デニス・リッチーとは、アメリカのコンピュータ科学者であり、開発者である。UNIX、C言語の父。
1941年、ニューヨーク州ブロンクビル生まれ。
ハーバード大学で物理学と応用数学の学位を得て卒業。その後、彼の父も所属していたAT&Tのベル研究所(現在はアルカテル・ルーセントの傘下) に入所、計算機科学研究センターに勤務した。
1969年、ケン・トンプソンとともにDEC社(現:ヒューレット・パッカード)のミニコンピュータ、PDP-7でOSの開発を始める。
同研究所ではGEなどとともにMulticsというOSを開発していたが、巨大で複雑になり、保守などがわかりにくい問題を抱えていた。そこで彼らは、よりシンプルでわかりやすい構造を目指していた。そして誕生したのがUNIXである。
UNIXは当初アセンブリ言語で記述されていたが、移植性や保守性を高める目的で高級プログラミング言語で改めて設計することとなった。
その言語も、ベースになったのはMulticsで使用されていたBCPLを元にしたB言語で、トンプソンが設計したものであった。リッチーとブライアン・カーニハンがこれをさらに発展させて設計したのがC言語である。1973年には、C言語で記述されたUNIXが完成した。
1983年には、UNIXの功績が称えられ、チューリング賞を受賞した。2011年には同じくUNIXの功績で日本国際賞を受賞した。
1999年には、C言語の開発も含めてアメリカ国家技術賞を受賞した。
その後もベル研究所で新しいOSやプログラミング言語の開発に携わっていたが、2011年10月12日、ニュージャージー州の自宅で亡くなっているのが発見された。享年70。
彼の死はスティーブ・ジョブズの訃報から1週間後に報じられたが、ジョブズほどの大きな扱いはされなかった。
しかし、彼無くしては現在のコンピューターやインターネット環境は全く異なるものになっていたのは間違いなく、何よりジョブズがアイデアを出したMac、iPhoneやiPadには、リッチーが設計したUNIXの末裔が組み込まれ、プログラミングにはリッチーの設計したC言語を発展させたObjective-Cが使われているのである。
誠にもっと評価されるべきはデニス・リッチーなのである。
UNIXは一般に公開されると様々な企業や学校、研究機関で広く利用されるようになり、今ではインターネットを支えるサーバー用OS、現在のMac OS XやiOSとしても広く利用されている。また、UnixライクなOSとしてLinuxが作られると、スマートフォンやタブレット端末にも利用されている。
C言語も、アセンブリ言語のようにCPUでのデータ操作に近い記述ができることから高速処理しやすいプログラムを作りやすく、記述内容も比較的シンプルに行えることで、パソコンなど多くのコンピューター向けのプログラミング言語として普及した。
さらにはそれを元に、C++、Java、Objective-C、C#、PHP、JavaScript、Perlなど、多くのプログラミング言語、スクリプティング言語が開発され、それらファミリーを含めれば、プログラミング言語としてのシェアは圧倒的になっている。
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最終更新:2024/04/19(金) 06:00
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