トランザム★ヒロシとは元ユニオンプロレス、現プロレスリングBASARA所属のプロレスラーである。ニックネームは「平成のネットテロリスト」「Mr.Perfect」「ミスター」。旧リングネームは本名の福田洋。最近のDDTファンの間では、「福田」というより「ミスター」と呼ぶ方が多くなっている。
東京都小平市アメリカ合衆国ノースコダライナ出身。日本体育大学卒。ユニオン非認定U.S.ヘビー級王座の初代王者。
日本の若手インディープロレスラーの中では、もっともアメリカンスタイルに傾倒しているレスラーである。最初はカート・ヘニングリスペクトからスタートしたが、その後色々なアメリカ人レスラーの要素が混じるようになり、2015年はハクソー・ジム・ドゥガン要素が強くなっている。
ちなみに本人は、この大百科の記事の存在を知っている。
2010年にユニオンプロレスが行った「新レギュラーオーディション」を受けるも第一次審査で落選。だが、そのあとにユニオンの練習生として入門。2011年5月4日、新宿FACE大会で本名の福田洋としてデビュー(対趙雲子龍&曹彰。パートナーはゲイロン・サマーズ)。
10月19日の新宿FACE大会、ビッグ諸橋と組んで、対折原昌夫&大家健組を相手に初勝利をあげる。
同年11月27日のDDTプロレスリング後楽園大会で、ほもいろクローバーZの緑メンバー(ホモ枠)に合格。
2012年3月18日のユニオン新木場1stRING大会で、美月凛音相手にシングル初勝利。
なお、プロレスラーになろうと決意したのはZERO1靖国大会で大谷晋二郎に「僕、プロレスラーになります」と話しかけ、大谷に「なれるよ!」と言われたからそうである。
ユニオンプロレスだけではなく、DDT本体やKAIENTAI-DOJO、大日本プロレス、STYLE-Eにごじゃっぺプロレスなど、他団体にも積極的に参戦。特異なキャラクターとアメリカンプロレスの影響を強すぎるくらいに受けたファイトスタイルで、新人らしからぬポジションを築いている。2012年夏の闘うビアガーデンでは、幾度となくアイアンマンヘビーメタル級戦線に絡み、タイトル獲得と陥落を繰り返した。
2013年からは、鶴見亜門GMの了承を得て、独自の興行「ULTIMATE SUPER STARS ACITON(略してUSA)」を立ち上げることを宣言。2013年3月28日に新木場USAアリーナ(新木場1stRING)で旗揚げが決定した。
「僕はビンスになって、DDTをプロモートしていきたい!(鶴見亜門GM的にはビンス・ルッソー)」という、福田が目指すものは何なのか? 2013年3月10日のユニオン横浜大会でまさかのユニオン撤退が決まってしまった福田。否応なしにUSA興行に全力を注ぐしかなくなった彼の行方に期待半分、不安半分である。
2015年現在、USA路線は酒場プロレスに一部受け継がれているようである。
2014年10月22日の後楽園ホール大会より来年のチャンピオン・カーニバル最終戦までの半年間、全日本プロレスにレンタルという形で移籍する事が決定。その間ユニオンやDDT本体だけでなく全日本プロレス以外の団体には出場しない予定であったが、移籍直前の10月7日、DDTでのイベント「バブルサッカー」に参加した際、肩甲骨脱臼後骨折の重傷を負ってしまったため、全日本プロレスへのレンタル移籍は白紙。その後復帰したが、2015年3月のユニオンプロレスの興行で、レンタル移籍自体が正式に無くなった事を本人が発表。ちなみにその後、全日本プロレスには石川修司とともに何回か参戦している。
ユニオンプロレスでは撤退を宣言したり、MEN'Sテイオーと外敵なユニットを組むなど本隊とは微妙に距離を置いた活動をしていたが、佐藤光留が来襲していたときはユニオン愛をみせていた。ユニオンプロレス解散後は、木髙イサミが設立したプロレスリングBASARAに参加した。
プロレスリングBASARAでは2016年に行われた記念すべき第1回のリーグ戦、頂天~itadaki~で優勝決定戦で団体代表の木髙イサミを破り見事優勝。この優勝をきっかけにリングネームを福田洋からトランザム★ヒロシに変更した。
ユニオン以外ではアントーニオ本多率いるユニット「ハッピーモーテル」の助っ人を経て正式なユニットのメンバーとなる。今もDDTグループのみならず、他団体で(主に面白試合枠、歌い手枠として)色々と活躍している。
