ハクセツとは、
1、1929年生まれの日本の元競走馬、元種牡馬。鹿毛の牡馬。1933年の帝室御賞典(横浜、秋)勝ち馬。
2、1965年生まれの日本の元競走馬、元繫殖牝馬。芦毛の牝馬。
本項では2のハクセツについて記述する。
生産者: 扶桑牧場、調教師: 仲住達弥 → 高橋英夫、馬主: 中村正行(3代目勝五郎)
【主な勝鞍】
1968年: 牝馬東京タイムズ杯
1969年: 金杯(東)
1970年: 七夕賞
父フソウは安田賞時代の安田記念を含む重賞2勝を挙げた扶桑牧場の生産馬。母セツシユウも扶桑牧場の生産馬でダーレーアラビアンの本流たる快足芦毛マームードの血と「幻のダービー馬」ミラクルユートピアを産んだエミールの血を受け継ぐ良血芦馬であった。それゆえに馬主で牧場主の中村は、このセツシユウに滅茶苦茶期待していた。期待していた、期待していた、期待していた……、のだが、ただの未勝利馬として牧場に帰ってきた。ちょうどムシの居所が悪かった中村は、ブチギレて従業員に「こんな馬を牧場に置いても仕方がない。処分してしまえ」と命じた。でも、そうはならなかった。
「それは無謀ですね。グレーロードの血をくぐっていればセツシユウはきっといい仔を産むでしょう。アメリカ競馬ではマームードの系統がよく走ってるんです。グレーロードもマームードの仔でしょう。セツシユウのブルードメアサイヤーはマームードになるんだから、短気はおこさない方がいいですよ。」
と馬主仲間の藤山洋吉[1]氏が弁護してくれたおかげで中村の決断は翻り、セツシユウには自家種牡馬のフソウをつけてみることになった。そうして産まれたのが本馬である。
産まれてきた牝馬を見た中村は、またがっかりすることになった。馬体は小ネズミのように貧相だし、芦毛馬のくせに栗毛のマダラが散って見栄えも悪かったのだ。3歳になっても買い手が見つからなかったためセリに出されたものの、風采の上がらぬ見た目に加え父は内国産馬で母は未勝利馬と血統的にも魅力に乏しかったこともありセリでも売れ残り、主取りとなった。
中村は本馬に大きく期待するところはなかったが、だめもとでと船橋の仲住厩舎にハナミドリの名前で預けることにした。するとどうだろう。ハナミドリは重賞2着を含む16戦5勝と大活躍。これは期待できると中央に移籍を決め、名をハクセツに改め、開業したばかりの高橋英夫厩舎に預けられた。
1968年7月19日に福島のオープン戦にて池上昌弘鞍上の2番人気で中央デビューを果たしたが5頭立て4着と惨敗。池上の弟弟子であるルーキー岡部幸雄に乗り替わり、追込み戦法で8月の400万下福島民報杯を勝利。以後、岡部幸雄が主戦を務めた。次走でオークス馬ルピナスの6着と再び惨敗するが、12月の重賞牝馬東京タイムズ杯にて桜花賞2着のニツトウヤヨイやルピナスといった強豪馬を破って重賞初制覇。高橋厩舎及び岡部幸雄にとってもこれが重賞初制覇であった。
1969年は1月の重賞・金杯(東)から始動し、名立たる重賞馬たちを後方から追い込んで差し切り重賞2連勝を挙げた。しかし、次走の京王杯スプリングHでモンタサンの10着と惨敗。その後もアジア競馬会議開催記念にてニツトーヤヨイの6着、中山記念でメイジシローの9着と3連敗してしまう。府中特別でメイジシローを破り、調子を取り戻すと中村家にとって特別なレースである安田記念に出走するもハナ差で惜しくもハードウエイの2着に敗れた。
秋は10月の福島のオープン戦で勝利を飾り、福島大賞典に向かうもマツセダン、ルピナスに先着され3着、12月のクモハタ記念5着でこの年を終えた。
気づけば、かつての醜いアヒルの仔は美しく成長し、白い美少女と呼ばれてターフを沸かせるようになっていた。
1970年は1月の金杯から始動するも3着に敗れ、5月のオープン戦でアカネテンリユウの11着、更に6月もアカネテンリユウの6着と敗北を重ねて、7月の重賞七夕賞に出走する。中村は1番人気のスズノツバサには敵わないだろうと諦めていたが、大接戦の中1分49秒3のレコードでハクセツが差し切り、堂々たる重賞3勝目を挙げた。中村は「これはこれはの”たなぼた賞”だ」と言って喜んだという。
8月は福島記念を4着から9月の毎日王冠に向かい3着となるが、このレースで2着に入線したスピードシンボリの身に思わぬ不幸が襲い掛かることになる。返し馬でハクセツに対しチラチラソワソワ童貞ムーブをかましていたスピードシンボリの思いの丈は周囲にもろバレで、「日本一のシンボリならもっといい女に惚れたらいいじゃないか」と中村に冷やかされたのは序の口で報道により日本中の競馬ファンにも想いが知れわたってしまうのだった。
10月は京都に向かったスピードシンボリに対し、ハクセツは新潟の関屋記念に出走。堂々の1番人気で中村もこれは勝てると勇躍現地入りしたが6着惨敗で這々の体で帰る羽目になった。11月は牝馬ステークスに出走するも、14着惨敗。原因は恋の痛手という、新潟でどの馬かに恋をして、心ここにあらずになってしまったらしい。これでレースから引退して繁殖入りとなった。
通算成績37戦11勝。
妹のジョセツと共に芦毛の美人姉妹としてファンに愛された馬で、この姉妹の活躍は中村を喜ばせると共にセツシユウへの言動を悔い改めさせることとなった。
フソウ 1950 鹿毛 |
トシシロ 1940 栗毛 |
Diophon | |
Needle Rock | |||
月城 | Campfire | ||
*星旗 | |||
マリーユートピア 1933 鹿毛 |
Buchan | ||
Orlass | |||
*エミール
Emile
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Maori King | ||
Enileme | |||
セツシユウ 1959 芦毛 |
Mahmoud | Blenheim | |
Mah Mahal | |||
Rude Awakening | Upset | ||
Cushion | |||
アオバ 1953 黒鹿毛 |
ロックフオード |
*プリメロ
Primero
|
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*シガアナ
Cigana
|
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リリアンユートピア | セントユートピア | ||
*エミール
Emile
|
|||
競走馬の4代血統表 |
クロス:エミール 3×4(18.75%)、Blandford 5x5(6.25%)
掲示板
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最終更新:2025/04/02(水) 15:00
最終更新:2025/04/02(水) 14:00
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