トンボ釣りとは、航空母艦での発着艦に失敗して海面に墜落した艦載機の機体・パイロットを救助する駆逐艦の作業の様子、あるいはその駆逐艦自体を指す、日本海軍における俗称である。
「トンボ」は同じく日本海軍で、朱色に塗装された練習用航空機を「赤トンボ」と呼んでいたことなどに由来する、航空機の俗称。シロッコ「墜ちろ、蚊トンボ!」 → 九三式中間練習機
コンピューターによる誘導・制御を行っている現代でさえ、空母での発着艦は危険であり、事故が多い。ましてそのような設備のない太平洋戦争以前の空母では、発着艦は完全にパイロットの腕頼みであり、事故が絶えなかった。しかし巨大な空母が自ら事故機を救助するのもまた難しかったため、小回りの効く駆逐艦がそれを行っていた。
日本海軍では、昭和3年4月に空母「赤城」と「鳳翔」で初めて第一航空戦隊(一航戦)を編成したときから、航空戦隊のなかに駆逐艦の部隊(駆逐隊)を組み入れ、空母の直衛・対空・対潜、そしてトンボ釣りを担わせていた。
主にこの担当となったのは、大正時代前期の建造で昭和では老朽化しつつあった峯風型駆逐艦である(時代が進んでくると、睦月型駆逐艦や吹雪型駆逐艦も担当に)。
【アジア歴史資料センターより】
- 「(大正15年1月末)鳳翔飛行作業並事故当時の情況概要」(Ref.C04015186800)
※着艦失敗墜落・パイロット殉職事故についての鳳翔艦長(小林省三郎大佐)所見 (抜粋)
・・・右實情ニ鑑ミ鳳翔飛行訓練上更ニ常時飛行機援助作業ニ慣レタル専属ノ駆逐艦ヲ得ハ一層完全ナル援助ノ目的ヲ達シ得ヘシト確信セラルルニ付此ノ際特ニ此ノ点ヲ完全ナラシメ艦隊ニ欠クヘカラサル航空作業ノ演練ヲ遂行スルノ要アリト認ム- 「(海軍省)官房機密第82号 昭和7年1月22日 第二駆逐隊各艦ニ飛行機吊揚装置装備ノ件」
(Ref.C05022090000)- 「(昭和7年7月)第一航空戦隊 定員艤装兵装等に関する意見の件」(Ref.C05022393600)
・・・現航空戦隊掩護駆逐艦ノ如キハ単ニ平時ノ人命救助任務ノミナラズ平戦時ヲ通シ母艦ノ警戒航空機ノ支援ニ重要ナル任務ヲ有スルモノニシテ・・・
初期の運用では「釣り」の語句どおり、事故機体そのものの回収も行っていたようだが、機体の大型化・重量化によって難しくなり、後にはパイロットの救助のみを行って機体は諦める(可能であれば部品回収?)ようになったらしい。
なお、戦艦や巡洋艦・水上機母艦搭載の水上機については、そもそも
カタパルトで射出 → 海面にフロートで着水 → クレーンで回収
という運用をするものなので、このことを「トンボ釣り」とはあまり言わない。[要出典]
昭和16年4月、それまで第一艦隊(一航戦が所属)と第二艦隊(二航戦が所属)で個別に編成されていた航空戦隊を集中運用する艦隊として、【第一航空艦隊】が組織された。
艦隊 | 戦隊 | 空母 | 随伴 | |
---|---|---|---|---|
第一航空艦隊 | 第一航空戦隊 | 赤城 加賀 | 第七駆逐隊 | 漣 曙 潮 |
第二航空戦隊 | 蒼龍 飛龍 | 第二十三駆逐隊 | 菊月 卯月 夕月 | |
第四航空戦隊 | 龍驤 春日丸(特設空母) | 第三駆逐隊 | 汐風 帆風 | |
第五航空戦隊 | 翔鶴 瑞鶴 | 秋雲 朧(第七駆逐隊より引き抜き) |
||
(※三航戦は第一艦隊所属) | ||||
第一艦隊 | 第三航空戦隊 | 瑞鳳 鳳翔 | 三日月(第二十三駆逐隊より引き抜き) 夕風(第三駆逐隊より引き抜き) |
上表のように各航空戦隊には引き続きトンボ釣りの駆逐隊がついていたが、9月に就役したばかりの「秋雲」(陽炎型)を除き、第三駆逐隊は峯風型、第七駆逐隊は吹雪型(綾波型)、第二十三駆逐隊は睦月型である。
