ハリー・S・トルーマンとは、アメリカ合衆国第33代大統領である。
ミドルネームのSは単に「S」であり、イニシャルではないらしい。しかし彼のサインを見ると、Sのあとにイニシャルであることを示すピリオドが打たれている。
最終学歴が高卒の大統領である。高校卒業→銀行に就職→実家の農家を継ぐ→政治家転身という流れ。
先代の大統領であるルーズベルトが四期目の大統領在任中に死去したため、副大統領であった彼が1945年4月12日に第33代大統領として就任した。彼が副大統領になったのはルーズベルトの四期目からで、それまで閣僚経験は無く、就任からまだ3か月程度しか経っていなかったことから、彼はルーズベルトがこれまでなにをやってきたのか殆ど知らなかった。
ルーズベルトは「対ソ宥和政策」を進めてきたが彼は情報を集めていくうちにソ連に対し不信感を抱いた。さらに反ソの国務次官ジョセフ・グルーらの影響を受けた彼は遂に「対ソ強硬路線」へと舵を取った。ここに戦後の米ソ冷戦への道が決定的な物となったのである。
トルーマンは当初、最高機密である原爆開発情報は、ソ連は知らないと考えていた。ところが実際にはポツダムでスターリンと会った際、原爆開発に成功した話をすると、スターリンはすでにこれを知っていた。(7/16に実験、7/17に会談だったにも関わらずである!)この辺りもスターリンに対する不信感を強めた原因であるとされている。
7/26のポツダム宣言によって日本が無条件降伏することを期待していたが、日本からの公式声明は「コレヲ黙殺ス」というものであった。ヤルタ会談ですでにソ連の対日参戦は決まっていたものの、ソ連への不信感からソ連介入前に決着を図る声もあり、トルーマンは就任早々大きな決断を迫られることになった。原爆を落としても日本が態度を硬化させてしまう可能性もあり、国際政治上アメリカの評判が落ちる恐れもあり、原爆投下は大きな賭けであったが、最終的には日本が降伏しトルーマンは賭けに勝ったと言える。
戦後機密文書の保管期限が切れ、当時の公文書が閲覧できるようになったことから、当時の状況が、一概に前述の通りであったとは言い切れない可能性も出てきた。
GHQのトップであったダグラス・マッカーサーと仲が悪かったことで有名。元々傲慢で次期大統領も狙っていたマッカーサーは、トルーマンの命令を聞く気があまりなく、逆に朝鮮戦争で核兵器の使用を大統領に求めてきたため、トルーマンとの仲は完全に決裂。最終的にマッカーサーはトルーマンによって更迭された。
大統領は2期8年までという慣例がアメリカに存在した。これは初代大統領ジョージ・ワシントンが3期目を辞退した故事にちなむが、あくまで慣例であり法律や憲法で定められている訳ではなかった。フランクリン・ルーズベルトがこの慣例を破ったことから、トルーマンは慣例を明文化し、アメリカ合衆国憲法修正第22条を成立させた。
掲示板
急上昇ワード改
最終更新:2023/06/06(火) 21:00
最終更新:2023/06/06(火) 21:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。