トーシンブリザード 単語


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トーシンブリザード

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トーシンブリザードとは、船橋に所属した1998年生まれの日本競走馬である。鹿毛

史上初、そして二度と現れない四冠

な勝ち
2000年:全日本3歳優駿(GII)
2001年:南関東競馬三冠[羽田盃東京王冠賞東京ダービー]、ジャパンダートダービー(GI)、京浜盃
2002年:かしわ記念(GII)

概要

デュラブユートップレディブレイヴェストローマンという血統。米国生まれの英国で、短距離重賞2勝。愛国種牡馬入りしたが成績が上がらず日本輸出されたところ、何故かシンコウウインディやサカモトデュラブなどダート戦線で活躍するが続々出てきたという種牡馬は中央の1勝。血統的にはなんにもなし。ブレイヴェストローマン種牡馬として活躍した米国。わかりやすく地方競馬にいそうなである。

初戦を軽く勝利。2戦あのラムタラJRA皐月賞イシノサンデーという良血ロイヤルエンデバーを下す。3戦全日本3歳優駿(当時GII)もロイヤルエンデバーと当たり、直線でしい叩き合いの末ハナ差下して勝利。3歳王者の座につく。

翌年は南関東三冠(当時は羽田盃東京王冠賞東京ダービー)をし、前戦として京浜盃に出走。またもロイヤルエンデバーと対戦したが、上がり3ハロン365という大井では考えられないような末脚でぶっ飛ばし快勝。ロイヤルエンデバーは泣いていい。なお、この後ロイヤルエンデバーは7かの休養を余儀なくされ、復帰後も活躍できずひっそりと引退している。

世代王者の座を不動のものとしたトーシンブリザードは三冠ロードを驀進。一冠羽田盃は2番手からあまりに軽々と抜け出し2身差で楽勝(3着はさらに8身後方)。二冠東京王冠賞羽田盃をそっくり再現したような2番手抜け出し(逃げも前走と同じ)でまたも2身差の楽勝(3着はその4身後方)。もはや別次元の余裕を見せつけ、堂々と三冠東京ダービーに駒を進める。

その東京ダービーも前二冠と全く同じ展開。しかし今度は2000mと初の距離であるうえ、田んぼにしか見えない不良馬場ワンチャン止まるかも…と思ってた党もいたらしい。
しかし直線、一杯になって後退する逃げを横に、軽く仕掛けただけで伸びる伸びる。最終的に4身差をつける圧勝劇。あのロジータ以来の南関東三冠を史上初の敗で成し遂げた。

こうなるとファンの期待は史上初の「南関東四冠」。四冠ジャパンダートダービーは交流GI、全猛者に加え中央の強も出走する。前の三冠とはわけが違う…が、トーシンブリザードは1.0倍。中央地方も例年にべ格落ち感があったとはいえ、地方が交流GIで単勝元返しなんて前代未聞である。ファンの期待は最高潮だったことの左といえよう。

三冠レースで常に逃げを打っていた先導役フレアリングマズル(この三冠で2着2着3着という泣いていい1頭)が戦線離脱しており、押し出されるように先頭に立つ。実況は「逃げたくはないが」と言ったが、当のトーシンブリザードは落ち着いたもので、競りかけられても然と構え、直線で軽く仕掛ける。三冠のような大差こそつかないが、後続は全く差を縮められない。東京の、ブリザード圧勝!」という実況く中、決定的な1身半差をつけ勝利。史上初の南関東四冠の座を手にした。この年限りで二冠東京王冠賞止され、翌年からJDDを加えた新南関東三冠に再編されたため、四冠は二度と達成されない記録となった。ちなみに2着に最低人気メイショウアームが突っ込んだのだが、複勝1.1倍なのに馬単万馬券になったそうな。

この後中央クラシック挑戦も取り沙汰されたが骨折で断念。半年後に復帰し東京大賞典に挑む。怪物クロフネこそ去ったが、ジャパンカップダート初代王者のウイングアローフェブラリーSノボトゥルー東北皇帝トーホウエンペラーなど四冠などにならない強う中、トーシンブリザードは3着と好走こそするが初を喫する。フェブラリーSでは前走香港カップ1着の変態アグネスデジタルの2着と好走するが、ダイオライト記念は5着。かしわ記念(当時GII)はノボトゥルーらを破って勝利するが、帝王賞はまさかの8着と暗転。
この後再び骨折し長期休養を余儀なくされる。1年半後にどうにか復帰したが、蹄の状態も悪化しており最盛期の力は失われていた。それでも交流重賞で2着、3着に突っ込む意地は見せたがついに勝利は上げられないまま、2005年JBCスプリントを最後に引退。最後に手綱を取ったのは、四冠制覇の頃の騎手だった石崎之の息子で、当時トーシンブリザードの厩務員をしていた石崎駿であった。

種牡馬入りはしたが地方ダートでは成績は上がらず、数頭の地方勝利を出すにとどまった。その後は日高荒木育成牧場で功労として暮らしていたが、2021年8月18日に23歳で急死。同じ牧場には2年先輩JDDである大井オリオンサンクス、史上最多の43勝を挙げた栃木怪物ブライアンロマンという地方競馬英雄たちも余生を送っていた。

血統表

*デュラブ
Doulab
1982 栗毛
Topsider
1974 鹿毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Drumtop Round Table
Zonah
Passerine
1977 栗毛
Dr. Fager Rough'n Tumble
Aspidistra
Pashamin My Babu
Tir an Oir
ユートップレディ
1992 鹿毛
FNo.6-a
*ブレイヴェストローマン
1972 鹿毛
Never Bend Nasrullah
Lalun
Roman Song Roman
Quiz Song
ヒミノトップレディ
1984 黒鹿毛
*テスコボーイ Princely Gift
Suncourt
ラッシーノニ *ダラノー
マリシテン
競走馬の4代血統表

クロスNasrullah 5×4×5(12.50%)、Nearco 5×5(6.25%)

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関連項目

南関東三冠馬
南関東限定時代 ヒカルタカイ(1967年) | ゴールデンリボー(1975年) | ハツシバオー(1978年) |
サンオーイ(1983年ハナキオ(1986年) | ロジータ(1989年) | トーシンブリザード(2001年)
全国交流時代 ミックファイア(2023年)
3歳ダート三冠時代 達成
南関東牝馬三冠 チャームアスリープ(2006年)
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