これらの中堅・老朽化駆逐艦では、12月の真珠湾攻撃作戦で長駆ハワイまで出動することが困難と考えられたため、一航戦・二航戦・五航戦が参加した実際の作戦では、第一水雷戦隊と第二水雷戦隊から引き抜かれた陽炎型の駆逐隊(第十七駆逐隊・第十八駆逐隊)が護衛につき、「秋雲」(作戦参加)以外の各艦は別戦線への出動、もしくは内地待機に配置換えされた。
真珠湾攻撃以後も、南雲機動部隊(第一航空艦隊)の護衛は引き続き十七駆と十八駆が主につとめ、元の航空戦隊所属駆逐隊は復帰しなかった。
昭和17年4月、機動部隊固有の護衛戦力として第十戦隊(陽炎型・夕雲型)が編成されたのを期に、航空戦隊は空母のみで編成され、機動部隊のトンボ釣りは艦隊所属の駆逐艦全体で行うようになる。
艦隊 | 戦隊 | 所属艦 | ||
---|---|---|---|---|
第一航空艦隊 | 第一航空戦隊 | 空母 「赤城」 「加賀」 | ||
第二航空戦隊 | 空母 「蒼龍」 「飛龍」 | |||
第三戦隊(第二小隊) | 戦艦 「榛名」 「霧島」 | |||
第八戦隊 | 重巡洋艦 「利根」 「筑摩」 | |||
第十戦隊 | 軽巡洋艦 「長良」 | |||
第四駆逐隊※ | 駆逐艦 「野分」 「嵐」 「萩風」 「舞風」 | |||
第十駆逐隊 | 駆逐艦 「風雲」 「夕雲」 「秋雲」 「巻雲」 | |||
第十七駆逐隊 | 駆逐艦 「浦風」 「磯風」 「浜風」 「谷風」 |
※第四駆逐隊の本来所属は第四水雷戦隊であり、この位置には第七駆逐隊(漣・曙・潮)が入るべきところだが、七駆は第十戦隊新編成直後の5月に珊瑚海海戦へ五航戦(翔鶴・瑞鶴)の護衛で出動し、その流れでミッドウェー海戦本戦でも四航戦(龍驤・隼鷹)の護衛でアリューシャン方面へ出動したため、代わりに四駆が十戦隊へ入っていた。
機動部隊の編成体系が定まったことで、空母は固有のトンボ釣りを持たなくなったが、そのなかで唯一、太平洋戦争中特定の空母の随伴を続けた駆逐艦があった。峯風型の10番艦「夕風」である。
編成時期 | 戦隊 | 空母 | 随伴 | |
---|---|---|---|---|
昭和15年11月15日 | 第一航空戦隊 | 加賀 | 第三駆逐隊 | 汐風 帆風 夕風 |
昭和16年4月10日 | 第三航空戦隊 | 鳳翔 | 夕風 | |
第四航空戦隊 | 龍驤 | 第三駆逐隊 | 汐風 帆風 | |
8月11日 | 第三航空戦隊 | 瑞鳳 鳳翔 | 三日月 夕風 | |
昭和17年4月10日 | (連合艦隊附属) | 瑞鳳 | 三日月 | (ミッドウェーでは第一艦隊所属) |
鳳翔 | 夕風 | (ミッドウェーでは連合艦隊所属) | ||
7月14日 | (第三艦隊附属) | 鳳翔 | 夕風 | |
昭和18年1月15日 | 第三艦隊 第五十航空戦隊 |
鳳翔 龍鳳 | 夕風 摂津(標的艦) |
鹿屋海軍航空隊(鹿児島) 築城海軍航空隊(福岡) |
9月1日 | 鳳翔 | 夕風 | 鹿屋海軍航空隊 築城海軍航空隊 |
|
昭和19年1月1日 | 第十二航空艦隊 第五十一航空戦隊 |
鳳翔 千代田 | 夕風 | 築城海軍航空隊 豊橋海軍航空隊(愛知) 厚木海軍航空隊(神奈川) |
2月20日 | (連合艦隊附属) | 鳳翔 | 夕風 |
一航戦でトンボ釣りについていた第三駆逐隊は、昭和16年に三航戦が「鳳翔」と「龍驤」(四航戦を新編)に分けられた際にこちらも分割され、「夕風」が単独で「鳳翔」のトンボ釣りへ配置された。
以後、「夕風」は「鳳翔」の編成替えに常時随伴し続け、昭和18年以降に作られた空母艦載機育成部隊の第五十航空戦隊や第五十一航空戦隊でも、「鳳翔」の発着艦訓練のトンボ釣りを行った。
