デイヴィッド・ベッカム(David Beckham, 1975年5月2日 - )とは、イングランド・ロンドン出身の元サッカー選手である。利き足は右で、右サイドからのクロス、フリーキックが非常に優れている。
とてつもないイケメンであり、サッカー界以外でもその名を知られるスーパースターである。妻は元スパイス・ガールズのヴィクトリア・ベッカム。愛称はベックス(Becks)、ベッカム様。
マンチェスター・ユナイテッドのユース出身。17歳でマンチェスター・ユナイテッドと契約、1995年にプレミア・リーグに初出場。そのころ監督のアレックス・ファーガソンがチームの若返りを図っていたこともありスタメンで活躍していく。とくに1996-1997シーズンのハーフウェイラインあたりからのロングシュートは有名。
1997年にエリック・カントナが引退すると7番を受け継ぎ、クラブの中心選手となっていく。トレブルを達成した1998-1999シーズンは、FIFA最優秀選手賞、バロンドールの次点を獲得。しかし2000年頃からファーガソン監督との関係が悪化、故障明けの2002-2003シーズンにはスタメンから外れるようになる。
そして2003年2月に、FAカップでのアーセナルに敗れたゲームの後、激昂したファーガソンが近くにあったスパイクを蹴り上げたところ、ベッカムの顔にあたり縫合する傷を負う「スパイク事件」が発生。移籍の噂がマスコミを賑わすようになる。バルサへ行くなどの噂もあったが、2003年7月に銀河系軍団と言われていた頃のレアル・マドリードに移籍する。
2006-2007シーズン途中で次シーズンの(LAギャラクシーとの)契約を結んだため、監督のカペッロから「ベッカムはもう使わない」と宣言されてしまうが、ベッカムはそれに腐らず日々の練習を真摯にこなし、カペッロは宣言を取り下げる。以後の試合でベッカムは大いに活躍し、逆転優勝の原動力となった。
LAギャラクシーに移籍後、2009年1月からMLSのオフシーズンの間、ACミランへ期限付き移籍する。あまりにチームにフィットしたため移籍期間を延長することになった。
2013年1月にリーグ・アンのパリ・サンジェルマンに5ヶ月の契約で移籍。同年6月に現役引退を発表した。
1996年にサッカーイングランド代表にデビュー。1998年ワールドカップでは、準々決勝のアルゼンチン戦でディエゴ・シメオネへの報復行為で一発退場、チームは延長戦まで戦い抜くがPK戦で敗れてしまう。ベッカムはファンやジャーナリストから糾弾される。代表戦での野次は数年続いた。
2000年以降は代表のキャプテンを任せられるようになり、2002年ワールドカップの予選における活躍で非難は止むようになる。とくにギリシア戦での終了間際の引き分けに持ち込んだフリーキックでの得点は賞賛された。
掲示板
25 ななしのよっしん
2017/10/15(日) 23:33:35 ID: tE5+ZGMRNh
一部のにわかファンに叩かれただけで、実際バロンドール・FIFA最優秀選手賞で最後のベスト3入りを三回も果たしたことあるし優勝を競ったライバルたちもラバウド・シェフチェンコ・バティストゥータ・フィーゴ・ラウールという錚々たる顔ぶれだし、彼らと同じレベルの選手だと捉えてもなんの問題にもならないからそこまで過小評価を受けたとも思えんが…
26 ななしのよっしん
2018/02/26(月) 12:48:26 ID: apylaAVv/j
98W杯コロンビア戦での芸術的なFKを見てイッキに海外サッカーが好きになった小5の夏
その後のアルゼンチン戦での退場劇のショック→大バッシング→マンU三冠達成とドラマチックな変遷は見てて本当に興奮した。親に必死こいてWOWOWの加入をお願いしたのもいい思い出(スポーツ好きな親父に感謝)
TOYOTAカップ観戦で生のベッカムとマンUメンバーを目の前で観れたのは少年時代最高の思い出
27 ななしのよっしん
2020/02/09(日) 15:30:01 ID: hsiK59ZxQP
少なくとも上で言われているようにクリロナより評価されて当然とかいうのは完全に過大評価。
急上昇ワード改
最終更新:2024/04/18(木) 21:00
最終更新:2024/04/18(木) 21:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。