トニービン(Tony Bin)とは、1983年産アイルランド生まれ・イタリア調教の元競走馬・日本の元種牡馬である。
イタリア調教馬としてMolvedo以来の凱旋門賞制覇を達成し、日本でも種牡馬として個性派を送り出し*ブライアンズタイム・*サンデーサイレンスと覇を競った。
通算27戦15勝[15-5-4-3]
主な勝ち鞍
1987年:共和国大統領賞(G1)、ミラノ大賞(G1)、ジョッキークラブ大賞(G1)、エリントン賞(G3)
1988年:共和国大統領賞(G1)、ミラノ大賞(G1)、凱旋門賞(G1)、フィデリコテシオ賞(G3)
父は彼の大活躍で晩年日本にやってきた*カンパラ、母Severn Bridge、母の父Hornbeamという血統。
ぶっちゃけると地味の一語であり、セリでもなんと50万円とも70万円とも言われる破格の安さでアイルランドからイタリアへドナドナされてしまった。
イタリアでデビューすると2連勝を挙げ、イタリアの2歳王者決定戦イタリアグランクリテリウムへ向かう。 ここは同じ厩舎のエースのペースメーカーとしての出走だったが3着に善戦する。ちなみにエースだったAlex Nureyevという馬は惨敗。そのため彼の存在は大きくなった。
とはいえ、3歳の時の彼はとにかく詰めが甘いの一語であり、リステッドやグレード無しのレースは勝つがデルビーイタリアーノ4着、イタリア大賞3着、ジョッキークラブ大賞2着と肝心なところで詰めを欠くところがあった。
しかし4歳になると開花。4連勝でイタリア春のビッグタイトル共和国大統領賞とミラノ大賞を獲得。イタリアのエースに登り詰めるとフランスのサンクルー大賞へ向かい、*ムーンマッドネスの2着に食い込む。そのまま意気揚々とキングジョージに乗り込んだが、ここは輸送中に暴れて怪我したことが尾を引き怪物Reference Pointにねじ伏せられ5着。
秋は国内のリステッドを勝った後再びフランス遠征し凱旋門賞へ。Trempolinoの劇的レコードには敗れたが2着に食い込み、全欧でも屈指の強豪と認識させるに十分であった。
その後国内に戻り、イタリアのビッグタイトルであるジョッキークラブ大賞を制覇。タフである。次走は余計だったか負けちゃったけど。
5歳になっても現役続行。共和国大統領賞とミラノ大賞を共に連覇。キングジョージへ向かったが早仕掛けが祟ったかMtotoの切れ味鋭い末脚に屈し3着。
その後一頓挫あってギリギリになったが国内のGⅢを勝ち連闘で凱旋門賞へ。直線残り200で突き抜けるとMtotoの追い込みをしのぎ切り凱旋門賞制覇を達成。
イタリア調教馬としてはRibotの息子Molvedo以来の快挙とあってイタリアの競馬ファンは熱狂で彼を迎えたが、ジョッキークラブ大賞では連覇失敗。その後5億円で社台グループに買い取られたため、種牡馬入り前のお披露目ということでジャパンカップへ。ちなみにジャパンカップに出走した凱旋門賞馬は彼が初めて。[1]
余力がなかったか、レース中に骨折してしまうも意地で5着に残って引退。そのまま日本で種牡馬入りした。
さて、トニービンの馬主は婦人の名義ではあったもののルチアーノ・ガウチというイタリアの実業家が所有していたのだが、この名前、サッカー好きならピンときたであろう。そう、中田英寿が最初に移籍したイタリアのクラブ・ACペルージャ(現ペルージャ・カルチョ)の元オーナーである。
50万で買ったトニービンが賞金もろもろ含めると10億近くに化けたのを元手に、ペルージャを所有するに至ったのである。
ちなみに、中田英も470万ドルで獲得したところ大活躍して1600万ドルでローマに売れたため「日本人のお陰で大成功したよ、ありがとう」と言っていたとか。
ちなみに、カルチョバブル崩壊で経営が悪化した時に脱税ほか不正を多重にやらかし一家諸共逮捕され没落したため、もうペルージャはもとより中田英が入団会見を行った城のような豪邸も持っていない。ちなみにその豪邸の中庭には馬の銅像があったのだが……その銅像、トニービンをモデルにしたものである。
話をトニービンに戻すが、初年度から牝馬二冠馬ベガ・ダービー馬ウイニングチケット・マイルの女帝ノースフライト・小島太劇場主演男優賞受賞馬サクラチトセオーと活躍馬を多数輩出。1994年にはリーディングサイアーの座に君臨した
その後もジャングルポケットやエアグルーヴらを輩出し成功を収めた。
とはいえ、初年度から三冠馬を輩出した*ブライアンズタイムや、2世代だけでトニービンからリーディングサイアーを奪取した*サンデーサイレンスに比べると若干パンチ力がないような気もするが、こいつらが規格外なだけでトニービンも十分キチガイじみている。この3頭はマジで規格外としか。
産駒の傾向としては、やや不器用で広々とした左回りの競馬場が得意というところがあり彼の産駒がノーチャンスだった2006年創設のヴィクトリアマイルを除けばNHKマイルカップ・オークス・日本ダービー・安田記念・天皇賞(秋)・ジャパンカップと府中芝のGⅠを完全制覇している。