昭和20年4月20日付けで「鳳翔」が現役編成から外れて予備艦に移されると、「夕風」は改装空母「海鷹」の護衛につき、大分県の別府湾へ移動。ここには特攻兵器「回天」の訓練基地(大神基地)があり、「海鷹」「夕風」は「回天」の訓練標的艦となった。
7月24日、「海鷹」「夕風」は空襲を避けるため山口県の室津へ移動中、「海鷹」が米軍の投下機雷に触れて航行不能に陥る。ここで「夕風」は、大胆にも「海鷹」の曳航を試みる。
1,200トンの「夕風」に対し「海鷹」は13,000トンと10倍以上の重量差があり、発揮できる速力はわずか2ノット。砲塔に巻きつけたワイヤーが切断しないよう注意しながらジリジリと移動し、約10時間かけて「夕風」は「海鷹」を大分県速見郡の城下海岸へ座礁させることに成功する。
7月28日、「海鷹」は米軍艦載機(呉軍港空襲の部隊か)の攻撃を受けて大破・船体放棄となり、対空戦闘で約20名の戦死者を出すが、乗員のほとんどは上陸して難を逃れることができた。「夕風」は、最後に大きな “ トンボ釣り ” をやってのけたのである。(「海鷹」は座礁状態で終戦を迎え、昭和23年までに離礁・解体)
終戦時残存艦の「夕風」は復員船に使用され、約10,000人の復員作業に従事。昭和22年、イギリスへの戦時賠償艦に指定され、7月26日佐世保発、8月14日シンガポールでイギリス軍に引き渡された。
その後の「夕風」の動向は不明だが、イギリスへの引き渡し艦は英本国まで回航されず、駆逐艦「夏月」のように日本の解体業者に払い下げられて日本国内で解体されるか、重巡「高雄」「妙高」のように接収地域で処分されているので、「夕風」も同様に処分されたものと思われる。
編成時期 | 空母 | 随伴 | |
---|---|---|---|
昭和3年4月 | 赤城 鳳翔 | 第六駆逐隊 | 梅 楠 |
(昭和3年12月 解隊) | |||
昭和4年4月 | 赤城 鳳翔 | 第四駆逐隊 | 羽風 秋風 帆風 太刀風 |
11月 | 加賀 鳳翔 | 第一駆逐隊 | 野風 波風 沼風 神風 |
昭和5年12月 | 赤城 鳳翔 | 第二駆逐隊 | 峯風 沢風 矢風 沖風 |
昭和6年12月 | 加賀 鳳翔 | ||
昭和8年11月 | 赤城 龍驤 | ||
昭和9年11月 | 龍驤 鳳翔 | 第五駆逐隊 | 朝風 春風 松風 旗風 |
昭和11年12月 | 第三十駆逐隊 | 睦月 如月 弥生 卯月 | |
昭和12年12月 | 加賀 | 第二十九駆逐隊 | 追風 疾風 |
昭和13年12月 | 赤城 | ||
昭和14年11月 | 第十九駆逐隊 | 磯波 浦波 敷波 綾波 | |
昭和15年5月 | 赤城 龍驤 | ||
11月 | 加賀 | 第三駆逐隊 | 汐風 帆風 夕風 |
昭和16年4月 | 赤城 加賀 | 第七駆逐隊 | 朧 漣 曙 潮 |
10月 | 漣 曙 潮 |
(第十戦隊編成後)
編成時期 | 空母 |
---|---|
昭和17年4月 | 赤城 加賀 |
7月 | 翔鶴 瑞鶴 瑞鳳 |
昭和19年2月 | 翔鶴 瑞鶴 |
4月 | 大鳳 翔鶴 瑞鶴 |
8月 | 雲龍 天城 |
11月 | 雲龍 天城 葛城 隼鷹 龍鳳 信濃 |
昭和20年2月 | 大和(戦艦) 天城 葛城 隼鷹 龍鳳 信濃(名前のみ) |
(昭和20年4月 解隊) |
編成時期 | 空母 | 随伴 | |
---|---|---|---|
昭和9年11月 | 赤城 | 第二駆逐隊 | 峯風 沖風 |
昭和10年11月 | 加賀 | 第二十九駆逐隊 | 追風 疾風 |
昭和11年12月 | 第二十二駆逐隊 | 皐月 水無月 文月 長月 | |
