで、ハンガリーGPではレース序盤からファイナルラップまでトップを独走する。マシントラブルで惜しくも勝利は逃したが、周囲はめて彼のを見なおした。
さらに、1998年シーズンにはジョーダンに移籍。レギレーション変更への対応にチームが失敗して前半戦は低迷したものの、大幅なマシン良に成功して後半は持ち直し、ベルギーGPにてチームに初勝利をもたらした。ちなみにこのレースでは序盤にトップを走る彼をいったんはかわしたシューマッハが必要以上に引き離そうと意識するあまり、周回遅れと接触してリタイアするという展開があった。因縁の相手に心理的にも勝った戦いだったと言えよう。
翌年の1999年、さらにマシンは洗練されてチームメイトハインツ・ハラルド・フレンツェンは複数回の勝利を挙げ、一時はチャンピオン争いに絡むほどの大活躍を見せる。だが、デイモン自身はなぜか低迷し、次第に戦意を失っていく。ついにシーズン途中にして引退を表明し、最終戦日本グランプリまでは出走したものの、最後のレースも走り切ることなく自らマシンを降りた。その後、彼は全てのレーシングから身を引くこととなった。

当時、ミハエル・シューマッハジャックヴィルヌーヴ、ミカ・ハッキネン等、天才肌系ドライバーが多かった為に地味イメージで見られがちだったが、ロックをこよなく愛しユーモラスな一面も持ち合わせるドライバーでもあった。

2012年セバスチャン・ベッテル更新されるまでルノーエンジンでの最多勝記録を保持していた。

もっと評価されるべきドライバーである。

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最終更新:2020/01/18(土) 21:00

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