数を稼げる下位条件に多いダートは走れる産駒もいるが基本的には苦手というところがありながら、リーディング上位にいられたのは上位の賞金が高い府中が産駒の得意の舞台だったためとも言える。
これだけの活躍を見せたが2000年に心臓麻痺で急逝してしまった。享年17歳。ちょっと若すぎる死であった。
後継種牡馬はジャングルポケットが2021年春に亡くなりその息子のオウケンブルースリは2020年の種付け数が2頭という大苦戦(その後種付けなく2023年1月種牡馬引退)、同じく息子のトーセンジョーダンも活躍馬が全然出ずに2020年からPrivate種牡馬となってしまった。別系統のミラクルアドマイヤ→カンパニーのラインでかつて牝馬を集められず乗馬になったウインテンダネスが2024年に種牡馬登録される逆転劇もあったが、青森県繋用ということもありどこまで産駒を出せるかは未知数といったところ。
ジャンポケも2020年に21頭に種付けしており、2024年には2021年新潟大賞典を制し同年の天皇賞(秋)・ジャパンカップを連続4着と奮戦した2015年生のサンレイポケットが新たに種牡馬入りしたので、残された産駒に新たな大物が出てくるのを祈るばかりである。
母の父としても*サンデーサイレンスやその他の種牡馬とも良好な相性であり、ハーツクライやアドマイヤグルーヴ、ルーラーシップなど芝の活躍馬はもちろんアドマイヤドンやビッグウルフ、トランセンドのようなダート馬、カレンチャンのようなスプリンターなど多種多様な産駒を輩出している。
小回りがダメだった傾向も母の父としてならかなり解消されており、上手く力強さや息の長い末脚を伝えられている印象がある。
父系が絶えても、牝系の祖としてなら永きにわたって生きていけるであろう。
凱旋門賞馬=失敗種牡馬という法則が日本にはあった中で、これだけ卓越した成績を残せた当たり非凡としか。
生まれたばかりで数億円の評価をされた馬が競走馬としても繁殖馬としても大コケする一方で、トニービンのようなわずか50万円の評価しかされなかった馬が、ここまで大活躍し種牡馬としても日本という狭い地域とはいえ血統地図を塗り替える活躍をしたんだから、競馬というものはよくわからない。
でも、それが面白いと筆者は感じるのである。
*カンパラ Kampala 1976 黒鹿毛 |
Kalamoun 1970 芦毛 |
*ゼダーン | Grey Sovereign |
Vareta | |||
Khairunissa | Prince Bio | ||
Palariva | |||
State Pension 1967 鹿毛 |
*オンリーフォアライフ | Chanteur | |
Life Sentence | |||
Lorelei | Prince Chevalier | ||
Rock Goddess | |||
Severn Bridge 1965 栗毛 FNo.19-b |
Hornbeam 1953 栗毛 |
Hyperion | Gainsborough |
Selene | |||
Thicket | Nasrullah | ||
Thorn Wood | |||
Priddy Fair 1956 鹿毛 |
Preciptic | Precipitation | |
Artistic | |||
Campanette | Fair Trial | ||
Calluna | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Hyperion 3×5×5(18.75%)、Gainsborough 4×5(9.38%)、Nasrullah 5×4(9.38%)、Prince Rose 5×5(6.25%)
*トニービン 1983
|ウイニングチケット 1990
|サクラチトセオー 1990
||ラガーレグルス 1997
|ノースフライト 1990
|ベガ 1990
|ロイスアンドロイス 1990
|エアダブリン 1991
|オフサイドトラップ 1991
|エアグルーヴ 1993
|ミラクルアドマイヤ 1995
||カンパニー 2001
|ジャングルポケット 1998
||クィーンスプマンテ 2004
||フサイチホウオー 2004
||オウケンブルースリ 2005
||トールポピー 2005
||トーセンジョーダン 2006
||アヴェンチュラ 2008
||*アウォーディー 2010
||オマタセシマシタ 2020
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最終更新:2024/10/13(日) 05:00
最終更新:2024/10/13(日) 04:00
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