トヨタカップ 単語

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トヨタカップ

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トヨタカップとは、トヨタ自動車が冠スポンサーを務める大会の名称である。
本項では1980年から2004年まで開催されたトヨタ ヨーロッパ/サウスアメリカ カップ について説明する。また前身であるインターコンチネンタルカップについても説明する。

概要

クラブサッカー世界選手権
トヨタカップ
基本情報
創設 1960年
終了 2004年
地域 ヨーロッパ南米
FIFA
UEFA
CONMEBOL
参加チーム 2チーム
開催地 日本
スポンサー トヨタ自動車
サッカー際大会テンプレート

トヨタカップの前身となった、サッカーインターコンチネンタルカップ1960年1979年)を継承し、ヨーロッパ南米クラブチャンピオン同士の世界一決定戦として開催された。

1950年代にプロサッカーの二大勢となっていたヨーロッパ南米クラブチームによるクラブ世界一を決める大会の計画が浮上するようになり、ヨーロッパ№1のクラブを決めるUEFAチャンピオンズカップ現在UEFAチャンピオンズリーグ)の優勝チーム南米№1のクラブを決めるコパ・リベルタドーレス優勝チーム同士で争うインターコンチネンタルカップ1960年より開始された。

インターコンチネンタルカップではホームアンド・アウェイ方式で開催されたが、サポーター同士の暴動や移動費用の問題が浮上し、1975年1978年には中止に追い込まれた。

その中で、中立な第三でのワンマッチ方式に切り替える話となり、そこで開催地として挙げられたのが日本であった。
その際に電通日本テレビ企画に参加し、電通トヨタ自動車を冠スポンサーとして呼び込み、トヨタカップとして開催されることとなった。

当初は1981年からの開催を予定していたが、前年のヨーロッパチャンピオンUEFAチャンピオンズカップ々に敗退したこともあり、1980年大会として1981年2月に第1回が開催された。

その後、ヨーロッパ南米以外の地域のチャンピオンも含めての世界一決定戦としてFIFAクラブ世界選手権2000年に開催され、一度中断となった後、トヨタカップと統合させて継続開催することとなり、2004年をもって終了した。
その後、2005年から2008年の4年間、FIFAクラブ世界選手権FIFAクラブワールドカップ日本で開催された(2011年2012年は招致の上で開催)。 

大会結果

開催年 優勝 優勝 決勝の会場
インターコンチネンタルカップ
1960  レアル・マドリード
欧州代表)
 ペニャロー
南米代表)
センテナリ
サンチアゴ・ベルナベウ
1961  ペニャロー
南米代表)
 ベンフィカ
欧州代表)
ダ・ルス
センテナリ
センテナリ
1962  サントスFC
南米代表)
 ベンフィカ
欧州代表)
マラカナン
ダ・ルス
1963  サントスFC
南米代表)
 ACミラン 
欧州代表)
サンシーロ
マラカナン
マラカナン
1964  インテル
欧州代表)
 インペンディエンテ
南米代表)
ベルタドーレス
サンシーロ
サンチアゴ・ベルナベウ
1965  インテル
欧州代表)
 インペンディエンテ
南米代表)
サンシーロ
ベルタドーレス
1966  ペニャロー
南米代表)
 レアル・マドリード
欧州代表)
センテナリ
サンチアゴ・ベルナベウ
1967  ラシンクラブ
南米代表)
 セルティック
欧州代表)
ハムデン・パーク
エル・シリンドロ
センテナリ
1968  エストゥディアンテ
南米代表)
 マンチェスター・ユナイテッド
欧州代表)
ラ・ボンボネーラ
オールトラフォード
1969  ACミラン
欧州代表)
 エストゥディアンテ
南米代表)
サンシーロ
ラ・ボンボネーラ
1970  フェイエノールト
欧州代表)
 エストゥディアンテ
南米代表)
ラ・ボンボネーラ
デ・カイ
1971  ナシオナル・モンテビデオ
南米代表)
 パナシナコス[1]
欧州代表)
センテナリ
ライスカキ
1972  アヤックス
欧州代表)
 インペンディエンテ
南米代表)
ベルタドーレス
リンピスフ
1973  インペンディエンテ
南米代表)
 ユヴェントス[2]
欧州代表)
リンピコ
1974  アトレティコ・マドリード[3]
欧州代表)
 インペンディエンテ
南米代表)
ベルタドーレス
ビセンテ・カルデロン
1975 大会中止
1976  バイエルン・ミュンヘン
欧州代表)
 クルゼイロ
南米代表)
ミュンヘン・オリンピア
ネイロ
1977  ボカ・ジュニアーズ
南米代表)
 ボルシアMG[4]
欧州代表)
ラ・ボンボネーラ
ヴィルトパルク
1978 大会中止
1979  オリンピア
南米代表)
 マルメ[5]
欧州代表)
マルメ・スタディオン
ディフェンソーレス・デル・チャコ
トヨタカップ
1980  ナシオナル・モンテビデオ
南米代表)
 ノッティガム・フォレス
欧州代表)
国立霞ヶ丘競技場
1981  フラメンゴ
南米代表)
 リヴァプールFC
欧州代表)
国立霞ヶ丘競技場
1982  ペニャロー
南米代表)
 アストン・ヴィラ
欧州代表)
国立霞ヶ丘競技場
1983  グレミオ
南米代表)
 ハンブルガーSV
欧州代表)
国立霞ヶ丘競技場
1984  インペンディエンテ
南米代表)
 リヴァプールFC
欧州代表)
国立霞ヶ丘競技場
1985  ユヴェントス
欧州代表)
 アルヘンティノス
南米代表)
国立霞ヶ丘競技場
1986  リーベルプレート
南米代表)
 ステアウア・ブカレス
欧州代表)
国立霞ヶ丘競技場
1987  FCポルト
欧州代表)
 ペニャロー
南米代表)
国立霞ヶ丘競技場
1988  ナシオナル・モンテビデオ
南米代表)
 PSVアイントホーフェン
欧州代表)
国立霞ヶ丘競技場
1989  ACミラン
欧州代表)
 ナシオナル・メデシン
南米代表)
国立霞ヶ丘競技場
1990  ACミラン
欧州代表)
 オリンピア
南米代表)
国立霞ヶ丘競技場
1991  レッドスター
欧州代表)
 コロコロ
南米代表)
国立霞ヶ丘競技場
1992  サンパウロFC
南米代表)
 FCバルセロナ
欧州代表)
国立霞ヶ丘競技場
1993  サンパウロFC
南米代表)
 ACミラン[6]
欧州代表)
国立霞ヶ丘競技場
1994  ベレスサルスフィエル
南米代表)
 ACミラン
欧州代表)
国立霞ヶ丘競技場
1995  アヤックス
欧州代表)
 グレミオ
南米代表)
国立霞ヶ丘競技場
1996  ユヴェントス
欧州代表)
 リーベルプレート
南米代表)
国立霞ヶ丘競技場
1997  ボルシア・ドルトムント
欧州代表)
 クルゼイロ
南米代表)
国立霞ヶ丘競技場
1998  レアル・マドリード
欧州代表)
 ヴァスコ・ダ・ガマ
南米代表)
国立霞ヶ丘競技場
1999  マンチェスター・ユナイテッド
欧州代表)
 パルメイラス
南米代表)
国立霞ヶ丘競技場
2000  ボカ・ジュニアーズ
南米代表)
 レアル・マドリード
欧州代表)
国立霞ヶ丘競技場
2001  バイエルン・ミュンヘン
欧州代表)
 ボカ・ジュニアーズ
南米代表)
国立霞ヶ丘競技場
2002  レアル・マドリード
欧州代表)
 オリンピア
南米代表)
横浜国際総合競技場
2003  ボカ・ジュニアーズ
南米代表)
 ACミラン
欧州代表)
横浜国際総合競技場
2004  FCポルト
欧州代表)
 オンセ・カルダス
南米代表)
横浜国際総合競技場