昭和12年10月 | 第二十四駆逐隊 | 海風 山風 江風 涼風 | |
12月 | 龍驤 | 第三十駆逐隊 | 睦月 如月 弥生 卯月 |
昭和13年12月 | 蒼龍 龍驤 | 第十二駆逐隊 | 東雲 薄雲 白雲 叢雲 |
昭和14年11月 | 蒼龍 飛龍 | 第十一駆逐隊 | 吹雪 白雪 初雪 |
昭和15年11月 | 第二十三駆逐隊 | 菊月 卯月 夕月 |
(第十戦隊編成後)
編成時期 | 空母 |
---|---|
昭和17年4月 | 蒼龍 飛龍 |
7月 | 隼鷹 飛鷹 龍驤 |
昭和18年4月 | 隼鷹 飛鷹 龍鳳 |
(昭和19年7月 解隊) |
編成時期 | 空母 | 随伴 | |
---|---|---|---|
昭和11年6月 | 神威(水上機母艦) | 第二十八駆逐隊 | 朝凪 夕凪 |
(昭和11年12月 解隊) | |||
昭和12年8月 | 神威(水母) | ||
10月 | 神威(水母) 能登呂(水母) | ||
12月 | 神威(水母) 香久丸(特設水母) 神川丸(特設水母) | ||
(昭和13年12月 解隊) | |||
昭和15年11月 | 龍驤 鳳翔 | 第三十四駆逐隊 | 羽風 秋風 太刀風 |
昭和16年4月 | 鳳翔 | 夕風 | |
8月 | 瑞鳳 鳳翔 | 三日月 夕風 |
(第十戦隊編成後)
編成時期 | 空母 |
---|---|
(昭和17年4月 連合艦隊附属へ区分変更、解隊) | |
昭和19年2月 | 瑞鳳 千歳 千代田 |
8月 | 瑞鶴 瑞鳳 千歳 千代田 |
(昭和19年11月 所属艦全滅、解隊) |
編成時期 | 空母 | 随伴 | |
---|---|---|---|
昭和12年12月 | 能登呂(水上機母艦) 衣笠丸(水上機母艦) | ||
(昭和13年8月 解隊) | |||
昭和16年4月 | 龍驤 | 第三駆逐隊 | 汐風 帆風 |
9月 | 龍驤 春日丸(特設空母) |
(第十戦隊編成後)
編成時期 | 空母 |
---|---|
昭和17年1月 | 龍驤 祥鳳 |
5月 | 龍驤 隼鷹 |
(昭和17年7月 解隊) | |
昭和19年5月 | 伊勢(航空戦艦) 日向(航空戦艦) |
8月 | 伊勢(航戦) 日向(航戦) 隼鷹 龍鳳 |
11月 | 伊勢(航戦) 日向(航戦) |
(昭和20年3月 解隊) |
編成時期 | 空母 | 随伴 | |
---|---|---|---|
昭和16年9月 | 翔鶴 瑞鶴 | 秋雲 朧 | |
(昭和17年7月 一航戦へ移籍、自然消滅) |
部隊旗艦 | 駆逐隊 | ||
---|---|---|---|
阿武隈 (第一水雷戦隊) |
第十七駆逐隊 (一水戦) | 谷風 浦風 磯風 浜風 | |
第十八駆逐隊 (二水戦) | 陽炎 不知火 霞 霰 | ||
秋雲 |
<備考> 真珠湾攻撃において、各航空戦隊の本来所属である峯風型や睦月型の駆逐艦では同行困難とみなされたため、作戦には一水戦・二水戦から陽炎型・朝潮型(霞・霰)の駆逐隊が分派され、一水戦旗艦「阿武隈」が臨時にこれを統率した。
ハワイ攻撃後も引き続き、本来所属の駆逐隊に代わって十七駆と十八駆が南雲機動部隊の護衛を努め、昭和17年4月のセイロン沖海戦では第四駆逐隊から「萩風」「舞風」も派遣された。
戦隊旗艦 | 駆逐隊 | ||
---|---|---|---|
長良 | 第七駆逐隊 | 漣 曙 潮 (朧は隊を外れて横鎮附属) | |
第十駆逐隊 | 夕雲 風雲 秋雲 巻雲 | ||
第十七駆逐隊 | 谷風 浦風 磯風 浜風 |
