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ハドリアヌス

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ハドリアヌス / インペラトル・カエサルトラヤヌス・ハドリアヌス・アウグストゥス(76年~138年)とは、ローマ皇帝で、ローマ五賢の三人である。

概要

一般的にはトラヤヌスを引き継ぎ、ローマに安寧をもたらした賢と言われているが、実は養子縁組があったかどうかという論争にも決着がつかず、当時の評判は暴君と賢の相反するものが併存する状態であった。さらに晩節を汚したともされ、今もなおベールに包まれている人物である。

セリヌスの秘密

ハドリアヌスは、117年にトラヤヌスが没する際、養子縁組を結ばれ皇帝位を継いだとされる。しかしこの即位劇はセリヌスの秘密と呼ばれるいまだなお論争中のに包まれている。

トラヤヌスがセリヌスで没するときそばにいたのは皇后プロティナ、姪でハドリアヌスの義ティディア、近衛隊長官のアッティアヌスのみであり、ハドリアヌスはシリア属州総督としてアンティオキアにいた。
しかし、同時代の言は残っておらず、最も近い3世紀初めのディオの『ローマ史』にすら、ハドリアヌスは養子とされてはおらず、ハドリアヌスの同郷人で後見役も務めたアッティアヌスとハドリアヌスに情を抱くプロティナが謀ってハドリアヌスを皇帝にしたとする。このようにハドリアヌス即位に関する史料は極めて疑わしいものしか残っていないのである。

そこで19世紀末以来、研究者たちはハドリアヌス即位劇を解き明かそうと、様々な学説をたてていった。20世紀に入りより史料状況がよくなってもなお、決着がつけられなかった。とにもかくにも、事実としてはハドリアヌス即位は円滑にされたものではなかった、ということが言える。

さらにシリアで即位したハドリアヌスが、ローマに戻るまでに、これまたの多い事件が起きた。アウィディウス・ニグリヌス、ルシウス・クィエトゥス、パルマケルススという執政官を経験した4人の元老院議員が陰謀を企てハドリアヌスを殺しようとし、処刑されたというものである。この件もディオはそもそも陰謀があったかどうか疑っている。

とにかく、ハドリアヌスは新として各地をめぐるのを取りやめて急遽首都に戻り、混乱を抑えるよう努める必要が出てしまった。かくして前途多難な彼の治世が始まりを告げたのである。

ハドリアヌスの治世

ハドリアヌスはトラヤヌスと同様属州バエティカのイタリカの出身であり、元老院議員に二代前にようやくなった新系であった。フェルトラヤヌス従兄弟であり、ハドリアヌスが10歳の頃に亡くなると、トラヤヌスと後の近衛隊長官アッティアヌスが後見人となった。やがて元老院議員の職歴を歩み始め、トラヤヌス皇后プロティナのはからいで、トラヤヌスの姪マティディアの子サビナと結婚したのである。

ハドリアヌスは32歳の若さで執政官職に達した有望な元老院議員であったが、功績や経験ではハドリアヌスをぐ人物は大勢いた。しかし当時、属州であるスペイン系勢の台頭と、また属州統治に前代と断絶した新しいエリートの出現が起きたようだ。この流れからハドリアヌスの即位は政治支配層内部での勢地図の塗り替えを伴ったものとされている。ハドリアヌスの即位にまつわる様々な疑惑は、ハドリアヌスを越えたハドリアヌス暴走によるものともいわれている。

とにかく、即位したハドリアヌスは、元老院を重んじ、気前のいい皇帝としてふるまった。文化や芸術を好み、きわめて才知に優れた人物であったと言われている。やがてトラヤヌス、マティディア、プロティナ格化させていくと、ハドリアヌスはハドリアヌスから自立していく。120年代中ごろから、イタリア出身者が再び重用されるようになり、またアッティアヌス厄介払いなども行われたのである。

晩年とアントニヌス・ピウスの即位

しかし、130年の寵童アンティノウスの死後から、次第にハドリアヌスはかつての精さを欠くようになる。その結果招いたのがユダヤ人の大規模反乱であった。第二次ユダヤ反乱をようやく抑えたころ、すでにハドリアヌスは60歳に近づき、実子のいない中後継者問題に取り組む必要性が出てきた。

この時補にいたのは姪の息子フスクスのみであった。その祖はハドリアヌスの姉妹の夫ウルスス・セルウィアヌスであり、セルウィアヌスはなおも政界に影を持ち続けていた。しかしハドリアヌスは136年の半ば、エトルリア出身のパトリキ貴族、ケイオニウス・コンモドゥスを養子とし、アエリウス・カエサルと名乗らせたのである。加えて、セルウィアヌス、フスクスを死に追いやったのだ。

ところがアエリウス・カエサル138年に若くして亡くなる。この結果養子となったのが南フランス出身の貴族アウレリウスアントニヌス、後のアントニヌス・ピウスである。
加えてハドリアヌスはアントニヌスに、スペイン系大貴族アンニウス・ウェルスの孫でアントニヌスの妻の甥アンニウス・ウェルス(後のマルクス・アウレリウス・アントニヌス)、アエリウス・カエサルの遺児ルキウス・ウェルスの二人を養子にさせたのだ。
さらにアンニウス・ウェルスとルキウス・ウェルスの姉妹であるケイオニアファビアを婚約させた。

この二度の養子縁組もに包まれている。通常は、ハドリアヌスの個人的な思惑に端を発しているともされる。しかし、アエリウス・カエサル養子縁組はプラウティアを通じケイオニウス氏族やウェットゥレヌス氏族と通じ、スペイン系勢を排除し、イタリアの元老院議員系を登用しようとしたとも、アウレリウスアントニヌス養子縁組はこの失敗からイタリア系とスペイン系の併存を狙ったとも推測されている。

とはいえ138年、アントニヌス養子縁組を済ませて安心したのか、ハドリアヌスはあっけなく亡くなった。そしてアントニヌス・ピウスの治世へと移っていく。

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