トヨタカップ歴代最優秀選手(MVP)

大会MVPに選ばれた選手には、トヨタ自動車から副賞として同社製の自動車が贈られていた。

開催年 受賞者 所属クラブ
1980  ワルデマール・ビクトリーノ  ナシオナル・モンテビデオ
1981  ジーコ  フラメンゴ
1982  ジャイール  ペニャロー
1983  レナト・ガウシ  グレミオ
1984  ジョゼペルダニ  インペンディエンテ
1985  ミシェル・プラティニ  ユヴェントス
1986  アントニオアルサメンディ  リーベルプレート
1987  ラバーマジェール  FCポルト
1988  サンディアゴ・オストラ  ナシオナル・モンテビデオ
1989  アルベリーゴ・エヴァーニ  ACミラン
1990  フランクライカルト  ACミラン
1991  ウラジミール・ユーゴビッチ  レッドスター
1992  ライー  サンパウロFC
1993  トニーニョ・セレーゾ  サンパウロFC
1994  オマールアサ  ベレスサルスフィエル
1995  ダニーブリント  アヤックス
1996  アレッサンドロ・デル・ピエロ  ユヴェントス
1997  アンドレアスメラ  ボルシア・ドルトムント
1998  ラウール・ゴンザレス  レアル・マドリード
1999  ライアン・ギグス  マンチェスター・ユナイテッド
2000  マルティン・パレルモ  ボカ・ジュニアーズ
2001  サミュエル・クフォー  バイエルン・ミュンヘン
2002  ロナウド  レアル・マドリード
2003  マティアス・ドネ  ボカ・ジュニアーズ
2004  マニシ  FCポルト

エピソード

関連動画

関連項目

脚注

  1. *UCC覇者アヤックスが出場辞退したため、準優勝のパナシナコスが出場。
  2. *UCC覇者アヤックスが出場辞退したため、準優勝ユヴェントスが出場。
  3. *UCC覇者バイエルン・ミュンヘンが出場辞退したため、準優勝アトレティコ・マドリードが出場。
  4. *UCC覇者リヴァプールが出場辞退したため、準優勝ボルシアMGが出場。
  5. *UCC覇者のノッティガム・フォレストが出場辞退したため、準優勝のマルメが出場。
  6. *UCL覇者マルセイユ八百長事件の責任で、優勝者としての活動を禁止された(ただし優勝記録自体は有効)ため、準優勝ミランが出場。
  7. *当時のブラジルは外貨の流出防止や内の産業保護のため、外の輸入に厳しい規制がかけられていた。
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