ドミネ・クオ・ヴァディスとは、「主よ、どこへ行かれるのですか?」という意味のラテン語である。
新約聖書の『ヨハネによる福音書』13章36節に出てくる言葉で作中のクライマックスに用いられている。また、イエス・キリストの昇天以後の使徒ペトロの運命を伝える伝承中にも登場する。
新約聖書の『ヨハネによる福音書』の13章36節、いわゆる「最後の晩餐」のシーンで登場する。四福音書の他の3つ、『マタイによる福音書』『マルコによる福音書』『ルカによる福音書』には登場しない。
13章33節でイエス・キリストが語った「あなたたちは私の行くところについていくことはできない」と言う言葉に対して、イエスの弟子の一人であるペトロが問う言葉である。
これに対するイエスの回答は「今はあなたは私の行くところについていくことはできない。だが後についてくることになるだろう」と言うものであった。イエスの殉教と昇天、そして将来それに続くペトロの死と昇天を暗示したものと解釈されることが多い。
この言葉を不思議に思ったペトロは「なぜついていくことが出来ないのですか。私はあなたのためならば命も捨てますのに」と語った(13章37節)が、イエスは「鶏が鳴くまでの間に、あなたは私について3回『知らない』と言うだろう」とも語った(13章38節)。
この「最後の晩餐」ののち、イエス・キリストは捕縛されて磔刑に処される。
イエス・キリストが捕らえられたのち、ペテロは人々から「あなたは彼の仲間ではないか」と2回聞かれ(18章17節、25節)、さらに「あなたが彼と一緒に居たではないか」(13章26節)とも問い詰められるが、いずれも否定する。そして鶏が鳴いた。
『ヨハネによる福音書』では鶏が鳴いた後のペトロの反応については語られていないが、他の3福音書『マタイ』『マルコ』『ルカ』ではこの鶏の鳴き声を聞いたペトロは、師の言葉を思い出して涙を流す。
聖書正典での「ドミネ・クオ・ヴァディス」の登場は以上で終わりであるが、キリスト教に関する伝承中ではもう一度登場する。
時代が下ってペトロは、キリスト教が禁じられていたローマで布教をしていた。しかしネロ帝から迫害を受け、このままでは殺されると思いローマから逃げようとしたペトロの前に死んだはずのイエス・キリストが現れる。
驚いたペトロが言った言葉は、かつて彼が口にしたものと同じ言葉「ドミネ・クオ・ヴァディス」(主よ、あなたは何処へ行かれるというのですか?)であった。
それに対してキリストは「君が民衆を捨てて逃げるというなら、(君の代わりに)もう一度磔になるためローマへ行く」と返す。
この言葉に目が覚めたペトロは殉教を覚悟してローマに戻り、捕まってネロ帝に磔刑に処された。
上記の聖書中のエピソードを悔いていたペトロが、師が語った「後についてくることになるだろう」という言葉通り、今度こそ師の歩んだ道を追ったと解釈することもできる。
ペトロは死亡したがそれは後のキリスト教の発展につながりカトリック教会から初代ローマ教皇とみなされている。
ちなみに「このやり取りがなされた場所である」という伝承がある場所がイタリアに存在しており、入り口に「DOMINE QUO VADIS」(ドミネ・クオ・ヴァディス)と記された小さな教会が建っている。公式名称はサンタ・マリーア・イン・パルミス教会なのだがもっぱらドミネ・クオ・ヴァディス教会と呼ばれている。
ラテン語としては「Domine, quo vadis?」や「DOMINE QUO VADIS」などと表記される。
「domine」が「主よ」、「quo」が「どこ」、「vadis」が「行く」にあたる。「domine(主よ)」を除いた「quo vadis」(どこへ行かれるのですか?)のみでもよく言及されるフレーズである。
日本語表記は冒頭の「ドミネ・クオ・ヴァディス」の他、元々外国語なので様々なカタカナ表記がなされる。「ドミネ」の部分はあまり変わらないが、「クオ・ヴァディス」の部分は「オを大文字ではなく小文字とする場合がある」「ヴァではなくワやバと表記する場合がある」「中点(・)を付けない場合がある」ことから、「クオ・ワディス」「クォ・ヴァディス」「クォ・ワディス」「クォヴァディス」などの様々な異表記がある。
詳細は「クォ・ヴァディス」の記事を参照されたい。