<備考> 南雲機動部隊がインド洋で作戦中の4月、機動部隊固有の護衛戦力として第十戦隊が新設され、七駆と十七駆および新編成の十駆が配属された。しかしこの時点で、機動部隊と行動を共にしているのは十七駆と「秋雲」のみであり、開戦以来所属艦艇の差し替えが続いていた南雲艦隊は、また一から艦隊訓練をやり直すこととなった。
しかも5月の珊瑚海海戦へ七駆は五航戦と出動したため本隊から外れ、ミッドウェー海戦本戦では四水戦から分派された第四駆逐隊(萩風・舞風・野分・嵐)が臨時編入。同海戦大敗についての南雲艦隊報告書では、作戦直前の空母航空隊員の人事異動で新人が加入して航空隊の技量が低下したことに加え、新編成の十戦隊と満足な行動訓練ができないまま出動となったことを挙げている。
戦隊旗艦 | 駆逐隊 | ||
---|---|---|---|
長良 | 第四駆逐隊 | 萩風 舞風 野分 嵐 | |
第十駆逐隊 | 風雲 夕雲 秋雲 巻雲 | ||
第十六駆逐隊 | 雪風 初風 天津風 時津風 | ||
第十七駆逐隊 | 谷風 浦風 磯風 浜風 |
<備考> 「翔鶴」「瑞鶴」を中核とする新たな空母機動部隊として第三艦隊が新編成されると、第十戦隊もこの艦隊へ編入される。ミッドウェーでは臨時編入だった四駆が正規編成となり、二水戦から十六駆も転入して、単純に戦力だけを見れば「華の二水戦」をも凌ぐ部隊となった。
しかし陽炎型・夕雲型の駆逐艦は本来、戦艦による砲撃戦での水雷戦力として建造されたものであり、空母を航空攻撃から護るための対空性能には決して優れていなかった。南太平洋海戦では沈没こそ出さなかったものの「翔鶴」と「瑞鳳」を戦闘開始早々に大破させられており、秋月型防空艦の配備が遅れる(南太平洋海戦に「照月」のみ参戦)中で十戦隊の各艦は不向きな戦闘を強いられる。
戦隊旗艦 | 駆逐隊 | ||
---|---|---|---|
阿賀野 | 第四駆逐隊 | 萩風 舞風 野分 嵐 | |
第十駆逐隊 | 風雲 夕雲 秋雲 | (昭18.2 「巻雲」戦没) | |
第十六駆逐隊 | 雪風 初風 天津風 | (昭18.3 「時津風」戦没) | |
第十七駆逐隊 | 谷風 浦風 磯風 浜風 | ||
第六十一駆逐隊 | 秋月 涼月 初月 | (昭17.12 「照月」戦没) |
<備考> 南太平洋海戦の後、「長良」ほか十戦隊の一部の艦艇は第二艦隊の指揮下に入り、第三次ソロモン海戦やガダルカナル島への鼠輸送、同島撤退作戦などに参加。この最中に「長良」が損傷したため、昭和17年12月に戦隊の旗艦は新鋭軽巡の「阿賀野」となる。
昭和18年は空母の航空戦力再建が図られたため、十戦隊は本来任務の機動部隊での作戦が無い一方、行動可能な艦艇はトラック島やラバウルを拠点にソロモン諸島への泥沼の鼠輸送に駆り出され、「萩風」(8月)「嵐」(8月)「夕雲」(10月)「初風」(11月)が喪われる。
「阿賀野」も11月に潜水艦攻撃を受けて損傷。このため「秋月」が仮の旗艦となり、翌昭和19年2月に「阿賀野」が再び潜水艦攻撃を受けて戦没したので、旗艦は「矢矧」へ移る。
戦隊旗艦 | 駆逐隊 | ||
---|---|---|---|
矢矧 | 第四駆逐隊 | 野分 山雲 満潮 | (昭18.8 「嵐」「萩風」戦没) (昭18.9 「山雲」編入) (昭19.2 「舞風」戦没) (昭和19.4 「満潮」編入) |
第十駆逐隊 | 朝雲 | (昭18.10 「夕雲」戦没) (昭18.11 「朝雲」編入) (昭19.4 「秋雲」戦没) (海戦10日前 「風雲」戦没) |
|
第十七駆逐隊 | 浦風 磯風 浜風 雪風 | (昭19.4 十六駆解隊、「雪風」編入) (海戦10日前 「谷風」戦没) |
|
第六十一駆逐隊 | 秋月 初月 若月 | (昭19.1 「涼月」戦線離脱) | |
(附属) | 霜月 |
