「鄧忠(トウ忠)」(トウチュウ ? ~ 264)とは、三国時代の魏の名将「鄧艾(トウ艾)」の息子であり、父と共に蜀漢を滅ぼす事に成功したものの、鍾会の罠により捕らえられ、父と共に非業の死を遂げた武将である。
この記事の本来の表記は「鄧忠」ですが、「鄧」の字が表記できないブラウザを考慮して、 「トウ忠」と記述する場合や「鄧忠(トウ忠)」と併記する場合があります。 |
蜀討伐を命じられた父に同行し、綿竹で諸葛亮の子である諸葛瞻と戦った際に師纂と共に、諸葛瞻の左右の陣を攻撃したが追い払われ、自陣に退却してきた際に、
賊はまだ攻撃不可能です
と言ってしまった為に、スパルタ親父の鄧艾(トウ艾)を激怒させてしまい、師纂ともども怒鳴りつけられて斬首されかけたが、殺されてはかなわぬと再び戦線に戻った鄧忠(トウ忠)が奮戦して諸葛瞻の軍を大いに破って汚名を返上した事から、斬首は不問となった。
激戦の末に諸葛瞻を倒した鄧忠(トウ忠)は、父・鄧艾(トウ艾)と共に蜀の首都である成都に進撃し、劉禅を降伏させて蜀を滅亡させた功績により、千戸の加増される事となった。
しかし、鍾会の謀略によって父と共に捕らえられ、鍾会が成都に到着した際は、先に父が罪人として送り出され、鍾会の反乱が露見して鍾会が殺されると、父を護送車から救出したものの、魏の衛瓘や田続の攻撃をうけて父と共に戦死し、洛陽にいた鄧忠(トウ忠)の兄弟達も全員処刑され、母など残った一族もまた西域へと流されると言う英雄の末路としてはあまりにもさびしい最期を迎えたのだった。
と言う、とある趣味の人大歓喜な設定が追加されている。
※しかし姜維は、鄧忠(トウ忠)の事を鄧艾(トウ艾)と勘違いしていた。
三、四十合うちあったものの勝負はつかず、まともにやっても勝ち目が無いと判断した姜維が馬首を返して戦略的撤退を敢行すると、後を追いかけた鄧忠(トウ忠)へ向けて姜維から矢が放たれたが、鄧忠(トウ忠)は矢を避ける事に成功したが、槍を小脇に挟みつけられた為に、鄧忠(トウ忠)は槍を捨てて自陣へと戻った。
その後は正史同様に蜀を降伏させるも、鍾会の罠と衛瓘らの手により父と共に殺害された。
※その他「鄧忠(トウ忠)」の詳細についてはWikipediaの該当記事参照
▼おにぎりを巡る決闘後、星井美希の副将としてラジオのアシスタントまで務めるiM@S架空戦記「三國夢想」
▼気弱なところのある真面目な熱血漢ながら高槻やよい軍の最初期からのスタッフとして活躍する「美妓皇帝」
能力一覧 | 統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 陸指 | 水指 | 身体 | 運勢 |
三國志 | - | - | - | - | - | ||||
三國志II | - | - | - | ||||||
三國志III | - | - | - | - | - | - | |||
三國志IV | 71 | 78 | 53 | 42 | 60 | ||||
三國志V | - | - | - | - | |||||
三國志VI | 60 | 82 | 55 | 46 | 61 | ||||
三國志VII | 67 | 56 | 48 | 49 | |||||
三國志VIII | 80 | 67 | 51 | 71 | |||||
三國志IX | 74 | 86 | 68 | 47 | |||||
三國志X | 70 | 82 | 66 | 51 | 66 | ||||
三國志11 | 72 | 85 | 69 | 55 | 71 |
関連人物 |
掲示板
提供: Kefi_Ades͏͏͏͏͏͏
提供: Kay
提供: もる
提供: eyeagate
提供: n
急上昇ワード改
最終更新:2025/01/18(土) 20:00
最終更新:2025/01/18(土) 20:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。