\\ ∧ \::::ヽl:::∧ ┌ 、 どこへ . __ .:ヽ_〉、::::::::::::ト、 Lノ(_) l^l^l | |^l ヒ , .::: \:::::::l∧ 行かれるのですか? :::::i ヽ::::ヽ∧ f⌒ヽ l /__ _| .__ f⌒) :::::::l }:::::::l::::' ヽ__メ、しl(_) |/ CL(_,| |‘⊃ ! . .:::::::::ヽ __j:::::::l:::::::〉 「7 舛 エエ l | .::::::::::::ノ ィァvリ /l ::::l│ おまえは /ロ木 l | 亅」 だ . :::::::::f´ j└'´ l /l }. __ ───── ッ!! 、‐tミ、 //l::!, '´ ヽ ヽ.┴'´ 「`ヽ.____//./ \ r‐|:\ lニニニ/ ) // z==ヽ 、` ヽ ̄:ー=、 く_//ノ '´ / ̄ヽ--'ヽ / ,.z=== \:::::::`ー─ /::::::::/ / } | ∧ __ .:::::ヽ:::::::::::::/:|:::::::;ハ { ( / /___|ト、 〃´-― .:::::::::::::l:::::::::::l:::l:::::::i l v l ハ∧ ̄l| \ / ::::::::::::::l:::::::::::l:::l::rァ:l l/ /|_l__ ∨ノ ソ^! _ / ::::::::::::::l::::::::::::::::l::rァ:l l__//ニf メ、〈_∠、 ゾ´/ 、:::::ヽ::::|:l::l:l|:::::V::;ヘ、l /'´ ̄`ヾ' ,rテラ/ \\V川lト、 :ヽ:\ l' _ _ /. ̄/ -─l \ /::l│l⌒ヽ ´/ イ -―l ト、ヽ ̄ ヽヽヽノ'^ー' ´ _l ト、ノ  ̄ / \ ノミヽ、 \/\ヽヽ、、、、\\\ ミヽ\ / `7ーァヽ\ヽ、\、 ミ / / / / `7ーヽヽ、 ヽ.___ノ{ l | { { / ) ヽ `丁 Τ  ̄l ̄ l ̄ ̄ l ̄ Τ´`ヽ ミ、__,ノ ヽ ヽ_ヽ_ヽ__ヽ_l_,ノ ∨`゙゙ `ヽ'´二 ̄----─一/ \___ノ-ァ‐一  ̄ ̄ `ー‐'
荒木飛呂彦の漫画「ジョジョの奇妙な冒険」Part6ストーンオーシャンに登場する、エンリコ・プッチの台詞。
作中の悪役であるエンリコ・プッチ神父は、主人公の空条徐倫に味方する記憶喪失の囚人ウェザー・リポートの実の兄であり、その記憶をスタンド能力「ホワイトスネイク」で奪った張本人である。記憶を奪った理由とは、ウェザーがある事件によって全ての人間を憎んだ結果、無意識に全ての生き物をカタツムリ化させる「ヘビー・ウェザー」を止めるためだった。
物語終盤、プッチ神父の味方だったドナテロ・ヴェルサスが裏切って、自分が助かる為にプッチが隠し持っていた「ウェザー・リポートの記憶DISC」をウェザー本人に返したため、再び「ヘビー・ウェザー」が発動してしまう。
記憶をとり戻したウェザーは、徐倫の父・空条承太郎が封印していたプッチの目的である「天国へ行く方法」の件や死亡した仲間のF・Fの件も含めて、自分とプッチの因縁に決着をつけることを決め、同行していたナルシソ・アナスイとともに近づいてくるプッチに挑む。
「ヘビー・ウェザー」が発動している状態では、「虹」に触れたりそれによってカタツムリ化した生物に触れてしまうとカタツムリ化してしまう為、プッチにも行動の制限がかかると思っていたが、なんとプッチはカタツムリの山の中に自身を隠して接近したウェザーに奇襲して右脚を切断。アナスイもプッチに応戦しようとしたが光の反射で現れたカタツムリに触れカタツムリ化してしまう。
右脚を切断されて動けなくなったウェザーに、アナスイはスタンド能力「ダイバー・ダウン」でウェザーの体内に入り失った右脚を補って再びプッチに挑むが、プッチはさらに反射した光をアナスイに浴びせてカタツムリ化を進行させて補ったダイバー・ダウンの右脚もカタツムリのように柔らかくなってウェザーは再び立てなくなる。
プッチはこのカタツムリ化の現象を「太陽光をオゾン層で屈折させたサブリミナル効果」である事を見抜いており、自分の視覚を「ホワイトスネイク」で抜き取っている為このカタツムリ化の影響を受けていない(ウェザーはプッチと同じスタンド使いの肉親であるため、お互いにそれぞれの位置が感覚でわかる為目が見えなくても関係なくウェザーを追う事が出来た。)。そしてウェザーを即死させていないのはカタツムリ化の現象でプッチを邪魔する者たちを残らず始末してもらう為でもある。
また抵抗されないようにプッチは再びウェザーの残っているもう一本の左脚を切断。抵抗できず傷つけられる仲間への義憤に駆られ、アナスイはプッチにスタンドを繰り出すが、「安っぽい感情で動いてるんじゃあないッ!」とプッチは恫喝してホワイトスネイクの拳でアナスイを制す。
「人」は天国に行かなくてはならないッ!