<備考> 最後の空母決戦となったマリアナ沖海戦(あ号作戦)を前に第十戦隊も戦力整備が図られたが、秋月型の配備は遅々として進まず、その他の駆逐隊も所属艦の戦没・損傷が相次ぎ、四駆・十駆は編成艦が一変、十六駆は残存艦が「雪風」のみとなってしまったため解隊し、十七駆に編入となる。また、決戦直前にはダバオで「風雲」・タウイタウイで「谷風」が米潜水艦の襲撃で撃沈され、対空とともに対潜の拙劣さも浮き彫りとなった。
そして本戦では、「翔鶴」「大鳳」が潜水艦攻撃により撃沈。続く米機動部隊による空襲では、一航戦唯一の残存となった「瑞鶴」は守ったものの、防備が行き届かなかった二航戦(十戦隊と二水戦から部分的に護衛艦を抽出)においては「飛鷹」撃沈・「隼鷹」中破となってしまう。
戦隊旗艦 | 駆逐隊 | ||
---|---|---|---|
矢矧 | 第四駆逐隊 | 野分 山雲 満潮 朝雲 | (昭19.7 十駆解隊、「朝雲」編入) |
第十七駆逐隊 | 浦風 磯風 浜風 雪風 | ||
第四十一駆逐隊 | 霜月 | (昭19.10 「冬月」戦線離脱) | |
第六十一駆逐隊 | 秋月 初月 若月 | (昭19.10 「涼月」戦線再離脱) |
<備考> マリアナ沖海戦の結果、空母戦力は事実上壊滅。続くレイテ沖海戦(捷一号作戦)においては第十戦隊のうち「矢矧」と四駆・十七駆は戦艦・重巡を主力とする第一遊撃部隊(栗田艦隊)へ編成されて空母から離れ、秋月型による四十一駆と六十一駆のみが第一機動艦隊(小沢艦隊)に残存。栗田艦隊のレイテ突入を援けるオトリである小沢艦隊は、航空戦艦「伊勢」「日向」、一応防空艦化された軽巡「五十鈴」、前連合艦隊旗艦「大淀」、果ては松型駆逐艦など、可能な限りの戦力を手当たり次第かき集めた有り様となった。
そして本戦において四駆が全滅。機動部隊でも「瑞鶴」以下4空母とともに「秋月」「初月」が撃沈。「若月」「霜月」も海戦後のフィリピンでの作戦中に相次いで撃沈され、「浦風」は台湾沖で戦艦「金剛」とともに撃沈される。
昭和19年11月15日付けで第十戦隊は解散。「矢矧」以下の残存艦は、同様に解散となった第一水雷戦隊とともに第二水雷戦隊へ集約編成され、昭和20年4月7日、戦艦「大和」の特攻に殉じることとなる。
掲示板
22 ななしのよっしん
2017/02/12(日) 17:56:06 ID: VA/U6Ov1ka
駆逐艦がトンボ釣りするからこそパイロットは安心して着艦に臨める
23 ななしのよっしん
2017/04/30(日) 12:28:19 ID: qcOXkBoqq5
なんだこの記事の充実度はw
24 ななしのよっしん
2018/06/02(土) 19:50:58 ID: RfVrFgpjoe
夕風の駆逐隊所属が少し間違っていますね。昭和15年11月15日の所属は三十四駆です。
順を追うと夕風は14年3月から四駆に編入、14年10月25日に四駆が三十四駆にスライド、15年11月15日に三十四駆は三航戦へ、16年4月10日に三十四駆は一航戦へ、夕風は三航戦に残留となります。(根拠はアジ歴のC14120609700やC14120980900やC14120980900)
ちなみに昭和18年の五十航戦時代の実績は、着艦訓練14回(鳳翔11回、龍鳳3回)中の警戒艦が全て夕風。他に9月7日の千歳の着艦公試、11月19日の神鷹と海鷹の着艦公試、11月29日の日向の射出機公試の警戒艦も夕風です。
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最終更新:2024/04/20(土) 11:00
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