2011年11月22日のユニオン新宿FACE大会で木高イサミと対戦したが、記者会見の段階でイサミのDIVAだった風間ルミに結婚を前提としたアピールを開始。試合には敗れたが、「未来のあんたに賭けてみたい」ということで、風間が福田のDIVAとして寝返る(いわゆるNTR)。
その後、現役ホストプロレスラーの美月凛音と抗争をくり広げ、あわや凛音に風間を寝取られるかという展開になるも、実は「福田を奮起させるためのお芝居」だったことが判明。福田、凛音、風間でユニットを結成する。
だが、凛音とのタッグで高木三四郎&松田慶三組と対戦したとき、新宿二丁目のオーラが漂う慶三の肉体美になぜか反応。さらに、三四郎たちが福田の新しいDIVAとして送りこんだ暗黒プロレス組織666の遠藤マメ(ガチのゲイ)に心をときめかせてしまう始末。熟女とゲイ、どちらをDIVAとして選ぶか、様々なストーリー展開の末、風間とマメの両方がDIVAになったものの、2013年最初の興行で、どちらもDIVAを卒業してしまった。
その後、プロレスリングFREEDOMSの葛西純が「全ての和式トイレを洋式トイレに!」という公約に乗っかってパートナーになったり(葛西はヒザが本当に悪いから)、同じアメリカンプロレス志向のMEN'Sテイオーと師弟タッグを組んだりしていた。ちなみに2013年に終了したDIVA路線はユニオンラストマッチで風間ルミや遠藤マメが特別参戦し、最後の輝きを見せていた。
「一若手の自分の試合なんて、誰も観てくれないんですよ。ただ新人ががんばったーで消費されてしまう。どっかに引っかかりがないと興味なんて湧かないですよね」と、自身のブログやツイッターで語るように、福田は自分の名を上げることをまず第一としている。そのため、あらゆるネットコミニュケーションツールを駆使して、他団体への参戦オファーや対戦相手へのアピールを繰り返している。
たとえばKAIENTAI-DOJOでは、TAKAみちのくに何度となくツイッターで参戦アピールをしてカードを組んでもらい、さらに同団体の女子プロレスラーのバンビに「僕と付き合ってください」と(風間ルミがDIVAなのに)アピール。結果として、バンビの鞭で酷い目に遭ったものの、その後も若手のリーグ戦に呼ばれるなど爪痕を残している。
さらに、ある就活サイトで自身がプロレスラーになるきっかけから普段の生活まで、インタビューにも答えていた。
こうした活躍から、「ネットプロレス大賞」の新人賞では、2011年は5位、2012年は4位にランクインした。なにもアピールしなければ、月に一回あるユニオンの興行にしか出られない、新人の立場を突き破ったこうした振る舞いはファンや同業者の間でも賛否両論分かれるが、プロは名前を知られてなんぼという点では、評価すべきであろう。2015年現在はネット経由の他団体参戦アピールはあまりしていないが、Twitterでの活動は活発である。
全体的に、(受け身を含んだ)動きと技はアメリカンプロレスの影響を強く受けている。
掲示板
6 ななしのよっしん
2014/08/28(木) 19:25:22 ID: 8yePhDtZeE
http://w
28日、全日本プロレス事務所にて記者会見が行われ、ユニオンプロレス所属・福田洋選手の全日本プロレスへの期限付きレンタル移籍が全日本プロレス秋山準社長、DDTプロレス高木三四郎社長同席の下で発表されました。
全日本プロレス10月22日後楽園ホール大会より来年のチャンピオン・カーニバル最終戦までの半年間に渡り、福田選手は全日本プロレスでの活動に専念する事になりました。
7 ななしのよっしん
2014/08/30(土) 12:27:43 ID: 9RUiWfKBxw
>>6
コレは驚いたよな。
BUSHIのように最終的に移籍するんじゃなくて、俗に言う海外武者修行を大手団体でやる感じ。
8 ないちゃん
2015/05/24(日) 18:00:55 ID: rS+8dTSZU9
うん
タイトル:ふく
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最終更新:2024/03/29(金) 05:00
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