目指したものは全ての人々をそこへ導ける!おまえらはそれを邪魔しているんだ……
少しばかりの人間が犠牲になったからといって……「どこへ行かれるのですか?」
おまえは「磔刑」だ――――ッ!!
プッチ自身が歯牙にもかけぬアナスイの抵抗に対して、歯を食いしばるほど激高しながら説教めいた科白を放ち、「磔刑」と称した手刀でアナスイの首を狙う。しかし、その寸前でプッチの右足を槍のようなものが貫いて阻止。ウェザーは自分の多量の出血を天候を操る「ウェザー・リポート」の能力で風を吹き上げて乾燥させて地面中に「槍」を大量に作って反撃の手としたのだった。
プッチ神父のこの台詞のモチーフは上述の解説にあるように、イエス・キリストの弟子ペトロの目の前に磔刑に処されたはずのイエスが表れて、「どこへ行かれるのですか?」という言葉を再び発した後「もう一度「磔刑」にされるためローマに行く」とキリストが返し、その言葉に目を醒ましたペトロは殉教を覚悟してローマに戻り「磔刑」にされた伝承が由来である。
プッチは作中の悪役ではあるが、同時に神父でもある。それ故に説教の為にイエス様のエピソードを引用した台詞となっているのだろう。原作者の荒木飛呂彦もキリスト教系の学校が出身校であるため、キリスト教の伝承にも造詣が深いのでこの一連の台詞はスラスラと思いついただろう。
だが、ストーンオーシャン連載当時のジャンプ読者あるいはジョジョファンに、キリスト教に馴染み深い読者というのは相当限られてくるため、突然持ち出されたキリストの伝承をモチーフにした台詞に相当困惑したと思われる。いや、仮に馴染み深かったとしても唐突にこんな台詞が出て来ては困惑するだろうか。
この一連の台詞から滲み出る常人とズレたプッチ神父の感性は、『自分は全能なる神の完全なる「しもべ」であり、運命の答えを知ることが自分の使命』と信じ、その為の犠牲は当然であり邪魔する者は神の意志に反するという「自分が悪だと気づいていない最もドス黒い悪」と称される精神と、人を導く神父という職業柄ゆえに様々な教養を用いる説法とが合わさった為に表れてくるのだろう。
プッチは他にも「三匹の子豚」をモチーフにした「おまえごときうすっぺらな藁の家が深淵なる目的のわたしとDIOの砦に踏み込んで来るんじゃあないッ!」や、「(宙返りの角度の限界を親もその親も教わってないから教えられなくて崖に激突して死ぬ短命のツバメの一族をジョースター家の短命の宿命の引き合いに出して)承太郎は短命だったな」など様々な教養を引き合いに出して相手を煽る迷言染みた発言が多数出てくる。特に『「どこへ行かれるのですか?」 おまえは「磔刑」だ――――ッ!!』はその中でも代表的な煽りかつ迷言とファンの間では認識されている。
掲示板
11 ななしのよっしん
2024/12/21(土) 23:35:04 ID: SuQhIEbGUK
12 ななしのよっしん
2024/12/22(日) 03:28:53 ID: vuxPhfivSi
ずっと昔から思ってるけどプッチ神父、抹殺する敵をキリストに準えるのは神父としてかなりどうかしてないか?
13 ななしのよっしん
2024/12/24(火) 21:37:13 ID: LvMpEBpScI
アナスイを主に準えているのではなくて
今からする説教のタイトルを出しているのだと思う
「ガンダムファイトッ 国際条約第一条!」とかそんな感じ
「ドミネ・クオ・ヴァディス」
→
アナスイくん、ドミネ・クオ・ヴァディスのお話を知っているでしょう?
あなたは自分かわいさに、主を磔刑に行かせるつもりですか?
ダメですよね?
「お前は『磔刑』だぁーーーッ!」
→ペトロのように、崇高な使命に殉じなさい
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最終更新:2025/01/17(金) 19:00
最終更新:2025/01/17(金) 19:00
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