ハンロンノカミソリ
ハンロンの剃刀(英:Hanlon's razor)とは、ある人為的とされる悪い出来事があった際に、その行いをした当人の故意によるものではなく、過失として受け止めるべきという警句。
"Never attribute to malice that which is adequately explained by stupidity."(愚かさによって十分説明されることに、悪意を見出してはいけない)
オッカムの剃刀(Occam's razor、同じ事柄を説明するにはなるべく単純化すべき)の派生版。しかし「オッカムの剃刀」の名称の由来である「オッカム」は著名な神学者・哲学者であったが、こちらの「ハンロン」は無名の人物である。
この概念が「ハンロンの剃刀」と呼ばれるようになった経緯については、イギリスのケンブリッジ大学でコンピューターサイエンスの教授職にあるクエンティン・スタッフォード=フレイザーのブログで、ジョセフ・E・ビグラーと名乗る人物からメールで寄せられたものとして2001年に紹介されている[1][2]。
そのビグラーのメールによれば、ビグラーの友人であるロバート・J・ハンロンという人物に由来するという。1977年に「マーフィーの法則(Murphy’s Law)」という警句集がベストセラーとなったが、出版社はこの本の続編を出すために「法則」を募集した。それにハンロンが上記のフレーズを投稿したところ採用され、ハンロンの名前もクレジットされた上で1980年に出版された続編書籍「Murphy’s Law book two: More reasons why things go wrong!」に掲載されたのだという。
この情報が正しければ、「ベストセラー書籍の続編」としてそれなりに売れたと思われる書籍に、投稿者ハンロンの名付きで掲載されたことになる。「ハンロンの剃刀」と言う言葉が広まったこと、にも関わらずハンロン自身が無名の人物であることのよい説明となるだろう。
同様の趣旨の記述は、日本では、評論家の勝間和代も朝日新聞の記事内で紹介している[3] 。
ちなみに類似の考え方は、1774年に出版された文豪ゲーテによる小説「若きウェルテルの悩み」でも既に登場している。
daß Mißverständnisse und Trägheit vielleicht mehr Irrungen in der Welt machen als List und Bosheit. Wenigstens sind die beiden letzteren gewiß seltener.[4]
(和訳例:この世の中では、誤解とか怠慢が、策謀とか悪意よりもたくさんのいざこざを生んでいるんちゃうかな。少なくとも策謀とか悪意なんちゅうもんの方が確かにまれなんや。)
身近な人間関係から、政府の政策に至るまで、幅広い分野で「ハンロンの剃刀」の反対の認識、単なる失敗の可能性があるのにも関わらず、悪意によってなされたという決めつけがなされることがある。
そんなときに、一歩引いて「それは悪意からではなく、単に不注意からくるもの」だと理解すると、性急な追及や過度の批判、誤った原因の断定に至らないという一種の分析手法である。
陰謀論の中では、ユダヤ陰謀論(世界の政治経済を牛耳るのはユダヤ人)や政府や企業、メディアによる世論操作がなされているなどが当てはまる。
ただし、これはオッカムの剃刀など他の推論規則と同様に、他に何も明らかなことは無いときは、より一般的、平均的な出来事であると仮定したほうが良い(平凡の原理)という原則から導かれるものであって、真に意図があって起きた出来事まで反証するものではない。
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最終更新:2023/02/08(水) 12:00
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