ハシルショウグン 単語

5件

ハシルショウグン

4.8千文字の記事
  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • LINE

ハシルショウグンとは、

  1. 1988年生まれの競走馬芦毛本稿にて記述
  2. 2018年生まれの競走馬栗毛名前の由来は1。

ハシルショウグンとは、1988年生まれの日本競走馬である。芦毛

その一見気の抜けたように見える名や中央のレースに出走した時の成績から中央競馬ファンからは勘違いされがちではあるものの、地元南関東競馬で数々の大レース勝利した90年代初頭の地方競馬を代表する名である。

な勝ち
1991年:東京王冠賞
1992年:大井記念
1993年:川崎記念帝王賞大井記念

※当記事では活躍した当時に合わせて旧齢表記(現在の表記+1歳)を使用しています。

概要

メンデスハイビクターツイッグという血統。

メンデスフランスG1ムーラン・ド・ロンシャン賞、勝利した翌年にG1昇格となったジャンプラ賞など重賞4勝。フランスで2年間種牡馬生活を送った後日本に輸出された。フランス時代の産駒からはリナミクスがG1プール・デッセ・デ・プーランを勝利種牡馬としてもフランスリーディングサイアーくなど活躍、日本ではGIこそ出なかったものの地方競馬を中心に実績を送り出した。
またメンデスは遺伝的な理由で産駒が全て芦毛になることで有名で、遺伝学の用「メンデルの法則」になぞらえて「メンデス法則」と呼ばれていた。産駒であるハシルショウグンももちろん芦毛である。

ハイビクター大井競馬で22戦7勝。重賞勝ちこそかったものの3000m時代の東京大賞典でアズマキングのクビ差2着になった実績がある。

ツイッグはフランスで走りG3コートノルマーンド賞など15戦7勝した後日本に輸入され種牡馬入りした。代表産駒岩手競馬グレートホープを破った南部杯タケデンファイター。中央では皐月賞カツトップエースの2着に入ったロングミラー宝塚記念ハギノカムイオーの3着に入ったホースメンワイルドがいる。

1988年4月18日に門別の森永孝志氏(現モリナガファーム)の下で誕生。3歳になったハシルショウグンは89年の金杯(西)勝利したカツトクシンメジロライアン産駒カノープス特別を勝利したハシルジョウオーなどを所有した渡辺典六氏に購入され、南関東大井競馬赤間厩舎に預けられた。

現役時代

1991年8月サラ系3才新馬戦上に「大井の帝王的場文男騎手上にデビューし1番人気に応えて8身差で勝利。2戦菊特別ではリバティロンコに1番人気を奪われたもののそのリバティロンコを大差で破り連勝。この2戦のパフォーマンスは圧倒的で、かつて大井競馬の3歳戦で活躍したハイセイコー再来として噂になり、営も翌年の南関東三冠に向け期待を寄せていた。しかし調教中に骨折して競馬を全休することになってしまい、三冠の内羽田盃東京ダービーの二冠を不出走という形で逃すことになった。

傷を癒したハシルショウグンは8月末のオミナエシ特別で復帰。当然のように1番人気に推されるとあっさり勝利して復活アピール。その後は一般競走を2連勝しデビュー以来5戦全勝の成績をひっさげ南関東三冠最後の一冠東京王冠賞へ出走。東京ダービーアポロピンクこそ不在だったが、それでも羽田盃アーバントップ、東京ダービー2着ウエルテンションなどが名を連ねる中ここでも1番人気に支持されるとウエルテンションに4身差をつけ堂々勝利。この強さに営は「故障さえなかったら三冠馬だった」と口をえ、その強さを讃えつつの怪残念がった。
その後は年末の東京大賞典に出走したがさすがに疲れが出たのか東京王冠賞で3着に破っていたボールドフェイスから離された7着に敗れ、デビューからの連勝は6で止まった。

5歳になった1992年3月大井盃から始動し、前走で離されたボールドフェイスと同着、勝ったゴールセイフと2着ダイコウガルダンからも僅差の3着。次走の当時数少ない中央地方交流の帝王賞では中央から来たラシアンゴールドナリハヤブサの同着1着からは5身ほど離されたものの掲示板入りとなる5着とし、6月大井記念を5身差で勝利して重賞2勝。休養を挟んだ次走には帝王賞と同じく数少ない交流競走として札幌競馬場で行われていたブリーダーズゴールドカップに出走したが、中央どころかボールドフェイスなど地方からも離された8着に敗れた。翌には大井競馬に所属したまま前年優勝した同厩の先輩ジョージモナークと共にオールカマーに出走して2頭って逃げを打ったものの、中3番手に押し上げてきてそこから上り2位の末脚を見せたイクノディクタス以下中央勢に差し切られ6着。しかし地方勢ではハナ差5着のジョージモナークと共に最先着であり、1番人気ヌエボトウショウや2番人気カリブソングを破っている。

大井に戻ってきたハシルショウグンは90年から始まった新設重賞グランドチャンピオン2000に出走。的場騎手がこの年の南関東三冠を共に戦うナイキゴージャスに騎乗するため鈴木啓之騎手に乗り替わりとなり、そのナイキゴージャスシノサクシードに次ぐ3着。次走は再び中央へ向かい地方代表としてジャパンカップに参戦したが、流石に適性外だったか14頭立て最下位に敗れた。年末は前年と同じく東京大賞典に出走し5着。しかし前走までとべると1着からの着差は縮まっており、やはり本拠地に戻れば強さを取り戻すことが出来ていた。

