ノボトゥルー(Nobo True)とは、1996年生まれの日本の元競走馬・元種牡馬である。鹿毛の牡馬。
中央競馬のGI馬ながら、トウカイトリックやミスタートウジンらと並んで現役生活の長かった馬として有名。
主な勝ち鞍
2001年:フェブラリーステークス(GⅠ)、根岸ステークス(GⅢ)
2002年:とちぎマロニエカップ(GⅢ)、兵庫ゴールドトロフィー(GⅢ)
2003年:さきたま杯(GⅢ)
2004年:とちぎマロニエカップ(GⅢ)
父Broad Brush、母Nastique、母父Naskraという米国産馬。父は94年の米リーディングサイアーで、産駒の勝ち上がり率が8割以上という怪種牡馬。ブロードアピールの父でもある。母はアメリカで芝砂問わずGⅠ4勝を挙げた活躍馬だったが産駒成績はイマイチ、しかも牝系には知ってる種牡馬がほとんど入ってないという馬。ともあれリーディングサイアーとGⅠ馬の子として、比較的期待されていた。
しかし旧3歳10月にデビューしてから旧5歳、2000年12月までに24戦して4勝。勝ったのは未勝利戦、500万下、900万下×2。3歳時にGⅢユニコーンSに挑戦したが10着と木端微塵。ありていに言えば、うだつの上がらない条件馬に過ぎなかったのである。もっと言えば、4歳時に馬主の会社が問題を起こし名義変更、転厩の憂き目に遭うなど、環境にも恵まれないところがあった。
しかし2001年、5歳(この年から競走馬の年齢表記が実年齢になった)になると突如覚醒。初戦のジャニュアリーS(1600万下)を制しOPに昇格すると、次のGⅢ根岸Sではゴールドティアラにサンフォードシチーにブロードアピールといった前年の活躍馬らをまとめて倒して重賞初制覇。ついでに勝ちタイムの1分22秒1は東京ダート1400mのコースレコード[1]というおまけつきだった。こうなると残りの相手は前年の春秋東京GⅠ覇者ウイングアローと帝王賞・東京大賞典の覇者ファストフレンドぐらいしかいない。そして勢いに乗って挑んだGⅠフェブラリーステークスでウイングアローとファストフレンドに勝利。それも鞍上のO.ペリエ騎手がスタンドに向かってVサインをしながらゴールするほどの完勝劇だった。こうしてノボトゥルーは僅か2ヶ月で条件馬からGⅠ馬へと駆け上がった。
この直後に遠征したドバイのゴドルフィンマイルこそ9着に惨敗したが、以降は日本ダート界のトップホースの一頭としてGIを連戦し、マイルCS南部杯3着、JBCクラシック4着、ジャパンカップダート4着、フェブラリーS3着、マイルCS南部杯4着、JBCスプリント2着と台頭してくる新興勢力を相手にGI上位の常連として活躍した。
しかし7歳になった頃から徐々に成績は下降し、さすがにGIでは通用しなくなってくる(とはいえ9歳でもGIで3着1回と4着1回していたりするが)。以降は交流のG2・G3を中心に日本中を転戦し、交流重賞2勝を追加した。同厩で同じ勝負服、同じくダート短距離戦線で息長く走った一つ後輩のノボジャックとの「ノボ・ノボ」コンビでも知られ、2003年の高知の黒船賞ではコンビでワンツーを達成している(ノボトゥルーはノボジャックの逃げを捕まえられず2着だったが)。2004年には宇都宮競馬場最後の交流重賞となったとちぎマロニエカップでも優勝した。しかし、10歳で初めて経験した骨折の後は掲示板にも乗れなくなり、いよいよ衰えが顕著になる。そして12歳を迎えた2008年、フェブラリーステークスで14着に敗れたのを最後に引退した。
走った競馬場は実に18場を数え、このレースまでに記録した63戦連続重賞出走は無論日本記録である。生涯88戦11勝。稼いだ賞金は6億7696万6000円。これだけ衰えを隠せなくなるまで走っていたにも関わらず、生涯しんがり負けを喫することはなかった。
種牡馬としては、日本でほとんど見かけない血統なのだが、勝ち上がった馬が数頭いる程度でさっぱり人気が上がらず、細々と種付けを行ったのち2016年引退した。この点では、複数の地方重賞馬を輩出した相棒のノボジャックに水をあけられてしまった。引退後はクラウンホースメイトにて繋養された。
2021年12月9日、死亡。フェブラリーステークスや南部杯で鎬を削ったアグネスデジタルが前日に亡くなっており、天に駆けていった先でも競いあっているのかもしれない。
彼が出走したレースの出走表には、中央から地方、果ては海外まで、各地を代表する名馬から時代を彩った名脇役まで、様々な馬の名前が並ぶ。ノボトゥルーは綺羅星の如く活躍馬が現れたダート界の、そして2000代前半の競馬の生き証人でもあったのである。
2004年黒船賞(G3)に参戦したとき、奇妙なことが起こっている。
黒船賞の後にF級の特別競走が組まれていたのだが、地方馬最下級のこのレースに鞍上武豊が騎乗することが決まっていたのである。彼を乗せた馬は特に見せ所なく10着のブービー惨敗を喫したのだが、13000人の観客と90社400人の取材陣[2]の多くが、メインレースかつ高知唯一の交流重賞である黒船賞を差し置いて、通算106連敗目のこの未勝利馬に注目していたのだった。
その馬の名は、ハルウララ。負け続けたことでその名を全国に知らしめ、のちには高知競馬復活の礎となった伝説の最弱馬であり、同日の売り上げ8億6000万円中5億1000万円をこのレースにもたらしていた。
そのおかげで、この日は「武豊がハルウララに騎乗する」ということばかりが注目されてしまい、ノボトゥルーにとっては「出走レースと主戦騎手の注目を取られる」という、2着に敗れたこと以上にかわいそうなことになってしまったのだった。
どんな有名人(馬)であっても、もちろん、JRAの騎手が地方馬のためだけに遠征することはまずない。武豊は、本来はノボトゥルーに騎乗するために高知まで来ていたのであり、ハルウララに乗ったのはあくまでファンサービスである。
掲示板
7名無しさん
2022/02/28(月) 12:30:34 ID: VrpGQ2URiQ
https://
そしてノボジャックも逝ってしまった模様
8ななしのよっしん
2022/02/28(月) 12:33:48 ID: CSsLXIPo1p
>>3
昨日お亡くなりになった模様
https://
9ななしのよっしん
2022/03/07(月) 18:03:16 ID: eprKL2PlPS
普通に繋養されてたんですねごめんなさい
一昨年まで種付けしてたんで(勝ち馬も新しい世代にぼちぼちいる)元気ありそうなイメージだった
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最終更新:2023/03/25(土) 13:00
最終更新:2023/03/25(土) 13:00
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