6歳になった1993年は年始の東京シティ盃こそ前走の疲れかはたまた1400mの距離が合わなかったかウエルテンションに敗れたものの、2戦川崎記念ではかつて中央でガーネットステークス勝利したオープンタケデンマンゲツとのハナ差の大接戦を制し見事勝利。前年5着に敗れた帝王賞では中央から来たカリブソングナリハヤブサ、同じ大井のスルガスインにも及ばない5番人気に留まったが、逃げたスルガスインとそれを追うダイカツジョンヌに次ぐ3番手で直線に入ると後方から来たカリブソンググレイショウリも含めた5頭横一線での追いべに勝利して重賞4勝を挙げ、続く大井記念も前年より着差こそ縮まったものの58.5kgのトップハンデを物ともせず連覇達成。破重賞3連勝で大井競馬を代表する競走馬へ成り上がった。

その後ハシルショウグンはを休養に充て、初戦は前年と同じく中央競馬オールカマーに出走することになったのだが、本番の1週間前に挫石ので歩様に異変が起きてしまった。担当する医師からは大事を取って休養した方がいいのではないかと助言されたが、営は今一番の充実期を迎えたハシルショウグンであれば中央の重賞にも勝利できるのではと考え、蹄を手術してダメージを受けていた個所に脱脂綿を詰めて出走した。93年のオールカマーには前年優勝イクノディクタスの他最強メジロマックイーン天皇賞で破ったライスシャワー、91年の桜花賞で当年の安田記念4着シスタートウショウなどが出走。ハシルショウグンはジャパンカップの惨敗で8番人気に留まっていた。レースでは大逃げを仕掛けたツインターボとそれを少し離れた位置で追うホワイトストーンを見ながら抑えた後方集団先頭の3番手につけた。上の的場騎手ツインターボとの対戦は初めてであったものの長年の経験からかツインターボが余を残していることを見抜き直線手前からホワイトストーンを抜いて必死に前を追ったが、時すでに遅しツインターボ大逃げの前に5身差の2着に敗れた。しかしハシルショウグンは他の地方参戦が下位を独占する中ライスシャワーを始めとするGI含む中央の強達を抑えて2着に入り、から続く強さが中央の舞台でも通用することを明して見せた。

その後は前年と同じローテーションでグランドチャンピオン2000からジャパンカップへと挑んだものの、オールカマー出走の為に手術してまで間に合わせたが時が経つごとに深くなり、グランドチャンピオンこそ3着だったもののジャパンカップは16頭立て16着と2年連続での最下位。地元大井ならと年末の東京大賞典では1番人気に支持されたが10着に敗れてしまった。

翌年以降ハシルショウグンは赤間調教師が「別になってしまった」と述べるほど調子を落とし、レースの出走にも苦労するようになっていった。7歳時は川崎記念で4着、アフター5スター賞とグランドチャンピオンでは3着と結果だけ見れば悪くないものの3走しか出来ず、中央への遠征どころか帝王賞東京大賞典などの南関東の大レースにも出走出来なかった。8歳になった95年はに4走出来はしたものの勝ちからは大きく離された。この結果を受けて馬主渡辺氏は「往年のような活躍はできないだろうから最後に中央競馬で走らせたい」と述べ、美嶋田潤厩舎へハシルショウグンを移籍させることにした。移籍初戦はGI天皇賞(秋)となったがやはりレベルの高さには付いて行けずにブービーホクトベガからさらに大差の最下位に敗れた。翌96年は中央での初勝利して障害競走に出走したが、初出走となる5月未勝利戦の最終直線で左前第一関節脱臼を発症し、予後不良となってしまった。9歳。通算成績32戦10勝。うち重賞5勝。

オールカマーの強行出場や晩年の中央競馬移籍など、経歴だけを見れば周囲の人間に振り回されたようにも思えるが、ハシルショウグンの営は大井だけではなく中央競馬重賞というタイトルを手に入れるチャンスを逃したくないと考えての事であるし、馬主渡辺氏も衰えたハシルショウグンにもう一咲かせるべく中央への移籍など現役を続行するを最後まで模索するなど決して思いやりのないオーナーというわけではなかった。ただめぐりあわせが悪かったという他ない最後にはなってしまったが、地方と中央を股に掛け活躍した90年代初頭の名の1頭として、その名は今も残っている。

エピソード

血統表

*メンデス
Mendez
1981 芦毛
*ベリファ
1976 芦毛
Lyphard Northern Dancer
Goofed
Belga Le Fabuleux
Belle de Retz
Miss Carina
1975 芦毛
Caro *フォルティノ
Chambord
Miss Pia Olympia
Ultimate Weapon
ハイビクター
1978 鹿毛
FNo.2-n
*ツイッグ
1971 黒鹿毛
Hul a Hul Native Dancer
Week-End
Top Twig High Perch
Kimpton Wood
マンノージョウ
1967 黒鹿毛
*リンボー War Admiral
Boojie
ピーク シマタカ
*アバロンピーク
競走馬の4代血統表

クロス:5代内アウトブリード

関連動画

関連コミュニティ

関連項目

この記事を編集する

掲示板

おすすめトレンド

ニコニ広告で宣伝された記事

記事と一緒に動画もおすすめ!
健康優良児[単語]

提供: 健康不良爺

もっと見る

急上昇ワード改

最終更新:2024/04/25(木) 00:00

ほめられた記事

最終更新:2024/04/25(木) 00:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP